5 / 22
第五章 残された手紙
しおりを挟む
夜が明け、公爵邸には深い静寂が満ちていた。雨は止み、代わりに重たい灰色の雲が空を覆っている。
レオンハルトは、アメリアの部屋に残された手紙を、未だに握りしめていた。その手紙には、ただ「さようなら」とだけ書かれていた。
たったそれだけの言葉が、彼の心を深く、そして鋭く突き刺した。
「なぜ…なぜ、一言も俺に話してくれなかったんだ…」
レオンハルトは、そう呟き、窓の外に視線を向けた。街はいつもと変わらない喧騒を響かせている。しかし、彼の世界は、まるで色を失ってしまったかのようにモノクロに見えた。
「旦那様…」
侍女のミリアが、そっと部屋に入ってきた。彼女の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいる。
「アメリア様は…まだ、見つかりませんか?」
「ああ。手配はしている。だが、彼女は身分を隠して行動しているようだ。見つけるのは、容易ではないだろう」
レオンハルトの声は、まるで感情を失ったかのように冷たかった。
しかし、その瞳の奥には、燃えるような焦燥が宿っていた。
「旦那様、私…昨日、奥様が街へお出かけになる前に、お話をしたのです。その時、奥様は、少し…」
ミリアは、言葉を濁した。
レオンハルトは、鋭い視線でミリアを見つめる。
「何を話した? 包み隠さず話せ」
「クリスティーナ様との茶会で、旦那様の…その…噂についてお話になられたようで…」
ミリアは、そう言いながら、レオンハルトの顔色を窺った。レオンハルトは、その言葉を聞いて、顔を歪めた。
「…噂。やはり、そうだったのか…」
レオンハルトは、あの時、街でアメリアに目撃されたことを思い出した。あの女性、リリアーナは、王国の安全を脅かす陰謀を調査する上で、彼の重要な協力者だった。
彼女と交わしていた会話は、王太子殿下の命に関わる、極めて重要なものだった。
しかし、アメリアは、その事情を知らない。
(俺は、アメリアを守るために、このことを隠した。しかし、それが、逆に彼女を傷つけてしまった…)
レオンハルトは、自身の判断が、どれほどアメリアを苦しめたかを知り、深い後悔の念に襲われた。
「ミリア、街へ出たアメリアは、何か変わった様子はなかったか?」
「…いえ、特に。ただ、帰りになってから、ずっと塞ぎこんでいらっしゃいました。私たちが声をかけても、ほとんどお返事をされず…」
「そうか…」
レオンハルトは、それ以上、ミリアに何も聞かなかった。アメリアがどれほど傷つき、苦しんだか、その後の彼女の行動から、痛いほど伝わってきたからだ。
その日の午後、レオンハルトは王宮へ向かった。王太子殿下に、事の顛末を報告するためだ。
「レオンハルト、君の奥方が家出をしたと聞いたが、本当か?」
王太子殿下は、驚きと心配の入り混じった表情でレオンハルトを迎えた。
「はい。私の不手際で、妻を深く傷つけてしまいました」
「…事情は、私には話せない、ということか」
王太子殿下は、レオンハルトの言葉を聞き、何かを察したようだった。
「はい。今は…まだ」
「わかった。だが、君の妻の家出が、王宮の陰謀と無関係ではないとすれば、話は別だ。リリアーナ嬢のことは…」
「殿下!」
レオンハルトは、思わず声を荒らげて王太子殿下の言葉を遮った。
「…失礼いたしました。しかし、リリアーナ嬢は、この件に一切関係ございません」
レオンハルトの必死な言葉に、王太子殿下は、何も言わずに頷いた。
「レオンハルト、君の妻は、君にとって唯一の安らぎだった。彼女を失って、君が冷静でいられるとは思えない。彼女を見つけ次第、全てを話し、誤解を解くのだ」
「…はい」
レオンハルトは、王太子殿下の言葉に、深く頭を下げた。彼は、アメリアを失って、自分の心が、どれほど空っぽになってしまったかを知った。
アメリアの家出から、三日が経った。レオンハルトは、昼夜を問わず、アメリアの行方を追っていた。しかし、彼女は、まるでこの世界から消えてしまったかのように、痕跡一つ残していなかった。
アメリアは、王都から遠く離れた、小さな港町に身を寄せていた。身分を隠すため、公爵家から持ち出した金貨を使い、質素な宿で一夜を過ごし、朝早くから街を歩き回る。
(私には、もう、何も残っていない…)
アメリアは、そう思っていた。
しかし、彼女が持ち出した小さな革鞄の中には、レオンハルトから贈られた、白百合の刺繍が施されたハンカチが、そっと忍ばせてあった。
それは、彼女が家を出る時、無意識に掴んだ、たった一つのものだった。
レオンハルトは、アメリアの部屋に残された手紙を、未だに握りしめていた。その手紙には、ただ「さようなら」とだけ書かれていた。
たったそれだけの言葉が、彼の心を深く、そして鋭く突き刺した。
「なぜ…なぜ、一言も俺に話してくれなかったんだ…」
レオンハルトは、そう呟き、窓の外に視線を向けた。街はいつもと変わらない喧騒を響かせている。しかし、彼の世界は、まるで色を失ってしまったかのようにモノクロに見えた。
「旦那様…」
侍女のミリアが、そっと部屋に入ってきた。彼女の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいる。
「アメリア様は…まだ、見つかりませんか?」
「ああ。手配はしている。だが、彼女は身分を隠して行動しているようだ。見つけるのは、容易ではないだろう」
レオンハルトの声は、まるで感情を失ったかのように冷たかった。
しかし、その瞳の奥には、燃えるような焦燥が宿っていた。
