月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ

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第一章 結婚一周年記念日

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しとしとと降る雨が、公爵邸の庭園を濡らしていた。アメリアは窓辺の席で刺繍をしながら、雨の音に耳を傾ける。


針が生地を通り抜けるたびに、かすかに聞こえる糸の擦れる音。その静かで穏やかな時間が、彼女の心を温かく満たしていた。



今日は、夫であるレオンハルト公爵との結婚一周年記念日。



アメリアは、王都でも指折りの公爵令嬢として育ち、その美しさと聡明さで周囲から称賛されてきた。そして一年前に、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトと政略結婚をしたのだ。



彼は、貴族としては珍しく、家柄や財産に興味を持たない男だった。常に冷静沈着で、口数も少ない。護衛騎士としての任務で、家を空ける日も多かった。


しかし、彼の深い青い瞳の奥には、いつもアメリアに向けられた優しい光があった。



「奥様、お飲み物をお持ちしました」


侍女のミリアが、紅茶を運んできた。そのカップからは、甘く芳醇な香りが立ち上っている。


「ありがとう、ミリア。今日の紅茶は、随分と香りがいいわね」


「はい、奥様。レオンハルト様がご帰宅された際に、少しでもお疲れが癒えるようにと、アールグレイを用意させていただきました」


ミリアの言葉に、アメリアはにこりと微笑んだ。彼女の幸せは、このような些細な気遣いの中にこそあった。

夫を想う侍女の優しさ、そして、その夫が自分を大切に思ってくれているという確かな実感。それだけで、アメリアは十分幸せだった。




「ミリア、夕食の準備は進んでいますか?」


「はい、滞りなく。奥様のお好きな仔羊のローストと、レオンハルト様がいつもお召し上がりになるハーブのスープをご用意しております」


「ふふ、ありがとう。レオンハルト様、喜んでくださるかしら」


アメリアは、ふと窓の外に目をやった。雨は小降りになっていたが、まだ止む気配はない。


「…今日のお帰りも、遅くなるかもしれませんね」


彼女が寂しげに呟くと、ミリアは優しい声で言った。


「いいえ、奥様。今日は結婚記念日ですから。レオンハルト様は、きっと早くお戻りになりますわ」


その言葉に、アメリアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
午後六時、レオンハルトは約束通り公爵邸に帰宅した。


玄関ホールで彼を出迎えたアメリアは、思わず小走りで駆け寄った。


「レオンハルト様! お帰りなさいませ」

「ただいま、アメリア」

レオンハルトは、いつものように短く言葉を返したが、その表情は少しだけ和らいでいるように見えた。彼はアメリアの手をそっと握り、その手の甲に唇を寄せた。


「お疲れでしょう? 温かいお風呂の準備をさせていますわ。それから、今日は特別なお料理を用意させましたの。ええ、二人でゆっくりと、お祝いを…」


「ありがとう。アメリア」


彼の言葉に、アメリアは胸の鼓動が早くなるのを感じた。レオンハルトはいつも無口だった。しかし、彼の行動には、言葉以上の愛情が詰まっている。


アメリアは、その事実を心の底から信じていた。


その夜、二人はダイニングルームで向かい合って座った。


テーブルには、キャンドルの光が揺らめき、二人の顔を優しく照らしている。


「レオンハルト様、この仔羊のロースト、とても美味しいですわ。あなたも、どうぞ」


アメリアはレオンハルトの皿にローストを盛り付ける。彼は黙ってそれを受け取ると、ゆっくりとフォークを動かした。


「…美味しい」


たった一言。しかし、その短い言葉に、アメリアは満ち足りた気持ちになった。



「良かったわ。今日のために、料理長と何度も相談したのですもの」


「アメリアのおかげで、公爵邸の食事が豊かになった。感謝している」


レオンハルトは、グラスを静かに持ち上げ、アメリアのグラスに触れ合わせた。


「結婚一周年、おめでとう、アメリア」


「レオンハルト様…」


アメリアは感動で言葉を失った。彼の口から出る、まっすぐな祝福の言葉。それは、アメリアにとって最高のプレゼントだった。


「…一年、あっという間でしたわね。
レオンハルト様と出会って、私…本当に幸せです」



「俺もだ」


レオンハルトはそう言うと、アメリアの手を握りしめた。彼の掌は、剣を握る護衛騎士の手らしく、少し硬く、そして温かかった。



その夜は、穏やかで幸せな時間が過ぎていった。アメリアは、この平穏な日々が永遠に続くことを願っていた。


しかし、幸せな時間は、いつだって脆く、儚いものだと、彼女はまだ知らなかった。
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