八菱銀行怪奇事件専門課~人を消す金庫~

可児 うさこ

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その日は梅雨と忘れてしまうほどの快晴で、昨日の金庫の事件が嘘のように思えた。いつもは日の当たらない場所で働く八菱グループ社員のために、浦安のレジャーランドで一生分の日光浴をさせてくれるかのようだ。
「こら! 順番抜かすんじゃないよ!」
 エリサの声がランドに響き渡る。キャラメルポップコーンのトラック横にある長蛇の列に割り込みをしようとした男の子が、彼女に首根っこをつかまれていた。甘いにおいに我慢できなくなったのだと彼は良い、彼女は昼食前だからと言い聞かせていた。待っている人たちはその様子をニコニコと眺めている。これが平日朝の蒸し暑く混み合った山手線では、そうはいかなかっただろう。しかし、ここは夢の国だ。母親業も普段より速度を落とした運転にしていたのだろう。「必ず昼ご飯は完食する」という息子の説得により、私たちは列に並ぶことになった。エリサはため息をついた。
「本当に良かったのかい? 子供の世話なんかに付き合ってもらっちゃって」
「大丈夫だよ。特に予定もなかったし」
 正確にはカフェで証券外務員の更新試験の勉強をして、本屋で立ち読みをして、サウナに行く予定だった。しかし、そんなものはどうとでもなる。子供がいたら送っていたであろう日常を疑似体験するのも、悪くない。
「あっちの青木は大丈夫か分かんないけどね」
 彼の予定は場所が変わっただけだ。おそらくレストランで、ナンパ講習を受けている。いつもと違うのは、エリサの子供を見ながらだということだ。
「も、もう勘弁して……」
予想に反して、青木が草むらから現れた。エリサの息子の双子の妹を追いかけていたらしい。彼の疲れ切った様子は、ボロ雑巾を思わせた。
「あれ。講習動画、観ててたんじゃなかったの?」
「途中までです。この娘が飽きたって言い出して、あれに三回も乗らされたんですよ」
 彼は兎の看板を指さした。丸太に乗り、水の上を滑るコースターだ。
「そっか。絶叫系、苦手だったな」
「リスクしかないじゃないですか、あれ……」
 今日は八菱グループの社員が貸し切りだ。いつもは混みあうアトラクションも、本日は乗り放題だった。
「まあね。でも、意外と空いてるね。もっと混んでると思ってた」
「あぁ。黒川は来た事なかったのか?」
「黒川さんは大学一年以来、彼氏できたことないですからね」
 青木を睨んだ。あの日、サウナの後にサウナ飯を食べに居酒屋へ行った。そこで色々と話してしまったのだった。抜群の記憶力を誇る青木には、絶対に話したくなかったことまで。
女の子がだだをこね始めた。小学生低学年までの集中力は、年齢×一分だ。この子は六歳だから、七分程度だろう。彼女はアトラクションの列へ走って行った。うんざりした顔で、青木がついていく。その様子を見送っていると、スマホが振動した。土曜昼にかけてくるのは不動産営業の電話か、ヘッドハンティングだ。時間泥棒の相手をしている暇はない。しかし今回はやけに振動時間が長い。不吉なものに感じて着信相手を見ると、『非通知』だ。私は電話に出た。
「もしもし黒川調査役?」
目黒支店長の声だった。

「名刺に番号があったから、こっちに連絡欲しいんかと思ってな」
彼の声からは、何の表情も読み取れない。
「普通、行員に名刺なんて渡さんよ。あと、あの匂い。あんなの持ってたら、疑われるわ」
「しかも合併前の名刺ですしね」
「そうや。ま、差し替え忘れるよな」
数秒の間を置いた。
「もう私の名刺、手元にないでしょう。ちゃんと合併後の名刺でしたよ」
 完全な沈黙が流れた。合併前の『八菱銀行』と合併後の『八菱CBD銀行』は、間にアルファベットが入るだけだ。フォントも小さいので、見逃してしまいがちだ。実際に名刺があれば気付くが、なければ気付かない。私は続けた。
「支店長ですね。金庫の前に名刺を置いてくれたの。あとペンのゴミを捨てたのも。綺麗好きですもんね」
彼は肯定も否定もしなかった。答えたくないらしい。昨日、サウナで事実に気付いてから、店に電話をかけた。しかし彼は帰っていた。月曜に言えば良いと思っていたので、直に連絡が来るとは思っていなかった。
「電話したのは、金庫の暗証番号の件です」
「本部に相談したんや。不倫してるけど証拠が無いって。そうしたら『金庫の暗証番号を変えろ』言われてな。過去の台帳を見て、やっと見つけたよ。で、言われた通りにしたんや」
「三井さんを巻き込む必要、あったんでしょうか」
「さあな。それは本部が決めたことやから。役者として副業がしたい、でもなかなか目が出ない。もっと時間も労力も必要だけど、業務時間外だけでは難しい。だから業務時間を使って社内副業させることにしたんちゃうかな」
 なんだかんだ人には優しい銀行である。しかし不倫事件の解決と、三井さんの自己実現だけでは本部に相談する理由にならない。前者は探偵を雇えば良い。後者は個人の問題だ
「支店長の本当の目的は、何だったんですか」
 沈黙。エリサの息子はポップコーンを手に入れ、数日ぶりの食事だと言わんばかりの勢いで口に入れている。私は彼女に目くばせし、場を離れた。
「今は個人情報の保護がうるさくてな。普段は支店長でも、過去の監視カメラの映像が見れへん」
カメラの映像はセキュリティ会社が管理している。さかのぼって見るには、それなりの事由が必要だ。ましてや支店長が一日中見ていられることなど、許されるはずがない。今回のような軽度の事件は、カメラを見返す絶好の理由となる。
間もなくパレードが始まるとアナウンスが流れた。人々はそわそわと興奮した様子で、どこからかやってくるのだろうという顔で辺りを見渡している。
「金庫の入口以外も見たよ。そしたらATMに、ある男の子が映ってた」
 支店長はその名前を言った。全身に悪寒が走った。危うくスマホを手から落とすところだった。パレードが始まったが、私にとっての世界は無音で、色を完全に失っていた。
失踪したはずの弟が、カメラに映っていたのだ。

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