ふくろぶ

shijima

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 久しぶりに見た朝焼けは悲しく、そして力強かった。
 どうか、この朝焼けのように悲しみがあっても強く生きてと願うばかり。
 
 2200年現在。未来をよりよくしようとした、先人たちが様々な規律を決め、裁き、そして破壊してから100年が経った。善意でありながら、破滅へと向かうそれは端から見たらとても滑稽な姿であっただろう。しかし、その中に生を受けた人々にとってはあまりにも過酷な時代になった。
 政府は、2100年に風紀を憂いて風俗という概念を消した。
 だがそれは裏目に出る。多くの者が反対し、異を唱えても、役人には届かず、結果として最悪の自体を巻き起こした。
 性犯罪の助長ーー。風俗店があることによって幾らかの抑止力、というよりも発散する場所があったため性犯罪が少なかった、といっても過言ではない。それを認めず、うわべだけで施行した結果が多くの過ちを犯してしまった。その被害者になった男女は表にでず影のように、ひっそりと生きて行くしかない。そしてまた、多発する犯罪を嘆いた国は風俗という単語を使わず、代替品として「サロン」を設立することにしたのだった。
「サロンは、犯罪を抑止する大切な機関」と国をあげて謳っているが、その機関で働く多くの者は性犯罪で生まれた子ども達である。
 彼らは親に疎まれ、世間から追い出され、自分で生きる力もないまま路上で生活をする人も少なくない。そんな彼らを政府はいい手駒として利用する。反対意見もあるが、無力な子どもが自立するためには、サロンで働く以外の道はないのである。
 ここ「ローレライ」で従事する大半も同じような生い立ちだ。彼らは周囲から疎まれながら成長し、生活しなくてはならない。行き着く先はサロン以外に考えられないのである。中には、幸せな家庭に生まれながらこのような場所を選ぶ変わり者もいるがそれらは異端と呼ばれ結局のところ、同類として扱われてしまう。

依小いお様、本日新しく店に入るものが……」
 依小様、と呼ばれたのは、豪奢な髪飾りをあしらえた14ほどの少女だ。彼女は呼ばれた方を向き「わかった」と一言だけ言い残すと元の向きに戻る。年齢のわりになんとも傲慢そうな返事であるが、呼びかけたものも気に留めず「失礼いたします」とその場を去っていった。
「また1人、哀れなものよ」
 依小はそう独りごち、手近にあるキセルを燻らせる。彼女の瞳は、霧で覆われたサロン街の陰鬱とした景色を映している。

「まーーーーーーーなぁ」
 サロンで働く女の子、通称ヒメの1人である、亘理わたりが間延びした声で呼ぶ。
「なに?」と、返す側は幾分がクールな印象である。
 真魚まなは、ローレライで働いて、一年半ほどである。亘理と同期であり、年齢も近いため、一方的に亘理が懐いていた。
「さっきぃ、お客さんからお菓子もらったのー! 真魚にもあげるー」
 ありがと、といって両手いっぱいの飴と洋菓子を渡される。もらいながら亘理を見てみると、いつもよりご機嫌だ。「なんかいいことあったの?」申し訳程度に世間話をしようと努力している真魚は亘理の機嫌に興味はないが聞いてみる。真魚がこうやって聞いてくれるのは珍しいものである。だが単純な亘理は深く考えずに「このあとのお客さん、好きなんだよねぇ」と嬉しそうに答える。
 客を好きになる……真魚にとってはあり得ないことだが自分とは違う感情が豊かな亘理は、それだけでご機嫌になる出来事なんだな、と冷静に判断した。
「そっか、よかったね」
「うん! たまに真魚ちゃんもご機嫌なときあるよね。確か、伏見ふしみさんが来たとき!」
 普段からそれほど表情が変わらない真魚はその言葉に驚く。「私、嬉しそうにしてる?」と思わず聞いてしまうくらいには。
「うん、あんまりわかる人いないかもだけど、なんか嬉しそう。だから真魚ちゃんは伏見さんが好きなんだなって思ってるよー」真魚が欲しい答えを言ってすぐ、あ、時間来ちゃうから行かないと! じゃまたねー。なんて一方的に言って自室へ戻っていった。
 亘理の言葉に一瞬、心を見透かされたのかと焦った。「……伏見……」
 亘理が言ったような「ご機嫌」と質は違うが、彼が来るとほんの少しだけ気分がよくなるのは事実だ。真魚はやらなくてはならないことがある。そのために、伏見という男の存在が必要だからだ。
 逆を言えば、彼が来ないと困ったことになる。真魚の願いが叶えられないからである。そのため、伏見が来た日は安堵のような、目的に対して一歩前進したかのような気持ちになるので、気分がよくなる。

 ローレライの営業時間は、午後7時から午後10時までだ。この時間の間であれば目的のヒメを指名できる。そのあとは朝までコースの人もいれば、帰宅する客もいる。真魚の目当ての男は後者だった。真魚を指名してから1年の間は一度も泊まったことがない。
 泊まりシステムを知らない訳でもないのだが、泊まろうとはしなかった。客の中でも家庭を持たない者の多くは泊まりたがる。一夜の夢をみたいからだろう。また、それなりに資産がある人間が多いからか。
 いづれにせよ、伏見は一度も泊まらない。家庭があるという話は聞いていないため、仕事の都合か他に何かしら理由があるからかは定かではない。真魚としても、泊まられて情が移ってしまうのも避けたいので、現状のままを願うばかりだ。
 真魚の出自はサロンに在籍する多くのスタッフと変わらず、望まぬ子であったと記憶している。
 母親の思い出は、皆無に等しかった。
 2、3歳のときに彼女は帰らぬ人となる。記憶の中の母親はどこか儚く、いつか消えてしまうのではないかと子どもながらに感じたものだ。
 幼くして母親を失った真魚は、犯罪で生まれた子ども同様に施設に入った。真魚も同じ境遇だからと思い、それに対して何も感じることはない。生まれたときから父親がいないというのは=「性犯罪で生まれた」(そういうことだ)からだ。
 施設で育った以上、早く自立しなくてはならない。優秀であれば、大学に奨学金などで通えたたかもしれないが、それよりもやりたいことが真魚にはあったのだ。
 真魚は、早期からアルバイトなどをしてはいたものの、稼ぎが多い訳ではないため、1日を過ごすのに必死だった。18を過ぎてからは、サロンに出入りするようになりローレライにたどり着いた。
 ローレライの楼主は他のサロンの楼主と異なり、年端もいかない少女だ。そのくせ不遜で、理知的な風格を持っている。そんな彼女だったからこそ、ここにいれば衣食住は心配いらないと安心できた。そんな楼主に対し面接で「私はやりたいことがあります。そのために、サロンで働いています。」と言い、返答は「働いて稼いでいるなら何も言わない。」という突き放したものだった。
 真魚としても突き放してくれた方が都合がいい。事情を根掘り葉掘り聞いて来るような楼主もいるが、彼女はそれをせず「やることさえやっているのであればいい」と言ってくれた。サロン街にはよくあることなのだ。事情がある者や腹に一物抱えている人間たちが。
 