「旦那様、私…昨日、奥様が街へお出かけになる前に、お話をしたのです。その時、奥様は、少し…」
ミリアは、言葉を濁した。
レオンハルトは、鋭い視線でミリアを見つめる。
「何を話した? 包み隠さず話せ」
「クリスティーナ様との茶会で、旦那様の…その…噂についてお話になられたようで…」
ミリアは、そう言いながら、レオンハルトの顔色を窺った。レオンハルトは、その言葉を聞いて、顔を歪めた。
「…噂。やはり、そうだったのか…」
レオンハルトは、あの時、街でアメリアに目撃されたことを思い出した。あの女性、リリアーナは、王国の安全を脅かす陰謀を調査する上で、彼の重要な協力者だった。
彼女と交わしていた会話は、王太子殿下の命に関わる、極めて重要なものだった。
しかし、アメリアは、その事情を知らない。
(俺は、アメリアを守るために、このことを隠した。しかし、それが、逆に彼女を傷つけてしまった…)
レオンハルトは、自身の判断が、どれほどアメリアを苦しめたかを知り、深い後悔の念に襲われた。
「ミリア、街へ出たアメリアは、何か変わった様子はなかったか?」
「…いえ、特に。ただ、帰りになってから、ずっと塞ぎこんでいらっしゃいました。私たちが声をかけても、ほとんどお返事をされず…」
「そうか…」
レオンハルトは、それ以上、ミリアに何も聞かなかった。アメリアがどれほど傷つき、苦しんだか、その後の彼女の行動から、痛いほど伝わってきたからだ。
その日の午後、レオンハルトは王宮へ向かった。王太子殿下に、事の顛末を報告するためだ。
「レオンハルト、君の奥方が家出をしたと聞いたが、本当か?」
王太子殿下は、驚きと心配の入り混じった表情でレオンハルトを迎えた。
「はい。私の不手際で、妻を深く傷つけてしまいました」
「…事情は、私には話せない、ということか」
王太子殿下は、レオンハルトの言葉を聞き、何かを察したようだった。
「はい。今は…まだ」
「わかった。だが、君の妻の家出が、王宮の陰謀と無関係ではないとすれば、話は別だ。リリアーナ嬢のことは…」
「殿下!」
レオンハルトは、思わず声を荒らげて王太子殿下の言葉を遮った。
「…失礼いたしました。しかし、リリアーナ嬢は、この件に一切関係ございません」
レオンハルトの必死な言葉に、王太子殿下は、何も言わずに頷いた。
「レオンハルト、君の妻は、君にとって唯一の安らぎだった。彼女を失って、君が冷静でいられるとは思えない。彼女を見つけ次第、全てを話し、誤解を解くのだ」
「…はい」
レオンハルトは、王太子殿下の言葉に、深く頭を下げた。彼は、アメリアを失って、自分の心が、どれほど空っぽになってしまったかを知った。
アメリアの家出から、三日が経った。レオンハルトは、昼夜を問わず、アメリアの行方を追っていた。しかし、彼女は、まるでこの世界から消えてしまったかのように、痕跡一つ残していなかった。
アメリアは、王都から遠く離れた、小さな港町に身を寄せていた。身分を隠すため、公爵家から持ち出した金貨を使い、質素な宿で一夜を過ごし、朝早くから街を歩き回る。
(私には、もう、何も残っていない…)
アメリアは、そう思っていた。
しかし、彼女が持ち出した小さな革鞄の中には、レオンハルトから贈られた、白百合の刺繍が施されたハンカチが、そっと忍ばせてあった。
それは、彼女が家を出る時、無意識に掴んだ、たった一つのものだった。
190
あなたにおすすめの小説
【短編】『待つ女』をやめたら、『追われる女』になりました
あまぞらりゅう
恋愛
婚約者の王太子を、いつも待ち続けてきたシャルロッテ侯爵令嬢。
だがある日、彼女は知ってしまう。彼には本命の恋人がいて、自分のことを都合よく放置していただけなのだと。
彼女が待つのをやめた瞬間、追ってきたのは隣国の皇太子だった。
※覚えやすさや分かりやすさを重視しているので、登場人物の名前は「キャラクター名+身分表記」にしています
★小説家になろう2026/1/29日間総合8位異世界恋愛7位
★他サイト様にも投稿しています!
妹の方が好きらしい旦那様の前からは、家出してあげることにしました
睡蓮
恋愛
クレアとの婚約関係を結んでいたリビドー男爵は、あるきっかけからクレアの妹であるレイアの方に気持ちを切り替えてしまう。その過程で、男爵は「クレアがいなくなってくれればいいのに」とつぶやいてしまう。その言葉はクレア本人の耳に入っており、彼女はその言葉のままに家出をしてしまう。これで自分の思い通りになると喜んでいた男爵だったのだが…。
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
うまくいかない婚約
毛蟹
恋愛
エーデルワイスは、長年いがみ合っていた家門のと結婚が王命として決まっていた。
そのため、愛情をかけるだけ無駄と家族から愛されずに育てられた。
婚約者のトリスタンとの関係も悪かった。
トリスタンには、恋人でもある第三王女ビビアンがいた。
それでも、心の中で悪態をつきながら日々を過ごしていた。
拗れた恋の行方
音爽(ネソウ)
恋愛
どうしてあの人はワザと絡んで意地悪をするの?
理解できない子爵令嬢のナリレットは幼少期から悩んでいた。
大切にしていた亡き祖母の髪飾りを隠され、ボロボロにされて……。
彼女は次第に恨むようになっていく。
隣に住む男爵家の次男グランはナリレットに焦がれていた。
しかし、素直になれないまま今日もナリレットに意地悪をするのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる