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第31章「影の部屋(白い花の檻)」
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別邸の玄関に足を踏み入れた途端、
空気が変わった。
温度ではない。
光でもない。
“空気そのものの色”が変わったような、
重たく湿った感覚。
シャルロットは、
胸の奥がざわりと疼くのを感じた。
(……ここ……
息が……し辛い……)
カルロスは剣を構え、
彼女の前に出る。
「シャルロット、絶対に俺から離れるな」
「はい……」
廊下には、
古いランプが等間隔にぶら下がっている。
灯っていないはずなのに、
薄ぼんやりと光が揺れる。
まるで影自体が
光を吸って放っているように見えた。
(この感じ……
前妻様の部屋より……もっと……近い……)
床に、
散らばった白百合の花弁が落ちている。
香りが濃くなる。
カルロスが低く言った。
「……ミレイユの気配が濃い。
この奥だ」
彼は階段の方へ向かうのではなく、
玄関すぐ脇の扉を見つめた。
その扉は
少しだけ開いていて、
中から冷気が流れ出している。
扉の表面には
白い花びらの紋章が刻まれていた。
シャルロットは胸が詰まる。
「……ここが……
影の……“部屋”……?」
カルロスは頷いた。
「エリザベラが影を育て、
閉じ込めた部屋だ。
ミレイユの……始まりの場所だ」
シャルロットの足が震えた。
(ここで……
ミレイユが……
わたくしの顔を……?
名前を……?)
二人はそっと扉を押した。
キィィ……
音が長く伸び、
そのあと、空気が止まる。
部屋は暗い。
窓がない。
壁一面に、
白百合の花が吊るされ、
乾燥させたものが並んでいた。
(白百合の……香り……
ここから……?)
床には、
古い日記帳の破れた紙が散らばっている。
中央の机の上には——
黒い布に包まれた“何か”。
シャルロットが近づいた瞬間、
部屋の奥から声がした。
――「触らないほうがいいわ」
鋭く、甘く、
どこか泣きそうな声。
シャルロットは息を飲む。
(また……)
声は、
“影”のように滑らかで、
まるですぐ耳元にいるかのようだった。
――「その黒い布の中は……
『本物の妻』の印よ」
シャルロットの胸が締まる。
カルロスが即座に剣を構え直す。
「姿を見せろ、ミレイユ!!」
影は姿を見せない。
ただ声だけが笑った。
――「あなたは……ずっと勘違いしてきたわ」
――「“妻”になったのはシャルロットじゃない」
シャルロットは、机上の布に手を伸ばした。
震える指先で、
そっと布を持ち上げると……
そこには、
シャルロットと同じ型で作られた、“面(おもて)”。
白くて、歪んでいて、
けれど妙に美しい。
まるで
“シャルロットの死に顔”のような面。
シャルロットは声も出ない。
(わたくしの……
顔……?
これは……何……?)
ミレイユの声が囁いた。
――「わたしが被せられていたの。
『あなたになるために』」
シャルロットは震えた。
(……ミレイユは……
わたくしに成り代わるために……
“この顔”を……?)
カルロスの顔が蒼白になる。
「……そんな……
エリザベラ……お前……何を……」
影は言う。
――「あの方は、わたしを愛していた。
でも同時に恐れた。
“本物の妻の顔”を持つ影を」
――「だから閉じ込めた。
この白百合の檻に」
部屋に飾られた白百合は、
すべてドライフラワー。
しかし香りはまだ濃く残り、
まるで“影の息”のように漂う。
シャルロットの視界が滲む。
「あなたは……
影として……
生きたかったのですか……?」
影は答えなかった。
ただ、
ひと筋の風が床の紙を揺らした。
その紙に、
見覚えのある筆跡があった。
《シャルロット》
シャルロットは息を失う。
(エリザベラ様が……
わたくしの名前を……
ここに……?)
カルロスが紙を拾う。
書かれていたのは——
エリザベラが影に向けた言葉。
《影よ。
この部屋にいる限り、
あなたは“シャルロット”にはなれない。
あの娘が本物。
あなたは影。
席を奪ってはいけない》
シャルロットは涙をこぼした。
(前妻様は……
わたくしを……本妻として……?
ミレイユを止めようとして……
閉じ込めて……?)
影の声が凍りつくほど低くなる。
――「嘘よ」
――「あの人は……
結局わたしを捨てたのよ。
あなたという“本物の妻”のために」
シャルロットの胸に痛みが走る。
(わたくしは……
エリザベラ様に……
知らぬ間に……
“選ばれていた”……?)
カルロスが低く言う。
「シャルロット。
これは……
お前が“本物の妻”である証だ。
ミレイユは……
それを否定したいだけだ」
影は笑った。
――「本物?
