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エピローグ
166
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「武さん、起きてください」
「・・・ぅあ」
冷え切ったようなさくらの声。
後ろ手に腕を引かれ吊るされるようにして、俺は無理矢理に起立していた。
ぼんやりと意識が戻って来る。
視界に金色、紅色、黒色、栗毛色とカラフルな色が飛び込んで来た。
ああ、これはあいつらの髪の色だ。
両腕が拘束されて痛い。
どうやらさくらが俺を捕えているようだった。
「ほら、このとおり無事です。武さんは大切な人ですから。今しばらく、大人しくしてもらうだけですよ」
「それが自己満足だって言ってるの。誰も得をしない道だわ」
「そうでしょうか? 橘先輩だって数か月後にはわたしに感謝していると思います」
さくらと香が口論していた。
よく見れば、あいつらの向こう側に香の姿が見えた。
そのさらに向こう側に、アレクサンドラ会長をはじめとした先輩方の姿もある。
「その結果が出てからでは遅い。さくら、その選択は武さんにしか許されてない。彼の選択に私たちが口を出してはならない」
「もう吹っ切れて代わりが見つかった澪先輩は何とでも言えますよね」
「なっ・・・!」
諭そうとした聖女様をさくらが煽っている。
「九条 さくら。君は許されざることをしていることを自覚すべきだ」
「では問います。アレクサンドラ会長は後ろめたいこともなく清廉潔癖なまま、魔王討伐まで達成したのですか?」
「・・・いいや、私は利用するものは利用した。それが必要だったからだ」
「ですよね。私もそうしようとしているだけです」
皆がさくらを説得しようとしている。
だが、さくらは自身を正当化しているように受け答えるだけだった。
「幾らでも仰ってください。どうせ正当性など誰にも無いのですから」
その言葉は重かった。
俺もアレクサンドラ会長も、利用できるものは利用してここまで辿り着いた。
それが正しい行いだったのかと問われれば、胸を張ってそうだと言い切れない。
さっき皆に認めてもらったとはいえ、やった事実は消せないのだから。
「あの、九条さん。京極君の気持ちはどうなの? 残りたいって言った?」
「武さんとお話なら先程しましたよ? わたしのことが好きだそうです♪」
捕らえられている俺はすぐ後ろで喋っているさくらの表情は見えない。
でもその夢見心地でうっとりしているような口調はわかった。
まるで何かに酔っているかのようだった。
「・・・わかった。さくら、ちょっとサシで話をしようか」
「あら、こちらへ来ますか? それ以上近づくと力づくになってしまいます」
「ええ、そこまで行くわ」
「あはははは! わたしたちは共鳴しているのですよ。たとえ先輩方でも抗うのは難しいでしょう!」
「それは・・・やってみないとわからない!」
止めろと俺が口を挟む間もなく。
香はこちらに駆けだした。
同時にほかの全員が動き出した。
最初に突出したのはレオンとソフィア嬢だった。
左右から香に向かって刃の切っ先を向けた。
手加減なし。そのまま殺してしまう勢いで。
「香! 止まれ!!」
だが香は止まらない。
おい、冗談だろ!?
その凶刃に身を投げ出すよう、香は迷わず突進した。
ばちいぃぃぃん!
あわや斬られるというタイミングでふたりの刃が止まった。
緑色の残滓が飛び散る。
凛花先輩が左手と右足で、虹色に輝く王者の剣と竜角剣を受け止めていた。
「「え!?」」
俺とさくらの驚く声が同時に出た。
だって虹色って共鳴してんだろ?
どうして普段よりも出力が上がってるはずのアレを凛花先輩が受け止められるんだ!?
「行け、香! レオン、ソフィア、アタイと遊ぼうぜ! おらあぁぁぁ!!」
凛花先輩はそのまま空中で半回転してレオンとソフィア嬢を蹴飛ばした。
武器ごとふたりは遠くへ吹き飛ばされていった。
レオンとソフィア嬢の攻撃を抜けた香の前に、今度は結弦が立ちふさがった。
無言のまま千子刀が襲い掛かる。
当たれば胴が真っ二つという軌道。
あああ、あれじゃ避けられない!
見ていられなくて思わず目を閉じる。
ばちいいぃぃぃぃん!
眩い光がして、また具現化がぶつかり合う音がした。
恐る恐る目を開けると、香の前にはデイジーさんの輝く十字架があった。
「いけませんわ~。闇を払うためにだけ具現化は遣わされたのですよ~」
結弦の一撃を受け止め、勢いを殺したところで。
デイジーさんは前へ躍り出て、まるでピッチャーの投球を打ち返すが如く、十字架を大振りに振りかぶった。
結弦はその衝撃に抗うこともできず遠くへと吹き飛ばされていった。
「なぜ!?」
「香様~、どうぞお進みください~!」
「デイジーさん、感謝!」
さくらの驚きの声と同時に香は駆けだした。
俺も想定外で驚いている。
なんであんなに力の差が・・・!?
