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ドキドキの中学1年生

009

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 俺は弓道場を時折覗き、橘先輩がひとりになるタイミングを探した。
 犯罪者にならないように注意しながら。
 けれど彼女は熱心に指導していて、ひとりで奥に引っ込んだりすることはなかった。
 まだかまだかと続けているうちに17時を過ぎ、部活の終了時刻となってしまった。
 これは・・・帰り道に捕まえるしかねぇか。

 部活棟の出入り口に移動して様子を見る。
 はい、どうみてもストーカーです。
 おまわりさん、こっちじゃないです。

 ひとり、ふたりと制服に着替えて出てくる部員たち。
 他の部活の生徒も混じっているので探し辛い。
 でも弓道場の出入り口だとサシで捕まえられないから仕方ない。
 あ、九条さんだ。俯いて疲れた様子で歩いてる。
 辛いよな・・・今は駄目なんだ、ごめん。

 待つこと20分。
 未だ、橘先輩が来ない。おかしい。
 人の出入りも無くなってきたぞ。
 一度、弓道場に戻ってみよう。


 ◇


 今度は外から覗かず、中に入っていく。
 もう誰もいないよな・・・?
 薄暗い弓道場はおばけが出そうな雰囲気だった。
 平気だけどさ・・・。
 声かけられたらビックリするな、これ。


「ちょっと」

「うひゃっ!」


 ビックリすんだろ! 誰だよ!
 フラグ回収はえぇよ!
 心臓止まるかと思ったよ!!


「貴方、さっきから覗いてたでしょ」

「はい、ごめんなさい! つい弓道が気になって!」


 ごめんなさい、ここで捕まると俺の人生が詰んでしまいます!


「あら、見学したかったの?」

「そうなんです!」


 腰を90度曲げて最敬礼!
 見よ! 謝罪の姿勢!
 これでお怒りの顧客とも和解だ!


「・・・あまり時間はないけど、見たいなら見ていくといいわ」

「あ、ありがとうございます!」


 顔を上げると・・・未だ袴姿の橘先輩だった。
 図らずともサシの状況に持ち込んだぞ。
 ・・・見学するという嘘がちょっと心苦しいけど。
 そもそもさっき気付いてたのかよ・・・注意力すげぇな。
 こっち見てなかったと思うんだけど。


「射法八節。弓の全てがここにある」


 的前に立つ橘先輩。
 独り言のように呟くと、橘先輩は暗闇の中で的へ向けて射る。
 すとん、と的に命中する音がする。
 続けて2本、3本、と射る。
 すとん、すとん、と的に命中する音がする。

 おいおい、的が暗くてよく見えねぇぞ。
 達人は暗闇で当てると聞いたことがあるけど、これってそれ?
 もしかして橘先輩って達人?

 橘先輩は5本目の残心の格好のまま立ち尽くしていた。
 微動だにせず暗闇の的をじっと見つめている。
 その光景に俺は目を奪われた。
 夕闇に照らされた真剣な眼差し。
 吊り目に長い睫毛が目立つ。
 ポニーテールにしているのも髪が邪魔にならないようにするためだろう。
 凛とした雰囲気が、彼女が立つ空間を切り取って静謐な一枚絵のように飾り立てている。
 ただ立っているだけ、その残心が彼女の到達した技量を物語っていた。
 俺が見上げたその到達点は、彼女の血の滲むような努力を重ねて登りつめた場所だった。


「・・・すげぇ」


 思わず口から感想が漏れる。
 それを合図に橘先輩は構えを解いて俺に向き合った。


「一喜一憂せず、残心まで見てるなんて。貴方も経験者?」

「え、いや、違います。俺って?」

「・・・今年の一年生に経験者がいてね。弓道に理解がありそうだから、貴方もかなって」

「そうなんですか」

「ん? あら、貴方、よく見れば4月に見学に来た子?」

「え、覚えてたんですか?」

「私、人の顔を覚えるのは得意なのよ」


 さっきまでは暗くてよく見えなかったってとこか。


「ふうん。見学じゃなくて話があって来たって感じね」

「・・・鋭いですね。そのとおりです」


 両手を挙げて降参のポーズをする。
 話した感じ、実力者だし聡明だし、とてもいじめをする人に見えない。
 むしろ弓道への熱意は九条さんよりも熱そうだ。
 九条さんが前に「3年生の先輩に及ばない」って言ってたのって、この人のことじゃないか?