 お目当の人物である伏見真尋は真魚の客であり、真魚の目的に関する人物だ。ローレライで働いて程なくして、真尋はこのサロンにやってきた。と言っても、もともと様々なサロンに通っているため、サロン街であればいつか出会えると思っていた。入ってすぐに会えたのはは幸運と呼ぶべきだろう。
 今日も伏見が来るはずだ、真魚は頭の中でカレンダーを思い浮かべた。伏見は決まって水曜にサロンにやってくる。仕事柄なのか、家の事情なのかはわからないが、特別な用事がない限りは決まってやって来る。その日以外はサロンどころかこの近辺で見かけない。
 ローレライは風俗店の一つであるが、客との関係は自由になっている。客に恋をしたり、愛情を求めたり……そこらへんは個人で決めていいのだ。もちろんそんな感情を持たなくても良い。
 どちらかといえば後者の人間が多いのは、その出生に理由があるかもしれない。それでも、自身が生きていくためにはサロンで働かなくてはならないため、客を使って店を抜け出そうと考える者も少ないのだろう。
 中には夢を持って働く者や、目標を持つ者もいる。楼主はできる限りその気持ちを尊重しているように見える。あくまでも真魚の見解として、だが。そのおかげで、真魚も深く詮索されずに目的があると言ってもそれ以上聞かれなかった。
 冷たい、と感じる人もいるかもしれないが真魚としてはこれ以上ないほどやりやすい。自分の目的に早くたどり着ける職場だ。
 自分の目的を頭に思い浮かべながら、このサロンについて考えていると、案内のスタッフからドア越しに声がかけられた。「伏見様が到着いたしました」と。
 心待ちにしていた目的の人物が到着したことで、今まで考えていたことを一旦頭の外へ出し、ひとまずは接客を一番に考えようと切り替えた。
 
 伏見真尋は、20歳からサロン通いをしている。
 性欲が強いから、女性と遊びたいから、と言った理由ではない。もちろん、可愛い女の子を見ると癒されるし、恋愛感情を持たないわけではない。基本的な遊び方として、サロンの女の子と話すのがメインだ。それも、自分より年下限定である。サロンがどのような場所かも知りたいが、過去にサロンで働いていた女性の行く先が知りたいという理由もある。彼は、ずっと探している人がいるのだ。過去にサロンと関わりのある「咲良」という女性を。
 彼はいまだにその女性を探し出せていなかった。情報が少なすぎるのである。また、公に人を探せる場所ではないため「この人知りませんか?」なんて聞いた日には苦情どころか出禁になってしまう恐れもある。サロンでの人探しはデリケートな問題なのだ。
 サロンはデリケートな問題が多々ある。もちろん働くスタッフたちの出自はもちろんのこと、彼らが辞めた後や、サロン街から消えたことも。「身請け」のように誰かに買われたとしても、それが決して幸せであるとは言い難い。嫌になって「足抜け」のように飛ぶこともあるが、その場合は結局働き口がなく、生きられないためどこかで無縁仏よろしく無残な死を迎えている可能性もある。また、出戻りになったとしても、信用されないため元いたサロンで働くこともできず、結局のところランクが下がり扱いもぞんざいなサロンと言えないくらいひどい店に行かなくてはならなくなる。
 そんな人の話を好んでしようとする輩も少ない。サロンは対外的には「高級で格式のある店」と謳っている。そのため店の方針に反したり、変な噂を流したりするスタッフを放置はできない。どこから漏れるのかわからないが、そういった話を面白おかしく吹聴したスタッフが翌日から見えなくなることもあるくらいだ。それらを経験則で知っている優秀なスタッフは、下手なことを言わないのが自分の身のためと思い、口を噤む。
 情報収拾がうまく行かないのは承知の上で、粘り強く真尋は通っていた。もともと見つかるとは思っていない人物だ。サロンに所縁のある女性だが、それを知っている人がどれだけいるかわからない。それでも、藁にもすがる思いで通っている。
 真尋はサロン通いができるように、それなりに収入が持てるようにしてきていた。自分の生涯の目標としても良いだろうと思っている。行方不明になった女をこの時代探すのは難しいのは承知の上だ。警察や探偵のようなものに頼っても無駄だ。サロンは不可侵領域とも言える。そのため情報が欲しければ自分で掴み取るしかない。高校生になってから、ネットで稼ぐようにした。もちろん、変なものに手は出していない。喜ばしいことに真尋には一種の才能があり、パトロンと呼べるような人を侍らすことができるほどだ。
 真尋は、別名義でデザイナーをしている。固定ファンも多く、新作を出したらすぐに拡散され、我先にと欲しがる人が多い。手先が器用でよかった、と常々感じている。おかげでこうやってサロンに毎週通うことができるのだから。
 真魚ちゃん、と最近指名している女の子の名前を呼ぶ。真魚はその呼びかけに反応して、ヒメの持つ柔らかい、呼ばれた相手が自分が恋人なのでは、と錯覚させるような笑みを見せた。
「こんばんは、伏見さん」
 真尋から見た真魚は、ヒメにしては珍しいタイプだ。何か目標があるようだが、それについては今の所教えてもらえていない。だが、話していて楽しいし、他の子より知識が豊富だ。真尋にとって、とてもありがたい。できる限り早く真尋も情報が欲しい。
「今日も真魚ちゃんと話したくて来ちゃいました」
 あくまでも情報を集めたいから、とは言ってはいけない。
 相手に真意を悟られることなく、拾わなくてはならないのだ。女の子と話すのが好きな男、それでいい、そう思われた方がいい。それでいて、サロンで働く女の子のことが気になっている、または次の作品に繋がる何かが欲しいと思わせておきたいところだ。
 真魚と自分の年齢は8つほど離れている。向こうからしたら、サロンで話をして帰るだけの「楽な客」であることに間違いないだろう。他の客と違って体を使わなくていいのだ。
 本来のサロンはそういった目的を発散させるための場所だ。そのため各部屋には防音設備が施されている。何か危険があったときはどうするのだろう、と一度聞いたら非常用の呼び出しボタンがあると教えてもらった。
 店には腕に自信のあるスタッフも在籍している。
 ここの楼主についても聞いたことがあった。年齢は不詳だが、見た目からするといいとこ14、5くらいらしい。確かに若い印象がある。年齢もそうだが、女性が楼主というのもサロンでは見かけない。ここの楼主は様々な憶測が飛び交っている。彼女が楼主であることに納得できる内容の多くはパトロンがいて、大物揃いだというものである。
 確かに大物がパトロンであれば、問題なくやっていけるだろう。バックにそれなりの人間がついているのであれば、多少頭が回るものならば、下手に手出しもしないはずだ。後々の報復が怖い。そのため他のサロンよりも客の毛並みが良い、と言われている。ヒメたちは、一箇所に留まるわけではない。一年ごとにサロンを変えるものもいれば、店から追放される者もいる。追放された場合は、程度の低いサロンに行かなくてはならない。世知辛いといえばそれまでだが、厳しい世界である。
 厳しいと言われるなかローレライはヒメに人気がある。大物がついているだけあって、客層だけではなく店の雰囲気も良い。楼主の力があってこそだろう。あんなに幼いのに、と高を括っていたら……という噂もあるくらいだ。ここでの行動は慎重にしなくてはならない。