今度は横からジャンヌが紅魔槍を突き出してくる。
今度こそ香に突き刺さらんとしたその槍は――
「――地槍撃!」
「ひゃっ!?」
「うお!?」
どがん、と突き上げる大震動。
香のすぐ横に巨大な岩が隆起した。
それはアレクサンドラ会長の土魔法だった。
ジャンヌはその岩に突き飛ばされ大きく宙へ舞った。
「しばし、場外で手合わせ願おう! ――岩石弾!」
空中で躱せないところに多数の岩石弾がジャンヌに襲い掛かる。
幾らかは槍で弾いたが、四方八方からの攻撃を防ぎきれるわけもなく。
ジャンヌは幾つかの直撃を受け、大きく遠くへ飛ばされていった。
「橘 香! 頼んだぞ!」
「ありがとう、アレクサンドラ!」
そして香がすぐそこまで迫る。
俺も信じられないことの連続で驚いている。
さくらも同じなのだろう、焦った声で指示を出した。
「っ! 彼女の脚を!」
「させないわ。 ――反魔結界!」
ばちいいぃぃぃん!
ばちいぃぃぃぃん!
リアム君が放った何発かの弾丸は、燦然と輝く白い壁に弾かれる。
聖女様の結界で無効化され、続いて放たれた弾丸も消えていった。
聖女様、さっきふらふらだったじゃねえかよ!
どうして強化されたあの弾丸も防げるんだ!?
「恵、お願い!」
「ごめんね! えーい!!」
神穂の稲妻を撃ち続けているリアム君の横から先輩が飛びついた。
体格の小さいリアム君はそのまま先輩に掴まれて、ごろごろと転がっていった。
「香! 行って!」
「京極君を!」
「ええ! 澪さん、恵さん!」
いよいよ香が迫る。
さくらは俺を香に向けて突き飛ばした。
「どうして!? くっ!」
「うおっ!?」
「武!」
強制ダイブさせられた俺を、突進していたはずの香が難なく受け止めた。
ぼふん、と場にそぐわぬ音と共に、彼女のその豊かな胸の中へ。
「大丈夫!? 怪我してない!?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
何が起きているのかもわからぬまま、香にぎゅっと抱きしめられる。
何度も抱き合った彼女の抱擁に、混乱していた気持ちが落ち着かされていく。
「安心して。必ず守るから」
「そこまでです、女狐さん」
5人という手駒と俺という人質を失ったさくら。
今度は彼女自身が俺たちに向けて、白魔弓を向けていた。
「武さん、貴方でも邪魔は許しません。大人しくしてもらいます」
俺を抱きしめていた香の腕の力が緩む。
俺たちを行動不能にしてしまえば彼女の目的は達成されてしまう。
今、不用意な動きを見せれば射貫かれてしまうだろう。
(ね。隙を作るからさくらを戻してあげて)
香が囁いた。
隙を作る? どうやって?
さくらを戻すってどうやって?
落ち着いたはずの俺の思考はまた混乱を始める。
俺の返事を聞かず、香はさくらを睨みつけながら俺から離れていった。
「さくら。サシで話をしようと言ったでしょ?」
「貴女と話すことなどありません」
「そう言わずにさ。これでね――神威」
「な・・・!?」
香が前触れもなく固有能力を具現化した。
俺と共鳴しないとできないはずのそれを!
「私と貴女。話し合うなら弓しかないでしょ」
「――笑わせて・・・くれます!!」
さくらは香を迷わずに射た。
白魔弓から放たれた矢はきらきらと青黒い軌跡を宙に描く。
おおよそ矢の軌道とは思えない楕円形の軌跡が香に目掛けて迫った。
「はっ!」
香はその矢に向かって神威を放った。
音もなく放たれた青い軌道が、楕円軌道とぶつかる。そして――
ばりいぃぃぃん、と一方的に具現化を撃ち砕く音がした。
神威の矢が、白魔弓の矢を貫通して抜けていったからだ。
「! そんなもの!!」
最初の1本は香の脚を狙っただけだったのだろう。
だが打ち消されて躍起になった。
今度は彼女を射殺さんとばかりに矢継ぎ早に何本も射続けた。
それに対して――
「・・・はっ・・・ふっ!」
香は・・・目を閉じて射ていた!
そして的確にさくらの矢に合わせ八節をこなし、それぞれの矢を撃ち抜いたのだ。
「なぜ、なぜ!! どうして!!! どうしてぇ!!!」
「・・・・・・」
何度も何度も、さくらは香に目掛けて射る。
だが悉く、その矢は香に撃ち抜かれていた。
リアム君が銃弾を撃ち抜いたのは見たけれど・・・香のこれは、それ以上だった。
目を閉じているぶんだけ、もっとだ。
十、二十とそれが繰り返され。
何度目かの矢で、無駄と悟ったのか息が切れたさくらは射るのを止めた。
香の目を閉じたまま残心の姿。
俺はそれに既視感を覚えた。
スポットライトのような月明かりに照らされた弓を構えるその姿。
真剣な吊り目に長い睫毛。
ポニーテールが彼女らしさを強調して。
その凛とした雰囲気は彼女が立つ空間を切り取って静謐な一枚絵のように飾り立て。
俺がかつて見上げた、あの到達点。
俺がこの世界で最初に憧れた、あの美しい姿がまさに今、ここにあったのだ。
「嘘、嘘、どこでそんな力を・・・!!」
「武!」
目を奪われていた俺は香の声で我に返った。
さくらが顔を歪めて狼狽していた。
そうだ、さくらを正気に戻すんだ。
香が作った隙を無駄にしてはいけない!
俺は呆然としているさくらに向けて駆けた。
何とかしてあの澱をさくらから取り除く!
