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吸血貴族、寅木(とらき)ユラノスケ

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 リンコ先生と、珍しく真っ直ぐに立っているように見える久野先生は、今後について話をしていた。葬儀などは自分たちが手伝って手配するとして、ヒララをこんな廃船に一人にしておく訳にはいかない。
「親戚の人とかに連絡がつくといいんですが。」
「お役所にもお話ししておきますわ。」
大人は大人の会話をし、子供も子供の会話をしていた。
「小森さん、お父さんが亡くなられていてさぞショックでしょう、お察しします。」
と、萩知トオルは神妙な顔で言ったがヒララは小さく手を振る。
「ギシィ、もう平気だから大丈夫なのだ。」
「あんたにそう言ってもらうと少し気が楽になるわよ。まあ、あんたがメソメソしてるとこなんて想像できないけどね。」
クラリは控えめに笑った。
「わたし、悲しい人をどう慰めればいいかは分からないけど、元気付けるのは出来ると思うよー!」
ユルミはそう言ってしょっていたリュックをドンッ、とテーブルに下した。
「さあ、おやつを食べて思い切り踊れば元気百倍だよー!」
リュックからお菓子を出して丸いテーブルに並べる。テーブルは少し傾いていてガタついていたが気にしない。
「やるじゃないの、おやつ大臣。」
「まさかリュックの中が全部お菓子だったとは。すごい量なのです。」
「チョコ系が多いわねえ。」
「マイブームなんだよー」
「ギシシ、お茶は隣の給湯室でセルフサービスなのだ。」
という訳でみんなで給湯室へ行き、各々お茶やコーヒーを淹れて戻って来た。その様子を見ていた久野先生の顔がほころんだ。
「あの連中が一緒なら、案外大丈夫な気がしてきましたよ、小楠先生。」
「そうですわね。」
と、リンコ先生もにっこりした。
「とにかく元気な連中です。」
2人が見守る中、ユルミたちはおやつの時間を満喫していた。ユルミはチョコバーをくわえてテーブルの上で踊りだす。
「まったく元気な連中です。」
ガタついたテーブルがユルミの踊りに合わせてガッタガッタとリズムを刻む。萩知トオルが空き缶を叩いて拍子を合わせた。
カカカン、カカカン
「げ、元気な連中です。」
クラリが空き瓶をボーボー吹き吹き周りを回る。ヒララはマントをひるがえしてステップを踏んだ。あの小さな横笛を構え、今日は人間にも聞こえる音を吹き鳴らす。
ピィーピッピーーッ
脳天に突き刺さるようなハイトーン。
ガッタン、カカカン、ピィーッピッ
「げ、元気な…、お前らいい加減にしろ。」
騒ぎ過ぎだと言いかけて久野先生は気が付いた。4人だった子供が5人に増えている。
「チョコり、ペロリ、パイ」
ピヨン・メチだった。
「わっ、あんたいつの間に居たのよ?!」
「いつの間にか居るなんてピヨンさんらしいのです。」
「わー、いつの間にかとっといたチョコパイ無くなってるー」
「ギシー、いつの間にか一緒に騒いでいたのだ!自由人どもと同化してしまうギシィー」
"いつの間にか"もいろいろ。チョコパイを食べ終えたピヨン・メチは、ベッドの方へピョンピョンと跳ねて行った。
「チョコり手拭きりぴょん」
メチは手に付いたチョコを拭くために、ヒララの父上に掛けてあったマントを取った。傍で見ていた先生2人がハッと息を呑んだ。
「む、胸に杭がっ!」
「心臓に打ち込まれていますわ!」
子供たちも寄って来た。
「なによこれ?!」
「痛そうなのです。」
「抜いてあげよーっと。」
ユルミが杭をつかんで引っ張った。
「無駄なのだ。あたしの全力でも抜けなかったのだ。」
ヒララがそう言ってもユルミは力いっぱい引っ張るのをやめない。
「ふーんっ、ふーんっ」
勢いを付けて、上半身を杭の上で上下に揺らしながら力を込めて引っ張った。
「ふーんっ、ふーんっ」
ユルミの揺れる頭からぱらぱらと白いものが落ちた。白蟻だった。毎朝天井から降ってきてユルミの髪に紛れ込んでいた白蟻たちだ。かれこれ一週間シャワーしていない頭から落ちた白蟻たちが、目の前の木の杭に群がった。久し振りの食事に取り掛かる。ユルミはさらに勢いを付けて引っ張り続けた。
「ふーんっ、ふーんっ」
今度はポケットから茶色い小瓶が飛び出した。
「あっ、それはっ!」
リンコ先生が受け止めようとして伸ばした手に弾かれて、小瓶はあらぬ方向へ飛んで行った。全員が小瓶を目で追い、久野先生が横っ飛びにジャンプした。
「やあっ!」
床に落ちて割れるのは阻止したものの、掴むには至らず小瓶は再び宙を舞う。ユルミが見当違いな掛け声をかけた。
「ナイスレシーブ!」
小瓶が飛んだ先にはピヨン・メチがいた。メチは自分の方へ飛んで来た小瓶を指先で突っついた。
「クルリとん。」
底を突かれてクルクル回転を始めた小瓶は、今度は萩知トオルめがけて飛んで行った。
「なんですとっ?!」
とっさにトオルは、おやつ後に歯磨きしようと持っていた歯ブラシを向けた。
ボヨンっ
歯ブラシの弾力で小瓶はユルミの頭上高くにふわりと上がった。
「ナイストス!」
ユルミはそれに合わせてジャンプした。このままでは変なノリで小瓶をアタックしてしまいそうだ。
「だめよーっ!」
クラリが叫んでおやつテーブルからメロンパンを投げる。
「アターック!」
ユルミは小瓶ではなくメロンパンをアタックした。打点の高い見事なアタックだった。メロンパンはボスッと空気を圧縮する音をたててクラリの口へめり込んだ。
「ふがふご。。。」
息を詰まらせるクラリに着地したユルミが笑う。
「やだなー、いくら私がおバカでも小瓶をアタックする程おバカさんじゃ…」
パリンッ
茶色い小瓶は杭の上に落下してパリンした。みんなの目に、その様子はスローモーションのように見えたという。もちろんこの小瓶は、ユルミがシメゾウ爺さんから没収してポケットに入れていた、あの小瓶である。入っていたのはリンコ先生が壺で作った食欲100万倍の秘薬だ。その薬を食事中の白蟻たちがたっぷり浴びた。杭に込められていた魔封じの不思議な力も作用して、白蟻たちは電動工具で木を削るような勢いで杭を食べていく。瞬く間に杭は鉛筆ほどの棒切れになってコロンと床に転がり落ちた。その後起きた事は更にスピーディだった。胸に空いた杭の穴がすっと塞がったかと思うと、死んでいるはずの男が目をかっと見開き、間近にいたユルミをぐいと引き寄せ、首元に牙を刺した。ユルミの顔からサッと血の気が引き、代わりに死んでいた男の顔に生気が戻った。一瞬の出来事だった。牙の男は復活するのに最低限必要な量の血を瞬時に吸ったのだ。その恐るべき吸引力は、あの掃除機よりも強力だった。男のボサボサだった灰色の髪は艶やかな黒髪になり、頬や手指など、血色のいい張りのある体になっていた。それどころか着ている服までくすみがとれて、仕立てたばかりのようになっている。ヒララはみんなが男と自分を見ているのに気が付いた。父親だと紹介した手前、しょうがないので言ってみる。
「父上、やめるのだ。」
棒読みだった。男はすっくと立ち、真っ赤な目でヒララをじっと見た。
「何を人違いしておるのだ。我輩に娘などおらぬわ。」
と言って、ぐったりしたユルミをベッドに寝かせた。
リンコ先生は男が生き返るのを見て、思わず反らせた指先を口に当てる。
「まあ!こんな事って…死者が蘇るなんてあり得ませんわ。」
と言ったものの、つい最近死人が生き返るのを見たような気がした。だがシメゾウ爺さんの時とは明らかに状況が違う。
「根地、大丈夫かっ」
久野先生が声を掛けてもユルミは返事をしなかった。クラリがハッとして牙男を睨んだ。
「思い出したわ!吸血鬼よ、吸血鬼!怪物図鑑に載ってたわっ。美女の生き血を吸う乙女の敵よっ!」
「あら、わたくしの敵ですの?」
リンコ先生がすかさず、そしてさりげなく口をはさんだ。実際美人なので誰もツッコむ隙を見いだせず、心がうずうずっとした。牙の男が笑った。
「フハハハ、ご心配召さるな美しきご婦人。我輩、断じて吸血鬼などではないのである。」
男はメチがチョコを拭いたマントをふわりと羽織り、良く通る声で自ら名乗った。
「我が名は寅木ユラノスケ。誇り高き吸血貴族の末裔である。吸血鬼などとは失礼千万。」
ユラノスケは一見、貴族らしい美形であった。でもみんなは思った。
(鬼でも貴族でもどっちみち吸うんじゃないかーっ)
ユラノスケは、蠟人形のようになって横たわるユルミを見下ろした。
「それにしても久し振りの血は格別の味わいであった。しかし子供では量が物足りないのである。さて次は…」
と言うユラノスケをヒララが下品に笑った。
「ケッケッケッ、ユルミの血が美味いなんてお前の舌はとんだバカ舌なのだ。ユルミは朝っぱらからコテコテのピザをガツガツ食らうような血液ドロドロ少女なのだギシ。」
ヒララは砂浜で棺桶に付いたユルミの血を舐めてオエッとなったのを思い出したのだ。
「貴様、そこまで言うからにはもっと美味い血を知っているのであろうなっ?」
「当たり前なのだ。ちょっと待っているのだ、今本物の血を吸わせてやるのだ。」
と、グルメ通っぽい事を言ってヒララは首から下げていた小さな笛を吹いた。その音は、人間には聞こえない超音波だった。
バリーンッ
窓を破って柿田イシオが入って来た。超音波で操られた無数のコウモリがイシオをぶら下げて飛んで来たのだ。
「何だ何だ、どうなってんだ!」
じたばたするイシオ。コウモリたちはイシオをユラノスケの前に下ろすと、再び夕闇の空へヒラヒラ飛び去って行った。外はもう夜になる。色々あり過ぎて誰も時間の経過を意識する余裕はなかった。夜行性のユラノスケは活性が上がり、目の前のイシオをガシッと掴むと牙をむき出しにした。
「頂くのである。」
ブッスリ
「ぎゃっ」
一声短く叫んでイシオはぐったりした。ヒララが慌ててマントを投げる。
「こら、吸い過ぎなのだ!そいつはあたしのなのだ、味見だけなのだギシ。」
マントがユラノスケの頭を覆ってイシオから引き離す。吸われたイシオは蠟人形みたいになる少し手前で、ぼんやりと意識はあるが動けなかった。そのまま床にへたり込む。イシオを吸ったユラノスケは呆然としていた。口は半開きで、牙から赤い血がポタリと垂れた。人は真に感動すると無口になるという。吸血貴族も同じだった。ヒララが得意げに笑う。
「ケッケッケッ、本物の血がどういう物か分かったみたいだなギシ。」
「・・・悔しいが貴様の言う通りであった。」
と言うユラノスケの表情には悔しさよりむしろ清々しさがあふれていた。
「・・・粗野にして繊細、鮮烈にして爽やか、そして潔い引き際。」
うっとり宙を見つめるユラノスケ。
「分かればいいギシ。」
「それに比べて…」
ユラノスケはちらりとユルミを見やった。
「我輩は、どろ水をすすって旨い旨いと浮かれておったのか、何たる不覚。」
「ケッケッケッ、どろ水というかキッチンの下水なのだギシ。」
「貴様、口悪いな。フハハ」
「それ程でも。ケケケ」
ベッドの上でユルミの足がぴくぴくっと動いた。意識は無くても悪口に体が反応しているのだった。
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