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橘社長とりっくん~元極道なボディガード×奇抜でビッチな社長~

蜂蜜味のゴールデンフィンガー【R-18】

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 何が切っ掛けだったのかは覚えていないが、何時からか藤堂は橘の指に非道く執着している自分に気付いていた。

 その不可解な己の執着を初めて感じたのは、眠る彼の指を握っていた時の事。開いていた彼の掌に戯れに指を乗せたら、まるで原始反射のようにそっと握って来た。その指が、今まで思っていたよりもずっと長くて、細くて、頼り無く綺麗に見えて、藤堂は僅かに動揺を覚えた。
 それから事ある毎にそれは藤堂の視界を過ぎる。物を食べる仕草。髪を掻き上げる指先。糸を手繰る動き。中でも布を魔法のように裁断していく時の鋏を操る指が、一番好きだと気付いた。無機質な繊維の波をまるで生物のように解剖し、幻術か何かのようにまた組み上げていく。器用な指が閃いて、藤堂の目を奪う。
 とはいえ実のところ、一見して橘は綺麗な指だとはあまり言い難い。器用に見えてもどこか不器用なのか、いつも擦り傷切り傷にまみれ、それでいて処置を怠られている彼の両手は、気付けばぼろぼろの様相を呈している。どこで何を触ったか知らないが、がさがさに荒れている事も珍しくない。……それでも藤堂は、その指が好きだ。
 だから今日も、橘が仮縫いの生地を裁断している間中、藤堂はぼんやりと彼の指を見ていた。ボディガードとしては今のところ他に出来る事も無いから、彼を見詰めているのも仕方ない、と自分に言い訳する。実際、今、この部屋の中で動いているものは自分と彼だけだ。いっそこの退屈を紛らわす為には猫でも飼ってみたら良いのじゃないかと思ったが、そんな事をしたらうっかり橘に毛皮を剥がされかねない。それに、存外この時間を藤堂は嫌いではなかった。
 ふと空腹を覚えて顔を上げると、時計は既に夕食の時刻を随分と回っていた。橘が製作に熱中するのはいつもの事だが、これでは自分も飯を食いはぐれる。そろそろ解放してもらおうと橘を見ると、彼も丁度藤堂を振り返ったところだった。

「……橘、飯の時間だ」
「うん、燃費の悪い君がそろそろそう言いだすと思ってね。その前に……ちょっとこっちおいで」

 腕を出せ、と橘が命じる。藤堂は大人しく手足を差し出し、されるがままに任せた。あっという間に身包みを剥がれたかと思うと、先ほどまで布切れだったはずのその衣装が、藤堂の肌を包み込む。こうして彼にフィッティングされていると、貴族かさもなくば赤子にでもなったような気がして、なんとも妙な気分ではある。

「んー……ダメだ。ここはもうちょっとピタッとさせないとカッコ悪いな。袖はもう2cm下げて……よし、っと。もうイイよ。脱いで」
「そうか」

 付けられた印がずれないように丁寧に、作りかけの衣装をトルソーへ戻す。と、いつもならそこで離れていくはずの橘が、そのままゆっくりと藤堂の背後に近づき、裸の腕へ指を絡めて来た。

「た……橘?」
「なに? こうして欲しかったんでしょ」

 断定的に言われて、藤堂は軽く瞠目し、それから目を逸らす。そんな事でこの男を誤魔化せるとは思わないが。

「……何の話だ」
「知ってるよ。見てたでしょ」

 片手が藤堂の腕を、もう片手が藤堂の胸を、柔らかく撫でる――あの指が、藤堂の肉を愛撫する――ぞくりと下半身に熱を感じて、藤堂はそんな彼を突き放すように振り向いた。

「……冗談はやめろ」
「冗談のつもりじゃないんだけど。……ま、イイよ。それじゃ、食事に行こっか」

 何事も無かったかのようにそう言われて、藤堂はほっと胸を撫で下ろす。反面、それを残念がっているような自分を感じた。
 首を振ってその考えを振り払う。
 その日はそれで終わり……の、はず、だった。少なくとも藤堂は、そのつもりだったのだが。