走りながら俺は頭を巡らせた。
必死に考えた。
祝福は? 白の禊は? 共鳴は?
前みたいに魔力同期で摘出できないか。
時の歯車みたいなアーティファクトは使えないか?
そんなものは持ってない!
どれも駄目だ!
走り出してから僅か数秒。
その数秒がまるで数時間に感じられるほどに俺の脳はフル回転した。
あらゆる可能性を巡らせた。
俺にある手札!
可能性のあるもの!
それを、どうやって!
そうだ、これしかない!!
「さくらぁぁ!!」
俺はさくらに飛びついた。
香に向けて白魔弓を構えたままのさくらはあっさりと俺に捕まった。
「武さん!! 放し・・・!?」
抵抗しようとした彼女をがしりと掴まえて。
ごろごろと地面を転がった。
怯んで歪んだ彼女と目が合う。
彼女の銀色の瞳からは――涙が零れていた。
一瞬、その表情に躊躇してしまう。
でも――!!
俺は彼女の顎を掴むと、ゆっくりと口付けした。
強張ったさくらの身体。
俺の突然の接吻に、彼女は戸惑い、逡巡し。
やがて受け入れたのだろう、力を抜いて目を閉じた。
「んん・・・」
艶めかしい声がさくらから漏れる。
舌を絡める。
陶酔にも似たその声。
さくら・・・。
弄んだ俺が悪かった。
でも――お前には綺麗なままでいてほしい!
「・・・んん!? っんぐ!!」
どん!
さくらが俺を突き飛ばした。
尻もちをついた俺をさくらが睨んでいた。
「けほっ! な、何を飲ませたのです・・・う、うぐ・・・!!」
嚥下した途端、胸部を抑えて苦しみ始めるさくら。
「ああ、あああ!! やめ、やめて、やめてえぇぇぇぇ!!」
自身の身体を両腕で抱き締めて、さくらは叫んだ。
黒と青と白の魔力が彼女から噴き出ていた。
「武! 何をしたの!?」
「飲ませたんだ」
さくらは悶えた。
身体を捩り、叫び、地に伏した。
「駄目、駄目、駄目!! 無くなる、無くなっちゃう!! 駄目ぇ!!」
心配した香がやって来た。
さくらの尋常でない苦しみ方に、不安になったのだろう。
「まさか、毒でも飲ませたの!?」
「ああ、毒だよ。あいつの中にいる悪意には毒となる、エンジェルストーンを」
さくらの身体から白い光が弾けるように広がった。
彼女に纏わりついていた黒い影が、それに押されて千切れながら四散していった。
断末魔のような叫び声が反響して、それきり辺りは静かになった。
◇
さくらの暴走が止まったところで俺は美晴に駆け寄った。
縛られた腕と脚の縄を解いてやる。
「・・・うう」
「大丈夫か!」
「う、先輩・・・っ、大丈夫、です」
ゆっくりと抱き起してやると、美晴は俺を見て微笑んだ。
良かった、特に外傷もなさそうだ。
と、安堵しているところで。
周囲の空間がきらきらと輝きだした。
先程、聖女様が祝福してくれたときのような。
まるで魔力の残滓が漂っているかのようだった。
「!! いけない、もう魔力が! 時間がありません!」
「え?」
「先輩、すぐに送還します! こちらへ!」
美晴に導かれるまま、ふたりで向かい合って立った。
俺はまた両手を彼女の両手に重ねた。
周囲に輝く魔力の残滓は地面に吸い込まれるように少しずつ薄くなっていく。
徐々に魔力が消えているのだろう。
もう魔法が使えなくなるのだ。
「武」
「香・・・」
「元気でね。夜更かししちゃダメだよ」
最後に笑顔で手を振りながら見送ってくれる香。
相変わらず友達とさよならするくらいの感じだ。
それが軽いとは言わないけれど。
どうにも寂しいと感じてしまう。
「――其の交差したる因果の結び目よ・・・」
有無を言わさず、美晴が詠唱を始めた。
改めて挨拶をしたかったが、ほんとうに時間がないのだろう。
俺と美晴の周囲に浮かび上がる白い魔力。
ぼんやりと宙に浮いているかのような感覚に陥る。
いや、これは・・・実際に宙に浮いている?
香はずっと笑顔で手を振るだけ。
あまりに呆気ない最後。
俺とお前の仲はそれだけじゃねえだろ!
俺はついに我慢ができなくなってしまった。
【香・・・香! お前が、一番の心の支えになってくれた! お前がいたから、この世界でここまで頑張れたんだ! ずっと愛してる、愛してるぞ!】
辛くなるかもと控えていた言葉。
互いに共鳴までして愛情を交換したのだ。
言葉にしなくとも伝わっているはずの愛情が、確かにここにあるのだと伝えたかった。
【ふふ、なにそれ。あ~もう、ここまで我慢してたのに・・・】
すぅっと、香は笑顔を仕舞った。
そして覚悟を決めたように凛とした真剣な表情となり。
その耽美な吊り目を俺に向けた。
【戻ったらそれを雪子さんに言ってあげてよ。本妻の彼女に『旦那様をお借りしました』ってのも一緒に】
【は? 香、お前、どうして・・・?】
【ずっと知ってたの。初めて繋がったあのときから】
美晴と俺は数メートル浮かび上がっていた。
もう、香と互いに触れられる距離ではなくなっていた。
【それじゃ、お前・・・!】
【良いの、それでも好きだったから! 言ったじゃない、貴方のやりたいこと、やることをぜんぶ受け入れてるって】
【香・・・】
【貴方が幸せになることが私の幸せなの! だからもっと喜んでよ! やっと帰れるんだよ! ずっと夢見てた瞬間だよ! ほら、笑ってよ!】
飄々としていたはずの、香の顔が歪んでいた。
涙声になりながら俺へエールを贈り続けていた。
どうして俺はここまで鈍感だったんだよ!
