ナイフと銃のラブソング

料簡

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第5話

佐坂智也と羽素未世 その1

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 桜が舞う季節に佐坂智也(ささかともや)は羽素未世(はもとみよ)に出会った。
 それは高校の入学式のことだった。知り合いは誰もおらず、広い体育館の中一人でいた智也はふと誰かの奇妙な視線を感じた。見ると、一人の少女がこちらを見ていた。しかし、こちらが見返していることに気づくと、すっと視線をそらす。不思議に思いつつも、智也は彼女を観察した。
 小柄な体型。
 肩に掛かるくらいの短い髪。
 頬は痩せこけて、目にはくまができているようだった。
 その表情には、焦燥と怯えが入り混じっているように見えた。
 その時は、不思議な子がいるんだなとしか思わなかった。
 少女の名前を知ったのは、クラスのなり手がなかった球技大会の準備委員になった時だった。あの時の少女が委員のメンバーにいた。
「羽素未世です。よろしくお願いします」
 はかなげな少女の声は智也の心に不思議と響いた。それから、たまたま二人で同じ仕事を担当することになり、智也は羽素未世と関わることが多くなった。同じ委員の仕事をし、帰る時間が遅くなった時は二人で下校する中で、智也は未世のことを知っていった。また、偶然にも、友人である時岸帆文の彼女の草川鈴恵が羽素未世と友人だったことも彼女のことを知る大きな要因になっていた。こうして二人の距離は少しずつ縮まっていった。
 秋が深まってきたある日のこと、智也は下駄箱に一通の便せんが入っているのに気づいた。宛名も差出人の名前もない便せんを不思議に思いながら、智也は中身を見た。そこには「放課後、体育館裏に来てください。待っています。」と丁寧な字で書かれていた。
 これって羽素さんの字っぽいけどなんだろう。
 記憶から字の主を想像する。何の用事かわからないまま智也は体育館裏へ向かった。体育館裏には想像通り、未世がいた。智也は未世に気がつくと、彼女のもとへ駆け寄った。
「手紙って羽素さんだったんだ。用事って何?」
「きっ、来てくれて、ありっ、ありがとう」
 未世の声は震えていた。
 智也はどうしたんだろうと不思議に思いながら未世を見る。しかし、彼女は何も言わずに顔を伏せていた。
「どうしたの?」
 不思議に思いながら智也は未世に声を掛ける。未世はあわてて顔を上げた。なぜかその頬は赤かった。身体は小刻みに震え、緊張しているようだった。どうしたのかわからず声をかけようとすると、未世は震える声で叫んだ。
「ずっと好きでした。付き合ってください」
 告白だった。そういうことに疎い智也でもわかるようなストレートな告白である。飾り気も、ひねりもない。ともすれば安直な告白だった。しかし、ただ、震える声で一生懸命発せられた言葉に、智也は彼女の思いの強さを感じた。
 女の子と付き合ったことのない智也は少し悩んだが、羽素未世ならいいやと、その告白を受けることにした。告白を受けた時の未世の表情を智也は今でも覚えている。彼女はまるで命が助かったかのようにほっとしていた。彼女のその表情を見られただけで智也はこの告白を受けて良かったと思えた。
 こうして智也と未世は付き合うことになった。


 佐坂智也はいつも通り目覚ましの鳴る前に目を覚ました。
 時刻は六時になる五分ほど前だった。
 部活もしていない高校生が起きるにしては早すぎる時間帯である。身体を起こすと、布団にくるまりたい衝動を押しのけてベッドから降りる。そして、ハンガーに掛けておいた制服に着替えた。
 着替え、終えると智也は部屋を出る。廊下に出ると朝のひんやりとした空気がけだるい身体を包みこむ。一瞬、布団に帰りたい衝動に駆られるが、智也はそれをぐっと押さえこんで台所へ向かった。