***


 寝室に入って来た橘の手にあるものを見て、藤堂は軽く瞬いた。……蜂蜜の小さな壷。一体そんなものを何に使うのかと視線を投げ掛けても、橘はのらりくらりとかわして答えない。
 やがて、とん、と寝台に腰掛けた橘が見せ付けるように足を組んだ。これから何を求められるかを想像して藤堂は溜息一つ、スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。おいで、と指先で呼ばれて、彼の前に跪いた。
 橘の手が藤堂の頬を包み、頤を持ち上げるようにして添わされる。伸ばされた爪が耳裏を擽り、藤堂は小さく吐息を漏らした。引き寄せられて、そのまま橘の脚に凭れ掛かる。彼の腰を抱くように腕を伸ばすと、橘の指が優しく藤堂の髪を梳いてくれる。

「りっくん……良い子」

 楽しげに口元を笑ませて、橘はまるで子供にでも言うかのようにそう言う。そして、戯れに一度口付けを落としてから――何時の間に開かれていたのだろう――小さな瓶、不意にその中に右手の指を浸けた。

「……橘?」

 とろりと、黄金色の蜂蜜がその指に絡む。彼の中指と人差し指から、掌へ。十分な粘度を持って伝い落ちた。蝋燭の光に照らされて、それは妙に卑猥だ。橘はそれを暫く見下ろして、まるでそれが作為ではなかったというようにぽつりと呟きを漏らす。

「ああ、汚れちゃった」

 汚したのだろう、と言おうとして、藤堂は自分の唇が動かない事に気付いた。見るな、と思ってもその指から目が離せない。金を纏っててらてらと輝く長い指。それが殊更に藤堂を煽るように、眼前に差し出された。

「綺麗に、して?」

 ――普段なら、拒むところだった。拒めるはずだった。
 それなのに、今は麻薬のように橘の声が藤堂の耳朶に染み込む。さぁ、と橘が囁いた。左手の指が藤堂の頤を掴み、仰向かせて、目を逸らす事を許さない。唇に触れるか触れないかという距離で、厭らしく濡れた指が藤堂の動きを待った。

 ぽたり。

 甘い、甘い蜜。蜜が、藤堂の唇に落ちる。緩く唇を開くと、その甘さがじわりと口内に広がった。ごくりと息を呑む。舌が、その甘さを求めるのを感じた。
――これではまるで、自分は犬だ。だらしなく、自制無く、好物にむしゃぶりつく犬。
だからこんな事は拒絶しなければならない。俺はあんたの犬じゃないと、この手を振り払って、彼に背を向けて。

(出来る……訳が、無い)

 くそ、と藤堂は心中で吐き捨てた。何に対しての苛立ちなのか、自分でも良く解らなかった。ただ、ゆっくりと右腕を上げて、橘の手首を掴む。橘はぴくりとも動かずに、藤堂を見下ろしている。ふざけている。そう思いながらも、引力は強かった。――こうして手玉に取られているのが解っていても、藤堂は彼の誘惑に抗えない。
 震える舌が伸びた。触れてしまったら、もう戻れない。解っていても、衝動を止められない。

「……良いんだよ、陸」

 妙に柔らかな声が藤堂を呼んで。その瞬間、何かの束縛が解かれたように、藤堂は彼の白い指に口付けていた。

「……橘……」
「そう……君の好きに、してイイ」

 一瞬、橘の目が可笑しげに笑ったような気がしたが、気のせいだったかもしれない。そしてもうその時には、藤堂にはそれを確かめるだけの余裕が無かった。
 口に含んだ橘の指は、あの蜂蜜に更に媚薬でも混ぜたのじゃないかと思うほどに甘い。指先も、間接も、掌も、全てが砂糖菓子のように甘く、それでいて歯を立てるとしっかりとした肉の感触が返って来る。指の腹は幾つもの傷で荒れていたが、その傷痕は藤堂の舌をざらりと刺激して、妙な性感を与えた。
 女と違う、筋張った手の甲。無意識に左手を添えて、藤堂は浮き上がる骨の形をなぞるように愛撫する。貪り尽くすようなその様があまりに一生懸命で、橘は柔らかく頬を緩めながら、汚れていない左手で彼の髪を幾度も撫でてやる。うっとりと目を細める藤堂が可愛らしかった。

「そんながっつかなくても、俺は逃げないのに」

 ついとそんな事を言ってみたが、当然のように返事は無い。代わりに人差し指の先に鈍い痛みを感じる。藤堂の歯が指先に食い込み、離れようとしても自分が離さないと言っているようだった。
 もうとうに蜂蜜の味などしないだろうに、藤堂は一本一本の指の形さえ口腔に刻もうとでもしているように、丁寧に舌を這わせる。指の股を舐め上げられて、橘は擽ったさに笑った。戯れにその舌を指で押さえてやると、一つしかない彼の眼が恍惚として細められる。そんな藤堂の顔を見たのは初めてかもしれない。乳房にしゃぶりつく子供のようなその姿は、滑稽ではあったが、橘にとって不快ではなかった。

「……可愛い男だね」

 藤堂の舌はやがて、指先から手首へ。そうしながらも、左手はまだ大事そうに橘の指を捕らえ、撫で擦っている。何がそんなに楽しいのか橘には解らないが、それは藤堂にとって非道く扇情的な行為らしかった。
 耐え切れなくなったのだろう、藤堂が身を起こし、組まれていた橘の脚を割ってその間に体を捻じ込んできた。やれやれ、と困ったように笑いながらも、橘は足を開いて彼を迎え入れる。

「橘……すまない」
「謝るくらいならしなければいいのに」
「……すまない」

 止められない、と呟くように言って、藤堂は性急に橘のシャツを片手で肌蹴た。ベルトを外され、下着ごとボトムスを引き抜かれて、そうして橘は自分の下半身を目にし、軽く瞬く。――どうやら自分もまた、今の行為に若干の興奮を覚えたものと見える。その証拠が目の前にあるのだから、間違い無い。

「……結局、似たもの同士という事、なのかな」

 そんな事を考えている間に、冷たいものが橘の後腔に触れた。何かと思えば、藤堂の指が蜂蜜を絡めてそこを塗らしたのだった。普段ならば橘の躰を労わって、性急な行為には決して及ばない藤堂だというのに、今は余程、我慢が利かないらしい。だが既に、橘もまたその刺激を快楽と感じ始めていた。藤堂の歯が指の関節を、そして柔らかな掌を噛む度に、右手が性感帯になってしまったかと思うような刺激が走る。

「っん……」

そして、声が上がれば藤堂の欲望も更に煽られた。

「……橘……良いか?」
「……う、ん。いいよ……キて」

 ぎゅ、と橘の右手に左手を重ねて握り、寧ろ彼の方が橘に縋り付くような形で、藤堂は橘の中に挿入を始める。あまり馴らされていなかった後腔はきつく、藤堂を締め付けたが、拒まれているとは感じない。
 橘は大きく呼吸して力を抜き、その侵入に耐えた。何より何時にも益して余裕の無い藤堂の表情が、少しの乱暴くらい許してやろうと思わせる。

「っふ、……ぅ、ぁ……」
「橘……動く、ぞ」

「ぁ……りっくん……っ、ん、」

 寝台に押し倒された橘は、下から大きく突き上げられて甘く喘ぐ。大きく膨れ上がった藤堂のものが、橘が馴れるのを待たずに動き始めた。苦しいくらいに揺り動かされて、その刺激に橘は身を仰け反らせる。

「…橘……っ……」

 うわ言のように藤堂は橘の名を呼ぶ。そうしながら、橘の指を引き寄せて、また口付けた。
 繰り返される動きに、揺さぶられる躰。その動きが激しくなる程に、声は堪えきれずに橘の喉から溢れる。僅かな痛みなど感じる暇も無いように、目の前が真っ白に染まり、呼応するように己から彼の腰に足を絡め、引き寄せた。もっと深く、奥まで、己から招く。貫かれる度に、濡れた音と共に切れ切れの甘い嬌声が響き、律動に快楽を任せて。
 ただ必死に自分のの体にしがみ付いて来る橘を藤堂は右腕で抱き寄せた。そうして深くまで飲み込まれると、湧き上がるものが下から真直ぐに込み上げてくる。唇に触れる彼の指が震えた。ただただ悲鳴染みた喘ぎを繰り返す橘の姿に、自身が一層熱く、膨れ上がるような感覚。気が遠くなるような快楽が訪れ――

「っぁ、あ……あぁっ!」

 橘の喉から最後の嬌声が上がると共に、藤堂もまた彼の中に白濁を放っていた。


***


 翌朝。

「……歯形、が」

 橘は歯形だらけで悲惨な姿になった己の手を見て、呆然と呟いた。そして暫くこの遊びは遠慮しようと心に決めるのだが。
 ――その隣で非常に満足げに、且つ幸せそうに眠る藤堂がそれを知るのは、少し後の事になる。
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