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第3章 到達! 滴穿の戴天

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 ソプラノ女子がステージ上で熱唱する。
 その後ろではバックダンサー達がアクロバティックな動きで舞い跳ねる。
 臨時ステージと言えどスピーカーやライト、煙幕などの演出はばっちり。
 リアル元の世界と比べれば相当なもの。
 プロの演出の野外ライブ、そう言われても遜色ないレベル。
 開設まで無理をしても時間をかけた理由がよくわかった。

 そして皆が踊るのはソシアルクロス。
 世界政府樹立とともに世界交流の術として考案された例のダンス。
 フレーズの長さと拍子さえ合っていればどんな曲でも対応できる。
 バラードでもポップでも雰囲気に合わせて踊れるところが素晴らしい。

――さぁ、踊ろう!
――Yeah!

 会場が沸いたその掛け声で俺は気付いた。
 ダンスかぁ、程度に考えていた思考がクリアになっていく。
 だって、ソシアルクロス。
 恐怖の思い出、ソシアルクロス。
 会場のボルテージに反比例するように背筋がひやりとした。

 あの桜坂中学のキャンプファイヤーのとき。
 あの南極観測船『しらせ』のとき。
 誰にも彼にも良いように弄ばれた記憶ばかりが思い出される。


「ソ、ソシアルクロス・・・」


 ほとんど踊れないことへの恥ずかしさが押し寄せてくる。
 だって俺の知己、ここにほとんどいるんだぜ?
 おまけに可愛い後輩のためのパートナー役。
 ここで無様な格好を見せるなんてできねぇよ。

 でもこれ、どうやって誤魔化すんだよ。
 皆がにこにこ周りで見てる。
 俺が彼女と踊るのを楽しみにしてるんだろう。
 そりゃね、2番選定の儀みたいなもんだから気になるだろうし。
 俺がどうやって相手すんのかも見たいわけだし。

 ・・・こんなの逃げ出せる状況でも雰囲気でもねぇ。
 誰だよダンスパートナー権って言い出したの。

 俺が固まっていると香が怪訝そうな顔をした。


「武? どしたの?」

「あ、いや・・・」


 さっさとエスコートしなさいよ、という空気。
 ん、何か隠してる? と下から覗いて来る。
 思わず視線を逸らす。冷や汗が出てくる。
 誤魔化しても無駄だとわかっているのに誤魔化そうと画策する俺。
 やばい、露骨すぎる。気付かれる前にどうにかしねぇと!

 考えろ考えろ。
 何か手段があるはずなんだ。
 全員の意識を逸らす方法が。
 そうだ、探究者クアイエレンスでいけるんじゃないか!?
 連続して全員に使えば・・・。

 そんな挙動不審な俺を見てさくらが思いついたようにぽん、と手を打った。


「あ、そうでした。武さんはソシアルクロスが苦手なのです」

「ぎゃああ! 余計なこと言うんじゃねぇ!」

「そういえば『しらせ』で踊ったときもシンプルばかり踊っていたな」

「ちょっと黙ってろ、レオン!!」


 皆の前で丸裸にされていく。
 誤魔化す間もなく崩壊する俺の画策。
 当事者の小鳥遊さん以外、皆、生暖かい目でニヨニヨしている。
 『あの武がこんなことで動揺している』。
 言葉にしなくてもその意図が簡単に読み取れた。

 お、お前ら・・・!!
 全員の記憶を消して回れば良いのか・・・!?

 青くなって赤くなって慌てる俺を見て小鳥遊さんが前に出てきた。


「先輩、大丈夫です」

「あん?」


 両手で俺の手を握り彼女は屈託のないはちきれんばかりの輝く笑顔を向けた。


「私が教えてさしあげます! こう見えてレギュラーも得意なんですよ!」


 その笑顔は俺の矮小なプライドと羞恥心を忘れさせてくれるくらいに眩しくて。
 それがかえって俺の惨めさを強調しているようにも思えた。

 どう答えて良いかわからず、気付けば「うん」と口にしていた。
 あれ? このパターンって・・・。


 ◇


 ぐいと腰を支えて小さな彼女の華奢な身体を仰向けにして留まる。
 そのまま元に返して片手を持ち上げてその場で彼女がくるりと回転する。
 スタン、トントン、ぐるり、タンタン。
 目まぐるしく動き回る。
 慣れない動きは体力の消耗も激しいわけで。