「……そういえば、前に昔からサロンに通ってたと言ってましたが、何歳から通うように?」
 今日も色々な話をしていたところで、ふと真魚が問うてきた。
「うーん、確か20歳になった頃からかな」
「もうその頃から1人暮らしを? 親に何か言われたりしなかったのかなって」
「そうだね、高校を卒業してから1人で暮らしていたし、親はなにも言わなかったかな」
 真尋の両親は彼が幼い時から不仲で、小学校へ上がる前にはお互いの愛情は冷めきっていた。母親はある日突然家から姿を消し、父親は別の女性を愛していたようにも見えた。当時の真尋は小学生と何もできない年齢で、ただただ両親が決定したことを飲み込むしか力のない子どもだった。結局のところ父親は愛していた女性と一緒になれず、ひっそりと息を引き取った。
 そんな父親のことを真魚の隣で思い返しながら、今日ものんびりと話をする。主に真魚が在籍してきたサロンについてを怪しまれないように聞く。
 すぐに自分が求める情報が、探し人が見つかるとは思っていないため焦ってはいけないと真尋は自分自身を律している。下手に急いでしまうと、怪しまれるし最悪サロン街にすら入れなくなる可能性も少なくない。以前は人を使い情報を収集していたが、結果を求めるあまりその人物が出禁になってしまった。以降サロンに在籍していた人物や、それに関連する人、物事や歴史について深入りしてはいけないという暗黙のルールがあるのも知ったし、どの程度までなら踏み込んでも問題ないかもわかった。自分で動く前に誰か人を挟んでおいてよかったと、今でも思っている。
 当時知り得たことは「咲良」という人物はローレライの誰かと関わりがあるがそれが誰だかは不明、そしてある時期を境にサロン街から姿を消したという。これだけでも十分な内容であるが、真尋は咲良に会いたいのだ。会って話をしたい、自分の父親が本当に愛した女性に、会って話をしたい。
 ローレライに通いつめているのも、咲良の手がかりになるかもしれないという理由だけだ。サロン街から消えた、と思わせておいて実はサロンの内部にいる可能性もある。
 真魚には申し訳ないが、彼女も自分の目的を遂行するための踏み台でしかない。本懐は咲良だけだ。どんな人なのかも全くわからない、そしてローレライの内部スタッフについても、楼主とそのそばにいる番犬のような男以外に見たことがないのだ。ある意味店としては徹底しているし、いい店なのだろうが自分にとっては全く情報の取れない店で手こずっている。他のサロンであれば、ちらりとでも内部スタッフを見かけることもあったし、そのスタッフと懇意になって内情を探るのも可能だった。しかし、この店はそれが一切できない。正直なところお手上げ状態だった。