 無人の台所はそこが団欒の場所であることが嘘のように静まりかえっていた。中には昨日タイマーをセットしておいた、お米の炊きあがる香りが充満している。
 ストーブをつけ、暖をとる。しばらくの間身体を暖めてから、智也は冷蔵庫の中を確認した。中にある色とりどりの食材を眺めてからいくつかを取り出す。寒鰆の切り身、昨晩身を身をほぐしておいた鮭、きゅうり、豆腐、ねぎをステンレス台の上に並べ、最後に使い慣れた包丁とまな板の準備に取りかかった。
 智也は彼が居候させてもらっている十和家の炊事をすべて任されていた。すべてと言っても、家主の十和と智也の二人分だけである。十和から聞くところによると他にも住人がいるようだが、智也は一度も見たことはなかった。
 料理は智也にとって一番の趣味だった。もっとも興味があり、もっとも腕を磨きたいものであり、自分自身で極めてみたいと思う唯一のものだった。ゆくゆくはそれを将来の仕事にしていきたいと思っているほどで、それはもはや趣味というより生き甲斐といえるほど智也にとっては、大事なものだった。だから、炊事のすべてを任されることは苦ではなかったし、むしろ、その条件を家賃代わりに十和家に住まわせてもらっているので智也は幸運だと思っていた。
 智也は慣れた手つきで食材を調理していく。まな板の上にはきれいに切られた材料が並び、鍋からは美味しそうな香りが漂っていた。
 ダイニングテーブルには徐々に二人分の朝食が並べられ、キッチンのステンレス台の上には朝食のメニューを少しアレンジしたものを入れた茶色いお弁当箱が置かれている。
「ふぁーあー」
 料理が出来上がる頃、ダイニングに別の男の声が響いた。智也は最後の仕上げである味噌汁の入った鍋をかき混ぜる手を止めずに声だけで答える。
「おはよう、十和(とわ)。今日は早いな」
「おはよ」
 台所に入ってきたのは、ぼさぼさの髪に顎髭を蓄えた男だった。男はあくびをかみ殺しながら、右手に持った新聞紙をテーブルの上に置く。十和と呼ばれたこの男はこの家の家主である。
「朝から仕事が入ってな」
 気怠げに言って十和は椅子に腰掛けた。
「仕事って探偵の?」
 味噌汁をかき混ぜながら智也は顔を上げる。
「そっ。迷子犬探し」
 十和はやる気のないことが明らかに見て取れるような覇気のない声で即答すると、新聞を開け一面から読み始めた。
「また、地味な仕事だな。探偵ってのはもう少し格好いいものだと思っていたけど」
 味噌汁の火を止めながら、呆れ声で智也は応える。そして、味噌汁の味見をするためお玉で一口含むと味付けに満足したように頷いた。
「そういうのは映画やテレビ中だけの話。実際は迷子犬探しと浮気調査だけの冴えない仕事にすぎないよ。収入も安定しないし、恨まれるし、いいことはほとんどないね」
 投げやりな十和の言葉を聞きながら、智也は味噌汁をお椀によそっていく。
「夢のない話だな」
 ため息混じりに言って、智也はよそった味噌汁を十和の前に置いた。お椀からは湯気と共に味噌と出汁の合わさった朝餉の芳醇な匂いが広がる。その匂いを嗅ぎながら十和は新聞を畳んだ。
「現実はそんなもんだ」
 そう言って、十和はダイニングテーブルの脇に新聞を置いた。そして、目の前の朝食の匂いに喉を鳴らす。そんな十和を横目に、智也はダイニングテーブルの上に食器を乗せた。
「お待たせ。それじゃあ、ご飯にしよう」
 冷たい空気の中に暖かい湯気を上らせながらできたての朝食が智也の手によって並べられる。献立はご飯とほぐした鮭のふりかけ、豆腐とわかめの味噌汁、寒鰆の味噌漬け、きゅうりの浅漬けと純和風で占められている。
 智也は基本的に興味の持った物は何でも作るが、朝は和風にするというこだわりをもっていた。
「毎回思うけど、高校生でこれだけ作れるのはすごいな」
 並べられた朝食を見ながら十和は感嘆の声を上げるが、智也はあっさりとした様子で頷く。
「別にこれくらいなら一時間もかからずできるし。それにお弁当も作らないといけないし。手間は変わらないよ」
