貴方が私を嫌う理由

柴田はつみ

文字の大きさ
20 / 28

第二十章 檻の崩壊と、狂気の晩餐

しおりを挟む
エリアナから託された「カイルの不正の証拠」――
それは、十数年前の公金横領の全容を克明に記した裏帳簿の写しだった。

リリーはそれを外套の内側に隠し、逃げるように侯爵邸へと戻った。
だが、邸内に一歩足を踏み入れた瞬間、背筋を冷たいものが走り抜ける。

本来なら、出迎えるはずの執事や使用人の姿がない。
漂うのは重苦しい沈黙と、廊下の角で不安定に揺れる蝋燭の火だけ。

(……おかしい。何かが、起きている)

胸騒ぎを押さえ、自室へ向かおうとした、その時だった。

食堂の大きな扉が――軋む音を立て、ゆっくりと開いた。

「お帰り、リリアーヌ」

暗闇の中、カイルが席に着いたまま微笑んでいた。
テーブルの上には、手付かずの冷めた料理と、開け放たれたワインボトル。

そして――
その傍らには、リリーが大切に隠していたはずの
**「クリスからの手紙」と「ライラックのブローチ」**が、無造作に置かれていた。

「……カイル様、それは……」

「これか?」

彼は指先でブローチを弾き、嘲るように笑う。

「私の前では『愛している』と囁きながら、心はこの汚らわしい品と共にあったわけだ」

ゆっくりと立ち上がり、カイルはリリーへ歩み寄る。
その瞳から、理性の光は完全に失われていた。

「エリアナに会っただろう?」
低く、確信に満ちた声。
「何を聞いた? 私の過去か? それとも――私が、どうやってこの地位を手に入れたか」

カイルの手が、リリーの喉元に伸びる。
締めることはしない。ただ、逃げ場を奪うように、優しく、しかし絶対的な力で触れた。

「リリアーヌ。君は勘違いをしている」
囁くように言い、彼は続ける。
「私は君を不幸にすることで、自分を許してきた。だが……」

彼の声が、歪んだ熱を帯びた。

「君が私に『愛』を語ったあの日、決めたんだ。
君を壊し、永遠に――私の罪の身代わりにする、と」

その瞬間。
カイルは、リリーの懐に手を突っ込み、証拠の封筒を乱暴に奪い取った。

「……っ!」

迷いはなかった。
彼は封筒を、燃え盛る暖炉へと投げ入れる。

紙が燃え、黒く縮れ、真実が火に呑まれていく。

「ああ……!」

「無駄だ」

カイルは冷たく言い放つ。

「証拠など、いくらでも書き換えられる。だが――裏切り者には、罰が必要だ」
唇を歪め、彼は続けた。
「クリス公爵も、もう君を助けには来ない。今頃は、自分の婚約を守るのに必死だろう」


次の瞬間、リリーの腕が強く掴まれた。

「離してください……! カイル様、貴方は正気ではありません!」

「正気だとも」

低く、確信に満ちた声。

「私は君をこの世から隠し、私だけのものにする。
死ぬまで、この檻の中で――私の罪も、後悔も、すべて君が背負うんだ」

引きずられる先は、侯爵邸の地下。
かつて罪人を拘束するために使われていた、隠された牢。

重い鉄の扉が閉まり、
錠が下りる音が、冷たい地下室に響き渡った。

完全な闇。
湿った空気の中で、リリーは膝から崩れ落ちる。

(……私が、彼を完成させてしまった)

クリスを守るために演じ続けた「完璧な妻」。
その嘘が、最悪の形で――カイルの狂気を完成させてしまったのだ。

同じ頃。
王都の街道を、一騎の馬が夜を裂いて駆けていた。

クリス公爵は、
「リリー夫人が地下室へ連行された」という密偵の報せを受け、
軍服のまま馬に飛び乗っていた。

アメリアとの婚約。
公爵としての立場。
世間の視線。

――今の彼にとって、それらはすべて灰に等しい。

(リリアーヌ、待っていてくれ)

胸中で叫ぶ。

(君が何を隠していようと、
どれほど私を拒絶しようと――
もう二度と、君を一人にはさせない)

