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田舎編
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「えっ、出向?!」
思わず明彦は声を出してしまう。
目の前に座っている次長の笠原はゆっくり頷いた。
午後の麗らかな日差しが大きな窓から降り注ぐ、第二会議室。ビル街にあるこの会社は自動車販売関連会社だ。業界では大手となる。
明彦はここで営業販促のスタッフとして働いている。女子社員が淹れてくれたコーヒーの良い香りにも気づかず明彦は呆然とした。
「東條ももう三年目だろう。そろそろ現場を知ったほうがいいかと思ってな」
お前の財産にもなるんだぞ、常套文句を口にしながら目の前のコーヒーを啜る。
異動のないデスクワークしか経験のない明彦にとって突然の出向話。明彦が独身で、動かし易いと言うこともあるのだろう。
気を落ち着かせながら一口、コーヒーを一口飲むと意を決して口を開く。
「……前向きに検討します」
「おお、やってくれるか! まあ、期間付きの出向だからな。力を蓄えて戻って来ることを期待するよ」
ワハハ、と笑う笠原。
本当に期待しての出向なのかも怪しい。
(それでもって僕は、何処に飛ばされるんだ?)
そして今日。
明彦は一時間に一本のバスに乗って、長いドライブの末、ようやく降車した。降り立ったバス停に、待合室と言うには寂しい建物が申し訳なさそうに立っている。
「やっぱり、だよなあ……」
見えているのは水田と、山と、渓流。水田には田植えが行われたばかりのようで、青々としている。
明彦の新しい職場は、今までと真逆の自然豊かな土地だった。
関連会社の子会社の営業所。ここが明彦の新しい職場だ。飛ばされた、と明彦は思っていたが営業所の所長、新井に聞いたところそうではなく完全に「人手不足」のため。そのための「本社からの出向」はよくあることだ、と新井は言う。
「いやー、本当に助かった! こんなとこじゃけ、営業のなり手がおらんのよ」
人の良さそうな新井が握手しながら、明彦を暖かく迎えてくれた。前任者の営業は家業を継ぐための退職となったようで、募集をかけるもなかなか人材がいないと言う。そのため明彦に白羽の矢が立ったのだ。
初日は簡単な挨拶だけで済んだ。
引っ越し作業があるだろうから、と新井が気を使ってくれたのだ。少し年季の入った小さな借家で、明彦は荷物を片付ける。全ての荷物を何とか生活できるほどに配置が終わった頃には、もう夜になっていた。
(ヘトヘトだなあ)
鍵を掛けて明彦は、町の唯一のコンビニへ向かう。コンビニはありがたいことに徒歩圏内だ。それでも歩いて20分はかかるだろうか。車で行けばいいのだが何と無く歩いてみることにした。
夕飯を買い、蛙の大合唱を聞きながら帰路に着く。
田舎だなあ、と思いながら少し気持ちが沈む。飛ばされたわけではないとはいえ、何で俺がと思わずにいられない。こんなとこで何しろってんだ、と毒づいてしまう。蛙の声がやかましくてイライラしていた。
ふと、田舎なら星が良く見えるのかな、と思いつく。何気に見上げた夜空に、明彦は息を呑んだ。
満点の星空とはこの事を言うのだろう。
気持ち悪いほどの無数の白い光が、空一面に散らばっていた。明彦が住んでいた街にも、本当はこんな星空が広がっていたのだろうが、街の光に遮られて見えない。人工的な光がないと言うだけでこんなにも見えるものなのか。
イライラしていた蛙の鳴き声すら聞こえなくなるほど、明彦は暫く空を見上げたまま、立ち尽くしていた。
***
翌日。新井は地域の人たちに明彦を紹介して回った。前任者が培ってくれた人脈のお陰か、おずおずと挨拶する明彦に対しても皆優しい。
「あらー、若いのにこんなとこ来ちゃって。お嫁さん探すの大変よー」
「佐々木さん、そんなことゆうたら可哀想よ。お兄ちゃん、お茶でも飲んでく?」
田舎のおばちゃんパワーに面食らいつつ、明彦は一所懸命愛想笑いを振りまく。
(ここで我慢しないと、仕事にも差し支えが出るし……)
都会より、田舎の方が愛想笑いが辛い。そう感じた明彦だった。
「おお、山野さんに大和丁度よかったわ。あんたの家行こうと思っとった」
既に挨拶回りも一通り終わろうとしていた頃。先方から歩いて来た年配の男性と、若い男性の2人組に新井は声をかける。
「新井さん、そちらは新しい営業さん?」
年配の男性が被っていた帽子を取り、明彦の方を見た。明彦は名刺を渡し、お辞儀する。
「東條明彦です。よろしくお願いします」
「はー、名前まで都会じゃの。儂は山野。こっちは仲原大和」
人の良さそうな顔で、ニコニコしながら山野は隣の青年を紹介する。
(若い奴もまだいるんだな)
今まで紹介してもらった中に若者はいなかったから、明彦は物珍しげに大和を見た。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。恐らく自分よりは年下。背が高く、タオルを頭に巻いた彼は褐色の肌をしている。外で働いているのだろう。
「おい大和、よかったな同年代の子が来て」
山野が大和に言うと、ニコリともせず明彦を見るとポツリと呟く。
「なまっちょろい身体しとるけど、営業できんの」
「な……!」
初対面の大和の失礼な言葉に明彦が絶句していると、山野は大和の後頭部を叩く。
「いって!」
何歳になってもこいつは子供じゃけ、許してやってなと山野が苦笑いする。大和のこの口調は新井も知っているようでまあまあと明彦の肩を叩く。
(~~何なんだコイツ……!)
