12 / 34
■第一部 R大学時代の友人「ワトスン君」の回想録より復刻
11.
しおりを挟む■11.研究室の冒険 -The Adventure of The Teaching Room-
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「では、最後に俺の発表ですが――まず最初に、ちょっとした質問を」
ほむら先生が出した課題…――
『バリツ-baritsu-』に関する考察の発表も、いよいよ三人目……まあつまり俺の番だ。
俺は森谷教授の研究室に集まっている面々を見ながら言った。
「ぶっちゃけ、初めて『バリツ-baritsu-』を読んだ時――”なにを急に言い出してんの?”――って思いませんでした? ちなみに俺は思いましたね。小学生の頃、初めて読んだ時……なんじゃそりゃって」
俺の質問を聞いて、あいり先輩とめぐみは瞳を丸くした後…――
あははっと苦笑しながら。そして少し困った様子で、俺の質問に答えた。
「まあ正直に言えば、私も思ったわね! なんか”辻褄合わせ”っぽいなぁ~って」
「えっと、その……私も思いました。急に新しい設定が出てきて、ご都合主義だなぁと……」
ふたりの答えを聞いて、そうだよなぁと俺は頷き返す。
連載当時の読者と違って、ネット社会の現代読者である俺たちは「ドイルがホームズ作品の執筆に嫌気がさして『最後の事件-The Final Problem-』でホームズを一度死亡させた」という裏話を一度は耳にしてしまう。
そんな状況で、ホームズがいきなり『バリツ-baritsu-』を語り出したら……そりゃあ”思うところ”もあるってものだ。
だが、シャーロキアンの”知的遊戯”の真髄は”ユーモア”にある――少なくとも俺はそう考えている。
一八九三年に『最後の事件-The Final Problem-』が掲載されてから、一九〇三年に『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』が掲載されるまで、実に十年の月日が経っていた。名探偵ホームズが”奇跡の復活”を果たすにあたり――”急きょ追加された設定なのだろう”――と、誰もが内心では思っても口には出さない。それが礼儀なのだ。
――が、今回はそこに”推理”のメスを入れてやろうじゃないか。
「俺は今回――”一番最初のホームズ作品『緋色の研究-A Study in Scarlet-』が掲載された時、すでに『バリツ-baritsu-』の設定があった”――と考察しました」
「ちょ、ワトスン君、本気で言ってるの!?」
「そ、それホントですかっ!?」
俺の提唱した”仮説”に、あいり先輩とめぐみが驚きの声を上げる。
「はい。まず今回は『バリツ-baritsu-』の解釈を、最も支持されている――”英国流ステッキ護身術『バーティツ-bartitsu-』の誤記説”――で想定しました」
「えぇ~それだとおかしいんじゃないのぉ~ワトスン君? 護身術研究家のバートン=ライト氏が、日本の柔術にボクシングや棒術、フランス式キックボクシング『サバット』の要素を組み合わせて、ステッキ格闘護身術『バーティツ-bartitsu-』を考案・提唱したのは、たしか一八九八年から一九〇二年頃よね?」
「あっそうか。そうですよワトスン先輩っ、ドイルが長編小説『緋色の研究』を発表したのは一八八七年ですから……そもそも『緋色の研究』が執筆された時、まだ『バーティツ-bartitsu-』は存在してません!」
あいり先輩とめぐみの指摘に対して、俺は「ごもっとも」と頷き返しながら――あえて無視して説明を進める。あいり先輩とめぐみも察しているのか、そのまま静かに話を聞いてくれる。
「俺が今回引用したのは――『緋色の研究』の第一部・第二章「推理の科学」――まだホームズの事を”ただの偏屈屋”だと思っている同居人のワトソン博士が、ホームズの人物評を記した章です」
「その章は有名よね! ヴァイオリンの演奏技術は一級品だとか、ボクシングの腕前はプロ並みに強いとか、ホームズの”多才ぶり”を描いた有名な説明回よね!」
「多くの読者が思い描いている――”名探偵ホームズの人物像”――はここの説明を起源にするものが多いですよねっ」
「さて、その中でも俺が気になったのが――この説明文です」
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