ずっと澄まし顔だったから気付かなかったんだ、彼女のほんとうの気持ちに!
【俺は・・・お前とこれで終わりにしたくない!】
【馬鹿! 貴女の一番は、雪子さんは! 貴方をずっと待ってるの!!】
【でも・・・】
【もう、ほんとうに馬鹿!! 私だって、貴方が帰るの、嫌に決まってる! 嫌だ、帰って欲しくない! ずっと傍にいて欲しい!! 帰っちゃ嫌、嫌なの!!】
くしゃくしゃに顔を歪め、ぼろぼろと涙を零しながら香が叫んだ。
胸が刃物を刺されたかのようにずきずきと痛む。
俺の瞳からも涙が溢れていた。
【愛してる、愛してるの!! 行っちゃ嫌だ!! 武、武!! 私の武!!】
【俺もだ、香!! 愛してる! 絶対に、絶対に忘れないから!! 絶対にだ!!】
もう、この権能を止められないことはわかっていた。
これが最後のタイミングだということも。
それでも「止めてくれ」と叫びそうになってしまう。
そうできないからこそ「忘れない」という言葉を選んだ。
俺とお前の時間は確かに存在したんだ、と。
【武!! 愛してる、ずっとずっと、愛してるから――】
その叫びさえも少しずつ遠くなっていく。
周囲が白い光に包まれ、何もかもが見えなくなっていく。
【武さん! わたし、わたし――】
香の声に混じってさくらの叫び声が聞こえた。
奪われた視界の中、薄っすらと見えたさくらの顔。
霧のような白い空間に垣間見えたその銀色の瞳の、銀色の意思が俺の目を射抜いた。
【絶対に忘れません!! 貴方と過ごした時間を! 貴方の温もりを! だから、だからいつか――】
甲高い、涙ながらの金切声。
最後にさくらのその意思を受け取って。
そのままふたりの声は聞こえなくなった。
俺の周囲は完全に真っ白に染まっていった――
――長い長い時間が経ったような気がした。
香やさくらと別れたのが遠い昔のように感じる。
俺はただ、真っ白な空間にいた。
立っているような、泳いでいるような、浮いているような、不思議な感覚。
そこに美晴の姿があった。
「アイギス?」
――はい、アイギスです。先輩、これが『因果の結び目』です
「因果の結び目」
見れば、彼女の手元にふたつの長い紐のようなものがあった。
その2本の線は絡まったかのように1か所で繋がっていた。
――こちらが2030年の先輩の世界線。こちらが2211年の未来の世界線です
「その結び目が、俺を未来に繋いでたんだな」
――そうです。これを解けば貴方は元の世界へと戻ります
「・・・なぁ、前に言ってたよな。それを解いたら『すべてが無かったことになる』って」
――はい。因果とともに時間的矛盾が解消されます
「・・・つまり、俺も、あいつらも、ぜんぶ、忘れちまうってことか?」
――はい、未来では貴方に関わる記憶のすべてが消されます。貴方は未来に関わる記憶のすべてが消されます
「・・・それ、魔王討伐も無かったことになるんじゃね?」
――いいえ。起きた事実は事実として矛盾が無いように改変されます。貴方が為したことはそのまま残り続けることになります
良くわからないけれど。
俺に関してのことが無かったことになるわけだ。
・・・それは。
・・・それは、あまりにも――――寂しくないか。
今、これから消えようとしているアイギス。
お前だってこれで最期だってのに、どうしてそんなに嬉しそうなのか。
俺の今の気持ちと同じじゃねえのか。
俯いて拳を握りしめていたところに。
ふわりとした感触が唇に重なった。
「!?」
――先輩。最後ですから・・・
目尻を光らせて微笑む彼女。
その寂しそうな笑みを見て言葉に詰まった。
「・・・ありがとな、美晴」
なんとか絞り出したお礼。
この感謝さえも立ち消えてしまうのか。
言葉にさえできないもどかしい気持ちを抱えてしまう。
――先輩。先輩はとても頑張ってくれました。そのご褒美に、最期に残ったこの力で、少しだけなら先輩の願いを叶えられます
「願い?」
――はい。世界線を少しいじるくらいですが。例えば、宝くじが当たってお金持ちになるとか、可能性があることならできますよ
「・・・少しだけ時間をくれ・・・」
願い・・・。
願いなんて!
願いなんて、この記憶が消えた後には――
「・・・どんな願いでも、可能性がありゃ良いんだよな? 探究者みたいに」
――はい。でも私の力の及ぶ範囲ですよ? もう大したことはできないと思います
申し訳なさそうに目を伏せる彼女。
でもその姿を見て俺はにやついてしまった。
「・・・ふーん。なら、ちょっと頑張ってもらおうかな。起こり得そうなことなら力も少しずつしか使わねぇだろ?」
――――え?
