ナイフと銃のラブソング

料簡

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第4話

羽素未世の生きるための選択 その1

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 二人で帰路に付いている途中、私は意を決して口を開いた。
「ねぇ。智也くん。帰りに寄りたいところがあるんだ」
「うん。どこ?」
「着いてきて」
 私はつないだ智也くんの手を引っぱりながら人気のない場所へ向かった。今いる場所から歩いて十五分ほどのところにある。
 智也くんと手をつないで歩きながら私は口を開く。
「今日はすごく楽しかった。ありがとう」
「僕もすごく楽しかった」
 彼は笑顔で答えてくれた。その表情に私はほっとするのと同時に嬉しくなった。
    よかった。これで心残りはない。(嘘だ)
 あとは、私が生き残るために智也くんを殺すだけだ。(嫌だ)
 私が生きる選択肢はこれしかない。
 私たちは人気のない廃墟に着いた。そこは三階建てのショッピングモールだった廃墟だった。壁はぼろぼろに朽ち果て、入口には立ち入り禁止のテープが貼ってある。昔、ここで自殺があったという噂があった曰く付きの場所だ。
「ここは?」
 不思議そうに智也くんは辺りを見渡している。
「中に入ろう」
 そんな智也くんのことなど気にせず、私は彼の手を引いて廃墟の中に入った。
「どうしたの?羽素さん」
「いいから」
 ただ前だけを見て廃墟の中を進んでいく。
「どこまで行くの?」
「いいから」
 私にだってわからない。ただ、誰もいない場所へ行きたかった。
 階段を上っていく。真っ暗中でも不思議と足取りははっきりしていた。
 三階まで階段を上がると、重たい扉を開け、屋上へ出た。彼の手を引っぱり屋上の真ん中へ向かう。
 屋上は空に浮かんだ半月が煌々と照っていた。もう夜になっているので空気は冷たい。けど、首に巻いたマフラーのおかげで温かかった。
「智也くん」
 彼の名前を呼ぶ。いつもは胸の奥が温かくなる行為も、今は何も感じなかった。
「羽素さん。こんな所につれてきてどうしたの?」
「うん。誰もいないところに行きたかったんだ」
 自分で言っていて、心の中で笑ってしまう。まるで誘っているみたいだ。
「え? それって……」
 智也くんもそういう想像をしたのか顔が少し赤くなっていた。そんな彼を見て私は不意に衝動に駆られる。
「えっ?」
 智也くんの手を離し、そのまま彼の胸に抱きつく。初めて彼に抱きついた感触は少しだけ固く、とても温かかった。
 雨は降っていない。高架下でもない。
 それでも、いつか見た映画のワンシーンのように胸がドキドキしていた。
 最初は慌てていた智也くんだが、しばらくすると私の背に手を回し抱きしめてくれた。
 心臓の鼓動が聞こえてくるぐらい私たちの距離は縮まっていた。彼の熱がより伝わってきて、不思議と安心する。
   抱きしめられると、こんなに安心するんだ。そう思いながら、このままずっとこうしていたい衝動に駆られる。しかし、そういうわけにもいかず抱きしめた手をほどいた。智也くんも私の背に回していた手を解く。そして、彼の顔を見上げた。目の前に智也くんの顔がある。まるでキスしそうな雰囲気の中、私はくるりときびすを返してすっと離れた。そして、フェンス側に向かって歩く。
「羽素さん?」
「そこで待ってて」
 近づこうとする智也くんを言葉で止める。後ろを向いているためわからないけれど、智也くんはきっと不思議そうにこちらを見ているのだろう。
 最後に彼のぬくもりを知れてよかった。
 これで本当に後悔はない。(嘘だ)
 私は何も言わずに、コートのポケットに入っている二十センチほどの棒状の物を握りしめた。これからこれを使って彼を殺す。(嫌だ)
 せめて笑顔で送るために、私はできる限りの笑みを浮かべる。口元をつり上げ、眉を下げ、私は自分の顔を笑顔にする。鏡はないがきっと笑顔になっているはずだ。なぜか目元が熱いが、私はそんなことは全く気にせずに、智也くんの方へ振り向いた。
 智也くんは不思議そうに私を見ている。頬がかすかに赤いのはさっき抱きしめたからか、寒いからかはわからない。
「どうしたの?」
「うん。ごめん。ちょっと恥ずかしかったんだ」
 適当な言い訳を口にして、私は彼に近づいていく。
 ちょうど手を伸ばせば彼の胸に触れる距離まで近づくと、私は足を止めた。
「羽素さん」
 キスできそうな距離の中、智也くんは緊張した面持ちで私を見つめている。その頬はさっきよりも赤かった。
 私はコートのポケットの中にあるナイフの柄に手をかけた。
 できる限り苦しまないように心臓を一突きするだけ。それで全てが終わる。
 それが私の考えた彼を殺す方法だった。
 智也くんにはできる限り苦しんでほしくなかった。だから、一番苦痛を感じない方法を選んだ。
 心臓の位置はわかっている。後は、そこをよく狙ってナイフを刺すだけだ。
 私はコートから得物を取り出した。刃渡り十五センチのナイフだ。ナイフの刃は月明かりに照らされて光っている。光は小刻みに震えていた。
「え?」
 驚きからか、智也くんは目を見開いた。
 それと同時に、私は一歩前に足を踏み出し、ナイフを智也くんの心臓目がけて突き出した。ナイフが智也くんの身体に刺さろうとする。その瞬間、私は恐怖から目をぎゅっと閉じた。
 掌に柔らかいような、固いような鈍い感触が伝わってくる。
「ごめんなさい」
 自然と言葉が漏れる。
 これで私は生きられる。
 嬉しかった。(嘘だ)
 幸せだった。(嘘だ)
 最高の気分だった。(嘘だ)
 大切な人を殺して。(取り返しの付かない過ちを犯して)
「羽素さん」
 目の前から智也くんの叫び声が聞こえる。それはつまり彼はまだ生きているということ。
 私は恐る恐る目を開けた。
 目の前には血に染まった智也くんの左の掌があった。彼はナイフに向けて左手を突き出していた。
 私は急に全身から力が抜けるのを感じた。ナイフから手を離し、よろよろと後ずさりする。
「あ……ああ……」
 失敗したという後悔と彼が生きていてよかったという安堵が心の中でぐるぐる渦巻いている。智也くんは「うぐっ」といううめき声とともに、ナイフを右手で引き抜いた。ぶしゅっと血が吹き出る。そして、血に染まったナイフをコンクリートの床に投げ捨てた。
「大……丈夫?」
 ポツリと私の口から言葉が漏れる。自分で刺しておきながら間抜けな事を聞いていることにすら、この時の私は気付いていなかった。智也くんはそんな私をいぶかしがることなく、顔を上げた。
「ああ、大丈夫だから心配しないで」
 顔を上げた智也くんは痛みで顔を歪めながら、優しく微笑んでいた。私はそんな彼をぼう然と見つめるしかできなかった。
「羽素さんどうしたの? 何かの冗談?」
 ナイフで刺しておいて冗談はないだろうと思うが、それくらい智也くんは気が動転しているようだった。
 月明かりに照らされた彼の顔は驚愕していた。一体どんな状況なのかまったく理解できていないといった表情だ。それも仕方ないと思う。私が逆の立場だったとしても同じ反応をするだろう。恋人とデートしていたらいきなり殺されそうになるなんて状況、理解できるわけなんてない。
 一方、失敗した私は安堵と恐怖と後悔で一杯だった。
 失敗したということは私がポニアードに殺されるとうこと。そんなことは嫌だった。
 ふと地面に落ちたナイフが目に入る。
 私は死にたくないという一心で智也くんが捨てたナイフを急いで拾った。
「ひっ」
 ナイフを握った瞬間、智也くんを刺したぐにゃっとした感触が掌に広がった。今すぐナイフを放したかったが、死にたくない私は必死で強く握った。今ナイフを離したら私はきっと智也くんを殺せない。そうしたら、私は死ぬしかない。そんなのは嫌だ。今の私を突き動かしているのはそんな身勝手な思いだった。
「羽素さん、何をしてるの?」
 智也くんは私に向かって叫びながら近づこうと動き出す。彼の左手は力なくだらんと垂れ下がっている。血がぽたりぽたりと地面にたれ、血だまりを作っていた。見ているだけで痛々しい。
「動かないで」
 その言葉に智也くんはどう思ったのか。止まってくれた。その顔には戸惑いの表情が浮かんでいる。その視線の先にはナイフがあった。ナイフはこれから人を殺すとは思えないくらい無様にカタカタと震えている。私は両手でナイフをぎゅっと握りしめ、震えを止めた。
「危ないよ」
 智也くんの見当外れな言葉に私は笑ってしまう。
「あはははははははは……何言っているの?危ないのは智也くんだよ。その左手だって痛いでしょう。」
 たがが外れたように狂った笑い声を上げながら、私は言葉を続けた。
「これから私は智也くんを殺すんだよ。ナイフで刺して殺すの。私が生きるために殺すの。身勝手な理由で殺すの。そのために高校の入学式からずっとあなたを追いかけてた。告白したのもあなたを殺すため。付き合っているのもあなたを殺すため。今までの全ては今日あなたを殺すための行動だったの」
 とめどなく言葉はあふれていく。なんでそんなことを言うのかもわからない。懺悔と後悔と恐怖と現実逃避したい気持ちで私の心の中はぐるぐると渦巻いていた。言葉を終えると智也くんの方を見る。彼は私の言葉を黙って聞いていた。その表情は真剣だった。
「羽素さんは僕を殺したいの?」
「……そうよ」
 頷く私を智也くんは鋭く見つめていた。
「嘘でしょ」
「嘘じゃないわ」
「じゃあ、なんで泣いているの?」
「え?」
 そう言われてようやく私は自分が泣いていることに気づいた。涙は頬を伝い、コートにぽたぽた落ちている。
「こちらを振り向いた時からずっと羽素さんは必死に笑いながら泣いていた。ナイフを刺そうとした時も、今だって」
 智也くんは真っ直ぐにこちらを見つめた。
「そんな顔で殺したいとか言われても信じられない」
 その目が彼の思いを雄弁に語っていた。私は絶えきれなくなって目をそらした。真っ直ぐに信じてくれている智也くんの思いに私の心は揺らいでいた。
   彼を殺さないといけない。もう引き返せない。どうしようもないんだ。殺さないと私が死ぬ。死ぬのはいや。
 最初の衝動を思い出す。
 そして、涙をぬぐうとありったけの声で叫んだ。
「私は智也くんを殺さなきゃいけないの。殺さないと私が殺されるの。私は死ぬのは嫌。死にたくない」
 そのまま私は目を伏せ、
「うわあああああああああああああああああああ」
 と、叫びながら智也くんへ駆けだした。そのままナイフを彼に突き出す。心臓を目がけて突き出したナイフは、しかし、空を切った。智也くんの身体の左側にナイフは突き出されている。
「えっ?」
 智也くんは避けていない。避けたのは私だった。
   ナイフが刺さる瞬間、私は身体をひねってその軌道を変えていた。自分でもなぜかはわからない。わからないけど、ナイフが刺さらなかったことにほっとする自分がいた。
「ほら、やっぱり嘘だった」
   智也くんの言葉は、場にそぐわないくらい穏やかだった。
   私は何も言えなかった。
 握っていたナイフが手からこぼれ落ち、からんからんと高い音が鳴り響く。
 次の瞬間、私は智也くんに右手だけで強く抱きしめられた。心臓の音を聞くように、彼の胸に私の顔が当たっている。頬に彼のぬくもりが伝わってくる。血で汚れないように配慮してくれているのか、左手はだらんと下げられていた。
「大丈夫、大丈夫だから」
 耳元で智也くんの声が聞こえた。
 私は何も言えずに、ただ彼のぬくもりを感じていた。


 どれくらいそうしていただろうか。
 彼の胸から頬を離す。名残惜しいような寂しいような気持ちになるが、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。
「ごめんなさい。智也くん」
 取り返しの付かないことをした。謝って許されるものでもない。でも、私は謝らずにはいられなかった。
「いいよ」
 そう言って智也くんはにっと笑った。
「左手痛いよね」
「ううん。大丈夫」 
 智也くんの左手を見ると血は止まっているようだった。しかし、ナイフで刺され穴の空いた掌は痛々しい。
「治療するね」
「うん。ありがとう」
 私はポーチからハンカチとタオルを出して、彼の掌の血をぬぐった。痛むのか智也くんの顔が歪む。
「あっ、ごめん」
「だっ、大丈夫だから」
 智也くんは歪めた表情のまま、口元だけ笑った。ひどく痛々しい。そんな彼を見ていると自分がやったことのひどさを思い知る。
「ごめんなさい」
 もう一度謝る。そして、傷が隠れるようにタオルでくるんだ。
「ありがとう」
 そう言って左手を動かす。
「うん、大丈夫」
 それが嘘だということはよくわかっていた。私に心配させないための優しい嘘だ。
「ごめんなさい」
 何度謝っているかわからない。でも、謝らずにはいられなかった。
「気にしないで。羽素さんが刺したくて刺したわけじゃないんだし」
 でも刺したことには違いない。そして、殺せなかったことには変わりない。
 これから私はどうなるんだろうか。ふとそんな不安が生じる。もし、ポニアードがこの光景を見ていたら、どうするだろう。私は殺されるだろう。では、智也くんはどうなる。私と同じく殺されるだろう。そんなのは嫌だった。
 彼を殺させないためにどうしたらいいか。必死になって考える。
 そんなことを考えていると、
「それより、誰に殺されるの?」
 という、智也くんの声が響いた。
「え?」
 その言葉で私ははっと気づいた。さっき私は何を言ったのだろう。
 思い出そうとするが、気が動転していて思い出せない。それよりも気がかりなことがあった。
 ポニアードは見守っていると言った。つまりこの状況も見られているということ。
 周囲を見渡すが、幸いポニアードはいなかった。そのことに安堵するが、状況はよくなったわけではない。智也くんは私の方を真っ直ぐに見ながら尋ねる。
「君を殺そうとしているのは誰?」
 再度尋ねられる問に、私は何も答えられない。言えるわけがなかった。
「言えない」
「教えて」
「言えない」
 私は首を振った。さっきまで殺そうとしていた私が思うのも変だが、彼に死んでほしくなかった。もし、ポニアードの名前を出したら不用意に彼を巻き込むことになる。それだけは避けなければいけなかった。
「どうして」
「だってだめだから。言ったら智也くんに迷惑がかかるから」
 言ったらきっとあなたが殺されると、心の中でつぶやく。言葉に出して伝えたかった。でも、そんなこと言えるはずなかった。
「それはどういう意味」
「言えない。言えないの」
 私は半狂乱になりながら首を振る。そんな私の肩を智也くんは右手でがっと掴んだ。
「え?」
「大丈夫」
 力強く言われたその言葉に私は彼をじっと見つめた。さっきまでの鋭い瞳とは違う、真っ直ぐな瞳は穏やかだった。
「僕を信じて」
 私はつい智也くんの言葉に押される。智也くんを信じたい気持ちはある。でも、ポニアードをどうにかできるとは思えない。頭の中はぐちゃぐちゃで、どうしていいのかわからない。
「お願いだからもう私にかまわないで」
「どうして?」
「智也くんに迷惑をかけるから」
「迷惑じゃない」
「私は智也くんを刺したんだよ、これ以上あなたを傷つけたくない」
「僕は羽素さんが苦しんでいるところをこれ以上見たくない」
 智也くんの言葉が私の胸に刺さる。できるならその言葉に縋りたかった。でも、そんなことないのはわかっている。私の罪は生きたいと願ったこと。だから、これは私の意志。私が望んでしたことだ。
「智也くん、勝手なこと言わないで。私は最低な人間なんだよ」
「そんなことない」
「何も知らないのに簡単に言わないで」
 私はなぜか声を荒げて、叫んでいた。
「いろんな人を犠牲にして、智也くんまで傷つけた。生きたいって私の勝手なわがままで。最低な生き汚い人間なの」
「生きたいって思うことは悪いことじゃない」
「あ……」
 智也くんの言葉に私は何も言えなかった。
「羽素さんが今までどんな目に遭ったのかわからない。どれだけ苦しかったか、どんな辛い目にあっていたかもわからない。ひどいことをしたかもしれない。でも、それは君の望んだことじゃないだろう。だから、これだけは言える。君は悪くない。絶対に悪くないんだ」
 今までのことを思い出す。地獄のような日々の中で、犠牲にした人がいた。人を殺して生きている自分を許せない自分がいた。それでも生きたいと思う矛盾した自分はどうしようもない最悪な存在だと思っていた。そんな自分を智也くんは悪くないという。
「じゃあ、何が悪いの……」
 私の口から弱々しく言葉が漏れる。
「そんな状況に追い込んだやつだ」
 はっきりと断言する智也くんの言葉が正しいのか私にはわからない。私がした罪が悪くないなんてことは決してないだろう。罪は罪。それは決して揺るがない。揺らいでしまったら私のせいで傷ついた人に申し開けない。でも、それでも、私は冷え切った心が少しずつ熱くなってくるのを感じた。
「それに僕は羽素さんに感謝してるんだ」
「感謝?」
 わけがわからなかった。そんな私に智也くんは優しく語りかける。
「今まで辛かったと思う」
 そこで智也くんは一息ついた。そして、穏やかな声ではっきりと言った。
「それでも、生きていてくれてありがとう」
 その言葉を聞いた瞬間、私は頬から温かいものが流れるのを感じた。
「羽素さんが生きていてくれたから、僕は君に会えたんだ」
 智也くんの言葉で私の心の中に不思議な感情があふれた。何かが救われたような、今まで曇っていた空が晴れ渡ったような気持ちになる。ずっとわからなかった。最低な私は生きていていいのかって。生き汚いだけ、本当は死んだ方がいいのだとずっと思っていた。でも、良かった。生きていて良かったんだ。初めてそう思えた。
 気がつくと私は泣いていた。子どものように涙を流し、嗚咽を漏らし、みっともないくらい泣いていた。そんな私を智也くんはそっと抱きしめてくれた。私は彼の胸の中で子どものように泣いた。
 どれくらいそうしていたかわからないが、私の涙はいつの間にか止まっていた。
「落ち着いた?」
「うん」
 私が頷くと、智也くんは右手でハンカチを差し出してくれた。ハンカチを受け取って涙を吹く。
「ありがとう」
 ハンカチを返すと、智也くんは真剣な表情で私を見つめた。
「羽素さんを殺そうとしているのは誰か教えてくれる?」
 私は答えるか迷う。
 言ったら智也くんに迷惑がかかる。でも、智也くんは僕を信じてって言った。それなら信じるしかない。私は智也くんの勢いに押されて口を開いた。
「それは――」
 その途端、携帯電話が鳴った。音の発信源は私のコートのポケット。携帯電話を取り出す。その画面を見て私は目を見開く。そして、慌てて携帯電話を投げ捨てた。
「何してるの?」
 智也くんが驚いた声を上げている。
「ううん、なんでもないの」
 着信の主はポニアードだった。私は周囲をきょろきょろと見渡す。
 誰もいない。
 見られているわけではない。しかも、わざわざ電話をしてくると言うことは遠くにいるということだろう。
 でも、ここにいるわけにはいかない。急いで逃げるべきだ。どこへ逃げたらよいかわからないが、智也くんと一緒に逃げよう。そう思うが早いが、私は叫んでいた。
「智也くん、私と一緒に来て」
「え?」
 智也くんの戸惑いの声が聞こえる。
「一緒にここから逃げるの」
「どこに逃げるのかしら?」
「わからない。けど、遠くへ行かないと」
「私も一緒に行っていいかしら」
「羽素さん逃げて」 
「え?」
 私は背後を振り向く。そこにはポニアードがいた。
「羽素さんこっちへ来て」
 智也くんが叫んでいるが私は恐怖で足がすくんで動けなかった。
「……なんで……」
 私はぼう然とニコニコ笑っているポニアードを見つめることしかできなかった。
「はぁい。久しぶりね」
 ポニアードはそう言って手を挙げる。
「はっ、はい」
 慌てて私は返事する。私はポニアードに何か言われたら反射的に返事する体質になっていた。しかし、ポニアードは何も言わない。よく見るとポニアードは私を見ていなかった。その視線は智也くんへ向けられていた。
「ねぇ、死神の後継者くん」
「ポニアード」
 智也くんはポニアードをにらみつける。
 その言葉に私は驚く。
 どういうこと?
 二人は知り合いなの?
 死神の後継者って何?
 じゃあ、私が彼を殺さなければいけない理由って何だったの?
 疑問は泡沫のように浮かんでは消え、消えては現れる。
 しかし、何も知らない私は何が何だかわからない。
 何もわからないまま私は智也くんとポニアードをただ見つめることしか出来なかった。
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