「今日もありがとうございました」そういって真魚が店先まで送ってくれる。どの姫も自分の客を店先まで送るのがルールらしい。だが、客に会ったことは一度もない。自分が性欲を発散させるためにサロンに来ているのを同僚に見られてしまうと恥ずかしいというかいたたまれない気持ちになるのは必須で、その点を考えられているのだろうと思うと、徹底した店だと感心する。
 サロン街に出入りするには色々なルートがある。そこに入ったからといって必ずしもサロンに向かっているとわからないのも、外部に漏れづらく利点となっているが、今の真尋にとってはデメリットだらけだ。誰だよ、こんなシステム作ったのはと悪態をつきたくもなる。そう考えながら店の外で一度も出会ったことのない人物と遭遇して、立ち止まってしまった。
 ローレライの楼主である依小だ。
 若干14ほどの女の子、といった風貌。それでいて、威厳が見え隠れする。真尋にとって注意しなくてはならない人物だ。他の店の多くは、楼主が男性であった。そして、彼らは依小と違いすぐに性格を見破れる相手ばかりだったので、比較的情報をひきだしやすかった。だが、ローレライの楼主である、依小は全く掴めない。
 そんなことを考えながら依小を見ていたからだろうか、相手も真尋に気が付いたようで「伏見様、ありがとうございました」と幼さが残る声で挨拶をしてきた。
 真尋も挨拶をされたら返すようにしており、「こちらこそいつも楽しい時間を過ごさせていただいています」と返したものの、依小にとっては疑問が残るようで「何か困ったことはありませんか? いつも話ばかりのようですが、興味がそそられる女性がいないとか……」と聞いてきた。
 年齢の割に眼光が鋭いような気がして、自分の目的がバレているのではないかと思えるような口ぶりだった。思わず全てを吐露してしまった方がいっそ楽になれるのかもしれない、と思えるほどの。
「い、いえ……私は、女の子とゆっくり話せるのが癒しになっているので」
 どうにかいつも通りの言い訳を口にすることができたが果たして、依小に通じるのだろうか、と心臓が口から出そうになりながらもできる限り平静を装ってみる。まるで自分の方が彼女よりも年下なのではないかと思えるような雰囲気にたじろいでしまいそうになるが、堪える。
「そうですか。何かあれば気軽に言ってくださいね。人に話したり、助けを求めたりした方がいいこともたくさんあるのでね」
 言い残し、依小は自分の店へ戻っていった。その様子を見えなくなるまで動けなくなってしまっていた真尋は、手に汗を握りながら、まだ大丈夫と自分に言い聞かせるのだった。

 ーーおかーさん? だいじょーぶ……? おかぁさん……
 弱く、脆く、儚い母親から返事はなかった。覚えているのは、今にも消えてしまいそうな母親に声をかけたけれども、返事がなかった記憶。それから程なくして、母親は息を引き取った。あやふやなのは自分が幼かったからだろう。それでも、自分は母親を嫌いにはなれなかったし、守るべき対象と小さいながらに思っていたものだ。
 その後、天涯孤独となった自分は施設に入った。施設では犯罪によってできた子どもーー同じ境遇の人間がたくさんいた。そこで育ったからか、その施設を出る頃には色々な知識を得たし、自分のルーツである父親について憎しみを抱いた。中には、ハッキングが得意な子どももいてどのような人物が父親か知ることもできた。もちろん、望まなければ探してくれなかったのだろうが、自分が望んだから父親について知り、復讐したいとまで思ってしまった。だが自身が大人になるまで生きていてくれなかったのだ。復讐してやる、という気持ちはいつしか父親からその血縁者へと変化する。
 逆恨み、ではないが父親本人への復讐以外はお門違いであるのは重々承知の上だ。それでも、それ以外に自分が1人で生きていくための目標が見出せなかった。初めは施設から出たら、そこらへんでのたれ死んでいるのだろうという未来しか思い描いていなかった。しかし、父親への復讐という目的を得たからこそ、今も生きている。復讐対象は父親から変わったとしても。
 そして、その対象者がサロンに出入りしている人物だと知ったとき、歓喜した。復讐できるチャンスが自分にあると。施設から出た子どもの大半はサロン街で働くことが多い。他に秀でた何かがあれば、別の機関から声がかかることもあるが、真魚はそれほど特化した何かを持っていなかった。そのため復讐は半分冗談みたいになっていたのだが、卒園間際にしてその情報を入手したのだ。
 天啓ではないか、と思えるくらい嬉しかった。自分の生きる意味が、外に出てからもある。そう感じた。それからはサロンをいくつか経由し、ついに復讐したい相手の子どもーー伏見真尋が店にやってきた。伏見が店にいつかきたとき、自分が彼に着けるように、できる限り指名されないようにしなくてはならないと考えていたが、入店してから程なくして来店してくれたのが幸いした。まるで、誰かが自分の行動を後押ししてくれているのではないか。

