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第五章「距離の拡大」
しおりを挟む王宮を出た日の夕暮れは、冬にしては珍しく澄んだ青空が広がっていた。
しかし胸の奥は、あの応接室での言葉の余韻で重く満ちている。
――嫉妬している。
――試すために見せた。
馬車の揺れと共に、感情が揺れ戻ってくる。
信じたい思いと、同じだけの疑いがせめぎ合い、落ち着く場所を見つけられない。
数日後、王都南部の市場に向かっていた私の耳に、嫌な噂が飛び込んできた。
「陛下、ミレーネ様とまた国外へお出ましになるらしい」
「この前の雪薔薇祭の後、すぐに旅立つなんて、よほど特別な関係なんだろう」
噂話は、耳を塞いでも不思議と届く。
胸の奥に小さな棘が刺さるようだった。
市場の喧騒の中で買い物かごを抱えたまま立ち尽くしていると、背後から声がした。
「……大丈夫か?」
振り返ると、カインが立っていた。
「顔色が悪い。宿まで送ろう」
「平気よ。……少し考え事をしていただけ」
彼は私の手からかごを受け取り、歩き出す。
「王都の噂は、半分はでっち上げだ。気にするな」
「……でっち上げでも、聞いてしまえば気になるものよ」
「だったら、直接確かめに行けばいい」
そう簡単に行ける距離ではない。
心の中で否定しつつも、カインの言葉が心に残った。
翌朝、葵が宿に飛び込んできた。
「リディア、大変! これ見て!」
差し出された瓦版の一面には、港町に到着したアレクシスとミレーネの姿が描かれていた。
記事には“二人は外国使節との交渉に向かう”とあるが、絵の中の二人は肩が触れるほど近く、親しげに見える構図だった。
「公務……よね?」
葵の問いに、答えられなかった。
それから数日、私は意図的に王宮の方角を避けて暮らした。
カインと共に孤児院や市場を巡り、冬の間に不足しがちな薬草や食料を配る。
ただ、その行動すらも噂の種になった。
「またローランドと一緒にいるらしい」
「元王妃様、もう新しい伴侶を見つけたんだとさ」
噂は王宮にも届いたらしい。
近衛の若い騎士が、私に視線を送っては何かを囁き合っているのを感じる。
夜、宿の窓辺で冷たい風に当たりながら考えた。
アレクシスが何を思っているのか、本当は知りたい。
でも、また応接室で顔を合わせれば、きっと素直になれない。
そのとき、扉がノックされた。
開けると、そこには王宮の使者が立っていた。
「リディア様、陛下がお戻りになりました。明晩、舞踏会が催されます。……ぜひご出席をとのことです」
胸の奥が波立つ。
再び顔を合わせることになる――しかも、宮廷の舞踏会で。
私は静かに頷き、扉を閉じた。
窓の外には、冬の月が冷たく輝いていた。
その光の下で、二人の距離がどう変わるのか、自分でも分からないままだった。
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