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本編
08
しおりを挟む家の玄関を開けるとバタバタと夏希と母が走ってきた。
「おかえり。早かったわね」
「うん……ただいま……」
「変な人に絡まれたりしなかった?」
「しないよ。佐倉と一緒だったし」
何かと質問してくる二人におざなりに返事をして春乃はふらふらと自分の部屋へと入った。電気もつけずに部屋の真ん中で大きく息を吐くと糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
なんだか身体がふわふわとして変な感じがする。今しがた別れたばかりなのに今日一日の佐倉のことばかりが勝手に脳内で再生され、人差し指にはまった指輪を無意識に撫でた。
帽子をかぶせてくれたこと、中学の同級生からかばってくれたこと、春乃の話を聞いて怒ってくれたこと──とめどなく思い出される記憶はどれも優しく心地よい。ぼんやりと浸っていたところで突然スマホの通知音が鳴って春乃はびくりと震えた。慌てて鞄から取り出したスマホの画面には佐倉の名前が表示されていた。
[今日は付き合ってくれてありがと]
[またあした学校でね]
そんな他愛もないメッセージだけで心臓を掴み上げられるような錯覚を覚える。
「う~……」
春乃は衝撃に耐えるようにスマホを抱き込んでうずくまった。帰り際、佐倉が見せた笑顔が鮮明に蘇って叫び出したいような気持ちになる。普段はどこか飄々としていて掴みどころがないのに、ああして笑うと急に幼く見えてかわいいとしか形容ができなくなる。
──かわいかったなあ、佐倉。映画を見ながら何回もビクってしてた。ハンバーガーも四口くらいで食べてたし、頭を撫でてくれてたとき首まで真っ赤になってた。あの時は僕もちょっと恥ずかしかったけど。
ごろりと横向きに寝転がり、はあ、と春乃は熱っぽい吐息を漏らす。どきどきして落ち着かないけれど、胸はじんわりとあたたかい。
「好きだなあ……」
自然と言葉がこぼれ落ちた。その響きはまるで暗がりに小さな明かりを灯すようでぎゅっと喉が詰まる。『好き』とはこういうこの気持ちなのか。家族とも、友達とも違う『好き』。自分では終ぞ抱いたことのない気持ち。しかし、他人からは散々向けられてきた感情だ。だからこのあと何をすべきか春乃はよく知っている。
──告白だ。好きですって言うんだ。
やることが決まっているのだから善は急げである。そう考えるが早いか素早く起き上がると開いたままだったメッセージアプリから佐倉の連絡先を呼び出し音声通話を掛けた。数秒の間を置いて呼び出し音が鳴る。ワンコール、出ない。ツーコール、出ない。スリーコール目が鳴り始めたところで無機質な電子音はそっけなくブツリと切れてしまった。
勢い込んでかけただけに大きく肩透かしを食らって春乃はスマホ画面を凝視した。次の瞬間、ドッと心臓が大きく拍動し、全身から一気に血の気が引く。
佐倉が電話に出てくれなかった。先ほどまでの幸福感に包まれたどきどきとは全く異なる、不穏な拍動で身体が小刻みに揺れる。
今まで他人から散々好意を向けられてきた。何もしなくても──それこそ会話すら無くても──他人は勝手に春乃のことを好きになる。そうして春乃にも好意を返してもらいたいと躍起になるのだ。だから春乃は無意識のうちに思い込んでいたのかもしれない。『春乃の好意』そのものが誰にとっても特別で価値のある事に違いないのだと。
──俺、若宮のこと好きじゃないもん
一番初めに言われた言葉を今更思い出して背筋が凍った。そうだ、佐倉は春乃のことが好きじゃない。好きでもない人間からの好意がどう感じられるかを、春乃は誰よりも良く知っている。
[ごめん、いま電車だから電話出れない どした?]