「・・・ぅあ」
冷え切ったようなさくらの声。
後ろ手に腕を引かれ吊るされるようにして、俺は無理矢理に起立していた。
ぼんやりと意識が戻って来る。
視界に金色、紅色、黒色、栗毛色とカラフルな色が飛び込んで来た。
ああ、これはあいつらの髪の色だ。
両腕が拘束されて痛い。
どうやらさくらが俺を捕えているようだった。
「ほら、このとおり無事です。武さんは大切な人ですから。今しばらく、大人しくしてもらうだけですよ」
「それが自己満足だって言ってるの。誰も得をしない道だわ」
「そうでしょうか? 橘先輩だって数か月後にはわたしに感謝していると思います」
さくらと香が口論していた。
よく見れば、あいつらの向こう側に香の姿が見えた。
そのさらに向こう側に、アレクサンドラ会長をはじめとした先輩方の姿もある。
「その結果が出てからでは遅い。さくら、その選択は武さんにしか許されてない。彼の選択に私たちが口を出してはならない」
「もう吹っ切れて代わりが見つかった澪先輩は何とでも言えますよね」
「なっ・・・!」
諭そうとした聖女様をさくらが煽っている。
「九条 さくら。君は許されざることをしていることを自覚すべきだ」
「では問います。アレクサンドラ会長は後ろめたいこともなく清廉潔癖なまま、魔王討伐まで達成したのですか?」
「・・・いいや、私は利用するものは利用した。それが必要だったからだ」
「ですよね。私もそうしようとしているだけです」
皆がさくらを説得しようとしている。
だが、さくらは自身を正当化しているように受け答えるだけだった。
「幾らでも仰ってください。どうせ正当性など誰にも無いのですから」
その言葉は重かった。
俺もアレクサンドラ会長も、利用できるものは利用してここまで辿り着いた。
それが正しい行いだったのかと問われれば、胸を張ってそうだと言い切れない。
さっき皆に認めてもらったとはいえ、やった事実は消せないのだから。
「あの、九条さん。京極君の気持ちはどうなの? 残りたいって言った?」
「武さんとお話なら先程しましたよ? わたしのことが好きだそうです♪」
捕らえられている俺はすぐ後ろで喋っているさくらの表情は見えない。
でもその夢見心地でうっとりしているような口調はわかった。
まるで何かに酔っているかのようだった。
「・・・わかった。さくら、ちょっとサシで話をしようか」
「あら、こちらへ来ますか? それ以上近づくと力づくになってしまいます」
「ええ、そこまで行くわ」
「あはははは! わたしたちは共鳴しているのですよ。たとえ先輩方でも抗うのは難しいでしょう!」
「それは・・・やってみないとわからない!」
止めろと俺が口を挟む間もなく。
香はこちらに駆けだした。
同時にほかの全員が動き出した。
最初に突出したのはレオンとソフィア嬢だった。
左右から香に向かって刃の切っ先を向けた。
手加減なし。そのまま殺してしまう勢いで。
「香! 止まれ!!」
だが香は止まらない。
おい、冗談だろ!?
その凶刃に身を投げ出すよう、香は迷わず突進した。
ばちいぃぃぃん!
あわや斬られるというタイミングでふたりの刃が止まった。
緑色の残滓が飛び散る。
凛花先輩が左手と右足で、虹色に輝く王者の剣と竜角剣を受け止めていた。
「「え!?」」
俺とさくらの驚く声が同時に出た。
だって虹色って共鳴してんだろ?
どうして普段よりも出力が上がってるはずのアレを凛花先輩が受け止められるんだ!?
「行け、香! レオン、ソフィア、アタイと遊ぼうぜ! おらあぁぁぁ!!」
凛花先輩はそのまま空中で半回転してレオンとソフィア嬢を蹴飛ばした。
武器ごとふたりは遠くへ吹き飛ばされていった。
レオンとソフィア嬢の攻撃を抜けた香の前に、今度は結弦が立ちふさがった。
無言のまま千子刀が襲い掛かる。
当たれば胴が真っ二つという軌道。
あああ、あれじゃ避けられない!
見ていられなくて思わず目を閉じる。
ばちいいぃぃぃぃん!
眩い光がして、また具現化がぶつかり合う音がした。
恐る恐る目を開けると、香の前にはデイジーさんの輝く十字架があった。
「いけませんわ~。闇を払うためにだけ具現化は遣わされたのですよ~」
結弦の一撃を受け止め、勢いを殺したところで。
デイジーさんは前へ躍り出て、まるでピッチャーの投球を打ち返すが如く、十字架を大振りに振りかぶった。
結弦はその衝撃に抗うこともできず遠くへと吹き飛ばされていった。
「なぜ!?」
「香様~、どうぞお進みください~!」
「デイジーさん、感謝!」
さくらの驚きの声と同時に香は駆けだした。
俺も想定外で驚いている。
なんであんなに力の差が・・・!?