 机の上にお弁当があるのを見ると十和は頷いた。これは智也のお弁当で、十和はいつも外食だった。曰くせっかく作ってくれても、探偵という仕事上、食べられるかわからないからお昼はいいということだった。
「いただきます」
 二人同時に言って、十和と智也は互いに箸を手に取った。
 まず、十和は味噌汁を口に含む。すると、途端に何かに気がついたように眉をひそめた
「これもしかして味噌変えた?」
「ああ、豆味噌から麦味噌に変えたんだけどよくわかったな」
 智也は驚いた様子で十和を見た。
「豆か麦かはよくわからないけど、いつもと少し味が違ったからね。断然、今日のほうがうまいよ」
「そっか。よかった」
 美味しそうに味噌汁を飲み干す十和の言葉に智也は満足げな笑みを浮かべた。
「他のはどう?」
 料理を作る側の人間なら一番気になる質問を智也は口にする。そんな智也に十和はご飯を食べながら目だけを向けた。
「うーん、ちょっと鰆のみそが効き過ぎな気がする。これだと鰆の味があまりしない」
 十和の指摘に智也はなるほどと頷いた。料理を本気で取り組んでいる智也にとってこのような指摘はうれしかった。それが出汁の味を判断できるような確かな舌を持つ人間のものならなおさらである。
 智也は十和の言葉を受けて、鯖を食べる。
 言われてみると確かに味噌の味が強い。
 鯖を二口食べて、ご飯を食べる。
 ご飯にはちょうど合うけど、これだけだとあんまりか。じゃあ、次は味噌の味を抑えて、魚の味がしっかり出るように下ごしらえをしてみたらどうなるだろう。
 魚を食べながら、次の献立を考える。その口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
 こうして智也と十和の朝食の時間は過ぎていった。


 朝食が終わると智也は学校に向かった。
 通学はいつも歩きで、通学時間はだいたい二十五分くらいかかっていた。学校に近づくと、智也は目の前にある約二キロの坂、通称地獄坂を見上げて智也はいつもようにため息をついた。体力はあるほうなので、苦ではないのだが、この急な坂だけは気が重かった。周りには制服にコートやブルゾンを着た生徒が歩いている。どの生徒も朝から白い息を吐きながら坂を上っている。朝練習のない生徒たちが登校する時間だが、ほとんどの生徒は部活動に入っているので人数は少なかった。
 何とか坂を登り切り、宮下高校(みやしたこうこう)と書かれた校門を歩いて抜けると智也は見知った顔を見つけて声を掛けた。
「おはよう。文、鈴恵」
 智也の声に気づき、男の子と女の子が振り向く。
「おはよう。智也。今日も寒いね」
 赤いアンダーリムの眼鏡をかけ、くまのぬいぐるみのキーホルダーがついた手提げ鞄を持った小柄な少女がにこやかにあいさつする。草川鈴恵(くさかわすずえ)だった。
「おはよ」
 対照的に、髪の毛を立てたがたいのよい男子は眠たいのかそっけなく挨拶する。彼の名前は時岸帆文(ときぎしほぶみ)といった。二人は智也の友人だった。
「今日は二人一緒なんだ」
 珍しそうに智也は声を上げる。いつもはたいてい図書委員会の仕事がある鈴恵が先に来ていて、帆文が後から来ることが多かった。
「うん。今日は図書当番変わってもらったから」
 鈴恵が嬉しそうに答える。
「へぇ。よかったじゃん」
「よかったね。文くん」
 振られた帆文は気がないような表情でこくりと頷く。
「むー、嬉しくないの?」
「ウレシイデスヨ」
「気持ちがこもってない」
 そんな二人のやりとりを智也は苦笑交じりに眺める。
 付き合っている二人はこうしてたまにいちゃつくことがある。最初は智也もどうしたらいいのか戸惑ったが、ほっておけばもとに戻ることがわかったのでもう気にしなくなった。
「今日は来ているといいね」
 不意に鈴恵が智也の方を向く。智也は一瞬何のことかわからなかったがすぐに理解し、頷いた。
