10 / 22
第1部
背徳螺旋
しおりを挟む
金色の髪をした優しい聖者の葬式は、冷たい雨に弔われて静かに行われた。
誰からも好かれていた彼は、最期に人々の信望を失い、数少ない友人たちによってさみしく見送られようとしていた。
まだらに佇む、黒い影。慰めにもならない讃美歌は、小さな雨音にさえ掻き消されていく。
神聖な輝きを放つ銀の十字架を刻む、重く厚い黒の棺。その中に眠る遺体は、生前の彼の姿を少しも留めないただの肉の塊にすぎない。
潔癖すぎるほどの白。神を象る十字架。死者を慰める讃美歌も、すべては彼の中で生まれ育まれていた。そう思えるほど彼は誰よりも清らかで、そして純粋に優しかった。
それなのに。
『――――レベッカ』
彼は最期に、自らの罪を告白して逝ってしまった。
『どうか、私の罪を許さないで下さい』
彼の美しい筆跡で書かれた手紙は、教会の奥に造られた神父の自室で見つかった。
買ってきたばかりの紅茶を飲みながら他愛ない会話を交わしていたあのテーブルの上に、その手紙は読まれる事を望むように開かれて置かれていた。
『私は、決して許されない罪を犯しました』
鮮血に染められた聖堂を凝視したまま、レベッカはどれだけそこに立ち尽くしていただろう。右手に握りしめていた剣がずり落ちて、静かな闇に金属音を響かせていく。それでもレベッカは、まだ正気を取り戻せないでいた。
『聖職者でありながら、この身は誰よりも穢れていたのです』
数時間前まで言葉を交わしていたはずなのに。その熱は、確かにそこにあったのに。
今レベッカの目の前にその姿を晒しているのは、もうあの優しかった神父ではなかった。神父でも、ましてや人でもなかったのだ。
『ひとりの女性を、愛しました』
瞳の奥を突き刺す残酷な光景。
むせかえるような、濃い血臭。
赤い塊に突き刺さる、細い黒の十字架。
そこに、レベッカが知っているものは何ひとつなかった。
声を出そうとして、咳き込んだ。咳き込んだ拍子に、視界が歪む。
意識のはるか遠くで、神父の声が聞こえたような気がした。
『彼女を誰にも渡したくないと思いました。浅ましい思いに打ち勝つ事が出来ず、私は闇に堕ちてしまったのです』
気がついた時には、あらん限りの声を振り絞って絶叫していた。何も考えることなど出来なかった。ただ、ただ泣き喚くことしか出来なかった。
『自分の欲望を満たす為に悪魔と契約をし、毎夜快楽の夢を貪りました。抵抗しても、芽生えてしまった思いの前では、私はただの男にすぎなかったのです』
闇を吹き飛ばす朝日が町を照らす頃、レベッカは駆けつけた自警団によって気絶しているところを保護された。そして、神父の懺悔を記した手紙が発見されたのである。
肉塊と成り果てた、神父の遺体と共に。
『最期に彼女を汚すことなく逝けた事だけが、闇に堕ちた私に許されたたったひとつの救いでした』
若い女性を襲った殺人鬼。それは、エレンシアにおいて誰からも信頼されていた、心優しき神父であった。
事件の真相に驚く者や失望する者は少なくなく、彼の葬式に参列したのはごく僅かな友人たちだけで、天も彼を許さないかのように冷たい雨を落していた。
『多くの罪なき命を奪いました。償っても、私の罪は消えることはないでしょう』
埋葬される彼の棺を、レベッカはひとりで静かに見つめていた。その瞳は棺に向けられているようで、実際は何も映し出してはいない。虚ろな瞳によみがえるのは、穏やかに微笑む神父の姿それだけだった。
もう戻らない彼の姿。
彼の声。
彼の微笑み。
白い部分も黒い部分も、真実の姿をすべて飲み込んで、彼は冷たい土に埋もれようとしていた。
『私は愚かな自分を許す事が出来ません。だからどうか……どうか貴女も私を許さないで下さい。貴女の声も涙も、私には要らない。貴女の慰めを知ったら、きっと私はまた救いを求めて光に手を伸ばしてしまうだろうから』
神父は、未来永劫に苦しむ事を願った。
『私は暗い闇の底で、許されない罪を永遠に償い続けます。それが私に残された、ただひとつの道なのです』
物悲しい鐘の音が、冷たい雨に濡れた町に響き渡る。
灰色の空に飛び立つカラスの群れを見上げたレベッカの白い頬を、涙が一粒滑るように零れ落ちていった。
『私には許されない言葉です。けれど……貴女に会えて、良かった』
――――レベッカ。
『どうか、私を忘れて下さい』
