戦国時代、ある武士と忍の短い恋の物語

雑多のべる子

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約束、きっと忘れない

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「履き違えちゃいけない、善之介。君が自棄を起こしても何の意味もない、無駄死にになるだけだ。確定負け戦に命を賭けるのは流石の僕も御免被る」

 今にも城に特攻して散ってしまいそうな主君を押し留め、巴丸はそう言った。

「ここは冷静になる時だ。僕達にとっての勝利は、君と”暮里”が二人揃って無事にこの国を出ること。片方だけ生き残っても意味がない。そうだろう?」
「……そう、そうだな。言われてみればそうだ」

 声を潜めて二人は囁き合う。
 場所は善之介の私室。どこかへ身を顰めるよりもその方が疑われず安全だと巴丸が判断した為である。
 とはいえ、壁に耳あり障子に目あり。いつ誰がこの場に立ち入るとも知れない。用心に用心を重ねた二人の神経は過敏に研ぎ澄まされ、僅かな空気の震えにさえぴりぴりと肌が緊張する。
 細く息を吐き出しながら、巴丸は言い含めるように善之介に言った。

「善之介、単純頭は君の長所でもあるけど、今はいただけないよ。僕の言うことをよく聞いて。……君はこれから真っ直ぐ、国境付近の僕の隠れ家に向かうんだ」
「俺だけで?おまえはどうする?」
「僕が暮里を迎えに行く」

 それを聞き、ぎょっとして善之介は目を瞠った。それは自分の役割ではないのかと言わんばかりに前のめる体を、巴丸はどうどうといなし宥める。

「君は一度追い返されている。暮里の意志も固いみたいだし、説得は無理だ」
「いや、でも……それでは、おまえが行ったらどうにか出来るというのか?俺が駄目で、おまえなら良いという理由は?そもそもおまえ、暮里と会ったことがあるのか?」
「そんな顔をするものじゃないよ」

 眉間に深い皴を刻んだ善之介を巴丸は笑う。うりうり、とその皴を指で捏ね繰りながら、彼は艶やかにその相貌へ華を浮かべた。

「蛇の道は蛇。”忍”には”忍”の流儀があるんだ」

 暮里の心は今、”忍の掟”という強固な檻の中にある。どんなに真摯な善之介の言葉も、その檻に阻まれては暮里に届かない。
 けれど巴丸にはそれをぶち壊す自信があった。寧ろ確信だ。それは巴丸が”善之介の忍”であればこそ。それこそが核心だからこそ。
 懐から取り出した紙を、巴丸は善之介に握らせる。

「落ち合う場所はここ。中を確認したら必ず焼いて灰にして、水に流すんだ。絶対に、欠片も残してはいけないよ。誰にも気付かれないように」
「そこまでしなくてはならないものか?」
「善之介、君は忍を甘く見過ぎ……まあ、普段の僕を見ているから仕方ないんだろうけれど」

 巴丸は小さく肩を竦める。
 力のある忍になればなるほど敵は増え、伴って性質は二極化する。己の力を殊更に誇示することで身を守るか、もしくは己の力を隠し侮らせるか。巴丸は無論後者である。
 巴丸の性格がその中でも一風変わっていることを織り込んで尚、素直な善之介が自分を、ひいては忍というものをどう思っていたかは想像に難くない。そんな彼を巴丸は主君として、もしくは弟のように可愛く思ってはいたが、ここに至ってまで寝惚けたことを言われては困ってしまう。

「”忍”は普通の人間とは違う。中忍以上になれば特殊な能力を持っていることも少なくない。紙を破いたくらいじゃ多分、簡単に解読されてしまうだろうね。流石に灰から読み取るほどの手練れは稀だろうが、念には念を入れよ、だ」
「解った」

 素直に頷く善之介の頭をよしよしと撫でて、巴丸は立ち上がる。忍び装束を正し、口の中に残るべっ甲飴を噛み砕き呑み下した。これで大好きな甘味三昧の生活ともおさらばか。そう思うと多少名残惜しくもあったが、仕方あるまい。

「行くのか、巴丸」
「そうだね。そろそろ”仕込み”が効き始める頃合いだ」

 行かなくては、と言った巴丸を善之介はもの言いたげに見上げた。
 彼が何を言いかけたのか、巴丸には解る。
 甘い甘い飴玉よりも甘い、巴丸の可愛い年下のご主人様。彼は決して武士として卓越した腕前を持っているわけでもなく、智謀策略に長けるわけでもない。長所と言えばその真っ直ぐで人懐こい気性くらいで、後は手が掛かるばかりだ。今回だってこんな風に巴丸を振り回し、死地へと赴かせてしまう。
 それなのにどうしてあの日、巴丸はこの少年に仕えようと思ってしまったのか。

「……ねえ、善之介」

 もしかしたらこれが、彼と今生別れの時かもしれない。その予感を抱きながらそっと手を伸ばす。
 唇を開いて、初めて、巴丸は言い淀んだ。
 こんな風に善之介の前で言葉に詰まったことはない。いつだって二人は悪戯っ子の共謀者で、特別な盟友で、そして――血の繋がらない兄弟のように固く濃い絆で結ばれていたから。
 本当は言葉になんかしなくても伝わっているのかもしれない。伝わっていたかもしれない。それでも今、この時に、伝えずにいられるほど巴丸もまだ大人ではなくて。
 両の掌で善之介の頬を包み込む。慈しむように見詰め微笑んで、巴丸はその大きな目を温かな色で潤ませた。

「善之介、僕は……君に出会えて良かった」

 この薄汚い世界で、溝のような現実に溺れ沈み続けるばかりだった僕の手を、君が掴んで引き上げてくれた。君となら、この下らない世界を引っ繰り返せる気がしてた。君となら、このつまらない世界でも笑って進める気がしてた。――でももしかしたら、それにはなにかが足りなかったのかもしれない。もしも、なんて言葉は好きじゃないけれど。

「無事にここから逃げ出したらさ、三人でたくさん遊ぼうね。僕と、君と、君の愛する人と。僕ら、三人揃ったらなんだって出来るような気がしないか?」
「……ああ、そうだな。ここを出て、三人で自由な世界にいこう。次に会う時、俺達は自由だ。そしたらおまえとも、上も下もない。ただの友達になれるんだな。なあ、そうだろう、巴丸?」
「そうとも!次に会う時、僕らは”友達”。忘れては駄目だよ……忘れないで。どうか、僕を」

 こつん、と互いの額を当てて子供のように笑い合った。そして軽やかに身を翻すと、巴丸は庭に下り立つ。

「また、あとで」

 いつものように手を振って、楽しげに笑い声さえ立てて、巴丸は深さを増す夜の闇の中に消えていく。それを最後まで見送ると、善之介は彼が残した紙切れをそっと開いた。そして小さく頷き火を着ける。
 灰は風と水に流され、どこか遠く遠くへと散っていった。
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