「そうだね。昨日もお休みだったし」
生徒昇降口に着くと智也は五組の下駄箱で靴を履き替えた。帆文も同じく五組で、鈴恵は三組だった。智也は三組の下駄箱を見る。そして、小さくため息をついた。
 羽素さん今日も休みなのかな。どうしたんだろう。
 智也は未世の下駄箱を見ながら、最近付き合い始めた彼女のことを思った。


 午後の授業を終えて放課後になると、智也は昇降口へ向かった。
 結局、羽素未世は欠席だった。体調不良でお休みらしい。昼休みにそのことを知って、メールを送ったが未だに返事はなかった。
「今帰り?」
 背後から声を掛けられ、智也は振り向く。そこには手提げ鞄を持った鈴恵がいた。
「未世ちゃんは欠席だったね」
「うん」
「明日にはきっと来るよ」
 鈴恵は慰めるように言うと、智也の肩をぽんと叩いた。
「久しぶりに今日は三人で帰ろう」
 鈴恵の提案に智也は頷く。それから校舎を出ると、帆文が待っていた。
「あれ? 智也も一緒?」
「うん。ナンパしちゃった」
 明るく、冗談めかして言う鈴恵に、帆文は「そうか」と頷いた。
「じゃあ、帰ろう」
 鈴恵の言葉で三人は歩き出す。智也は未世と付き合う前にはよくこうして三人で帰っていた。きっかけは何だったのか忘れてしまったが、たまたま同じクラスの帆文と知り合い、そのまま帆文の彼女である鈴恵とも知り合った。おかげで今では二人とも智也にとって大切な友人になっている。
「もうすっかり寒くなったね」
 羽織っているコートの裾を握りながら鈴恵は身体を震わせた。口から漏れる吐息は白い。
 帆文はそんな鈴恵を見ながらしみじみとつぶやいた。
「もう十一月だしな」
「もうすぐ期末テストの時期だね」
 帆文の言葉に鈴恵はぽつりとつぶやく。
「嫌なこと思い出させるなよ」
 智也の落ち込んだ表情がさらに落ち込む。智也は勉強が苦手だった。中間テストも帆文と鈴恵の力を借りてなんとか乗り切っていた。そんな智也を見て鈴恵は慌ててフォローした。
「でも、テストが終わったら十二月だし。クリスマスもあるよ。智也は未世ちゃんと一緒に過ごすんでしょ。なにか予定を立てたりしないの?」
 鈴恵は両手を胸の前で合わせて、笑顔浮かべる。
「クリスマス……まだそんな話はしてないけど。文と鈴恵はどうするの?」
「俺たちも特にまだ決めてないな」
「そうだね。文くん何かしたいことある?」
「うーん、最近行ってないし。カラオケかな」
「あ、いいね」
 帆文と鈴恵は二人で盛り上がる。
「へぇ、二人でカラオケとか行くんだ」
 智也は意外そうな声を上げた。
「智也は行かないの?」
「行ったことない。面白いの?」
「うん、楽しいし、歌うと気持ちいいよ」
「そうなんだ。二人はどんな歌を歌うの?」
「俺はロックバンドの曲が多いかな」
 帆文は考えるように宙を見つめながら答える。智也はその言葉に、帆文は中学の友人と共にバンドを組んでいると言っていたことを思い出した。
「そうなんだ。鈴恵は?」
 智也は納得したように頷くと、鈴恵の方を見た。
「私も」
「え?」
 鈴恵の智也は驚きの声を上げた。その反応に鈴恵はムッと口をつがらせる。
「えって何?なんで文くんの時と反応が違うの」
「いや、意外だなと思って」
 そう言いながら、智也は鈴恵を見る。大人しそうな鈴恵が激しいバンドの曲を歌っている姿は想像がつかなかった。
「智也ひどい」
 鈴恵は泣いているとうに目に手を当てた。
「そうだ、謝れ」
 帆文も悪のりして、智也にするどく言い放つ。
「え? そういう流れなの……ごめん」
 よくわからないまま智也は頭を下げた。
「わかればよろしい。でも、智也はわたしがどんな曲を歌うと思ったの?」
 頭を下げる智也の姿を見て、鈴恵はまた笑顔に戻った。そして、ふと気になったように尋ねた。その質問に智也は「うーん」とうなった。そもそもあまり音楽を聞かないから、曲なんて知らなかった。知っている物と言えば、有名なものくらいだ。その中から鈴恵に似合いそうなものを思い浮かべる。そんな時、鈴恵の鞄についているキーホルダーが目に入った。