そんなメッセージになんでもないと返すので精一杯だった。
*
翌朝、一晩中悶々と悩んでいたせいで寝不足の頭を抱えたまま春乃は教室の自席へ腰を下ろした。昨日は浮かれたり絶望したりと情緒がジェットコースター並みに上下していて身体だけでなく思考もかなり疲労している。
悩みの種はもちろん佐倉のことだ。春乃は佐倉が好きだ。これは間違いない。しかし佐倉は春乃が好きではない。好かれていないとわかっていながら告白をするのは迷惑行為に等しい。
ではどうすればいいか。佐倉に春乃のことを好きになってもらえば問題ないはずだ。そこまでは割とすんなりたどり着けた。ところが、好かれていないところから逆転して好きになってもらうにはどうしたらいいのか、それが春乃にはとんと分からないのである。
そもそもこれまでの人生で他人に好かれたいと思ったことがほとんどない。何もしなくても好意を持たれるのだから当たり前である。悪感情を向けられた経験はあるが、そういう人間に対してこれ以上の不興を買いたくないと思うことはあっても好かれたいとは考えたこともない。
『好きになってもらう方法』でインターネット検索もしてみたものの、それらの方法を実践された側の心当たりがずるずると思い出されて具合が悪くなるだけだった。
要するに佐倉に好かれるための方策を一晩中考えていたけれど、何も思いつかなかったのである。
「春乃、おはよ」
彼ぴのフリを続けているうちに好きになってもらえないだろうか。人間の脳は意外と勘違いしやすいと聞くし、行動に感情が引っ張られることもなくはないと思うのだが。いや、それも結局は勘違いなのだから、春乃があまり面白味の無い人間だと分かれば正気に戻ろうというものだ。
「春乃? おーい、はるのー?」
つくづく自分は見た目しか取り柄がない。見た目で好きになってもらえなかったらその後はもう手立てがないのだ。
「春乃ってば」
「うわっ!」
突然片耳に何かが触れて春乃は飛び上がった。咄嗟に手で耳を覆い隠して横を向けば目を丸くした佐倉が立っていた。
「あれ、イヤホンしてんのかと思った」
「し、してませんが……」
「まじ? 何回も声かけたんだけど」
「聞こえてませんでした……」
なんで敬語? とけらけら笑いながら佐倉は春乃の机のすぐ横にしゃがみ込んだ。
「昨日、電話くれたじゃん。なんか言いたいことあったのかと思って」
「な、何もないよ。まちがえただけ」
「ええ、ほんとに?」
じ、と上目づかいで見つめてくる佐倉を前に春乃の心臓はどきどきと脈拍を上げてゆく。垂れた目尻に並ぶふたつの泣きぼくろがとてつもなく似合っている。生まれながらにこの位置なの? このほくろふたつは。場所取り完璧すぎ。神に感謝。
「ならいーけど。なんかあったらすぐ言いなよ」
「へい……」
言いなよ、だって。言い方かわいい。佐倉は春乃相手だとたまにこういう言葉遣いになる。小さい子どもに話しかけるみたいな……とそこまで考えて春乃はぴたりと思考を止める。もしかして、それって単純に春乃のことを小さい子どもと思っているんじゃないだろうか? 現にクラスの男子と話している時はもっと荒っぽい口調だったはずだ。
そう気が付くと高鳴っていたはずの鼓動がみるみるしぼんでゆく。そりゃ恋愛的に好かれていないのはわかっていたけれど、まさかスタートが幼児扱いからだとは思わない。春乃は後ろの席に戻っていった佐倉にばれない程度にがっくり肩を落とした。
「ヘイ、パス!」
「佐倉っ!」
「よっしゃ! ナイッシュ!」
クラスメイトと満面の笑みでハイタッチをする佐倉を眺めながら春乃はスコアボードをぺらりと捲って得点を追加する。本日の体育はバスケットボールで、前半は基礎練習、後半はチームに分かれて試合をしている。バスケ部なうえに身長が186cmあるという佐倉は試合前に「適当に流すわ」と言っていたが、適当に流していてあの活躍ぶりなのだろうか。
体育館のもう半面では女子が同じく試合をしているが、試合外の人はほとんどが佐倉に声援を送っている。春乃も彼女らに交じってキャーキャー言いたかったが全くキャラではないので我慢した。
春乃の恋路は恋愛経験ゼロに加え好きな人には手のかかる幼児だと思われているというなかなかの逆境の最中にあり、前進のための有効な手立てを見つけられないまま日々が過ぎていた。
いっそ何もかも打ち明けてしまおうかと自棄になりかけることもあるが、佐倉に拒否されることがあまりにも恐ろしくて実行には移さないでいる。つくづく断られるとわかって春乃に告白してきた人たちはなんと勇敢だったのかと尊敬の念を抱かざるを得ない。
「はー、あっつ!」
「おつかれさま。汗拭いた方がいいよ。風邪ひくから」
「ん、ありがと」
試合終了の笛の音と同時に佐倉がこちらへ駆け寄ってくる。流れる汗さえも光り輝く様子に恐れ入りながら預かっていたタオルを手渡す。
「俺の活躍見てた? かっこよかったでしょ?」
「うん。さすがバスケ部だね」
へらりと笑って顔をのぞき込んでくる佐倉に春乃は表情を変えずにそう答えた。佐倉は春乃のやましい内心など知らず、親切心から律義に彼ぴっぽい行動を取ってくれている。過剰に反応してしまうと逆にわずらわしいだろうから、なるべくリアクションを取らないように気を付けている。騒がしい内情を押し込めて澄ました顔を作るのは半年間もエクストリーム高嶺の花を演じていた春乃には朝飯前だった。
ところが佐倉は春乃の返答を聞いたきり黙り込んでしまった。なにかしくじったかと慌ててフォローしようと口を開きかけたがそれこそ過剰反応かもしれない。春乃はぱっと佐倉から視線を外してスコアボードを次の試合のためにリセットすることにした。
じりじりと後頭部に視線を感じる。やはり何か怒らせるようなことをしてしまったかもしれない。佐倉から放たれる無言の圧に耐え切れなくなって顔を上げたそのとき。
「やりたいことリストに『運動部に入ってみたい』ってあったじゃん」
「へ? ……ああ、うん。気持ちだけね。運動できないから」
見上げた佐倉の顔に先ほどまであったはずの圧はきれいさっぱり消え去り、いつもの飄々とした雰囲気を纏って春乃を見つめていた。
「来週末、バスケ部で練習試合があんだよね。近隣の高校が集まるからギャラリーもそこそこ来るらしいんだけどさ、よかったら春乃も見学おいでよ。部活の雰囲気は味わえると思うんだよな」
もちろん興味あればだけど、と付け足した佐倉を春乃はしばし呆然と見上げていた。
──ああ、神様。怒ってるかもなんて疑ってごめんなさい。佐倉はやっぱりとてもいい人です。
心の中で懺悔しながら春乃は大きく頷いて了承を返した。
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