月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ

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第五章 残された手紙

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夜が明け、公爵邸には深い静寂が満ちていた。雨は止み、代わりに重たい灰色の雲が空を覆っている。


レオンハルトは、アメリアの部屋に残された手紙を、未だに握りしめていた。その手紙には、ただ「さようなら」とだけ書かれていた。


たったそれだけの言葉が、彼の心を深く、そして鋭く突き刺した。


「なぜ…なぜ、一言も俺に話してくれなかったんだ…」


レオンハルトは、そう呟き、窓の外に視線を向けた。街はいつもと変わらない喧騒を響かせている。しかし、彼の世界は、まるで色を失ってしまったかのようにモノクロに見えた。



「旦那様…」


侍女のミリアが、そっと部屋に入ってきた。彼女の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいる。


「アメリア様は…まだ、見つかりませんか?」


「ああ。手配はしている。だが、彼女は身分を隠して行動しているようだ。見つけるのは、容易ではないだろう」


レオンハルトの声は、まるで感情を失ったかのように冷たかった。


しかし、その瞳の奥には、燃えるような焦燥が宿っていた。


「旦那様、私…昨日、奥様が街へお出かけになる前に、お話をしたのです。その時、奥様は、少し…」


ミリアは、言葉を濁した。

レオンハルトは、鋭い視線でミリアを見つめる。


「何を話した? 包み隠さず話せ」


「クリスティーナ様との茶会で、旦那様の…その…噂についてお話になられたようで…」


ミリアは、そう言いながら、レオンハルトの顔色を窺った。レオンハルトは、その言葉を聞いて、顔を歪めた。


「…噂。やはり、そうだったのか…」


レオンハルトは、あの時、街でアメリアに目撃されたことを思い出した。あの女性、リリアーナは、王国の安全を脅かす陰謀を調査する上で、彼の重要な協力者だった。


彼女と交わしていた会話は、王太子殿下の命に関わる、極めて重要なものだった。


しかし、アメリアは、その事情を知らない。


(俺は、アメリアを守るために、このことを隠した。しかし、それが、逆に彼女を傷つけてしまった…)



レオンハルトは、自身の判断が、どれほどアメリアを苦しめたかを知り、深い後悔の念に襲われた。


「ミリア、街へ出たアメリアは、何か変わった様子はなかったか?」


「…いえ、特に。ただ、帰りになってから、ずっと塞ぎこんでいらっしゃいました。私たちが声をかけても、ほとんどお返事をされず…」


「そうか…」


レオンハルトは、それ以上、ミリアに何も聞かなかった。アメリアがどれほど傷つき、苦しんだか、その後の彼女の行動から、痛いほど伝わってきたからだ。



その日の午後、レオンハルトは王宮へ向かった。王太子殿下に、事の顛末を報告するためだ。


「レオンハルト、君の奥方が家出をしたと聞いたが、本当か?」


王太子殿下は、驚きと心配の入り混じった表情でレオンハルトを迎えた。


「はい。私の不手際で、妻を深く傷つけてしまいました」


「…事情は、私には話せない、ということか」


王太子殿下は、レオンハルトの言葉を聞き、何かを察したようだった。


「はい。今は…まだ」


「わかった。だが、君の妻の家出が、王宮の陰謀と無関係ではないとすれば、話は別だ。リリアーナ嬢のことは…」


「殿下!」


レオンハルトは、思わず声を荒らげて王太子殿下の言葉を遮った。


「…失礼いたしました。しかし、リリアーナ嬢は、この件に一切関係ございません」


レオンハルトの必死な言葉に、王太子殿下は、何も言わずに頷いた。


「レオンハルト、君の妻は、君にとって唯一の安らぎだった。彼女を失って、君が冷静でいられるとは思えない。彼女を見つけ次第、全てを話し、誤解を解くのだ」


「…はい」


レオンハルトは、王太子殿下の言葉に、深く頭を下げた。彼は、アメリアを失って、自分の心が、どれほど空っぽになってしまったかを知った。


アメリアの家出から、三日が経った。レオンハルトは、昼夜を問わず、アメリアの行方を追っていた。しかし、彼女は、まるでこの世界から消えてしまったかのように、痕跡一つ残していなかった。



アメリアは、王都から遠く離れた、小さな港町に身を寄せていた。身分を隠すため、公爵家から持ち出した金貨を使い、質素な宿で一夜を過ごし、朝早くから街を歩き回る。


(私には、もう、何も残っていない…)


アメリアは、そう思っていた。

しかし、彼女が持ち出した小さな革鞄の中には、レオンハルトから贈られた、白百合の刺繍が施されたハンカチが、そっと忍ばせてあった。



それは、彼女が家を出る時、無意識に掴んだ、たった一つのものだった。
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