硝子の婚約と偽りの戴冠

柴田はつみ

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第三章:残り香の檻、あるいは蜜の陥穑

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宵闇が降りたレオンの離宮は、本宮の喧騒を拒むように、ひっそりと静まり返っていた。
高く掲げられたシャンデリアの灯は落とされ、室内を照らすのは暖炉の琥珀色の炎だけ。薪が爆ぜる柔らかな音が、ゆっくりと時を刻んでいる。

アリアは、レオンが好んで使う重厚な革張りのソファに身を預けていた。

「……少し、疲れさせてしまったかな」

背後から届いた低く穏やかな声に、アリアは振り返る。
レオンは温かなスパイスを効かせたホット・ワインをクリスタルのグラスに注ぎ、その一つを彼女に差し出しながら隣に腰を下ろした。

「いいえ。レオン様と過ごす時間は、私にとって……いちばんの安らぎですわ」

そう微笑むと、レオンはほっとしたように目を細め、そっとアリアの指先を取る。
大きな手に包まれたぬくもりが、胸に残っていたざわめきを、静かに溶かしていった。

「アリア。君は時々、今にも消えてしまいそうな顔をする」

レオンの指が、確かめるように彼女の頬をなぞり、そっと顎を持ち上げる。
炎に照らされた瞳は深く、揺れる情愛を宿していた。

彼は、額に、鼻先に、触れるか触れないかほどのキスを落とす。
それは情熱よりも、守るような優しさに満ちた仕草だった。

「……どうすれば、私が他の誰でもなく、貴方だけを見ていると……伝わるのでしょう」

小さく零れたアリアの言葉に、レオンの眼差しがわずかに熱を帯びる。
彼は彼女を引き寄せ、静かに胸元へ抱き込んだ。

「証明なんて、いらない」

低く囁く声が、髪越しに伝わる。

「こうして、私の腕の中にいてくれればいい。
君の温もりが、君の鼓動が……それだけで、十分だ」

レオンの唇が耳元に触れ、鎖骨へとすべる。
アリアは思わず息を整え、彼の背にそっと手を回した。

「レオン様……」

「愛している、アリア。
……たとえ世界が君を疑おうとも、私は君を信じる」

その続きを、レオンは静かな口づけで塞ぐ。
深く、確かなキス。互いを確かめ合うような、切実な温度を帯びていた。

アリアは彼の金髪に指を埋めながら、この腕の中にいる限り、何も疑いたくないと願う。

――だが、その時。

視界の端で、暖炉の火に照らされて、脱ぎ捨てられた上着の袖口がきらりと光った。

そこに留められていたのは、先ほどまでの真珠のカフスではない。
セシルが「お姉様ならきっと喜ぶわ」と微笑みながら差し出していた、エメラルドの重たい意匠のカフスだった。

知らぬ間に、確実に。
レオンは、セシルの“贈り物”に染まり始めている。

唇を離したレオンは、甘く満ち足りた笑みを浮かべていたが、その指先は無意識に左の袖口――真珠のカフスがあった場所を探るように触れていた。

「……レオン様。その、カフスは……?」

アリアの問いに、レオンの瞳が一瞬だけ揺れる。

「ああ。少し汚してしまってね。
セシルが着替えを用意してくれたんだ。……何か、おかしいか?」

「いいえ……。とても、お似合いですわ」

アリアは、喉元まで込み上げた
――私以外の女性に選ばせないで
という言葉を、そっと胸の奥にしまい込んだ。

甘いホット・ワインの香りが、今はなぜか胸を満たさず、
代わりに、言葉にできない孤独だけを残していく。
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