 依小の自室は、他のヒメよりも広く書籍が多い。今の時代ほとんどがデジタルに対し、それを逆行するかのようにアナログなもので溢れている。なぜかは聞いたこともないし、聞いてみようとも思わない。依小の右腕として、ローレライを警護する者として、あまりにも興味がなさすぎるのではないかと思われるかもしれないが、依小がそれを望まない、そのように詮索されるのが好きじゃないことを知っている。
 依小と出会ったのは10年ほど前だ。すでにその頃からローレライの前身である店がここにあった。ローレライ自体は10年前から、その前は「Il sorriso dell'angelo(天使の微笑み)」という名前だったはずだ。その店が創業何年なのかはわからないが、その時から依小の風貌は変わっていない。10年前であれば、4歳くらいだと思われるかもしれないが、その当時も今と変わらずに少女の容姿をしていた。
充座じゅうざ、お前の名前はこれにした。じゅうざ、本来は13を漢字で書いた読みになるのだがな。今日から充座と名乗れ。そしてローレライの、私を補佐する者として生きるんだよ」
 そう告げて、彼女は自分を拾ってくれた。10年前、全てを失った自分に居場所をくれた幼い少女は今も幼いままだが、充座は特段気にしたことがなかった。見た目がどうであろうと、中身はずっと依小のままだ。何もない自分を拾ってくれた依小であればそれでいい。外見がどうとか、年齢がどうとか関係ない。ただ自分はこの店を、依小の隣で守り抜くと決めているのだから。
 依小の部屋を掃除するのは充座の役目だ。他のヒメや従業員の部屋は清掃が入るが、依小の部屋は入れない、入れてはいけない。価値あるものが多いからだ。そのため、どこの誰だかわからない清掃を入れず、自分が信じたものにさせるという具合に徹底している。そのため、一から自分が育てたと言える充座がそれを行なっている。
 ローレライに置いて、充座の位置としては依小につぐナンバー2と言われているが、そんな人物が楼主の部屋の掃除を担っているのはおかしいと思われるかもしれないが、本人は自分へ対する信頼の証と思っている。そのため、苦ではないし昔からの習い性なので何を言われても動じないと自負している。
 普段通りに依小の部屋を掃除していると、見慣れない何かがあった。どこに仕舞われていたものだろうと、それを拾うと目を見張った。
 Il sorriso dell'angeloの看板に今と変わらない姿の依小、そして横には美貌の女性。
 充座が今まで見たことのない写真がファイルの一番上にあり、その下には依小のものではない筆跡で「私たちの子どもをよろしくお願いします」と書かれている。それに連なって、咲良、真琴と記載されている「これは……」と思わずつぶやいたところで依小が自室へ戻ってきた。
「掃除中だったか、充座」
「は、はい……ちょうどデスクの上を……」
 いつになく歯切れの悪い充座を訝しんだがその理由をすぐに知る。手には一枚のファイル、それは昨夜自分が引っ張り出したものだ。そして、その写真の人物を充座は誰かすぐに把握したようだ。
「なるほど、その写真を見ての反応か」
「すみません」
 謝る充座に「いや、何も悪くない……が、話しておくべきだったな」
 そう続け、昔話として依小は過去に出会った1人の女性の話をした。
 依小の隣にいる女性は「咲良」という名で、Il sorriso dell'angeloで働いていた1人のヒメだという。彼女はそれなりに売れっ子だったらしく、ファンも多かった。依小はその当時からそれなりの地位にいて他のヒメ同様の客を取ることはなかった。その地位と待遇を好ましく思っていなヒメも多い中、咲良は気にすることもなく「それが実力ってものでしょ」と他のヒメたちを諫めていたらしい。咲良とヒメは入った時期も違うし、年齢もパッと見近い風でもなかったのだが、良い関係を築いていた。
 しかし、ある時一見で来た男性と恋に落ちた。それからというものの、咲良の様子がおかしく、いつも上の空だった。どうしたのかと問えば、なんでもないと答えるものの、それでも何か不安がっている様子で、大丈夫だろうかと考えたこともあった。
 時期を同じくして、依小は簡単にいうところのパトロンが店に滞在することとなり、咲良に構っている余裕がなくなってしまった。当時の依小は地位としては他のヒメと異なるものの、店を構えた楼主ではないため客を放っておけるわけではない。ましてやパトロンが来たのであれば、接待しなくてはならないため、致し方なかったと言える。
 咲良は、その間に「足抜け」しようとしていたのだ。
 理由は少し前に来た一見の男が原因である。
 依小は流石に彼女を諭そうと、まだ近くにいるであろう咲良を探し回った。想像通り遠くまで行っていない、というよりもこの界隈から出るにはそれなりの金と、通行証が必要でそれを所持していなかったため外に出れず近くで立ち往生していたというのが実際のところである。
 そんな咲良の話を聞き、好きな男ができたが、ヒメ(こんな自分)の分際で望めないからこの街から出ようとしたらしい。それが本当か嘘かわからないが、今と変わらず、抜けるのは厳禁だ。そしてそれなりの懲罰もある。今より待遇の悪い店に連れて行かれるならまだマシな方で、折檻の後に死亡するケースが多い。
 それを知らなかったらしく、事の重大さを考えなかった咲良はふらっと外にでた、という。
 だがその言い訳がIl sorriso dell'angeloの店主に通じるわけもなく、折檻確定とされていた。
「咲良は客受けもよく、人気のヒメだった。彼女自身、足抜けを考えたことも今までなかったんだろうね。だからこそ、そう言ったことに疎かったんだ」
 だから、と依小は続ける。
「店主を降ろした、その職から」
 続いた言葉に充座は絶句した。店主を降ろすなんてことが可能なのかと考えたが、依小ならばやりかねないと思ったのだろう、すぐに口を噤んだ。
「幸い、私にはそれなりのパトロンがいたし、彼女も客に愛されていた。だからこそできたんだがな」
 それで、彼女をこの界隈から逃すことにしたんだ。男と一緒に。だがーー
 色々とうまく行かなかった、と遠くを見ながら告げる。

「咲良、このまま真琴さんと外へ出な。今、すぐに出れば元店主も追ってこないはず。あれはきっと恨む性質だ。私は店にいるから安全だけど、外に行くならすぐじゃないと追っ手が来てしまう」
「わかった、ありがとう」

 そう言った咲良は、次の日の朝好きな男と外へ逃げるのだと思っていたのだが、真琴を置いて消えてしまった。あの写真を置いて。
 理由は明白で、男に負担をかけない方を選択したんだろう。咲良は所詮体を売っていた女だ。対する真琴はそれなりに名の通る商社のエリートだ。自分のことをとやかく言われるならいいものの、好きな男まで色々言われるのが耐えられなかったんだろう。咲良は男を置いて、身を引いて消えた。
 子どもを身に宿してーー。

「慣れない暮らしと、そんな中で子どもを養育し働くのは大変だったと思う。それから程なくして、彼女の所在がわからなくなった」できる限りのツテを使って探したものの、どこに身を隠しているのかと知ったのはすでに鬼籍に入ってからだ。
 書類上提出されていたため咲良が鬼籍に入ったのを知ったのだが、それから数年経ったときその情報ごと消えていた。人為的なものだろうが、誰かが咲良の死を隠したかったのか、そうなるように咲良が手を回していたのかは知らない。
「咲良さんは、子どもを産んでしばらくして亡くなったのですか?」
「多分な。子どもがどうなっているか、今ははっきりと断定できるほどの情報が入らない。ただ、施設をとっくに出ている年齢のはずだ。幼少期に咲良が亡くなっているから、それを考えると自動的に施設に入ると思うのが妥当だろう。咲良から、この写真が届いたのはしばらく経ってからだから、私も詳しくは知らない時期があった」
「真琴さんという人は……」
「そっちはとっくに動向が掴めていてな、まぁ彼もすでに鬼籍の人物だ。だが、彼の名は伏見と言ってな……」
 その名を聞いて充座は、ハッとする。「それは、うちに出入りしている伏見様とーー」
「そうだな。子どもだと思う。咲良に出会う前に結婚して子どももいた人と聞いている。それで、咲良と出会ってから、嫁と離婚しているから」
 まさか、親子で同じ店に来るとは思ってもいなかったが、と依小はボソリと言った。
 充座はそこで、ふと伏見に関する話を外で聞いたことがあった。依小に伝えるべきか否か悩んでいたのだが、こう言った縁であれば言うべきだろうと、決した。
「以前、別のサロンで伏見様の話を聞いたことがあるのですが……」


「伏見様、お待ちしておりました」
 いつもと同様に、スタッフから伏見がやって来たと聞いて、出入り口まで迎えに行く。真魚は極上の笑みを顔に貼りつけながら、伏見の様子を見る。
「こんばんは、真魚ちゃん」
「今日はどんなお話をしてもらえるのか楽しみにしてました」
 普段通りの話をしながら真魚の部屋へたどり着く。今日は、特別な日になる、特別な日にする。そう考えている真魚は、いつもと違った趣向で、伏見に酒を渡す。
「今日は、普段は伏見さんが飲まないような飲み物を用意してみたんです。お口に合うといいのですが……」
 殊勝な態度で真魚は進めたい飲み物を出した。ほんのりと花の香りがする、酒だ。一口飲むとさらにその味が口の中に広がり、なんとも言えない酩酊感が体を駆け巡る。
「桜フレーバーなんです。美味しいでしょ?」
「さくら……」
「はい、私にとって思い入れのある、ものです」
「そうなんだ」
「ぜひ伏見さんに飲んで欲しくって、取り寄せました」
 それは、嬉しいな……と告げたいのだが、体が言うことを聞かない。酩酊感はあったのだが、たった一口で酔うほど酒に弱くはなかったはずだ。真魚ちゃん、と言おうとしたのだが、それも叶わない。
「伏見さん……私、ずっとあなたに会いたかった。いえ、正確にはあなたのお父様に」
 真魚が何かを話しているが、真尋は頭がぼんやりして、しっかりと聞き取れないでいる。それでも構わず、真魚は話を続ける。
「あなたのお父様は私の母親を捨てた。母は、体を壊して私を育ててくれたけど、幼い時に死んだ……あなたからしたら謂れのない罪かもしれない。けれども、父親がいない今あなたに復讐することを目標として生きて来た」
「父親……?は、は?」
意識が遠くなりそうなギリギリの中で聞こえる単語を繰り返す。
「そう、私はあなたの父親に捨てられた咲良の娘。父親の名前から一文字とって、真魚と名付けられた」
「さくら……」
 このお酒ね、母親の読みと同じ名前であるさくら、を使ったもので……、これで私あなたを殺したかったのと告げる。
「僕を……?」
「そう、あなたを」
「僕は、さ、くらを」探していたと声にならないで真尋は意識を手放す。


 充座の話を聞いて依小は部屋を飛び出した。「依小様」と後ろから充座の声がする。「真魚の部屋へ」と短く伝え、走る。体は幼いのに、体力が持たない。早く真魚の部屋へたどり着き、来るであろう伏見と真魚に伝えなくてはならないことがある。
 子どもをよろしくねーー、そう記した咲良は何かを危惧していたに違いない。施設には、様々な境遇の子どもが入る。境遇は異なれども、酷い扱いを受けた人間が大半だ。そんな中で暮らせば、真実もねじ曲がる。そこで幼いながらに苦労した真魚が入れば、きっと悪い知恵もつくかもしれない。それを恐れたのかもしれない。
「充座、多分だが真魚は伏見を殺害しようとしている。入るとき、目的があると言っていた。初めは何を言っているのかわからなかったから、様子を見ようとしていたが、きっとそれは母親が伏見の父親を恨んでいると思って、その代わりに自分が成そうとしているはずだ」
「しかし、それは……」
「そう、真魚は勘違いしている可能性が高い。でも、それを勘違いだと教えてくれる人もいなかった。私もすぐに気がつかなかった……。咲良の子を人殺しにしたくない。だから、早く」
 ようやく真魚の部屋へついた2人は真魚、開けるぞと言い返事を聞かずにドアを開く。
 そこには、泣きながら佇む真魚と意識のない伏見が居た。
「依小様。ごめんなさい。私のやりたかったこと、この人を殺したかったの……」まるで年端も行かない子どものように依小に向かって泣きじゃくる。
「充座、伏見様は?」依小の問いかけに、微妙なところですと答え室内にある電話で常駐している医師を呼んだ。


 依小は真魚を連れて楼主の仕事部屋へ向かう。
「真魚、母親の恨みを晴らそうとしたのかい?」
 真魚の心を言い当てられ、一瞬たじろぐが「はい」と答える。その回答に「真魚の母親は咲良、だね」と聞くと、今度は驚いた顔をした。
「母を、知っているのですか……」
「最近、気が付いてね。昔の写真を引っ張り出して見たら、真魚にそっくりでそれでようやく入った当初に言った、やりたいことと結びついてきた。でも、想像の範囲を超えなかったんだ」
 そう言って真魚に咲良と依小が写っている写真を手渡す。
「依小様は……」途中まで言いかけて、言葉を飲み込む。依小の変わらない姿を見て、どうしたものかと思ったのだろう。
「咲良とは、この店がローレライになる前からの知り合いでね、」と咲良と依小の馴れ初めを真魚へ伝えた。
 依小の話を聞いている間、真魚はおとなしかった。きっと母親が大好きで、早く亡くなって悲しくて、でもどうしょうもなくて1人で生きるために頑張ってきたのだろうと感じる。
「真魚、咲良は真琴を恨んでいない。むしろ、彼のために身を引いて子どもと2人で生きていこうとしたんだよ」
「じゃあ、私は……」間違ったことをしたんですね、と項垂れる。
「間違っていないと私は思うよ」
 依小は真魚を肯定した。しかし、真魚はでも……と言う。
「誰も間違っていないんだ。ただ、タイミングが悪く色々なものが混ざって、曲がって正しい道のりにたどり着くまでの障害が多すぎた。だから、誰も悪くないし、間違っていない」
「でも、私は恨んでいないのに、伏見さんを殺してしまった」
「まだ、死んだと確定したわけじゃない。今医者が診ている」
「死ぬかもしれない……私のせいで」
「さっき、充座から話を聞いたのだが、彼はずっと咲良という女性を探していたそうだよ。サロンに通い詰めるのも、ヒメとただ話をするのも、多分情報を得たいからだったんじゃないかな。彼は彼なりに何かを探していたんだと思う」
「おかぁ、さんを?」
「多分ね。咲良は亡くなってすぐは情報が登録されていたが、数年前からその情報が削除されていた。だから、探し始めたのがその情報が削除されてからであれば、まだ生きている人物と思われても仕方ない」
「削除、したのは施設時代の友人で、出来るだけ情報は出さないほうがいいと言われてお願いしました」
「まぁ、そんなところじゃないかとは思っていたが、そのおかげで彼は生きているであろう咲良を探していたのだろう。何をしたかったのかまでは不明だが」
「そう、だったんですね……」
「真魚、私は咲良の子どもをよろしくと言われていた。でも、みすみす手を汚すようなことをさせてしまった。その事実に心が痛むかもしれない、自分を許せなくなっているかもしれない。それでも、一からやり直したいという気持ちがあるのであれば、サロン街から出て自由に生きていけるように整えることはできる」
「依小様、私は周りに流されて恨んでいると勝手に思い違ったのです。依小様が気に病むようなことではありません。私自身、成人して自立しています。だから、これは私が自分で考え、自分で行動した結果として受け止めなくてはならないことです」
真魚は、あの日の咲良と同じような振る舞いで「自分で決めたことだから」と言った。
「咲良に、似ているな……」
「似ていますか? 顔ではなく、言動がな」
「そうですか……それを、聞けただけで私は嬉しいです。母のこと、大きくなってから誰からも聞くこともなかったので」
「そうか、そうだな。咲良はみんなから愛されていた人だったよ」
「依小様、私ここを出ます。足抜けという状態で構いません。依小様の手を借りて煩わせたくはないのです。ただ、一つだけお願いがあります……」
「抜けたとなると、次はよくない店か沼に沈むのが相場だ。それでも」
「それでも、私は母親と同じように外で生きていきます。いつか自分を許せるようになったら、家庭を持って幸せになろうと思います。もちろん、人を手にかけたこの罪は消えないけれども」
依小の言葉に被せるように言った。決心している女性の顔だった。
「わかった。真魚、くれぐれも気をつけて……本当に困ったときは頼ってくれないか」
「ありがとうございます。依小様、私をここで働かせてくれて、そして母について教えてくれて。これから私は部屋へ戻り準備をします。夜にはここを出ていきます」
「息災でな……、これを」
依小はそっと真魚に、咲良と一緒の写真を渡した。それには「私たちの子どもを……」とは書かれていない。依小の持つ写真だ。
「ありがとうございます。依小様も、お元気で」


 真魚を楼主室から送り出したのち、伏見の様子を見に医務室へ向かう。
「様子は?」医務室を無言で開けその場にいるであろう医者と充座に投げる。医者はこうやって入室する人物を1人しか知らないため、ドアを振り返らずに「今夜さえ乗り切れば、あるいは」と曖昧に伝える。
 伏見は酒の中に入っている毒を飲んだ。そしてそれが体の中を巡っている状態らしい。意識が戻らないものの、一気に飲み干した訳ではなかったので、保ってくれるのではと希望的観測もある。
「すまないが、夜もそのまま彼についていてくれるか?」
「ええ、もちろんです。そのための私ですから」
医者は心得たとばかりに回答する。そして充座を近くに呼ぶ。
「真魚は出る。ーーが、見逃せ」
「それは、足抜けでは」
「そうだ。本人が希望した」
「わかりました。ツテがあるところには伝えます」
「頼んだ」
 依小ができることはこうやって少しでも足抜けしたヒメを酌量の余地がある場合に限り見逃してあげるくらいしかできない。真魚についてはもっと何か手を貸したかった。だが、本人が望まないのであれば、無事サロン街を出られるくらいの手助けしかできない。
 充座が回ってその情報を流せば、無闇矢鱈に真魚への追手が及ぶことはない。ただ、こちらで把握していない単なる金稼ぎの見回りまでは手が回らない。頭の良いものであれば、情報を流した大元が依小であると知れば手を引くだろうが、知恵のないものもいる。そればかりは願うしかない。もちろん、真魚を捕まえ死に至らせ、報酬を得ようとした場合は依小からの報復という報酬を得ることになるが。
 夜を待って真魚は外へでる。
 依小は夜の間ずっとサロンの外を眺めていた。


 翌朝、真魚の姿はサロン街から消えていた。サロンを抜けた女の末路は相場が決まっている。依小は、せめて誰にも責められない場所でこころ穏やかに過ごして欲しいと願う。数日が経っても、水死体が見つかったという話は聞かない。きっとどこかへ逃げられたのだろう。それが全ての解決になるとは思わないが、咲良の代わりに幸せな家庭が築けるまでになってくれれば、と西日を背にローレライへ戻る。
 