誰からも好かれていた彼は、最期に人々の信望を失い、数少ない友人たちによってさみしく見送られようとしていた。
まだらに佇む、黒い影。慰めにもならない讃美歌は、小さな雨音にさえ掻き消されていく。
神聖な輝きを放つ銀の十字架を刻む、重く厚い黒の棺。その中に眠る遺体は、生前の彼の姿を少しも留めないただの肉の塊にすぎない。
潔癖すぎるほどの白。神を象る十字架。死者を慰める讃美歌も、すべては彼の中で生まれ育まれていた。そう思えるほど彼は誰よりも清らかで、そして純粋に優しかった。
それなのに。
『――――レベッカ』
彼は最期に、自らの罪を告白して逝ってしまった。
『どうか、私の罪を許さないで下さい』
彼の美しい筆跡で書かれた手紙は、教会の奥に造られた神父の自室で見つかった。
買ってきたばかりの紅茶を飲みながら他愛ない会話を交わしていたあのテーブルの上に、その手紙は読まれる事を望むように開かれて置かれていた。
『私は、決して許されない罪を犯しました』
鮮血に染められた聖堂を凝視したまま、レベッカはどれだけそこに立ち尽くしていただろう。右手に握りしめていた剣がずり落ちて、静かな闇に金属音を響かせていく。それでもレベッカは、まだ正気を取り戻せないでいた。
『聖職者でありながら、この身は誰よりも穢れていたのです』
数時間前まで言葉を交わしていたはずなのに。その熱は、確かにそこにあったのに。
今レベッカの目の前にその姿を晒しているのは、もうあの優しかった神父ではなかった。神父でも、ましてや人でもなかったのだ。
『ひとりの女性を、愛しました』
瞳の奥を突き刺す残酷な光景。
むせかえるような、濃い血臭。
赤い塊に突き刺さる、細い黒の十字架。
そこに、レベッカが知っているものは何ひとつなかった。
声を出そうとして、咳き込んだ。咳き込んだ拍子に、視界が歪む。
意識のはるか遠くで、神父の声が聞こえたような気がした。
『彼女を誰にも渡したくないと思いました。浅ましい思いに打ち勝つ事が出来ず、私は闇に堕ちてしまったのです』
気がついた時には、あらん限りの声を振り絞って絶叫していた。何も考えることなど出来なかった。ただ、ただ泣き喚くことしか出来なかった。
『自分の欲望を満たす為に悪魔と契約をし、毎夜快楽の夢を貪りました。抵抗しても、芽生えてしまった思いの前では、私はただの男にすぎなかったのです』
闇を吹き飛ばす朝日が町を照らす頃、レベッカは駆けつけた自警団によって気絶しているところを保護された。そして、神父の懺悔を記した手紙が発見されたのである。
肉塊と成り果てた、神父の遺体と共に。
『最期に彼女を汚すことなく逝けた事だけが、闇に堕ちた私に許されたたったひとつの救いでした』
若い女性を襲った殺人鬼。それは、エレンシアにおいて誰からも信頼されていた、心優しき神父であった。
事件の真相に驚く者や失望する者は少なくなく、彼の葬式に参列したのはごく僅かな友人たちだけで、天も彼を許さないかのように冷たい雨を落していた。
『多くの罪なき命を奪いました。償っても、私の罪は消えることはないでしょう』
埋葬される彼の棺を、レベッカはひとりで静かに見つめていた。その瞳は棺に向けられているようで、実際は何も映し出してはいない。虚ろな瞳によみがえるのは、穏やかに微笑む神父の姿それだけだった。
もう戻らない彼の姿。
彼の声。
彼の微笑み。
白い部分も黒い部分も、真実の姿をすべて飲み込んで、彼は冷たい土に埋もれようとしていた。
『私は愚かな自分を許す事が出来ません。だからどうか……どうか貴女も私を許さないで下さい。貴女の声も涙も、私には要らない。貴女の慰めを知ったら、きっと私はまた救いを求めて光に手を伸ばしてしまうだろうから』
神父は、未来永劫に苦しむ事を願った。
『私は暗い闇の底で、許されない罪を永遠に償い続けます。それが私に残された、ただひとつの道なのです』
物悲しい鐘の音が、冷たい雨に濡れた町に響き渡る。
灰色の空に飛び立つカラスの群れを見上げたレベッカの白い頬を、涙が一粒滑るように零れ落ちていった。
『私には許されない言葉です。けれど……貴女に会えて、良かった』
――――レベッカ。
『どうか、私を忘れて下さい』
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる