シャーロキアンの事件簿

書記係K君

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■第一部 R大学時代の友人「ワトスン君」の回想録より復刻

12.恋心のねじれた男 -The Man with the Twisted Love-

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 冬の冷たい都会風が、赤レンガ造りの校舎を吹き抜けていく。
 昼休みの喧騒も過ぎ去り、午後の講義が始まったばかりのこの時間帯は、大都会池袋でありながらも清涼な静寂がしんと広がり――実に趣深い。俺が気に入っている時間帯だ。

 俺が今いるのは、R大学を東西に横断するスズカケ(プラタナス)の並木道「鈴懸すずかけみち」――その道脇に設置されたベンチに座っていた。春の新緑、秋の紅葉と風光明媚な小道だが、冬には枯葉も無くなりすっかり寂しげで、だけど冬の陽射しが暖かくて、午後にまどろむには気持ちの良い季節でもある。ちょい寒いがな。
 俺はポケットに入れていた熱々の缶コーヒーを開けると、心身を温めるようにチビチビ飲みながら、食後の読書を楽しむことにする――つもりだったのだが。


「あっ、ワトスン先輩だ!」

 何やら人懐っこい声に呼び掛けられる。
 手元の読んでいた小説から視線を上げてみれば――そこにはゼミの後輩・門石かどいしめぐみがいた。
 小柄な身体をダッフルコートに包み込み、茶髪のボブカットと丸い瞳には明るい元気さが溢れている。こちらに駆け寄ってくる様を見て「まるで仔犬だな…」と思いながらぼんやり眺めていると――めぐみは俺が座るベンチの隣にちょこんと座る。


「ワトスン先輩、何を読んでるんですか?……って、ホームズに決まってますよねぇ」

 俺が読んでいる小説を横からひょいと覗き見ながら、めぐみが無邪気に笑う。
 むう、俺だって「シャーロック・ホームズ」以外の小説や漫画も普通に読むのだが……まあいいや。否定するのも面倒である。

「レポートを書くのに、何冊か読み直したいのがあってな」
「あっ、ワトスン先輩もレポートのテーマ決まったんですね。何を調べるんですか?」


「うむ。今回のレポートテーマは――”私立探偵シェリングフォードは実在した説”――で書こうかと思ってる」

「おおっ、”試作段階の名探偵”ってやつですよねっ?」
 俺が口にしたレポートテーマを聞いて、めぐみが瞳を輝かせながら応答する。

 世界で最も有名な名探偵――”シャーロック・ホームズ”――
 かの名作を生み出した著者コナン・ドイル氏の自叙伝によると、この名探偵に”シャーロック・ホームズ”と命名する前の執筆段階では、別の名称を付けていたらしい。それこそが”試作段階の名探偵”――”シェリングフォード-Sherringford-”――である。
 大人気の少年漫画「名探偵コナン」で扱われたことで一躍有名になった”裏エピソード”の一つだな。


「ところで……”私立探偵シェリングフォードは実在した説”って、どういう意味ですか?」

「ああ、これは俺が個人的に考えている考察だよ。
 そもそも名探偵シャーロック・ホームズの愛好家”シャーロキアン”の研究活動は――”もしも本当に名探偵ホームズが実在したら素晴らしいと思わないかい?”――という”ユーモア”を基礎に成り立っている。ぶっちゃけて言えば――”本当にシャーロック・ホームズは実在した”――そう信じている人間は”シャーロキアン”でも少ないと思うんだよな。実際に俺は”愛好家”シャーロキアンだけど、ホームズは実在しないと考えている。
 そこに一石を投じようと考えたのが――”名探偵ホームズのモデルとなった人物は、実在するのではないか?”――という説だ」

 ドイル氏が自叙伝で記した内容によると――
 名探偵ホームズのモデルは、ドイルの医学部時代の恩師である外科医ジョセフ・ベル氏だとされている。が、ドイル氏は、友人から聞いて興味をもった”魔犬伝説”を現地調査した上で『バスカヴィル家の犬』を執筆するなど、自身が見聞きした情報を参考にする事が多く、その情報源は多岐に渡っていた。
 この事から、ドイル氏が探偵小説を執筆するにあたり、取材協力してくれた”私立探偵シェリングフォード”も実在したのではないか――と、俺は考えてみたのだ。

 そう考えてみると――今まで”謎”とされてきた事項が解けるのだ。
 なぜ、ホームズ達が暮らすベーカー街の住まいは”架空の住所”になっていたのか――
 なぜ、ドイル氏は執筆段階で”名探偵”の氏名を途中変更する事にしたのか――
 なぜ、ワトソン博士が説明する時間軸はズレる事があるのだろうか――

 その全てが――実在する”私立探偵シェリングフォード”の探偵稼業に悪影響を及ぼさぬ様に、彼の個人情報を隠蔽するためだったとしたら――?


「ほおぉ…っ、それはすごく面白いですねっ」

 俺の仮説を聞いて、めぐみが興奮した様子で絶賛してくれる。うむ、ありがと。

「そうすると……名探偵ホームズの相棒役であり、彼の活躍を執筆してきた伝記作家のワトソン博士は――」

「ああ。実際に”私立探偵シェリングフォード”の隣に立ち、聞き手として取材を続けてきた――筆者コナン・ドイル氏が自己投影として”ワトソン博士”を登場させた可能性は高いと思うな」

「なるほどっ。たしかに著者のドイル氏もワトソン博士も同じ”元従軍医師”ですし、共通点が多いですねっ。すごく説得力ありますよ――……あっ」

 俺が説明する”私立探偵シェリングフォードは実在した説”を聞いて、すっかり興奮していた後輩のめぐみが――何かを思い出したように、ピタリと言葉を止める。

「…………あの、ワトスン先輩」
「おう。どうしたんだ?」

「コナン・ドイルの愛称って――”ジェイムズ”――だったりしますか?」

「ん? いや、彼のフルネームは――”サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル”――だったはずだけど?」

 俺の回答を聞いて――
 めぐみは、しょんぼり落ち込んだ様につぶやいた。


「ワトソン博士の奥さん――メアリー夫人は、浮気してたと思いますか?」



■12.恋心のねじれた男 -The Man with the Twisted Love-


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