「はぁ、はぁ、ちょ、ま、ごめん、はぁ、はぁ、ストップ・・・」

「はい、3分休みましょう!」


 どうせ教わるなら主導側マスターを、と所望した俺。
 大人しく従属側スレイブにしておけば良かったなんて後の祭り。
 何度目かの通しを終えたところで芝生の上へ崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ、はぁ・・・」


 激しく酸素を求めて肺が上下する。
 汗だくになって倒れた俺の横に腰掛ける小鳥遊さん。


「先輩、上手になってきましたよ! ひっかからずに踊れていました」

「はは、先生の教え方が良いからね・・・」

「ふふ、先輩の飲み込みが早いんですよ! もう少しであそこに交じれそう」


 彼女が指すところで皆が踊っていた。
 主人公連中に加え、工藤さんも、香も、聖女様も、先輩までも。
 たまにちらりとこちらを見ることはある。
 でも俺にちょっかいを出してこないのはパートナー権を尊重しているのだろう。

 見た目麗しい彼ら彼女らが蝶のように華麗に舞う。
 それはまるで映画の野外撮影のようで。
 正直、モブな俺があそこに交じることに違和感バリバリだ。
 実力的な意味でも勘弁願いたい。


「皆、ソシアルクロス上手すぎだろ・・・」

「あはは、踊れると楽しいですから。これ、使ってください」

「ああ、ありがと」


 どこにあったのか濡れタオルを渡される。
 遠慮なく顔の汗を拭いて、シャツを捲ってごしごしと身体を拭いてさっぱり。
 ああ、良いね。熱い身体が冷めて気持ちがいい。
 ってやべ! おっさんみたいに身体まで拭いちまった。


「あ、ごめん! 汚くしちまった」

「あ、い、いえ! 良い、良いんです!」


 なんだか顔を赤くして俺のことを見ている小鳥遊さん。
 やべ、『どうして身体なんて拭いてるんですか!』って怒らせちまったか!?


「悪ぃ! 洗って返すよ」

「そ、そんな勿体な・・・いえ、お手間をおかけできません! 大丈夫です、これでいいです!」


 俺からひったくるようにタオルを取り上げる小鳥遊さん。
 ああ、ごめんよ。汚いもの渡しちまって。
 気を使わせちまった。


「えへへ。先輩、続きやりましょう!」

「お、おう」


 満面の笑みを浮かべた彼女に手を引かれ立ち上がる。
 気後れしながら付け焼き刃で覚えた動きを思い出すために記憶を総動員して。
 他に何も考える余裕などない中で、何度も目の前に小鳥遊さんの顔が留まる。
 そのたび、ふわりとした優しい笑みを投げかけてくれる彼女。
 それに引きつった笑みを返してしまう自分がいた。


 ◇


 小鳥遊さんが俺を好きなのはわかってる、告白をされたのだから。
 好きな人と一緒に居られれば愉しいのもわかる。

 でもさ、どうして俺なんだという意識が拭えない。
 彼女といつも一緒にいる工藤さんは美人だし可愛い。コギャルだけど。
 あんなに仲が良いんだ、親友どころか1番同士でもおかしくない。
 それに主人公連中とも面識ができているのだ。
 周りにこれだけ麗しい、素敵な人たちがいて惹かれていないのが不思議だ。
 芸能人バリに麗しい人と仲良くなれるなんて、俺なら全力でお友達コースを選ぶぞ?

 好意の水を向けられるたび、俺はこうした疑問に苛まれる。
 容姿や立ち振舞いで俺に惹かれる要素はない。
 俺は主人公連中の陰で盛り上げる、その他大勢の側だ。
 悲しいながらも自覚がある。
 俺だったら、麗しい人が近くにいるのにモブなんて選ばない。

 そもそもラリクエゲームの主人公たちがいるのだ。
 彼ら彼女らの容姿や立ち振舞はもとより、主人公補正があって然るべきなのだ。
 主人公に関わる登場人物は須く主人公たちに惹かれるものだと思うわけで。
 俺みたいなモブが惹かれることがあっても、俺みたいなモブに惹かれちゃいかん。
 物語が崩壊すんだろ。