「ちょっと待ってなさい。片付けしたら時間作るから」

「・・・お願いします」


 やっべ、緊張してきた。
 おっさんからすると小娘相手にって状況ではあるんだけど。
 娘の楓と本気で言い合いすると言い負かされたりするからなぁ。
 下手な誤魔化しも効かなそうだし・・・。
 こりゃ本気モードで交渉しないと駄目か。

 そんな保身ばかり考えている俺を横目に、橘先輩は弓具を片付ける。
 弓を奥にしまい、巻藁を壁に寄せて。
 他の部員が出しっぱなしにしてあったものも拾って片付けている。
 あ、緩んでいた弦の貼り直しも・・・。
 なんかこの人、やる事に妥協しないな。
 熱心なのは見ていて気持ちいい。
 けど余裕がないというか。
 もしかして、そういうところでぶつかってんのかな。

 ガコン・・・

 ん?
 何の音だ? 鈍くて大きい、木の支えが外れたような音が響く。
 嫌な予感がしてあたりを見回す。
 橘先輩も何事かと周囲に目配せしている。
 あ! 橘先輩の上にある額縁だ!
 なんか達筆で書いてある巨大な額縁が落ちる!
 橘先輩、真下じゃねぇか!!

 危ない、と考える前に身体が動いていた。
 橘先輩のところまで飛び込んで突き飛ばす。
 間に合え・・・!!


「きゃぁ!?」


 ガコオオォォーーン

 横幅5メートルはある額縁だ、そりゃ重い。
 俺の背骨に一撃を加えるくらいにはな!
 何キロあんだよ、これ!?


「くっっ・・・はぁ・・・・」


 肺が押し潰されて悲鳴らしい悲鳴が出ない。
 痛みよりも呼吸ができないことに頭が混乱していた。


「ちょっと!! 大丈夫!? 生きてる!?」

「た・・・せ、んぱい」

「何!? これ重!? どうすれば!?」

「怪我、ない、ですね」

「!? ああもう、待ってなさい! 先生を呼んでくる!」


 取り乱した橘先輩が駆けていく姿に怪我が無かったと安心して、俺はそのまま意識を手放した。


 ◇


 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。
 ちょ・・・!


「またこのパターンかい!! っつつうぅぅ!?」

「目、覚めた!? 安静にしてなさい!」


 起き上がろうとして背中に激痛が走ったところで身体を押さえられ、俺はベッドに寝かされた。


「・・・ここは?」

「病院よ。額縁で背中を強打したから・・・。背骨と肋骨の何本かにひびが入ったみたい」

「・・・ん、思い出した」


 徐々に記憶が戻る。
 弓道場で橘先輩を突き飛ばしたんだよな。
 そうか、病院案件だったか。


「橘先輩、怪我はねぇか?」

「うん・・・ありがとう。貴方のおかげで何ともないわ」


 お、なんか申し訳無さそうに照れてる?
 さっきのツンツンな雰囲気とのギャップが。
 ツンデレか?


「へへ、なら良かった。名誉の負傷だ」


 ぐっ、愛想笑いでも笑うと痛ぇ。
 気を抜くと叫びそう。マジ無理。格好つけ限界。
 見れば外は真っ暗だ。
 責任を感じて橘先輩が付き添ってくれていたのか。
 こういうのって先生が付きそうんじゃねえのかよ。


「今、担任の先生がお医者様の話を聞いてるわ」


 ごめん、居たね先生。
 返事が億劫になったので肯首して部屋を見渡す。
 この世界の病院ってどうなってんだろと思ってたけど、思ったより普通だ。
 そりゃ人を寝かせるだけの部屋なら変わりようもない。
 きっと医療機器は変わってんだろうな。
 時刻は・・・壁の時計が21時ちょうどを指していた。
 ・・・面会時間も過ぎてんじゃね?
 女の子を夜道に返すのも気が引ける。
 早く帰ってくれ、橘先輩。


「俺、大丈夫だから。橘先輩、もう帰って」

「でも・・・」


 言い淀む。
 あんなの事故だ、誰の責任でもねぇ。
 俺が庇わなくて橘先輩が直撃してりゃ、もっと大事故になってたんだから。
 これで良かったんだよ。


「じゃ、また明日来てくれよ。どうせ俺、入院だろ」

「うん・・・2,3日は安静って言ってたから。退院までは来るわよ?」

「そうしてくれ、どうせ暇だろうからな。今日はこれで・・・」


 時間を見ながら言うことで、橘先輩は俺の意図を察してくれた。
 やっぱり聡明な人だ。

 橘先輩は元気なさそうに帰り、代わりに担任の先生が入ってきた。
 橘先輩が説明してくれたとおり、2,3日は要安静。
 骨の癒着が順調なら4日目に退院とのことだった。
 つか退院早えな。
 この点滴してる何かが、骨の再生促進剤とかなのか?
 未来医療すげぇ。
 担任には、大事にしないようクラスの皆には風邪で休む扱いにしてくれと言った。
 入院してるって話になると目立つしお見舞いやら何やらで面倒なことになる。
 ついでに保護者への連絡も。
 ちょっと渋られたけど、融通を利かせてくれた。有り難い。

