『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第12章「沈黙の夜会(前妻の影が動き出す)」

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夜会の始まる鐘が鳴った。

大広間は黄金のシャンデリアに照らされ、
鮮やかなドレスと宝石の輝きが
まるで星の海のように煌めいている。

シャルロットは深い紺のドレスに身を包み、
胸元のブローチをそっと押さえた。

(……距離を置こう、と言ってしまったけれど
 今日だけは、公爵夫人として振る舞わなければ)

表情を整えても、
胸の奥の痛みは消えない。

カルロスはホール入り口で、
いつものように静かに皆へ挨拶をしていた。

その姿は圧倒的な存在感を放ち、
女性たちの視線を集めている。

しかしシャルロットの目に映る彼は、
どこか冷たく、遠く、
今夜は特に“沈黙”が深かった。

(……わたくしが距離を置くと言ったから?
 それとも、もう……)

思考が深みに落ちそうで、
シャルロットは急いで視線をそらした。

そのとき──
背後でささやき声がした。

「見て、あれが“影の夫人”よ」
「エリザベラ様が亡くなって一年……まだ想い続けている公爵さまに、後妻なんて必要?」
「ほら、あの肖像画。夜会の控室にも飾られたままらしいわ」
「この前、あの書庫から“女の笑い声”が聞こえたって噂よ」
「亡霊の噂まであるもの……」

亡霊。

胸が凍りつく。

シャルロットは足を止めた。

(……笑い声?
 まさか……そんな……)

だが誰も、否定しなかった。

噂は“影”ではなく、
いつしか“恐怖”に変わっていた。

その瞬間、
ホールの奥でざわめきが起きた。

「あれは……」
「エリザベラ様が、生前に愛した白百合の香り……?」
「この季節に咲くはずないのに……どうして?」

白百合の香り。

シャルロットの心臓が跳ねた。

(……手紙の押し花と同じ香り……)

広間に漂う甘い香りは、
確かに前妻が愛した香水と同じものだった。

鳥肌が立つ。

その時だった。

「──シャルロット」

静かな声が聞こえた。

振り向くと、カルロスが立っていた。

今日の彼はいつも以上に冷静で、
瞳に深い影を宿していた。

「大丈夫か? 顔色が悪い」

シャルロットは小さな声で答えた。

「ええ……大丈夫ですわ……」

カルロスは一歩近づく。

しかしまた、
触れようとした手を途中で止めた。

その動きが、
いつも以上に痛かった。

(どうして……
 どうして触れてくれないの……?
 距離を置くと言ったのはわたくしなのに……
 それでも触れてほしくて仕方ないの……)

シャルロットは微笑もうとしたが、
声が震えた。

「……いつも、触れないのですね」

カルロスは息を呑み、
顔を伏せた。

「理由がある。
 君を……守るための理由だ」

「……そういう“理由”が
 わたくしには一番……苦しいのです」

カルロスは何かを言いかけたが、
その瞬間。

──パリンッ。

控室のガラスが割れる音が響いた。

ホールの空気が凍りつく。

侍女が慌てて駆け込み、大声で叫んだ。

「た、大変です!
 控室の奥で……“前妻様の肖像画”が……床に落ちて……!」

ざわめきが波のように広がる。

カルロスの表情が強く歪んだ。

シャルロットは胸が冷たくなる。

(……誰が?
 何のために?
 エリザベラ様の絵を……)

そして耳に届いた令嬢のささやきが、
とどめのように心に刺さった。

「やっぱり……“戻ってきた”のよ」
「エリザベラ様の……影が動き出したのね」
「後妻が来たから怒っているんだわ」

シャルロットの視界が揺らいだ。

(前妻の影……
 怒って……わたくしを……?)

カルロスが振り向き、
強い声で指示を出す。

「全員、控室には近づくな!
 シャルロット、ここで待っていろ」

「でも……」

「待て」

その声は強いのに、
どこか必死で震えていた。

カルロスはすぐに控室へ向かい、
その背中が闇に溶けるように消えていく。

シャルロットは手を胸に当て、
深く息を吸った。

(……前妻の手紙。
 白百合の香り。
 書庫の扉。
 噂。
 肖像画の落下。
 すべてが……わたくしに何かを伝えようとしているみたい)

そして、
ふと視線を感じて振り返った。

──誰もいない。

しかし背筋がぞくりと冷えた。

雨上がりの風のような香りが、
彼女のすぐ耳元をかすめた気がした。

(……これは
 “影”ではなく……“気配”?)

夜会のざわめきの中、
シャルロットはひとり、
深い寒気に包まれていた。

そして彼女はまだ知らない。

控室でカルロスが目にするものこそ、
“前妻の影”の始まりにすぎないということを──。
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