売名恋愛(別ver)

江上蒼羽

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現れた救世主

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バイトが終わり、さて帰りましょうと着替えをバッグに押し込もうとした時、赤いランプが点滅しているのに気付く。

着信、もしくはメールの受信を報せる合図を放つ携帯を拾い上げた。

画面には、着信アリのアイコンが表示されている。

しかも2件。


「……あ…」


着信の相手が久しく連絡を取っていなかった人物だった為、自ずと息を飲んだ。

何の用事だろう?と胸がざわつく。

見なかった事にして携帯をバッグに戻そうとした瞬間、着信音が鳴り出す。

画面に表示されているのは川瀬 綾子という名前。

まんぼうライダー専属の敏腕マネージャーだ。

今はまんぼうライダーというより、間宮専属と言った方が正しいけれども。

年齢的には、私や間宮の一回り近く上でお姉さん的な存在だ。

言葉はキツいし厳しいけれど、とても頼りになる。
でも、私からしてみれば怖い人。

彼女が口を開けば、お叱りの言葉ばかり浴びせられる。

ここは無視したい所だけれど、もしかしたら久し振りに仕事が入ったのかもしれないと思い、勇気を振り絞って通話の表示をタップした。


「も、もしもし……」

『やっと繋がったわ。もしかして、今日もアルバイト?』


思いの外、声と口調が優しくてホッとした。


「……はい」

『あんたも良くやるわね』

「いや、働かないと生活出来ないので…」


誰よりも私の現状を知っているくせに……と、心の中で呟く。

私の所属する事務所では、給料は歩合制だ。

だから、芸人としての仕事がない今の私は満足な収入を得られていない。

その為に、プライドを捨ててバイトに明け暮れている訳だから、川瀬さんの見下し発言に若干の苛立ちを感じた。


『まぁ、良いわ。バイトは終わったんでしょ?』

「あ、はい……」

『疲れているとこ悪いけど、これから出て来れる?』

「え……」


本音を言えば嫌だ。

この後真っ直ぐにアパートに帰って、バイトでくたくたになった体をゆっくり休めたい。

明日もシフトが入っているし。

どう断ろうか迷っていると、川瀬さんが言う。


『良い話があるから来といた方が良いわよ』

「………良い話?」


私が確認すると、川瀬さんは意味ありげに笑いを含ませる。


『そう。あんたの今後の為になるのは確実よ』

「すぐ行きます」


彼女の言葉にまんまとつられた私は、バイトの疲れを吹っ飛ばし、指定された場所へと向かう事にした。



タクシーを捕まえて乗り込んだは良いものの、タクシー代は自腹なのか?との疑問を抱く。

呼び出したのは川瀬さんだから、きっと事務所持ちだろう……等と考えながら車に揺られる事数十分。

普段は絶対に近寄らない西麻布の高級焼き肉店に到着した。


「こ、こんな店……入った事ないし…」


恐れ多くて入店するのを躊躇っていると、私の到着に業を煮やしたらしい川瀬さんから着信が入る。


『ちょっと!まだ着かないの?!』

「す、すみません!今店の前です!すぐ行きます!」


思い切って入店すると、しっかり教育を受けましたオーラを纏った店員が「いらっしゃいませ」と頭を下げる。

お洒落にグレーのシャツに黒いギャルソンエプロンを身に付けたイケメンなお兄さんに恐縮しながら言う。


「あの、待ち合わせてるんですが…」

「森川様でしょうか?」

「はい」

「お連れ様がお待ちです。ご案内致します」


やり取りを済ませ、案内されるがまま店の奥へと進む。



「こちらです」

「あ、ありがとうございます…」


大きなドアをコンコンと控えめにノックをし、中から入室の許可が出たのを耳にした後、恐る恐るドアをスライドさせた。


「遅くなってすみません…」


恐る恐る中を覗くと、広い個室で眉間に深い皺を寄せて煙草を味わう川瀬さんの姿があった。

彼女は私を一瞥した後、煙草を灰皿に押し付けた。


「お疲れ。悪いわね、こんな所まで足を運ばせちゃって」

「いえ……」


機嫌が悪い訳ではなさそうだけれど、眉間の皺と煙草のオプションが彼女の迫力を引き立てる。

怒られるのだろうか?と不安に思いながら、コートを脱いでマフラーを外した。

と同時に「ん?」と疑問が生じる。


「……他に誰かいらっしゃるんですか?」


私が川瀬さんにそう聞いたのは、テーブルに4人分の箸と取り皿が用意されていたから。

どうやら、二人っきりでの会食ではないらしい。