 これまで、俺は何度もこの疑問を投げかけてきた。
 俺に気を向ける主人公たちに何度も問うた。
 すると連中は尤もらしい回答をする。
 AR値が高くて気になるだの、賢いだの、勇気があるだの、知恵があるだの。
 それって好きになる理由じゃない。単なる憧れだ。
 そういう要素って連中に比べれば劣ってる気がするわけで(AR値を除く)。
 可愛らしいと言われれば『モブが踊ってるのが面白いからだろ』なんて穿ってしまうくらい。
 さっきのソシアルクロスのときの生暖かい目なんてそれだろう。

 仮に高い能力に憧れたとしても芸能人に憧れる的な要素だ。
 鑑賞して終わりのはず。
 どうしてこいつらは俺の周りにいるのか。
 何か別の理由がある。そう考えたくなる。

 以前、香が言っていた。
 「流されないで、目先の快楽や状況に。貴方の心で選んで」と。
 その言葉の重みが日増しに実感できていた。

 小鳥遊さんや工藤さんは俺のそういった特殊な点を加味していない。
 リア研での付き合いだけ。
 でもそれはそれであの短い期間で好かれていた理由がわからんわけで。
 正直、香とさくら以外の人から言い寄られることに違和感ばかりだった。
 何か間違っている。

 それに俺の中には旧態然としたリアルの価値観が居座っている。
 だから2番なんて考えられない。
 香との付き合いだって『不貞』という意識があるくらいだ。
 いつか彼女に俺のこの気持ちを打ち明ける時が来るだろう。
 そう、この世界と別れを告げるときに――





「――輩、先輩!」

「んあ?」


 気付けば手足が止まっていた。
 音楽は地面を揺らすくらいに鳴り響いているし周囲は熱い空気に包まれている。
 いつしか俺ひとりだけ冷水を被ったように冷静になっていた。


「疲れちゃいましたか?」

「ああ、いや・・・うん。ごめん、また休ませてほしい」

「はい! ずっと踊っていましたから。長めに休みましょう」

「うん、ありがと」


 促されるまま、小鳥遊さんと一緒に芝生に腰を降ろした。

 息が切れていないのに手足が止まってしまった。
 それなのに気遣う彼女の視線が痛い。


「・・・なぁ、小鳥遊さん」

「はい」

「俺が捕まってたとき、俺のために生命をかけてくれたんだよな。一生、頭が上がらねえよ。ほんとにありがと」

「いえ、そんな・・・」


 俺が頭を下げると彼女は恐縮していた。
 そりゃ、頭を下げてほしくてやったわけじゃないだろうから。
 彼女なりの想いを成就するためにやったことくらいわかっている。


「・・・今更なんだけど。俺に惹かれた理由って聞いても良いか?」

「は、はい。あの・・・先輩は私の居場所をくれたんです」

「居場所? リア研のこと?」

「えっと・・・怖がりの私がいる場所が、先輩のところだったんです」

「・・・?」

「部活は単なる場所です。先輩は私という人間を認めて受け入れてくれました」

「・・・」

「あのときの私にはそれが必要でした。とても温かくて嬉しかったんです」


 目を閉じて両手を胸に当てて。
 思い返すように彼女は言葉を重ねる。


「先輩は、なんだそんな事を、と思われるかもしれません。でも私はそんな事が大事でした」


 好きになる理由。
 香は俺が事故から助けたのがきっかけだった。
 それと同じ。
 俺は彼女を知らぬうちに救っていた。

 でも、香と違って彼女と過ごした時間は短い。


「先輩が南極へ行って会えなくなったときにとても胸が苦しくなりました。それで先輩の事が好きだって自覚したんです」


 大切に包んでいた宝物。
 それを俺という人間に包を解いて見せていく。
 それは目を逸らそうとする俺の意識を引っ叩いた。
 

「・・・俺はさ、小鳥遊さんのことをよく知らねぇ」

「はい」

「だから小鳥遊さんの良いところも悪いところもわからねぇんだ」

「そうですね。半年も一緒にいませんでしたから」

「知らねぇ人のことって、ほら、好きにはなれねぇじゃん」

「・・・先輩、先輩は橘先輩のこと、最初から知っていたわけじゃないですよね?」

「ああ、そりゃそうだ」

「だったら同じです。私のことはこれから知ってください」


 彼女はふわりとした微笑みを俺に向けた。


「今日は終わりじゃなくて始まりです。今日、先輩は私のことをこうして意識してくれました」

「・・・ああ、いや、うん。何度も助けてもらって、気にしないってほうがおかしいだろ。ほんとに感謝してる」

「先輩、私は先輩がこうして私を見てくれることを期待して頑張ったんです」


 いつの間にか彼女の笑みは消えていた。


「わかりますか? たった数秒でも私のことを意識してほしいんです」

「・・・小鳥遊さん」

「そのためならいくらでも頑張れるんです。頑張れちゃうんです」

「・・・」

「それが好きってことじゃないですか!」

「・・・」

「私は、そのくらい・・・先輩のこと、想ってます!」


 声が震えていた。
 目尻が光っていた。
 その言葉は、想いは、否応なしに俺の心に楔を刺していた。

 ・・・。
 身を焦がすほどの恋する心。
 俺は知っている。
 大学生のころ、雪子を口説いたあのときに。
 俺は一生分の恋をした。
 俺の純愛はそこで使い切った。

 だから。
 俺は喉の奥を絞り出すように言った。


「・・・香は2番を考えろって俺に言った。でも俺はその気がねぇんだ」

「・・・」

「騙しちまったようで悪ぃ。今日は誰に言われても断るつもりでいた。ごめん」

「・・・」


 決定的な言葉を口にする。
 俺の心に穿たれた楔は、俺の心をずぐんと痛めつけた。
 それでも言わずには居られなかった言葉。
 真面目な顔をした小鳥遊さんを見据えて、俺は言った。

 これ以上、下手な期待を持たせるつもりはない。
 ラリクエゲームの倫理だとしても、俺自身をこれ以上、裏切れない。
 そうしないとあまりに不誠実すぎるから。


「・・・ふふ」


 泣いてしまうかもしれない。
 憤るならひっぱたいてくれ。
 そう覚悟していた。そうしてくれたほうが気が楽になる。

 だが、小鳥遊さんはまた笑みを浮かべていた。


「そんなの、知ってます。先輩が2番を作りたくないってことも」

「え?」

「考えてもみてください。ソフィアさんやレオンさん。ほかにも素敵な人に囲まれて、しかも皆さんと仲が良いんですよ? 好きにならないほうが不自然じゃないですか」

「・・・」

「だから先輩に理由があって2番を作らないことくらい、わかっています」

「・・・それでいて、俺にこれから知っていってほしいって?」

「はい」


 小鳥遊さんの瞳は真っ直ぐ俺を射抜いていた。
 そこから視線を外すことができなくなっていた。


「だって、半年も会ってなかったんですよ? 皆、変わります。当然じゃないですか」

「・・・」

「私の知らない先輩もいます。先輩の知らない私もいます」

「・・・」

「先輩、やっぱりわかっていませんね? 橘先輩が心配していた理由がわかりました」

「え?」


 ふわりとした優しい微笑み。
 どうしようもない俺でも、そんな俺でも良いと、そう言ってくれている。


「良いですか? 離れている時間が長くても、会える時間が少なくても。それでも消えない想いはあるんです」

「・・・」

「この気持ちがある限り、私は何度でも先輩の傍に来ます」

「・・・」

「私の心がそうしろって言うんです。誰にも止められませんから!」


 胸を張った彼女のその言葉はとても力強く。
 俺の心へ、ぐっと楔を押し込む。
 彼女の強い想いが、俺の心の奥底へ響いた。
 朝霧の湖面に落ちた朝露が起こす波紋のように。
 それはとても不思議な、清々しい波紋だった。


「・・・はは、参ったな。まさか小鳥遊さんがそんなに想ってくれてたなんて」

「先輩が私に振り向いてくれるまで来ますから」

「うん、ありがとう。確かに俺じゃ止められねぇ」

「はい、忘れないでください。私という後輩が、貴方のことを想っています」


 結局、俺は受け入れた。
 俺の身体に腕を回して抱きついて来た彼女を引きはがすこともせず。
 次の逢瀬がいったい、いつになるのかもわからないまま。
 彼女の好きにさせることにしたのだ。

 そしてようやく、少しだけ理解した。
 燃え上がった炎を消すなんてことは他人にはできないのだと。
 その炎が消えるまで向き合うことこそが誠実さなのだと。
 難解だったラリクエ倫理を、ようやく少し、腑に落とすことができたのだった。




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