 しっかし、これじゃしばらく運動出来ねぇな。
 ・・・攻略ノートの計画が中断だ。授業とか大丈夫かな・・・はぁ。


 ◇


 翌日、午前中に担任が俺のテクスタントを持ってきてくれた。
 通信機能をオンにしたからこれで授業が遠隔で受けられるらしい。
 あれか、オンライン授業ってやつか。
 寝たままでもお腹のあたりにテクスタントを置いて電源を入れれば、顔の上に画面が現れる。
 そして授業がリアルタイムで映し出される。
 なんつーハイテクだ。
 今の俺にはとても有り難い環境だ。

 午後になり今日の授業が終わる。
 疲れが出たのか眠くなってきた。
 怪我や病気の回復中って眠くなるよね。
 寝てるんだから寝るんだよネロ・・・
 いや喋ってるのは犬じゃねぇか・・・(何


「・・・京極君?」

「ん・・・はい! 起きてます!」


 君呼びで声をかけられると教師から呼ばれたと勘違いする。
 やべ、授業で寝てたっ! と慌てて目を開ける。そこは病室の天井だった。もういいって。


「ごめん、起こしちゃった?」

「いや、ちょうど良かった。スッキリしてる」


 橘先輩だ。いつの間に。
 なんか俺、寝てて起こされる場面、多すぎじゃね?
 3か月の間に何回あったんだ?


「そっか。調子は昨日より良さそうだね」

「橘先輩、今日は部活は?」

「あんな事故があったからね。弓道場の点検が終わるまで今週いっぱい休み」

「そりゃそうだろな。あんな偉そうな額縁なんて飾るから・・・」

「あれ、射法八節が書いてあったんだ」

「弓道の立派な命ですね!」

「あはは、それに命狙われてちゃね」


 あ、先輩笑った。
 良かった、昨日からずっと真顔か仏頂面だったからな。
 女子は笑ってなんぼ、だ(偏見)。


「これ、置いとくから後で食べてね」

「おお、お見舞いリンゴ・・・!」


 あれだぜ、あれ。お見舞いに来た女の子に剥いてもらうやつ。
 人生初だ! すんげぇ役得な気分だよ・・・! ありがとう橘先輩! 惚れる!


「ふふ、大袈裟。ところで、昨日、私に話があって来たんだよね?」

「あ・・・そうだった・・・っけ?」


 そう、橘先輩の意図、部活への意気込みを聞きたくて。
 でもあの華麗な残心を見てその必要が無くなってしまった。
 冷静になって考えてみて、分かってしまったからだ。

 橘先輩は真剣なんだ。本当に弓道が好きでやっている。
 だから一挙一投足に全力疾走。
 大会で成績を残すために、部全体の結束も強めたい。
 だからそれを乱す同輩も後輩も許せない。
 それが答えだ。

 もう俺が話す必要性さえ感じない。
 だって、きっと橘先輩は九条さんとも真摯に話し合って和解するのだろうから。
 取り巻き?
 周囲の視線は勝手に嫉妬して勝手に誤解しているだけだ。
 橘先輩と九条さんが和解すれば、すべて解決するだろう。


「・・・何だったっけ。忘れちゃいました」

「・・・ごめんね、ちょっと記憶も飛んじゃったのかな・・・」

「あ、いやいやいや! そうじゃないんです!」


 そうじゃねぇよ橘先輩。
 あんたの努力に感激したせいだよ。


「ん・・・ごめん、ちょっと眠くて」

「そう。・・・今日はこれで帰るわ」

「橘先輩、無理して来なくて大丈夫ですよ? 受験勉強もあるんじゃ?」

「大丈夫よ、いつも部活してる時間なんだから」

「・・・」

「御見舞くらいさせて。また明日ね」

「はい、また明日」


 扉が閉まったのを確認して溜息をつく。
 誤魔化してばかりなんだよなぁ。
 眠いのもボロを出さないための嘘。
 先輩にも嘘ばっか言ってんな、俺。
 なーんか自分が薄っぺらく感じる・・・。
 自己嫌悪。

 橘先輩が持ってきてくれたリンゴは甘酸っぱかった。


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