月明かりの下、
クリスの瞳には、かつて戦場で見せたのと同じ、鋭く揺るがぬ決意が宿っていた。

カイルの狂気は、ついに爆発し、
リリーは物理的な檻に閉じ込められた。

だが同時に――
すべての迷いを捨てた男が、
力ずくで彼女を救い出すため、動き出していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜

流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。 偶然にも居合わせてしまったのだ。 学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。 そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。 「君を女性として見ることが出来ない」 幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。 その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。 「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」 大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。 そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。 ※ ゆるふわ設定です。 完結しました。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

だから何ですの? 〜王家の系譜に「愛」など不要です〜

柴田はつみ
恋愛
貴方の系譜、ここで断絶させてもよろしくて? 〜初夜に愛を否定された公爵令嬢、国庫と軍事と血統を掌握して無能な夫を過去にする〜 薔薇の花びらが散らされた初夜の寝室で、アルフォンスはあまりに卑俗で、あまりに使い古された台詞を吐く。 「私は君を愛することはない。私の心には、リリアーヌという真実の光があるのだ」 並の女なら、ここで真珠のような涙をこぼし、夫の情けを乞うだろう。 しかし、ミレーヌの脳裏をよぎったのは、絶望ではなく、深い「退屈」だった。 「……だから何ですの? 殿下」

いや、無理。 (本編完結)

詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
細かいことは気にせずお読みください。 一旦完結にしましたが、他者視点を随時更新の間連載中に戻します。 もはや定番となった卒業パーティー、急に冷たくなって公の場にエスコートすらしなくなった婚約者に身に覚えのない言い掛かりをつけられ、婚約破棄を突きつけられるーーからの新しい婚約者の紹介へ移るという、公式行事の私物化も甚だしい一連の行動に、私は冷めた瞳をむけていたーー目の前の男は言い訳が終わると、 「わかってくれるだろう?ミーナ」 と手を差し伸べた。 だから私はこう答えた。 「いや、無理」 と。

硝子の婚約と偽りの戴冠

柴田はつみ
恋愛
幼い頃から、第一王女アリアと隣国の王子レオンは、誰もが疑わない「未来の国王夫妻」として育てられてきた。 政略で結ばれた関係でありながら、二人の間には確かな絆があった。幼馴染として共に過ごした年月の中で、アリアは感情を表に出さないながらも、レオンをただ一人、深く愛していた。 すべてが順調に進んでいるはずだった。 戴冠式と成婚を目前に控えた、その日までは。 歯車が狂い始めたのは、妹のセシルが涙に濡れた顔で、突然アリアの元へ駆け込んできた夜だった。 震える声で語られたのは、信じ難い言葉―― 「……レオン様に、愛を告白されたの」 アリアは即座に否定した。信じるはずがない。あのレオンが、そんな裏切りをするはずがないと。 だが、その確信は、夜の庭園で無惨に打ち砕かれる。 月明かりの下。 レオンは、確かにセシルを抱き寄せていた。 後に明らかになる真実は、あまりにも残酷だった。 姉に対する劣等感を長年募らせてきたセシルが仕掛けた、周到な罠。そして――レオンが決して知られてはならない「ある弱み」を、彼女が握っていたという事実。 それは、愛ではなかった。 だが、アリアの未来を根こそぎ奪うには、十分すぎる裏切りだった。

あなたが後悔しても、私の愛はもう戻りません

藤原遊
恋愛
婚約者のアルベルトは、優しい人だった。 ただ――いつも、私より優先する存在がいただけで。 「君は分かってくれると思っていた」 その一言で、リーシェは気づいてしまう。 私は、最初から選ばれていなかったのだと。 これは、奪われた恋を取り戻す物語ではない。 後悔する彼と、もう戻らないと決めた私、 そして“私を選ぶ人”に出会うまでの、静かな恋の終わりと始まりの物語。

【完結】騙された侯爵令嬢は、政略結婚でも愛し愛されたかったのです

山葵
恋愛
政略結婚で結ばれた私達だったが、いつか愛し合う事が出来ると信じていた。 それなのに、彼には、ずっと好きな人が居たのだ。 私にはプレゼントさえ下さらなかったのに、その方には自分の瞳の宝石を贈っていたなんて…。

処理中です...