あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ

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第七章「四人の食事会」

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 夜が、街を柔らかく包んでいた。

 王都の中心から少し外れた場所に、その店はあった。石造りの外壁に蔦が絡まり、入り口には小さな看板が一枚だけ。名前を知っている人間しか辿り着けないような、ひっそりとした佇まいの店だったが——扉を開けた瞬間、蝋燭の光と肉の焼ける香ばしい匂いが出迎えてくる、王都でも指折りの料理店だった。

 個室に通されると、円卓が一つ。四脚の椅子。白いクロスの上に銀の燭台が置かれ、炎が静かに揺れている。

 エリアーナは、席に着いた。
 向かいでマリアンヌが、そわそわと入り口を気にしていた。

 「……まだ来ないわね」
 「マリアンヌ、落ち着いて」
 「落ち着いてるわよ! 全然落ち着いてるわよ!」

 全く落ち着いていない声だった。
 エリアーナは苦笑した。

 (マリアンヌったら)

 アラン・クロフォードが来るのを、あんなに心待ちにしておきながら、いざ当日になったら一番そわそわしている。それが可愛くて、少し羨ましくて——そんなふうに、素直に自分の気持ちを出せたらどんなにいいかと、エリアーナは思った。

 扉が、開いた。

 「やあ、お待たせ!」

 明るい声と共に、アラン・クロフォードが入ってきた。
 ウェーブのかかった明るいブラウンの髪を少し乱して、人懐っこい笑みを浮かべながら。チョコレート色の瞳がきらきらしていて、部屋の空気が一瞬で明るくなるような——そういう種類の男性だった。

 「ウィンター嬢、お久しぶりです。今日はお招きいただいてありがとうございます」

 エリアーナに向かって、丁寧に頭を下げる。
 それからマリアンヌの方を向いて——一瞬、動きが止まった。

 「ホワイト嬢も……いらしてたんですね」
 「ええ、まあ」

 マリアンヌが、なぜかそっぽを向いた。
 耳が、かすかに赤かった。

 アランが、にっと笑った。

 「お会いできて嬉しいです」
 「……どうも」
 「それだけですか?」
「それだけです」
 「つれないなあ」

 アランが笑いながら席に着いた。
 エリアーナは二人を交互に見て、そっと視線を入り口に戻した。

 「レオは?」

 アランが尋ねた。

 「まだいらしていなくて」
 「あいつ、時間には正確なんですけどね。今日は珍しい」

 アランが肩をすくめた。

 「……なんか、今日は妙に念入りに身支度してましたよ。珍しく鏡、見てたし」

 「え」

 エリアーナは、思わず声を上げた。
 アランが、にやりと笑った。

 「あ、気になります?」
 「……い、いいえ別に」
 「そうですか~」

 チョコレート色の瞳が、楽しそうに細くなった。
 エリアーナは、カップに視線を落とした。

 (念入りに、身支度)
 (鏡を、見ていた?)

 どうして、そんな些細な一言が、こんなにも胸に刺さるのだろう。

 扉が、静かに開いた。

 レオナルドが入ってきた。
 黒髪が蝋燭の光を受けて、微かに揺れた。いつもと変わらぬ礼服。いつもと変わらぬ無表情。

 それなのに——なぜか今夜は、少しだけ違って見えた。

 (気のせい、かしら)

 エリアーナは思った。

 レオナルドの視線が、部屋の中を一巡した。
 アランを見て、マリアンヌを見て——エリアーナの上で、止まった。

 一秒。

 「……待たせた」

 エリアーナの向かいの席へと歩いてくる。
 腰を下ろしながら、もう一度だけエリアーナを見た。

 「今夜も、よく似合っている」

 さらりと、言った。

 エリアーナの心臓が、跳ねた。
 隣でアランが「ぶっ」と噴き出した。

「レオ、開口一番それ言う?」  

 「何がおかしい」
 「いや、おかしくはないですけど——エリアーナ嬢、大丈夫ですか? 顔赤いですよ」
 「だ、大丈夫です」

 大丈夫ではなかった。

 マリアンヌが、テーブルの下でエリアーナの足をつつき「やったじゃない」と無言で語りかけてくる。エリアーナは気づかないふりをした。

 料理が運ばれてきた。
 スープから始まり、白身魚のソテー、仔牛の煮込み——どれも香り高く、燭台の光の中で美しく輝いている。

 アランが早速話を切り出した。

 「いやあ、こういう集まりいいですね。レオ、お前こういうの嫌いでしょ」
 「……別に」
 「珍しく来てくれてよかったですよ。ウィンター嬢からのお誘いだから来たんでしょ?」
 「関係ない」
 「本当に~?」