――”11. Is an expert singlestick player, boxer, and swordsman.”――
――”11.棒術、格闘術、剣術に優れている”――
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「これは昔の邦訳になります。
まずは『格闘術-boxer-』から見て下さい。
これは読んで字のごとく『ボクシング』のことを意味します。ただ、昔はボクシングの知名度が低かったのか、「格闘術」や「拳闘術」と翻訳している本が多かったです。しかし近年になると、ボクシング競技の普及も進んだためか『ボクシング』と直訳されることが多くなりました」
時代の変遷とともに”邦訳”の最適解も変わっていく――その典型例という事だな。
「ただし注意点として、当時のボクシングは近代ルールが普及する前のため、現在のボクシングとは異なり……投げ技ありの”素手”拳闘という”レスリング”要素込みの総合格闘技でもあった」
俺の説明を聞いて、あいり先輩とめぐみが感心した様に「へぇ~」と頷いている。
実は今回、このあたりの解釈も重要になる。ぜひ覚えておいてほしいところだ。
「次に見てほしいのが『剣術-swordsman-』です。
直訳すると『剣士』や『剣術家』になります。これは一見すると”簡単に翻訳できそう”に思えますが……実は解釈が難しい部分になります。言葉通りなら、騎士が装備している様な”西洋風の片手剣”の腕前が優れている――と受け取れます。十九世紀のロンドン街で、西洋剣を振り回すホームズ……これはちょっと想像し難いものがあります」
「それは……たしかにそうね!」
「そうすると……ナイフとかでしょうか?」
「あっ、そうかもしれないわね! 切り裂きジャック事件が起きてる時代なわけだし!」
「でも、ナイフを振り回している名探偵ホームズっていうのも、あまりイメージできませんよねぇ……」
あいり先輩とめぐみが一生懸命に頭を悩ませている様子を楽しみながら、俺は説明を続ける。
「ここで一旦、『剣術-swordsman-』のことは保留しときましょう。
次に見てほしいのが、説明の冒頭にある――『棒術-singlestick player-』――の部分です」
「シングルスティック……これって”短い棒”って意味かしら? なんだか”邦訳”と”原文”で、ずいぶん印象が違うわね?」
「はい。私も「棒術」と聞いた時は――両手で持つ長尺の”棒術”――例えば『西遊記』に登場する孫悟空の”如意棒”なんかを想像しちゃってました。でも原文を読むと、どちらかと言うと……片手で持つような感じですか?」
「ちなみに他の出版社では――『木刀選手』や『杖術』と邦訳している事もあります」
「あっ、そっちの方がイメージ合いますっ」
「んぅ~でも『木刀選手-singlestick player-』の後には『剣術-swordsman-』が続くのよね? それだと説明が重複しちゃうように感じちゃうの、私だけかしら?」
「あぁーなるほど。使っている武器が違うだけで、日本人にとっては”木刀”でも”剣”でも、同じ『剣術』ですもんねぇ……」
あいり先輩とめぐみが再び「うぅ~ん」と頭を悩ませる。
ふたりともリアクションが良いから説明しやすいなぁ……。
「ここで先ほど保留した『剣術-swordsman-』ですが――他の出版社では『フェンシング』と翻訳される事があります。
実はこの『-singlestick-』は――英国軍が銃剣のサーベル訓練のために用意した”木棒”のことを意味すると考えられています。日本で言えば、剣道における”竹刀”の様なものですね。ルールや動き方が『フェンシング』に似ている棒術――といった感じです」
俺の説明を聞いて、あいり先輩とめぐみが「フェンシング!?」と驚きの声を上げる――だが次の瞬間。
片手剣を突き出すフェンシング競技の動きと、十九世紀のロンドン街に暮らすホームズ達の服装を想像して――ひとつの”仮説”に辿り着いた事を、ふたりの瞳の色で感じる。
「はい。この説明部分は――『ステッキ格闘術-singlestick player-』――と解釈すれば、日本人にとって意味合いが通じやすいと、俺は考えています」
「なるほどね! 当時の英国紳士にとって”杖”の携帯は身嗜みだから、名探偵ホームズが『ステッキ格闘術-singlestick player-』を習得していてもおかしくないわ!」