「……森のくまさん」
 ぼそっと放たれた答えに鈴恵はショックを受けたようにうなだれていた。帆文は横で爆笑している。
「え? 変だった?」
「いや、いいよ。確かに似合うな」
「文くん、ひどい」
 鈴恵は怒ったように帆文をぽかぽかと叩く。
「でも、くま好きだろ」
「好きだけど、それとこれとは違うの」
 帆文はまだ壺に入っているのかまだ笑っていた。智也はそんな二人の様子をきょとんと見つめている。
「もう、この話はおしまい」
 最後は強引に鈴恵が話を切った。
「おしまいで良いけど、元々、何の話をしてたっけ」
 智也の言葉に帆文が答える。
「確かクリスマスの話じゃなかったか」
 その言葉に思いしたように智也は頷く。
「じゃあ、二人は去年のクリスマスって何かしたの?参考までに聞きたいんだけど」
「去年かぁ。楽しかったね」
 しみじみと思い出すように鈴恵はつぶやいた。そんな鈴恵に帆文すかさずつっこむ。
「去年は受験が近いからって一緒に勉強してなかったか」
「クリスマスなのに?」
「うん。まあ、いろいろと事情があったんだ」
 鈴恵は智也と帆文を全く気にせず一人思い出をかみしめるように語り出す。
「文くんと一緒にするの楽しかったなぁって思って」
 しみじみとした語り口調で、嬉しそうな笑顔を浮かべる。そんな鈴恵を智也と帆文はただ黙って見ていた。
「文くんは手取り足取りいろんなことを教えてくれたなぁ……」
 鈴恵は思い出を振り返りながらうっとりとした声を上げた。智也は半眼で帆文を見る。
「ねぇ、文。クリスマスに何の勉強していたの?」
「確か理科だったと思う。俺の記憶だとだけど」
 帆文は冷静に答えた。
「じゃあ、手取り足取り何していたの?」
 智也はまだ半眼でじっと帆文を見ている。
「手も取ってないし、足も取ってない。ただ勉強していただけなはず……。俺の記憶だと……だけど」
 自信が無くなってきたのか帆文の言葉は徐々に歯切れが悪くなっていった。智也は半眼のまま鈴恵の方に目をやる。鈴恵はまだ思い出に浸っていた。
「文くんは何も知らなかった私にいろいろな物を見せてくれたなあ」
「ちなみに、何を見せたの?」
「参考書……俺の記憶だとだけど」
 そこでようやく智也は半眼を解いた。
「じゃあ、これはつっこんだほうがいいの?」
「いや、ほっといていい。すぐ戻ってくるから」
 帆文の言葉通り、鈴恵はすぐに戻ってきた。
「だから、彼女からしたら一緒にいるだけで楽しいんだよ」
「あっ、そうまとめるんだ」
 智也はとまどいながらも、とりあえず頭を下げた。
「全く参考にならなかったけど、ありがとう」
 智也の皮肉に鈴恵は「どうしたしまして」と笑顔で返した。そして、はっと思いついたように声をかける。
「そうだ。この前、未世ちゃんと映画見に行ったんだよね」
「うん」
 鈴恵の言葉に智也は頷く。
「どうだった」
「よかったけど」
 鈴恵の言葉に智也は浮かない表情を浮かべた。
「どうしたの?映画面白くなかった?」
「いや、それはよかったんだけど……」
 智也はしばらく悩んでいたが意を決して口を開いた。
「……デートってどうしたらいいかなって思って」
 帆文と鈴恵は質問の意味がわからず二人で顔を見合わせる。そして、帆文が尋ねた。
「それはどういう意味?」
「これでいいのかなって思って」
 鈴恵も口を開く。
「どんな感じなの?」
「一緒に映画見て、いろいろ話して、帰ったかな」
「普通のデートだよね」
「そう思うな。まあ、一緒にご飯を食べてもいいかなとは思うけど」
 智也の言葉に二人はうんうんと頷く。
「そっか」
 頷きながら、智也はため息つく。そんな智也に鈴恵は不思議そうに尋ねた。
「何が不安なの?」
「羽素さん楽しんでくれたかなって思って」
「うーん。よくわからないけど未世ちゃんがつまらないっていっていたの?」
「そうじゃないんだけど」