 アランが、にやにやしながら問い返す。
 レオナルドが、静かに睨んだ。

 「うるさい」
 「はいはい」

 アランが肩をすくめて、エリアーナの方を向いた。

 「エリアーナ嬢、こいつ愛想ないでしょ。ごめんなさいね。中身はいい奴なんですけど」
 「……アラン」
 「事実でしょ」

 エリアーナは思わず、くすりと笑った。
 レオナルドの眉が、かすかに上がった。

 「……何がおかしい」
 「いいえ、素敵だと思って」
 「何が」
 「仲の良さが」

 レオナルドは、少しの間、エリアーナを見た。
 それから、またスープに視線を落とした。

 でも——口元が、ほんのわずかに、動いた気がした。

 (笑った?)

 エリアーナは、目を瞬かせた。
 一瞬すぎて確認できなかった。でも確かに——何かが、動いた。

 会話が弾み始めた。
 アランが話し上手で、マリアンヌも負けじと言葉を返す。二人の掛け合いが可笑しくて、エリアーナも自然に笑っていた。

 レオナルドは口数が少なかったけれど、完全に黙っているわけでもなかった。アランに問われれば答えるし、エリアーナが何かを言えば耳を傾けた。

 いつもとは、違った。
 ソフィアがいない。二人の世界がない。今夜のレオナルドは——エリアーナの言葉を、ちゃんと聞いていた。

 (嬉しい)

 純粋に、そう思った。
 こんなに普通のことが、こんなに嬉しいなんて——と、少し情けなくも思ったけれど。

 メインの料理が運ばれてきた頃だった。
 扉が、静かにノックされた。

 給仕の少女が入ってきて、申し訳なさそうな顔でエリアーナに耳打ちした。

 「あの……もう一方、いらしているのですが」

 エリアーナは、眉を寄せた。
 「もう一方? どなた?」

 扉が、開いた。

 「こんばんは! ここにいたんですね、みなさん!」

 花のような声が、部屋に飛び込んできた。
 栗色の巻き毛が、揺れた。

 ソフィア・ロゼッタが、そこに立っていた。

 一瞬、場が静止した。
 マリアンヌの顔が、わかりやすく固まった。アランが、すっと目を細めた。

 エリアーナは——微笑んだ。
 完璧な、令嬢の笑顔で。

 「ソフィア様、どうしてこちらへ?」
 「レオのお供をしているロイドさんに聞いたんです! レオがお食事会に行くって。……私も呼んでくれればよかったのに、レオったら」

 ソフィアが、ふわりと部屋に入ってきた。
 給仕の少女に椅子を持ってこさせて——当然のように、レオナルドの隣に座った。

 エリアーナとレオナルドの間。
 さっきまで、空気がつながっていた場所に。

 「レオ、料理美味しそう! 一口もらっていい?」
 「……自分のを頼め」
 「えー、ケチ」
 「お前が来ると思っていなかった」
 「ひどい! 寂しいじゃない」

 ソフィアが、レオナルドの腕にもたれかかるようにして、上目遣いをした。
 周囲の空気が、変わった。

 アランが小さく息をついた。
 マリアンヌが、テーブルの下でエリアーナの手をそっと握った。

 エリアーナは、その手を、握り返した。
 笑顔を崩さないまま。

 (大丈夫)
 自分に言い聞かせた。
 (慣れているから。いつものことだから)

