硝子の婚約と偽りの戴冠

柴田はつみ

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第一章:戴冠の予感、あるいは砂の城

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王宮の朝は、あまりに白々しく、そして残酷なほどに美しかった。
窓外に広がる王都の街並みは、建国祭を控えた祝祭の気配に満ち、王国旗が秋の乾いた風に軽やかに揺れている。

「アリアお姉様、そんなに眉を寄せていたら……せっかくのドレスが泣いてしまいますよ?」

背後から届いたのは、鈴を転がすような甘い声だった。
アリアは思考の淵から引き戻され、鏡越しに妹――第二王女セシルを見やる。

夜の帳を溶かしたような漆黒の髪を持つアリアに対し、セシルの髪は柔らかな陽光を編み込んだ金糸。
同じ王家の血を引きながら、二人は月と太陽のように対照的だった。

「……セシル。入る時はノックをすると約束したでしょう」

「まあ、今さらじゃありませんか。私たち、隠し事なんて何ひとつない姉妹ですもの」

無邪気に微笑みながら、セシルは鏡台に置かれた一通の手紙に指を伸ばす。
今朝、レオンから届いたばかりの文。簡潔で事務的――けれど、最後の一行にだけ、彼らしい控えめな甘さが添えられていた。

「お姉様は、レオン様の“癖”をご存知ですか?」

その言葉に、アリアの指先がふと止まる。

「癖……? いいえ。あの方はいつも完璧で、私の前では隙など見せませんわ」

「ふふ……そう。お姉様の前では、ですのね」

意味深な笑みを浮かべたまま、セシルはそっとアリアの肩に頬を寄せる。
鏡の中、寄り添う二人の王女は、誰の目にも「王国の双璧」だった。
だが、セシルの指先がアリアの首筋に触れた瞬間、微かな悪寒が背筋を走った。



王宮の円卓の間では、軍服に身を包んだレオンが地図を広げて立っていた。

アリアの姿を認めるなり、冷徹なほど整ったその表情に、柔らかな灯がともる。

「来てくれたか、アリア。……今日も、とても綺麗だ」

差し出された手が、自然にアリアの指先を包む。
その温もりに、胸がわずかにほどけた――その時だった。

「レオン様。そのカフス……」

彼の袖口には、見慣れない真珠のカフスが留められていた。
いつも愛用している瑠璃色のものではない。

「ああ、これか。今朝、セシルが『今日の装いに似合うと思って』と持ってきてくれてね。悪くないだろう?」

屈託のない笑顔。
けれどアリアの胸に、小さな波紋が広がる。
レオンはこだわりが強く、他人の勧めで身につける物を変えるような人ではなかった。

「もう、レオン様。あまりお姉様をからかわないでください」

いつの間にか背後に立っていたセシルが、甘えた声音で割って入る。

「お姉様、独占欲が強いんですから……ね、カイル?」

名を呼ばれ、控えていた近衛騎士カイルが一歩前に出る。
アリアと目が合った一瞬だけ、痛みを押し殺すような表情が過ぎり――すぐに騎士の仮面に戻って跪いた。

「……軽率なお言葉はお慎みください、セシル王女。アリア様は、常に誠実で公正なお方です」

低く、揺らぎのない声。
レオンはカイルを一瞥し、わずかに目を細める。

「その通りだ。私はアリアを信頼している。……誰よりも、だ」

その言葉は真実だった。
けれど彼の視線は一瞬だけ、アリアの腰元――カイルの剣の柄に添えられた、彼女が下賜した守護の飾りへと向けられた。

「さあ、式の打ち合わせを始めよう」

和やかな談笑が始まる。
だがアリアは気づかない。

セシルがレオンの耳元で、
「お姉様、あの飾りをカイルに贈るなんて……本当に、深く信頼していらっしゃるのね」
と、甘く毒を含んだ囁きを、すでに落としていたことに。

幸福の絶頂。
その足元に、修復不能な“勘違い”という亀裂が、静かに走り始めていることを――
この時のアリアは、まだ知る由もなかった。
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