それが東條明彦と仲原大和との、最初の出会いだった。
思わず明彦は声を出してしまう。
目の前に座っている次長の笠原はゆっくり頷いた。
午後の麗らかな日差しが大きな窓から降り注ぐ、第二会議室。ビル街にあるこの会社は自動車販売関連会社だ。業界では大手となる。
明彦はここで営業販促のスタッフとして働いている。女子社員が淹れてくれたコーヒーの良い香りにも気づかず明彦は呆然とした。
「東條ももう三年目だろう。そろそろ現場を知ったほうがいいかと思ってな」
お前の財産にもなるんだぞ、常套文句を口にしながら目の前のコーヒーを啜る。
異動のないデスクワークしか経験のない明彦にとって突然の出向話。明彦が独身で、動かし易いと言うこともあるのだろう。
気を落ち着かせながら一口、コーヒーを一口飲むと意を決して口を開く。
「……前向きに検討します」
「おお、やってくれるか! まあ、期間付きの出向だからな。力を蓄えて戻って来ることを期待するよ」
ワハハ、と笑う笠原。
本当に期待しての出向なのかも怪しい。
(それでもって僕は、何処に飛ばされるんだ?)
そして今日。
明彦は一時間に一本のバスに乗って、長いドライブの末、ようやく降車した。降り立ったバス停に、待合室と言うには寂しい建物が申し訳なさそうに立っている。
「やっぱり、だよなあ……」
見えているのは水田と、山と、渓流。水田には田植えが行われたばかりのようで、青々としている。
明彦の新しい職場は、今までと真逆の自然豊かな土地だった。
関連会社の子会社の営業所。ここが明彦の新しい職場だ。飛ばされた、と明彦は思っていたが営業所の所長、新井に聞いたところそうではなく完全に「人手不足」のため。そのための「本社からの出向」はよくあることだ、と新井は言う。
「いやー、本当に助かった! こんなとこじゃけ、営業のなり手がおらんのよ」
人の良さそうな新井が握手しながら、明彦を暖かく迎えてくれた。前任者の営業は家業を継ぐための退職となったようで、募集をかけるもなかなか人材がいないと言う。そのため明彦に白羽の矢が立ったのだ。
初日は簡単な挨拶だけで済んだ。
引っ越し作業があるだろうから、と新井が気を使ってくれたのだ。少し年季の入った小さな借家で、明彦は荷物を片付ける。全ての荷物を何とか生活できるほどに配置が終わった頃には、もう夜になっていた。
(ヘトヘトだなあ)
鍵を掛けて明彦は、町の唯一のコンビニへ向かう。コンビニはありがたいことに徒歩圏内だ。それでも歩いて20分はかかるだろうか。車で行けばいいのだが何と無く歩いてみることにした。
夕飯を買い、蛙の大合唱を聞きながら帰路に着く。
田舎だなあ、と思いながら少し気持ちが沈む。飛ばされたわけではないとはいえ、何で俺がと思わずにいられない。こんなとこで何しろってんだ、と毒づいてしまう。蛙の声がやかましくてイライラしていた。
ふと、田舎なら星が良く見えるのかな、と思いつく。何気に見上げた夜空に、明彦は息を呑んだ。
満点の星空とはこの事を言うのだろう。
気持ち悪いほどの無数の白い光が、空一面に散らばっていた。明彦が住んでいた街にも、本当はこんな星空が広がっていたのだろうが、街の光に遮られて見えない。人工的な光がないと言うだけでこんなにも見えるものなのか。
イライラしていた蛙の鳴き声すら聞こえなくなるほど、明彦は暫く空を見上げたまま、立ち尽くしていた。
***
翌日。新井は地域の人たちに明彦を紹介して回った。前任者が培ってくれた人脈のお陰か、おずおずと挨拶する明彦に対しても皆優しい。
「あらー、若いのにこんなとこ来ちゃって。お嫁さん探すの大変よー」
「佐々木さん、そんなことゆうたら可哀想よ。お兄ちゃん、お茶でも飲んでく?」
田舎のおばちゃんパワーに面食らいつつ、明彦は一所懸命愛想笑いを振りまく。
(ここで我慢しないと、仕事にも差し支えが出るし……)
都会より、田舎の方が愛想笑いが辛い。そう感じた明彦だった。
「おお、山野さんに大和丁度よかったわ。あんたの家行こうと思っとった」
既に挨拶回りも一通り終わろうとしていた頃。先方から歩いて来た年配の男性と、若い男性の2人組に新井は声をかける。
「新井さん、そちらは新しい営業さん?」
年配の男性が被っていた帽子を取り、明彦の方を見た。明彦は名刺を渡し、お辞儀する。
「東條明彦です。よろしくお願いします」
「はー、名前まで都会じゃの。儂は山野。こっちは仲原大和」
人の良さそうな顔で、ニコニコしながら山野は隣の青年を紹介する。
(若い奴もまだいるんだな)
今まで紹介してもらった中に若者はいなかったから、明彦は物珍しげに大和を見た。年齢は二十代後半ぐらいだろうか。恐らく自分よりは年下。背が高く、タオルを頭に巻いた彼は褐色の肌をしている。外で働いているのだろう。
「おい大和、よかったな同年代の子が来て」
山野が大和に言うと、ニコリともせず明彦を見るとポツリと呟く。
「なまっちょろい身体しとるけど、営業できんの」
「な……!」
初対面の大和の失礼な言葉に明彦が絶句していると、山野は大和の後頭部を叩く。
「いって!」
何歳になってもこいつは子供じゃけ、許してやってなと山野が苦笑いする。大和のこの口調は新井も知っているようでまあまあと明彦の肩を叩く。
(~~何なんだコイツ……!)
それが東條明彦と仲原大和との、最初の出会いだった。
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