「間宮と社長でもいらっしゃるとか……?」


謎の2人分余計な席。


「間宮は明日早朝ロケ入ってるから、仕事終わった後、さっさと帰らせて休ませてるわ。それから、社長は忙しいのよ。こんな所に来る訳ないでしょうが」


川瀬さんの口振りはまるで、皆あんたみたいに暇じゃないのよ……と言いたげだ。

ちょっぴり落ち込む。


「これから来るのは、あんたにとっての救世主よ」

「救世主……?」


どういう事だ?と首を傾げる。

川瀬さんは携帯を手に取って画面を確認し、またすぐ置いた。


「少し遅れるって、ついさっき連絡あったけどね。こっち座って」

「は、はぁ…」


救世主という単語に今一つピンと来ない私は、川瀬さんに言われるがままに彼女の隣の席に腰を下ろした。


「……にしても、もう少しどうにかならない?その格好」

「え……」


私の頭から足先までを繁々と眺める川瀬さんの表情は渋い。

それもその筈、今の私はくたびれたオバサンのような出で立ちをしている。


「髪はボサボサ、メイクはよれまくり……毛玉だらけのニットに色落ちの激しいパンツ…」


呆れたように一つ一つ指摘してくる川瀬さんに、私は苦笑いするしかない。


「す、すみません……バイト帰りに急に呼び出されたものですから…」


言い訳してみても川瀬さんの渋い表情が和らぐ気配はなく、寧ろ険しくなった。

どうせバイトとアパートとの往復でしかないのだから……と、普段の部屋着同然の格好の私。

高級焼き肉店に明らかにマッチしていない。

暖かくてお気に入りのニットは毛玉だらけだけれど、上からコートを着てしまえば隠せるだろう、なんて横着している辺り、女として終わっている気がしてならない。


「露出がほとんどないといっても一応あんたは芸能人なんだからね。いつどこで誰に見られても良いように服装から気を引き締めておきなさい」

「はい……すみません…」


いつものように川瀬さんからのお説教を受け、軽く落ち込む。

というか、現状からして服装を気にする余裕がないって事を理解して貰いたい。

精神的にも金銭的にもカツカツなのだから。

取り敢えずは人と会うという事で、ボサついた髪に櫛を通してみた。


「髪もそうだけど……ちょっと油臭さが気になるわね」

「あ、すみません……一日中唐揚げを揚げていたもので…」


心の中で、うっさいわっ!!と吠えといた。

袖口を鼻に近付け、臭うかな?と鼻を啜っていると、個室のドアがノックされた。


「来たみたいね」


呟いた川瀬さんが「どうぞ」と他所行きの声で入室を促す。


「失礼します。遅れて申し訳ございません」

「…失礼します」


室内に入って来たのは、川瀬さんと同年代位の冴えない見た目の眼鏡の男性と、彼より一回り若い感じの男性の二人。


「撮影が長引いてしまいまして…」

「気になさらないで下さい。この業界ではよくある事ですから」


テーブルを挟んで川瀬さんの前に眼鏡の男性が座り、もう一人の方が私の前に腰を据えた。

この二人が川瀬さんの言う“救世主”とやららしいけれど、私の目が悪いのか、どうにもそれらしく見えない。

それどころか、どうにも、真ん前に対峙するこの男性に見覚えがあるような気がする。

整った顔立ちとほんのり滲み出るオーラからして、同じ業界人だというのは分かるけれど……


「初めまして、森川素良さん。突然のお呼び出しをどうかお許し下さい」


眼鏡の男性が私に向かって頭を下げる。

どうにも状況を飲み込めていない私は、どう反応して良いのか分からず、無難に「いえ……」と首を左右に振った。


「私は、サンライズプロダクションの保科と申します。こちらはウチのプロダクションに所属する忍足です」


保科と名乗った男性に促され、忍足という男性が姿勢を正す。


「初めまして、忍足慧史です」


柔らかい笑みを携えて会釈した彼は、恐らく私と同年代だろうけれど、滑らかな肌と艶やかな肌が男性とは思えない程美しくて、女として悔しい。

思わず溜め息を漏らしてしまう。


「森川さんにお会い出来て嬉しいです」


顔立ちは整っていながらも印象に残りにくそうなタイプだな、と思った。

涼しげな目元に筋の通った鼻、そして厚くも薄くもないけれど形は良い唇。

所謂、今流行りの塩顔だ。

正直言うと、甘ったるい系統が好みの私からして見れば微妙と評価したい。

あくまでも私のタイプでないだけで、世間的に見ればイケメンに分類されるだろう彼が私に向かって右手を差し出して来た。


「ん?」


彼の行動への理解が遅れた私の背中を川瀬さんが思いっ切りどつく。


「何ボサッとしてんのよ?握手求められてんのよ」