今度は横からジャンヌが紅魔槍を突き出してくる。
今度こそ香に突き刺さらんとしたその槍は――
「――地槍撃!」
「ひゃっ!?」
「うお!?」
どがん、と突き上げる大震動。
香のすぐ横に巨大な岩が隆起した。
それはアレクサンドラ会長の土魔法だった。
ジャンヌはその岩に突き飛ばされ大きく宙へ舞った。
「しばし、場外で手合わせ願おう! ――岩石弾!」
空中で躱せないところに多数の岩石弾がジャンヌに襲い掛かる。
幾らかは槍で弾いたが、四方八方からの攻撃を防ぎきれるわけもなく。
ジャンヌは幾つかの直撃を受け、大きく遠くへ飛ばされていった。
「橘 香! 頼んだぞ!」
「ありがとう、アレクサンドラ!」
そして香がすぐそこまで迫る。
俺も信じられないことの連続で驚いている。
さくらも同じなのだろう、焦った声で指示を出した。
「っ! 彼女の脚を!」
「させないわ。 ――反魔結界!」
ばちいいぃぃぃん!
ばちいぃぃぃぃん!
リアム君が放った何発かの弾丸は、燦然と輝く白い壁に弾かれる。
聖女様の結界で無効化され、続いて放たれた弾丸も消えていった。
聖女様、さっきふらふらだったじゃねえかよ!
どうして強化されたあの弾丸も防げるんだ!?
「恵、お願い!」
「ごめんね! えーい!!」
神穂の稲妻を撃ち続けているリアム君の横から先輩が飛びついた。
体格の小さいリアム君はそのまま先輩に掴まれて、ごろごろと転がっていった。
「香! 行って!」
「京極君を!」
「ええ! 澪さん、恵さん!」
いよいよ香が迫る。
さくらは俺を香に向けて突き飛ばした。
「どうして!? くっ!」
「うおっ!?」
「武!」
強制ダイブさせられた俺を、突進していたはずの香が難なく受け止めた。
ぼふん、と場にそぐわぬ音と共に、彼女のその豊かな胸の中へ。
「大丈夫!? 怪我してない!?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
何が起きているのかもわからぬまま、香にぎゅっと抱きしめられる。
何度も抱き合った彼女の抱擁に、混乱していた気持ちが落ち着かされていく。
「安心して。必ず守るから」
「そこまでです、女狐さん」
5人という手駒と俺という人質を失ったさくら。
今度は彼女自身が俺たちに向けて、白魔弓を向けていた。
「武さん、貴方でも邪魔は許しません。大人しくしてもらいます」
俺を抱きしめていた香の腕の力が緩む。
俺たちを行動不能にしてしまえば彼女の目的は達成されてしまう。
今、不用意な動きを見せれば射貫かれてしまうだろう。
(ね。隙を作るからさくらを戻してあげて)
香が囁いた。
隙を作る? どうやって?
さくらを戻すってどうやって?
落ち着いたはずの俺の思考はまた混乱を始める。
俺の返事を聞かず、香はさくらを睨みつけながら俺から離れていった。
「さくら。サシで話をしようと言ったでしょ?」
「貴女と話すことなどありません」
「そう言わずにさ。これでね――神威」
「な・・・!?」
香が前触れもなく固有能力を具現化した。
俺と共鳴しないとできないはずのそれを!
「私と貴女。話し合うなら弓しかないでしょ」
「――笑わせて・・・くれます!!」
さくらは香を迷わずに射た。
白魔弓から放たれた矢はきらきらと青黒い軌跡を宙に描く。
おおよそ矢の軌道とは思えない楕円形の軌跡が香に目掛けて迫った。
「はっ!」
香はその矢に向かって神威を放った。
音もなく放たれた青い軌道が、楕円軌道とぶつかる。そして――
ばりいぃぃぃん、と一方的に具現化を撃ち砕く音がした。
神威の矢が、白魔弓の矢を貫通して抜けていったからだ。
「! そんなもの!!」
最初の1本は香の脚を狙っただけだったのだろう。
だが打ち消されて躍起になった。
今度は彼女を射殺さんとばかりに矢継ぎ早に何本も射続けた。
それに対して――
「・・・はっ・・・ふっ!」
香は・・・目を閉じて射ていた!
そして的確にさくらの矢に合わせ八節をこなし、それぞれの矢を撃ち抜いたのだ。
「なぜ、なぜ!! どうして!!! どうしてぇ!!!」
「・・・・・・」
何度も何度も、さくらは香に目掛けて射る。
だが悉く、その矢は香に撃ち抜かれていた。
リアム君が銃弾を撃ち抜いたのは見たけれど・・・香のこれは、それ以上だった。
目を閉じているぶんだけ、もっとだ。
十、二十とそれが繰り返され。
何度目かの矢で、無駄と悟ったのか息が切れたさくらは射るのを止めた。
香の目を閉じたまま残心の姿。
俺はそれに既視感を覚えた。
スポットライトのような月明かりに照らされた弓を構えるその姿。
真剣な吊り目に長い睫毛。
ポニーテールが彼女らしさを強調して。
その凛とした雰囲気は彼女が立つ空間を切り取って静謐な一枚絵のように飾り立て。
俺がかつて見上げた、あの到達点。
俺がこの世界で最初に憧れた、あの美しい姿がまさに今、ここにあったのだ。
「嘘、嘘、どこでそんな力を・・・!!」
「武!」
目を奪われていた俺は香の声で我に返った。
さくらが顔を歪めて狼狽していた。
そうだ、さくらを正気に戻すんだ。
香が作った隙を無駄にしてはいけない!
俺は呆然としているさくらに向けて駆けた。
何とかしてあの澱をさくらから取り除く!