 でも——

 「そういえばエリアーナ様」

 ソフィアが、こちらに向き直った。
 花のような笑顔で。

 「今夜のドレス、素敵ですね。でも……少し地味じゃないですか? こういう場は、もう少し華やかにした方がいいと思いますけど」

 声は穏やかだった。笑顔だった。
 悪意があるようには、聞こえない。

 でも——言葉は確かに、エリアーナの胸に届いた。
 チクリと。小さく。

 「ご意見ありがとうございます」

 エリアーナは微笑んだ。

 「でも私は、今夜のドレスを気に入っているわ」
 「そうですか~。……ね、レオはどう思う?」

 ソフィアが、レオナルドに問いかけた。

 レオナルドが、エリアーナを見た。
 静かな、琥珀色の瞳が。

 「似合っている」

 間を置かずに、言った。
 「言ったぞ」

 ソフィアの笑顔が、一瞬だけ——凍った。
 「……そう、ですね」

 立て直した笑みは、少しだけ固かった。

 それからの食事は、五人になった。
 アランが話を振り、マリアンヌが答え、ソフィアがレオナルドに話しかける。賑やかな、食事会。

 でもエリアーナには、さっきとは違って聞こえた。
 さっきは確かに、四人分の笑い声があった。
 今は——エリアーナの笑い声だけが、少し遅れているような気がした。

 (いつも、そう)
 心の中で、静かに思う。
 (いつも、こうなる)

 わかっていた。何度も経験してきた。

 でも——今夜は、少しだけ違った。
 今夜は、あと少しで、本当に四人だけの時間になれそうだったから。

 (あと少し、だったのに)

 デザートが運ばれてきた頃、アランがエリアーナにそっと耳打ちした。

 「……すみません、ウィンター嬢」
 「いいえ」
 「俺、ロイドには今日のこと話してないんですけどね」

 アランの声が、少し低くなった。

 「誰かが教えたんでしょう。ロイド以外の誰かが」

 エリアーナは、静かに頷いた。
 誰が教えたか——言われなくても、わかった。

 でも。

 チョコレートのタルトを一口、口に運んだ。
 甘くて、濃くて、美味しかった。

 (今夜のレオナルド様は、ちゃんと私を見てくれていた)

 それだけは——ソフィアが来ても、変わらなかった。
 夕方から今まで、何度も。
 確かに、見てくれていた。

 食事会が終わった。

 玄関先で解散する時、レオナルドが馬車に乗り込む前にエリアーナの方を振り返った。

 「今夜は、誘ってくれてありがとう」

 短く、素っ気なく。
 でも確かに、お礼を言った。

 エリアーナは目を瞬かせた。

 「……来てくださって、ありがとうございました」
 「ああ」

 レオナルドが馬車に乗り込む。
 ソフィアが続いて乗り込もうとして——レオナルドが、扉をそっと閉めた。

 「ソフィア、お前の馬車は別にあるだろう」

 静かな声だった。
 有無を言わせない、静かな声だった。

 ソフィアが、蜂蜜色の瞳を揺らした。

 「……レオ?」
 「今夜は、ありがとう。気をつけて帰れ」

 馬車が、動き始めた。

 後に残ったのは、エリアーナとマリアンヌとアラン、そしてソフィアだった。

 ソフィアは、しばらく馬車の行方を見つめていた。
 それから——エリアーナの方を向いた。

 笑顔だった。
 いつもの、花のような笑顔。

 でも今夜初めて、その笑顔の裏に何があるか——エリアーナには、少しだけ見えた気がした。

 「おやすみなさい、エリアーナ様」
 「おやすみなさい、ソフィア様」

 ソフィアが、自分の馬車に乗り込んだ。
 蹄の音が遠ざかっていく。

 「エリィ」

 マリアンヌが、隣に来た。

 「大丈夫だった?」
 「……うん」

 エリアーナは、夜空を見上げた。
 星が、冬の空に白く瞬いている。

 大丈夫だった、と思う。
 でも——今夜は、声が震えそうになった。あと一歩のところで届きそうだった何かが、また遠のいていった時。
 その一歩が、たまらなく——遠かった。

 でも。

 エリアーナは、唇を結んだ。

 (諦めない)

 マリアンヌが言った言葉が、胸の中で静かに灯っていた。
 三日前のカフェで、温かい手を重ねながら言ってくれた言葉が。

 「次は、うまくいくわよ」

 マリアンヌが、エリアーナの肩にそっと寄りかかりながら言った。

 「絶対に、うまくいく」

 エリアーナは、小さく頷いた。
 夜風が頬を撫でた。
 冷たくて、でもどこか優しい風だった。
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