「じゃあ、デート中につまらそうな顔をしていたとか」
「それも違う」
「じゃあ、どうしてそう思ったの?」
「初めてのデートだったからちゃんとできたかなって思って」
 そこで初めて智也はこの悩みの核心を口にした。智也の言葉を聞いて、帆文と鈴恵は一瞬顔を見合わせるが、すぐに二人で笑い合う。
「智也は未世ちゃんが好きなんだね」
「え? ……うん」
 智也は恥ずかしそうに頷く。
「逆の立場だったとして、智也は気にするか?」
「気にしないけど」
「じゃあ、いいじゃんか」
「いいんだけど。良くない気がする」
 うまく言葉にできないことに智也はいらだっていた。
「じゃあ、ちゃんとできるように準備をして、計画を立てればいい。智也だって料理は準備が大事ってよく言ってただろう。それと同じ」
 帆文の言葉に智也は首をかしげる。
「準備って?」
「例えば、羽素の好きなことやものを調べてそこに行くとか」
 思案するように宙を見つめながら帆文は答える。
「羽素さんの好きなもの……」
 そう考えて、智也は悩んだ。
「何が好きなんだろう、鈴恵は知っている?」
「うーん、紅茶はよく飲んでいると思うけど」
 今までの未世といたときのことを思い出す。確かに、彼女に手元に紅茶のペットボトルがよくあった。
「あー、確かに」
「そうやって好きな人の好きなことを見つけるのも楽しいよ」
 満面の笑みで言う鈴恵に智也は顔を上げた。その表情は先ほどとは打ってかわって晴れやかになっている。言いようのない胸のつかえはもう取れていた。
「あと、智也の得意なことを活かしたら」
「得意なこと?」
「そう。料理が得意じゃない。お弁当を作ってあげたら。きっと喜ぶよ」
「お弁当か……」
 智也はお昼の光景を思い浮かべる。未世が学校にいる時は、彼女とお昼を一緒に食べていた。しかし、彼女は小食なのか、いつもおにぎりやパンを一つくらいしか食べていなかった。食べている姿はまるで小動物が餌を食べるようにもさもさと食べていてかわいいと智也は思っていたが、無表情なので美味しそうに感じているようには見えなかった。そんな彼女に自分が作った料理を食べてもらって、美味しいと言ってもらえたらどんなに嬉しいだろうと思う。
「今度、言ってみようかな」
「うん。きっと未世ちゃんは喜ぶよ」
 それからたわいもない話をしていたが、智也は夕食の買い物をするために二人と別れた。帰りは夕食と次の日のお弁当の材料を買うためにスーパーに向かうのが智也の日課だった。
 スーパーへ向かう途中、未世からメールが返ってきた。
『熱があって休んだんだ。もうよくなったから大丈夫。明日は行けるよ』
 智也はメールが返ってきたことにほっとすると、すぐに返信した。
『よかった。今日も寒いし暖かくしてお大事にしてね』
 行きつけのスーパー「オオスギ」に着くと、かごを手に取り、今夜の夕食を何にしようか考えながら店内を歩き始めた。生鮮食品から始まり、肉や魚、その他のものと順番に回る。智也は作るものを決めてから買うのではなく、店内を一通り見てから作るものを決めるタイプだった。店内を回り終えると、特売品をチェックしながら何を買うか考える。
 あと今日、安くなっているものは何かと見ていると、白菜と豚肉が安かったので買い物かごに入れた。偶然なのか白滝も月間セールで安かったのでかごに入れる。
 確かねぎ余っていたし、この流れだとどう見ても今晩は鍋になるよな。
 かごの中身を見ながら智也は、厚揚げやえのきと鍋に足りないもの入れていく。
 あとは、何鍋にするかだな。
 鍋の素を見ながら考えた結果、ちゃんこ鍋にすることにした。
 会計を済ませ、エコバッグに商品を入れると辺りはもうすっかり暗くなっていた。
 早く帰って夕食を作らないとと思いながら急いで家路につく。
 これが佐坂智也のいつもの放課後だった。
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