走りながら俺は頭を巡らせた。
必死に考えた。
祝福は? 白の禊は? 共鳴は?
前みたいに魔力同期で摘出できないか。
時の歯車みたいなアーティファクトは使えないか?
そんなものは持ってない!
どれも駄目だ!
走り出してから僅か数秒。
その数秒がまるで数時間に感じられるほどに俺の脳はフル回転した。
あらゆる可能性を巡らせた。
俺にある手札!
可能性のあるもの!
それを、どうやって!
そうだ、これしかない!!
「さくらぁぁ!!」
俺はさくらに飛びついた。
香に向けて白魔弓を構えたままのさくらはあっさりと俺に捕まった。
「武さん!! 放し・・・!?」
抵抗しようとした彼女をがしりと掴まえて。
ごろごろと地面を転がった。
怯んで歪んだ彼女と目が合う。
彼女の銀色の瞳からは――涙が零れていた。
一瞬、その表情に躊躇してしまう。
でも――!!
俺は彼女の顎を掴むと、ゆっくりと口付けした。
強張ったさくらの身体。
俺の突然の接吻に、彼女は戸惑い、逡巡し。
やがて受け入れたのだろう、力を抜いて目を閉じた。
「んん・・・」
艶めかしい声がさくらから漏れる。
舌を絡める。
陶酔にも似たその声。
さくら・・・。
弄んだ俺が悪かった。
でも――お前には綺麗なままでいてほしい!
「・・・んん!? っんぐ!!」
どん!
さくらが俺を突き飛ばした。
尻もちをついた俺をさくらが睨んでいた。
「けほっ! な、何を飲ませたのです・・・う、うぐ・・・!!」
嚥下した途端、胸部を抑えて苦しみ始めるさくら。
「ああ、あああ!! やめ、やめて、やめてえぇぇぇぇ!!」
自身の身体を両腕で抱き締めて、さくらは叫んだ。
黒と青と白の魔力が彼女から噴き出ていた。
「武! 何をしたの!?」
「飲ませたんだ」
さくらは悶えた。
身体を捩り、叫び、地に伏した。
「駄目、駄目、駄目!! 無くなる、無くなっちゃう!! 駄目ぇ!!」
心配した香がやって来た。
さくらの尋常でない苦しみ方に、不安になったのだろう。
「まさか、毒でも飲ませたの!?」
「ああ、毒だよ。あいつの中にいる悪意には毒となる、エンジェルストーンを」
さくらの身体から白い光が弾けるように広がった。
彼女に纏わりついていた黒い影が、それに押されて千切れながら四散していった。
断末魔のような叫び声が反響して、それきり辺りは静かになった。
◇
さくらの暴走が止まったところで俺は美晴に駆け寄った。
縛られた腕と脚の縄を解いてやる。
「・・・うう」
「大丈夫か!」
「う、先輩・・・っ、大丈夫、です」
ゆっくりと抱き起してやると、美晴は俺を見て微笑んだ。
良かった、特に外傷もなさそうだ。
と、安堵しているところで。
周囲の空間がきらきらと輝きだした。
先程、聖女様が祝福してくれたときのような。
まるで魔力の残滓が漂っているかのようだった。
「!! いけない、もう魔力が! 時間がありません!」
「え?」
「先輩、すぐに送還します! こちらへ!」
美晴に導かれるまま、ふたりで向かい合って立った。
俺はまた両手を彼女の両手に重ねた。
周囲に輝く魔力の残滓は地面に吸い込まれるように少しずつ薄くなっていく。
徐々に魔力が消えているのだろう。
もう魔法が使えなくなるのだ。
「武」
「香・・・」
「元気でね。夜更かししちゃダメだよ」
最後に笑顔で手を振りながら見送ってくれる香。
相変わらず友達とさよならするくらいの感じだ。
それが軽いとは言わないけれど。
どうにも寂しいと感じてしまう。
「――其の交差したる因果の結び目よ・・・」
有無を言わさず、美晴が詠唱を始めた。
改めて挨拶をしたかったが、ほんとうに時間がないのだろう。
俺と美晴の周囲に浮かび上がる白い魔力。
ぼんやりと宙に浮いているかのような感覚に陥る。
いや、これは・・・実際に宙に浮いている?
香はずっと笑顔で手を振るだけ。
あまりに呆気ない最後。
俺とお前の仲はそれだけじゃねえだろ!
俺はついに我慢ができなくなってしまった。
【香・・・香! お前が、一番の心の支えになってくれた! お前がいたから、この世界でここまで頑張れたんだ! ずっと愛してる、愛してるぞ!】
辛くなるかもと控えていた言葉。
互いに共鳴までして愛情を交換したのだ。
言葉にしなくとも伝わっているはずの愛情が、確かにここにあるのだと伝えたかった。
【ふふ、なにそれ。あ~もう、ここまで我慢してたのに・・・】
すぅっと、香は笑顔を仕舞った。
そして覚悟を決めたように凛とした真剣な表情となり。
その耽美な吊り目を俺に向けた。
【戻ったらそれを雪子さんに言ってあげてよ。本妻の彼女に『旦那様をお借りしました』ってのも一緒に】
【は? 香、お前、どうして・・・?】
【ずっと知ってたの。初めて繋がったあのときから】
美晴と俺は数メートル浮かび上がっていた。
もう、香と互いに触れられる距離ではなくなっていた。
【それじゃ、お前・・・!】
【良いの、それでも好きだったから! 言ったじゃない、貴方のやりたいこと、やることをぜんぶ受け入れてるって】
【香・・・】
【貴方が幸せになることが私の幸せなの! だからもっと喜んでよ! やっと帰れるんだよ! ずっと夢見てた瞬間だよ! ほら、笑ってよ!】
飄々としていたはずの、香の顔が歪んでいた。
涙声になりながら俺へエールを贈り続けていた。
どうして俺はここまで鈍感だったんだよ!