 伏見は、数日後意識を取り戻した。
 目を覚ましたものの、記憶は消えていた。自身が何者であるのか、なぜローレライにいるのか全てが消失してしまったようである。それでも、彼が生きていてくれてよかったと思う。
「彼には、私の罪滅ぼしとして付き合ってもらうぞ」
 記憶のない伏見の面倒を見るということだろう。依小様は普通に面倒を見ると、言えないのだろうか。自分の時も似たような発言をしていた気がする。「自分に付き従う存在が欲しかった」不遜な態度で言われた当時はこの小娘が! と反発もしたが、何年もいると素直に言えないだけだということにも気が付いた。
 伏見には依小の部屋から繋がっている部屋に住んでもらうことになった。形は大人だがなにぶん記憶がないため子どものような振る舞いが多い。依小は母親か姉のように面倒を見ていた。もしかすると、これは第二の自分になるのでは? と自身の位置を危惧しつつ依小の言いつけ通り動く。
 そんな充座の心を知ってかしらずか「変なことは考えないで、真尋がちゃんと生活できるように面倒を見るのを手伝え」と言う。
 依小は基本的に面倒を見るのが嫌いではない、が生活能力は低めだ。基本的に充座が彼女の面倒を見ているからだ。知識や経験は多いため、学問などであれば彼女から教わることが多いが生活面については当面は充座が伏見の面倒を見なくてなならない。
「彼の面倒を見るのはいいのですが、そうすると依小様の生活をお手伝いできなくなりますが……」
 ぐ……と呻きながらも、「自分は問題ない」と言った。本当だろうかと思いつつそれに従う。
「依小様は賢く知識もあるが、生活がおざなりだ。そんな大人になるなよ」
「充座、余計なことを言うな」
 すぐに依小が訂正を求めるが、すっと離れた。
「真尋、充座の言うことを鵜呑みにしてはいけない。今日は、この国の歴史について学ぼう。知識は大事だ」
「んー、じゅうざ間違ってる? 依小正しい?」
 素直な感覚で依小が言うことを反復する。
「間違いや正しさは一概には言えない。私から見たら正しいと思っていることでも、誰かから見たら間違いもある」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「いろんな人と話して、聞いて、焦らずに導き出していくしかないんだ」
 難しいね、と言って与えられた本を読む。

 世の中の理は難しいことだらけだ。50年以上生きている依小はそう思う。自分の体だって謎でしかない。だが、それを解明してくれようとした人物ももうどこにもいない。そうこうしている間にその子どもが生まれ、そして自分の近くにいる。
 その子どももまた、自分の外見の年齢を越し、自分よりも早く衰え、死んでいくのだ。
 依小は自分の生について解答を求める。
 しかし、それは何十年と回答を得られない。それを教えてくれる師もいない。どちらかと言えば自分がその師の方に回る存在だ。だが、答えは出ない。
「でも、そろそろ看取るのはやめたいな……」ポツリとこぼす。
「さっきまでは真魚の子どもを見たいとか言ってたじゃないですか」
「そりゃ、幸せになって欲しいからさ。真尋もいつか記憶が戻ってまた普通の人として世間に出て欲しい、さらに言えばお前もだよ、充座」
「は? 俺もですか?」
「当たり前じゃない。面倒を見た子はみんな子どもだよ、私の」
「どちらかと言えば依小様の方が子どもっぽいんですけど……」
 見た目のことを言われてしまうとそれまでだが、こと充座に関しては何年も一緒にいるからこそ知っている弱味もある。
「何の面下げてそんなこと言えるのかね。拾った当時はえみちゃんに振られたー!!! ってベソかいてたじゃないか」
 十年も前のことを掘り返さないでください! と充座は怒りながら笑う。
「こんな風に昔のことを笑えるといいのにな、みんな」
「そうですね。ここを離れたヒメやスタッフが、幸せになってくれるといいですね」
 きっとまたいつか、バカな政府がサロンを閉鎖しろ、と言い出すだろう。その時まで生きているかわからないし、そのとき自分がいくつになっているのかも想像がつかない。けれども、できることならばせめて自分が関わった人間には幸せになって欲しいと言うエゴがある。
 本当は、咲良も真琴もそしてその子どもである真魚、真尋みんなに幸せになって欲しかった。
 咲良と真琴のときは、自分に力が足りなかった。今回は気づくのが遅かった。いつも後手後手になってしまう。いつになれば自分は、それらを凌駕し幸せにできるようになるのだろうか。
 そんな風に遠くを見つめながら自問自答していると横で充座が言う。
「俺は、依小様に拾われて、こうやって自分で食い扶持を稼げるようになって、この現状に満足していますし、それができるように育てられて幸せですよ」
「童が言うようになったね」
「たとえそれが14の小娘だとしてもです」
「実年齢を言わないあたりが、せめてもの救いだけどね」

 ローレライには財界の大物たちがこぞって会いたがる女がいる。幼い風貌の楼主だ。彼女はその容姿からは想像できないほどの知恵と学びを持って、彼らに師と崇められる存在だ。
 
「私はいつかここにいる、これから生きていく子達を救えるほどになれるのだろうか」

 彼女から恩恵を受けたものは口々に言う。
 依小の望みのために、世の中を変えようとーーー。

「依小様は、神になろうとしているのですか?」
「笑いながら言うんじゃないよ。私は……そうだね要人たちを舟人とすれば、それを誘惑して手のひらの上で転がせる者になろうとしているのかもしれないね」
「伝説を使って茶化さないでくださいよ」
「神の恋人、と言うよりもいいじゃないか」
 なるほど、と充座がポン、と手を鳴らした。ーーまぁでも、いつまでもついていきますよ、楼主様。と言い仕事を始める。
「さて、私も仕事を始めるか。予約票とヒメたちの出勤確認。それから今日は面接が入っていたね。その段取りはどうなっている?」
「面接は10分後に一件入っています」

 今日もまた、ローレライはいつも通りに営業する。新しいヒメはどんな子だろうか。真魚をふっと思い出しながら、久しく見る朝焼けを背にキセルを燻らせた。
 
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