本物ってなに?」
――「“席”があるなら、
それを奪うのは、どちらがふさわしいか……
それだけの問題よ」
声がすぐ背後から聞こえた。
シャルロットが振り向くと、
暗い部屋の中央に
ゆらりと影が立っていた。
白い花弁がゆっくり降り落ちる。
ミレイユはシャルロットを見つめ、
言葉を落とした。
――「さあ、シャルロット。
“あなたの席”を返して?」
シャルロットの息が止まる。
カルロスが剣を向けるが、
ミレイユは揺れる影のように笑った。
――「返してくれれば……
わたしは、あなたを傷つけない」
――「でも返さないなら……」
白百合の香りが強烈に満ちた。
――「あなたをここに置いていくわ。
影として」
部屋の灯りがふっと消えた。
白い花が舞い、
影がシャルロットの手をそっと取った。
その手は、ひどく冷たかった。
空気が変わった。
温度ではない。
光でもない。
“空気そのものの色”が変わったような、
重たく湿った感覚。
シャルロットは、
胸の奥がざわりと疼くのを感じた。
(……ここ……
息が……し辛い……)
カルロスは剣を構え、
彼女の前に出る。
「シャルロット、絶対に俺から離れるな」
「はい……」
廊下には、
古いランプが等間隔にぶら下がっている。
灯っていないはずなのに、
薄ぼんやりと光が揺れる。
まるで影自体が
光を吸って放っているように見えた。
(この感じ……
前妻様の部屋より……もっと……近い……)
床に、
散らばった白百合の花弁が落ちている。
香りが濃くなる。
カルロスが低く言った。
「……ミレイユの気配が濃い。
この奥だ」
彼は階段の方へ向かうのではなく、
玄関すぐ脇の扉を見つめた。
その扉は
少しだけ開いていて、
中から冷気が流れ出している。
扉の表面には
白い花びらの紋章が刻まれていた。
シャルロットは胸が詰まる。
「……ここが……
影の……“部屋”……?」
カルロスは頷いた。
「エリザベラが影を育て、
閉じ込めた部屋だ。
ミレイユの……始まりの場所だ」
シャルロットの足が震えた。
(ここで……
ミレイユが……
わたくしの顔を……?
名前を……?)
二人はそっと扉を押した。
キィィ……
音が長く伸び、
そのあと、空気が止まる。
部屋は暗い。
窓がない。
壁一面に、
白百合の花が吊るされ、
乾燥させたものが並んでいた。
(白百合の……香り……
ここから……?)
床には、
古い日記帳の破れた紙が散らばっている。
中央の机の上には——
黒い布に包まれた“何か”。
シャルロットが近づいた瞬間、
部屋の奥から声がした。
――「触らないほうがいいわ」
鋭く、甘く、
どこか泣きそうな声。
シャルロットは息を飲む。
(また……)
声は、
“影”のように滑らかで、
まるですぐ耳元にいるかのようだった。
――「その黒い布の中は……
『本物の妻』の印よ」
シャルロットの胸が締まる。
カルロスが即座に剣を構え直す。
「姿を見せろ、ミレイユ!!」
影は姿を見せない。
ただ声だけが笑った。
――「あなたは……ずっと勘違いしてきたわ」
――「“妻”になったのはシャルロットじゃない」
シャルロットは、机上の布に手を伸ばした。
震える指先で、
そっと布を持ち上げると……
そこには、
シャルロットと同じ型で作られた、“面(おもて)”。
白くて、歪んでいて、
けれど妙に美しい。
まるで
“シャルロットの死に顔”のような面。
シャルロットは声も出ない。
(わたくしの……
顔……?
これは……何……?)
ミレイユの声が囁いた。
――「わたしが被せられていたの。
『あなたになるために』」
シャルロットは震えた。
(……ミレイユは……
わたくしに成り代わるために……
“この顔”を……?)
カルロスの顔が蒼白になる。
「……そんな……
エリザベラ……お前……何を……」
影は言う。
――「あの方は、わたしを愛していた。
でも同時に恐れた。
“本物の妻の顔”を持つ影を」
――「だから閉じ込めた。
この白百合の檻に」
部屋に飾られた白百合は、
すべてドライフラワー。
しかし香りはまだ濃く残り、
まるで“影の息”のように漂う。
シャルロットの視界が滲む。
「あなたは……
影として……
生きたかったのですか……?」
影は答えなかった。
ただ、
ひと筋の風が床の紙を揺らした。
その紙に、
見覚えのある筆跡があった。
《シャルロット》
シャルロットは息を失う。
(エリザベラ様が……
わたくしの名前を……
ここに……?)
カルロスが紙を拾う。
書かれていたのは——
エリザベラが影に向けた言葉。
《影よ。
この部屋にいる限り、
あなたは“シャルロット”にはなれない。
あの娘が本物。
あなたは影。
席を奪ってはいけない》
シャルロットは涙をこぼした。
(前妻様は……
わたくしを……本妻として……?
ミレイユを止めようとして……
閉じ込めて……?)
影の声が凍りつくほど低くなる。
――「嘘よ」
――「あの人は……
結局わたしを捨てたのよ。
あなたという“本物の妻”のために」
シャルロットの胸に痛みが走る。
(わたくしは……
エリザベラ様に……
知らぬ間に……
“選ばれていた”……?)
カルロスが低く言う。
「シャルロット。
これは……
お前が“本物の妻”である証だ。
ミレイユは……
それを否定したいだけだ」
影は笑った。
――「本物?
本物ってなに?」
――「“席”があるなら、
それを奪うのは、どちらがふさわしいか……
それだけの問題よ」
声がすぐ背後から聞こえた。
シャルロットが振り向くと、
暗い部屋の中央に
ゆらりと影が立っていた。
白い花弁がゆっくり降り落ちる。
ミレイユはシャルロットを見つめ、
言葉を落とした。
――「さあ、シャルロット。
“あなたの席”を返して?」
シャルロットの息が止まる。
カルロスが剣を向けるが、
ミレイユは揺れる影のように笑った。
――「返してくれれば……
わたしは、あなたを傷つけない」
――「でも返さないなら……」
白百合の香りが強烈に満ちた。
――「あなたをここに置いていくわ。
影として」
部屋の灯りがふっと消えた。
白い花が舞い、
影がシャルロットの手をそっと取った。
その手は、ひどく冷たかった。
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