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【俺は・・・お前とこれで終わりにしたくない!】
【馬鹿! 貴女の一番は、雪子さんは! 貴方をずっと待ってるの!!】
【でも・・・】
【もう、ほんとうに馬鹿!! 私だって、貴方が帰るの、嫌に決まってる! 嫌だ、帰って欲しくない! ずっと傍にいて欲しい!! 帰っちゃ嫌、嫌なの!!】
くしゃくしゃに顔を歪め、ぼろぼろと涙を零しながら香が叫んだ。
胸が刃物を刺されたかのようにずきずきと痛む。
俺の瞳からも涙が溢れていた。
【愛してる、愛してるの!! 行っちゃ嫌だ!! 武、武!! 私の武!!】
【俺もだ、香!! 愛してる! 絶対に、絶対に忘れないから!! 絶対にだ!!】
もう、この権能を止められないことはわかっていた。
これが最後のタイミングだということも。
それでも「止めてくれ」と叫びそうになってしまう。
そうできないからこそ「忘れない」という言葉を選んだ。
俺とお前の時間は確かに存在したんだ、と。
【武!! 愛してる、ずっとずっと、愛してるから――】
その叫びさえも少しずつ遠くなっていく。
周囲が白い光に包まれ、何もかもが見えなくなっていく。
【武さん! わたし、わたし――】
香の声に混じってさくらの叫び声が聞こえた。
奪われた視界の中、薄っすらと見えたさくらの顔。
霧のような白い空間に垣間見えたその銀色の瞳の、銀色の意思が俺の目を射抜いた。
【絶対に忘れません!! 貴方と過ごした時間を! 貴方の温もりを! だから、だからいつか――】
甲高い、涙ながらの金切声。
最後にさくらのその意思を受け取って。
そのままふたりの声は聞こえなくなった。
俺の周囲は完全に真っ白に染まっていった――
――長い長い時間が経ったような気がした。
香やさくらと別れたのが遠い昔のように感じる。
俺はただ、真っ白な空間にいた。
立っているような、泳いでいるような、浮いているような、不思議な感覚。
そこに美晴の姿があった。
「アイギス?」
――はい、アイギスです。先輩、これが『因果の結び目』です
「因果の結び目」
見れば、彼女の手元にふたつの長い紐のようなものがあった。
その2本の線は絡まったかのように1か所で繋がっていた。
――こちらが2030年の先輩の世界線。こちらが2211年の未来の世界線です
「その結び目が、俺を未来に繋いでたんだな」
――そうです。これを解けば貴方は元の世界へと戻ります
「・・・なぁ、前に言ってたよな。それを解いたら『すべてが無かったことになる』って」
――はい。因果とともに時間的矛盾が解消されます
「・・・つまり、俺も、あいつらも、ぜんぶ、忘れちまうってことか?」
――はい、未来では貴方に関わる記憶のすべてが消されます。貴方は未来に関わる記憶のすべてが消されます
「・・・それ、魔王討伐も無かったことになるんじゃね?」
――いいえ。起きた事実は事実として矛盾が無いように改変されます。貴方が為したことはそのまま残り続けることになります
良くわからないけれど。
俺に関してのことが無かったことになるわけだ。
・・・それは。
・・・それは、あまりにも――――寂しくないか。
今、これから消えようとしているアイギス。
お前だってこれで最期だってのに、どうしてそんなに嬉しそうなのか。
俺の今の気持ちと同じじゃねえのか。
俯いて拳を握りしめていたところに。
ふわりとした感触が唇に重なった。
「!?」
――先輩。最後ですから・・・
目尻を光らせて微笑む彼女。
その寂しそうな笑みを見て言葉に詰まった。
「・・・ありがとな、美晴」
なんとか絞り出したお礼。
この感謝さえも立ち消えてしまうのか。
言葉にさえできないもどかしい気持ちを抱えてしまう。
――先輩。先輩はとても頑張ってくれました。そのご褒美に、最期に残ったこの力で、少しだけなら先輩の願いを叶えられます
「願い?」
――はい。世界線を少しいじるくらいですが。例えば、宝くじが当たってお金持ちになるとか、可能性があることならできますよ
「・・・少しだけ時間をくれ・・・」
願い・・・。
願いなんて!
願いなんて、この記憶が消えた後には――
「・・・どんな願いでも、可能性がありゃ良いんだよな? 探究者みたいに」
――はい。でも私の力の及ぶ範囲ですよ? もう大したことはできないと思います
申し訳なさそうに目を伏せる彼女。
でもその姿を見て俺はにやついてしまった。
「・・・ふーん。なら、ちょっと頑張ってもらおうかな。起こり得そうなことなら力も少しずつしか使わねぇだろ?」
――――え?
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