「あ、あぁ……はい…」


背中の痛みを堪えて、私も怖ず怖ずと右手を差し出した。

見た目の線の細さが嘘みたいな大きくて筋張った手は、温かくて柔らかい。

男の人の手なんだなぁー…と密かにドキドキした。


「取り敢えず、コース決めます?あと飲み物も」


メニュー片手に川瀬さんが仕切りを始める。


「私は運転がありますのでアルコール類は結構です。烏龍茶でお願いします。慧史は?」


保科さんが忍足さんに振ると、彼は少し迷う素振りを見せてから「俺も烏龍茶で」と一言。


「アルコール飲めないんですか?」

「……飲めない事はないんですが、弱くて」


川瀬さんの問いに困ったように眉を下げる忍足さんに対して、私は飲む気満々で。


「川瀬さん、私は生ビールで」


どうせ会計は事務所の経費で落ちるんだろうから、日頃安いビールや発泡酒で我慢している分、ここぞとばかりに飲んでやるつもりだ。 


「……言っとくけど、調子に乗って飲み過ぎないでよ」

「はいはーい」


顰めっ面の川瀬さんの小言に軽く返事をしたものの、きっと飲み過ぎて翌日に二日酔いで後悔する事になるだろう。

注文してすぐにドリンクとお通しが運ばれて来た。

直に料理類も運ばれて来ると思われる。


「それじゃあ……一先ず乾杯しときます?」

「そうですね」


保科さんが烏龍茶がなみなみ注がれているグラスを掲げたのに合わせて、各々グラスを持ち上げる。


「乾杯」

「お疲れ様です」


カチン、とグラス同士がぶつかり合う小気味良い音を楽しんだ後、決め細やかな泡を口に含んだ。

疲れた体に染み込む炭酸と苦味が心地好くて、ほんの一口のつもりが、ぐびぐび進んでしまう。

うっかり「っ、あっー!」と唸りたくなったけれども、初対面の男性二人を前にオッサン臭い地をさらけ出す訳にいかず、ぐっと堪えた。


「………で、早速本題なのですが」


保科さんがそっとグラスを置いた。


「森川さんには例の話はお済みでしょうか?」


その問いを受けた川瀬さんは、短く「まだです」と答える。


「駄々を捏ねられそうですから」


川瀬さんが私を一瞥する。

話が1㎜も見えない私は、ただ目をパチクリさせるのみ。


例の話?私が駄々を捏ねる?……どういう事かさっぱりだ。

今までお笑い芸人として、汚れ仕事をバンバンこなしてきた。

だから、ある程度の過酷さには耐性がある。

そんな私が駄々を捏ねるとしたら、よっぽど屈辱的な内容なのだろう。

例えば、地方のパチンコ屋やスーパーでの営業とか。


「それなら、ウチの慧史の口から説明させます」


一人悶々としている私を他所に、保科さんが静かにグラスを傾けていた忍足さんに話を振った。

グラスを置いた忍足さんが保科さんに目配せするのを確認した私は忽ち大きな不安を抱く。

何を言われるのだろう?とか、どんな事を要求されるのだろう?とか考えている間に徐に保科さんが椅子から立ち上がる。


「少し席を外します」


携帯だけを手にして部屋を出ていく保科さんの行動にポカンとしていると、隣の人物が立ち上がる気配を感じた。


「私も少しの間外すわ」

「え……」

「間宮に明日の仕事の件で連絡しておきたいし……二人きりの方が忍足さんも話し易いと思うから」


まさかの川瀬さんまでの離脱に不安がより一層膨らむ。

何だこの展開は……全くもって聞いてないぞ…と保科さんと川瀬さんが出て行った扉を睨んでも最早逃げられない。


「………」


何やら大それた事態になりそうな予感がする。

初対面の男性と部屋で二人っきりで取り残され、もう頭はパニックだ。


「え、えーと……よ、用件は…」


恐る恐る向かい側に座る青年に声を掛けてみる。


「………」


忍足さんは、数秒テーブルの真ん中にある網を見つめた後、一度大きく息を吸い込み、吐き出した。

それから、意を決したように口を開く。


「……マネージャーさんが外してくれている内にサクッと話しちゃいましょうか」

「は、はぁ……サクッと、ですか…」


信頼している川瀬さんが居なくなり、心細い事この上ない。

ましてや、よく知りもしない相手と密室で……となると不安で不安で…

忍足さんを繁々と眺めながら思う。

川瀬さんは救世主と言っていたけれど、そこまで信頼の置ける相手なのだろうか?と。

いきなり変な書類を呈示してきてサインしろだとか脅してきたりしないだろうか?とか、謎の白い粉と注射器を取り出してヤバい事をさせられたらどうしようか……なんて色々と考えている内に、冷や汗が全身から滲み出てきた。
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