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第XVIII章:『燃える恋文、残る灰』
レオニスは屋敷の倉庫の奥で、埃を被った古い革箱を見つけた。
鍵もかかっていない。蓋を開けた瞬間、胸の奥がひやりとした。
中には、手紙の束がびっしり詰まっていた。
結婚当初から数年前まで――エステルが彼に宛てて書いた恋文。
「今日はこんな花が咲きました」
「あなたの好きなお菓子を用意しました」
「明日はお早くお帰りになれますか」
一通一通が、慎ましいほど真っ直ぐだった。
溢れ出そうな熱を、丁寧な言葉で包んでいる。
当時の彼は、封も切らずに放り出した。
読むのが面倒だ、と。
――今、その文字を辿るだけで、胸が裂ける。
レオニスは箱を抱え、エステルのもとへ向かった。
「エステル、これを……見てくれ。君が私にくれた手紙だ」
声が、懺悔のように震える。
「全部残っていた。……今さらだが、全部読んだ。
君がどれほど私を想ってくれていたか、ようやく分かったんだ」
エステルは箱を一瞥しただけだった。
手を伸ばしもしない。
「あら。まだ残っていたのですね」
淡い驚きの形だけを浮かべ、すぐに平坦に戻す。
「……どうぞお気遣いなく。処分させておきますわ」
「処分……? 何を言う。これは、君の心の――」
「いいえ」
きっぱりと遮る。
「それは『賞味期限の切れた不要物』ですわ、閣下」
エステルは椅子から立ち上がると、箱から手紙を一掴み抜き取った。
紙の束は、軽い。軽すぎる。
そして、ぱちぱちと音を立てて燃える暖炉の前へ歩み寄る。
「エステル、やめろ!」
「なぜ止めるのです?」
振り返りもしない。
「閣下は以前、私の手紙を『紙の無駄』と仰いましたでしょう。
私はただ、当時のご判断を尊重し、後始末をしているだけですわ」
躊躇なく、手紙を炎へ投げ入れた。
オレンジ色の舌が紙を舐め、文字が歪み、黒く縮む。
かつて彼女が震える指先で綴った言葉が、数秒で灰に変わっていく。
「やめてくれ……頼む、エステル、それは――!」
「閣下、ご覧になって」
エステルの声は穏やかだった。
恐ろしいほど穏やかに、事実を告げる。
「あれほど熱かった言葉も、焼けばただの灰。
……私の心と同じですわ」
さらに一束、投げる。
紙がひゅっと鳴り、火が勢いを増す。
「一度灰になったものは、どれほど涙を注いでも、元の文字には戻りませんの」
レオニスの謝罪も、今さら知った後悔も、その炎の前では無力だった。
手を伸ばせば届くのに、触れた瞬間にすべてが崩れる。
「……これで、すべてですわね」
最後の一通が燃え尽きるのを見届け、エステルは煤の付いた指先を絹のハンカチで拭った。
丁寧に。完璧に。
「すっきりいたしました。これで執務室も、余計なゴミが減って使いやすくなるでしょう」
そして、いつもの決まり文句を落とす。
「……どうぞ、お気遣いなく。過去の残骸を片付けるのは、現在の管理者の務めですから」
暖炉の中で、灰がふわりと舞い上がり、落ちた。
証は、煙にもならずに崩れていく。
レオニスはその場に膝をつき、熱を失っていく炎を見つめることしかできなかった。
彼が読み飛ばした一文字一文字は、彼女が命を削って差し出した光だった。
その光を踏みにじり、最後には灰にしたのは――他ならぬ自分だ。
部屋を去るエステルの足音は、驚くほど軽やかだった。
彼女にとってそれは思い出の整理ですらない。
ただの、清掃。
鍵もかかっていない。蓋を開けた瞬間、胸の奥がひやりとした。
中には、手紙の束がびっしり詰まっていた。
結婚当初から数年前まで――エステルが彼に宛てて書いた恋文。
「今日はこんな花が咲きました」
「あなたの好きなお菓子を用意しました」
「明日はお早くお帰りになれますか」
一通一通が、慎ましいほど真っ直ぐだった。
溢れ出そうな熱を、丁寧な言葉で包んでいる。
当時の彼は、封も切らずに放り出した。
読むのが面倒だ、と。
――今、その文字を辿るだけで、胸が裂ける。
レオニスは箱を抱え、エステルのもとへ向かった。
「エステル、これを……見てくれ。君が私にくれた手紙だ」
声が、懺悔のように震える。
「全部残っていた。……今さらだが、全部読んだ。
君がどれほど私を想ってくれていたか、ようやく分かったんだ」
エステルは箱を一瞥しただけだった。
手を伸ばしもしない。
「あら。まだ残っていたのですね」
淡い驚きの形だけを浮かべ、すぐに平坦に戻す。
「……どうぞお気遣いなく。処分させておきますわ」
「処分……? 何を言う。これは、君の心の――」
「いいえ」
きっぱりと遮る。
「それは『賞味期限の切れた不要物』ですわ、閣下」
エステルは椅子から立ち上がると、箱から手紙を一掴み抜き取った。
紙の束は、軽い。軽すぎる。
そして、ぱちぱちと音を立てて燃える暖炉の前へ歩み寄る。
「エステル、やめろ!」
「なぜ止めるのです?」
振り返りもしない。
「閣下は以前、私の手紙を『紙の無駄』と仰いましたでしょう。
私はただ、当時のご判断を尊重し、後始末をしているだけですわ」
躊躇なく、手紙を炎へ投げ入れた。
オレンジ色の舌が紙を舐め、文字が歪み、黒く縮む。
かつて彼女が震える指先で綴った言葉が、数秒で灰に変わっていく。
「やめてくれ……頼む、エステル、それは――!」
「閣下、ご覧になって」
エステルの声は穏やかだった。
恐ろしいほど穏やかに、事実を告げる。
「あれほど熱かった言葉も、焼けばただの灰。
……私の心と同じですわ」
さらに一束、投げる。
紙がひゅっと鳴り、火が勢いを増す。
「一度灰になったものは、どれほど涙を注いでも、元の文字には戻りませんの」
レオニスの謝罪も、今さら知った後悔も、その炎の前では無力だった。
手を伸ばせば届くのに、触れた瞬間にすべてが崩れる。
「……これで、すべてですわね」
最後の一通が燃え尽きるのを見届け、エステルは煤の付いた指先を絹のハンカチで拭った。
丁寧に。完璧に。
「すっきりいたしました。これで執務室も、余計なゴミが減って使いやすくなるでしょう」
そして、いつもの決まり文句を落とす。
「……どうぞ、お気遣いなく。過去の残骸を片付けるのは、現在の管理者の務めですから」
暖炉の中で、灰がふわりと舞い上がり、落ちた。
証は、煙にもならずに崩れていく。
レオニスはその場に膝をつき、熱を失っていく炎を見つめることしかできなかった。
彼が読み飛ばした一文字一文字は、彼女が命を削って差し出した光だった。
その光を踏みにじり、最後には灰にしたのは――他ならぬ自分だ。
部屋を去るエステルの足音は、驚くほど軽やかだった。
彼女にとってそれは思い出の整理ですらない。
ただの、清掃。
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