『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

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第33章「呪いの夜(カルロスに訪れる影)」

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白百合の花弁が激しく舞う中、
シャルロットは凍りつくような影の気配に震えていた。

あたりは薄闇。
明かりは落ちたまま。
白い花だけが、まるで光を放つように浮かび上がる。

影——ミレイユは、
暗闇と同化するような輪郭で囁いた。

――「もう始まってるわよ、公爵様」

カルロスの背が
ほんのわずかに揺れた。

シャルロットは気づく。
その揺れは恐怖ではなく、“痛み”だ。

(……公爵さま……
 本当に……触れたから……?)

影は静かに笑った。

――「わたしが言ったでしょう?
   あなたの“触れられない理由”を思い出させてあげるって」

シャルロットは思わず一歩前へ出た。

「触れられない理由……?
 それは……わたくしを傷つけないためでは……?」

影は首をかしげた。
無邪気な少女のように、けれど残酷に。

――「逆よ。
   傷つくのは――“公爵様の方”。」

シャルロットの心臓が跳ねた。

「……わたくしが……触れたら……?」

――「あなたの痛みを全部、
   彼の身体が引き受けるの」

シャルロットの腕の中がじんと痛む。
さきほど影に触れられて、温度が奪われたあの手。

(冷たさ……
 あれも……公爵さまに……?)

「……わたくしが冷たくなったのに、
 公爵さまは……平気そうで……」

影は笑う。

――「平気なわけないわ。
   見た目に出ないだけ」

シャルロットは震える。

「やめて……!
 公爵さまを……これ以上……!」

影の声は、甘く優しく、しかし底は凍てついていた。

――「“触れた者の痛みを受ける呪い”。
   それがあなたの夫の宿命」

カルロスは息を荒くしながら、
シャルロットを庇うように前に立ち、言った。

「……シャルロット……
 俺は……お前が触れた痛みを……
 全部受け取っているだけだ……」

(全部……?
 そんな……
 わたくしを守るために……?)

影は楽しげに続けた。

――「エリザベラ様が逃げた理由もそれよ。
   夫が壊れていくのを見たくなかったから」

シャルロットは息を飲む。

(前妻様は……
 公爵さまを恐れていたのではなく……
 守ろうとしていた……?)

影が近づく。
白百合の香りがさらに濃くなる。

――「ねえ、公爵様。
   あなたもう立てないでしょう?」

カルロスの脚が震え、
膝が床につく。

「……く……っ……」

シャルロットはすぐに寄り添おうとした。

「公爵さま!!
 わたくしに……触れてください……
 一緒に……痛みを……」

カルロスは苦しそうに叫んだ。

「触れるな!!
 触れれば……
 今度は……お前が……」

影がシャルロットに囁く。

――「素敵ね。
   二人とも……お互いを守ろうとして……
   どちらも壊れそう」

その声は残酷な調べ。

――「じゃあ、公爵様。
   あなたから壊してあげる」

白百合の花が集まり、
ひとつの刃の形になる。

それは光ではなく、
“香りと影”でできた武器。

――「これが“代償”.
   愛した者に触れた罰よ」

シャルロットが叫ぶ。

「やめて!!
 公爵さまは……
 何も……悪くない……!!」

影は微笑む。

――「悪いのよ。
   “本物の妻”を選んだんだから」

その瞬間——

白百合の刃がカルロスの胸に突き刺さった。

「……っ!!」

シャルロットの叫びが屋敷に響く。

「カルロス様!!!!!」

カルロスは痛みに身体を折りながら、
それでもシャルロットを庇い続けた。

その姿に、
影さえ一瞬、揺れた。

――「どうして……
   そこまで……
   “あの子”を……?」

シャルロットは泣き叫んだ。

「わたくしのせいです……
 全部……
 わたくしが……」

カルロスは震える手で
シャルロットの頬に触れようとした。

触れられないはずの手が、
涙を拭おうとする。

「……違う……
 シャルロットは……
 何も悪くない……」

影の瞳がわずかに濁る。

――「……その言葉……
   彼女だけに言うの……?」

部屋中の白百合が、
一斉に散った。

闇が渦巻く。

次の瞬間、
影は姿を消し、
香りだけが残った。

カルロスはその場に倒れ込む。

「公爵さま!!
 いやです……
 行かないで……!」

シャルロットが抱きとめたその胸は、
熱く、痛みに震えていた。

(触れた……
 わたくしに……触れられても……
 公爵さまは……
 もう……)

白百合の香りが揺れ、
影の声が遠くで微笑む。

――「次は……
   “妻の席”を返してもらうわ」

シャルロットは泣きながら、
カルロスの手を強く握った。

その手の温度は、
かすかに残っていた。

失わせてなるものか——。

シャルロットの瞳に、
初めて強い決意の光が宿った。
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