「そして、名探偵ホームズの『ステッキ格闘術』を見たワトソン博士が、その『フェンシング』っぽい動きを評して――”彼は優れた『剣士-swordsman-』でもある”――と分析した可能性は、十分にありますよっ!」
あいり先輩とめぐみが興奮した様に語り始める。
よしよし、それでは最後の仕上げといこうか。
「ここで今一度確認したいのが――『バーティツ-bartitsu-』――の成り立ちです。
バートン流柔術『バーティツ-bartitsu-』とは、護身術研究家のバートン=ライト氏が、日本の柔術にボクシングや棒術、フランス式キックボクシング『サバット』の要素を組み合わせて考案されました。
ちなみに『サバット』とは、十八世紀にフランスで考案されたストリートファイト用の喧嘩術に、紳士向けの護身術として普及されようと”ステッキ杖術”を取り込んだものです。ステッキを手に持った状態を想定した護身術であるために”蹴り技”が多いのが特徴で、それゆえに”フランス式キックボクシング”と呼ばれます」
「へぇ~同じ様な”ステッキ格闘術”を、同時期にいろんな国で考案されているのは面白いわねぇ!」
「それだけ当時は”ステッキ”が身近なものだったんですねっ」
「さて、バートン流柔術『バーティツ-bartitsu-』の構成内容を確認したところで――もう一度『緋色の研究』におけるワトソン博士の記した”名探偵ホームズの人物像”を見て下さい」
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
――”11. Is an expert singlestick player, boxer, and swordsman.”――
――”11.ステッキ格闘術、投げ技ありの総合拳闘術、フェンシングに優れている”――
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「俺の”仮説”はこうです――
一番最初のホームズ作品『緋色の研究』が掲載された時、すでに名探偵ホームズは――”バリツの原型”――ともいえる総合格闘術を会得していた。
だがワトソン博士もドイル氏も、名探偵ホームズが体現する”未知なる格闘術”を言葉で表現することができなかった。日本の『柔術』要素を、当時の”投げ技ありボクシング”に含めてしまったのもそのためです。
ホームズ自身も、自分が習得している格闘術の”総称”を聞かれても、答えられなかったでしょう。強いて言えば”ホームズ式・総合格闘術”なんだから。
そして、長編小説『緋色の研究』を発表してから約十年後――バートン=ライト氏による『バーティツ-bartitsu-』が考案される。その時になって初めて、ワトソン博士やドイル氏は――”ホームズ式・総合格闘術”――に符合する格闘術名『バーティツ-bartitsu-』の存在を知り、名前を付けた。
それが――『バリツ-baritsu-』――です」
◇
俺たちの話し合いを静かに聞いていた
ほむら先生が、ゆったりとつぶやいた。
今の時代、ネットを使えば「答え」は溢れている。
どこかに「答え」が置いてあるのが、当たり前になりつつある。
しかし、いきなり「答え」を求めるばかりは少々無粋でなかろうか?
ネットの普及に比例して「答えを求めて考える」という経験が得られにくくなっている様に思えてしまう。
シャーロキアンの知的遊戯は「答えに至る事」ではなく、「答えを求める過程」にこそ醍醐味がある。
これは昨今希少となった「考える楽しみ」を教えてくれるものだ。
この思考は、この経験は、きっと君たちの人生を豊かにしてくれるだろう。
ぜひ忘れないでくれたまえ――。
しばらく話し込んだ後――
本日のゼミもお開きとなり、俺たちは研究室を退出しようとする。
少し肌寒い研究室と、微笑みながら教授席に座る車楽堂ほむら先生に退席の挨拶を告げて――あいり先輩とめぐみは先に研究室を出ると、『バリツ-baritsu-』談義を続けながら、夕暮れで赤らむ研究棟の廊下を歩いていく。
最後尾になった俺は、ほむら先生に挨拶しながら研究室の扉をゆっくりと閉めた。
この時の俺は…――閉じられる研究室の扉の陰で、ほむら先生が何ごとかつぶやいた事に気づくことはなかった。
「そろそろ、いいかもしれないな……」
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる