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計画始動
しおりを挟む11月某日
遂に計画始動の日を迎えた。
天気は晴れ。
気温は…………寒いから、多分低い。
「…………よっし」
果ての見えない空の青を瞳に映しながら気合いを入れる。
メイクは派手過ぎず薄過ぎず、透明感と清潔感を重視し、ややナチュラルめに。
前日の夜緊張で眠れなかった所為で出来てしまった目の下のクマは、コンシーラーで必死に隠した。
一番困ったのが服装。
恥ずかしい事に、28年間生きてきて異性とデートする機会なんて一切合切なかった私は、何を着れば良いのかさっぱり分からず……
クローゼットの中の手持ち服を部屋一面に拡げて絶望感を抱き、よく行くお店に乗り込んだ。
ヤラセの交際とはいえ、隣を歩く忍足さんに恥をかかせられない。
グレーのニットワンピに黒いタイツの服装にコートを羽織り、足元はブーツという無難に品良く纏めてみた。
ショップの店員さんは「お似合いですよ~」と笑顔でおだててくれたけれど本当の所は笑いを堪えていたに違いない。
似合うどころか、普段着慣れていない格好故にぎこちないように思える。
財布にはかなりの痛手を負ったけれど、計画さえ上手くいけば回復……下手するとそれ以上の収穫を得られる事を考えれば前向きならざる得ない。
待ち合わせは午前10時。
携帯で時間を確認しながら、待ち合わせ場所まで移動する。
「ねっ、あれって………まんぼうライダーの消えた方じゃない?」
「うっそ!久し振りに見た!」
擦れ違い様、嘲笑う声に耳を覆いたくなった。
「死んだって噂されてたけど、まだ生きてたんだー」
「ばーか、それデマに決まってんじゃん」
好奇に満ちた無数の視線を浴びる。
嫌だなぁ………と思いながら、電車を乗り継ぐ。
慧史
【当日は、まんぼうライダー森川のトレードマークであるお団子ヘアで来て下さい】
忍足さんからLINEを通しての指示。
服装の件についての細かい指示は無かったものの、ヘアスタイルの指定はあった。
自称お笑い芸人の一般人と化してからトレードマークのお団子ヘアを封印していた私は、地に落ちた自分の姿を人に知られたくなかったから目立たないように気付かれないように隠れて生きてきた。
でも今日は敢えて目立つように髪を頭の天辺で丸めた。
計画の為にやむを得ずとはいえ、注目と心無い言葉を浴びる羽目になったから非常に屈辱的だ。
約束の時間の5分前、指定された待ち合わせ場所に到着。
周囲には同じく待ち合わせと思われる人達がわんさか居る。
忍足さんが来ているかはパッと見ではちょっと分からない。
仕方なく携帯を取り出してLINEを送る。
ソラ
【着きました】
すぐに既読がついた。
慧史
【看板の下辺りに居ます】
忍足さんからの返信を受け取り、人並みを掻き分け彼の姿を探して進む。
すぐに手摺に凭れながら俯きがちに携帯を弄る忍足さんの姿を確認。
「おっ、はようございます」
緊張から声が上擦った。
忍足さんは携帯を上着のポケットに仕舞ってから顔を上げる。
「おはようございます」
塩顔イケメンが放つ優しい微笑み付きの甘い声に若干クラッときたけれど、ここで倒れる訳にはいかない。
これからこの男性とデートするのだから、待ち合わせの段階で息を切らしていては先が思いやられる。
「す、すみません、お待たせしちゃって……」
「気にしないで下さい。俺が早く来ただけなんで」
言いながら忍足さんは当たり前のように私の手を取る。
「うおっ!」
突然加わった他人の熱に咄嗟に悲鳴が飛び出した。
当然、忍足さんは「えっ?」と驚く。
「…何ですか?その反応は」
怪訝そうな忍足さんに対し、私は口をパクパクさせて直立不動。
忍足さんの大きな手が私の手を優しく包んでいる……もうそれだけで私の頭の中はパニック状態。
「………っ、て…」
「はい?」
「てててっ、手……なんか繋ぐんですか?!」
恐らく熟れたてイチゴのように赤面しているであろう私の顔。
緊張から驚き、驚きから戸惑いへと忙しく変化する心に、自分自身が追い付いていない。
忍足さんは、私の焦りっぷりに吹き出すのを堪える素振りを見せてから言う。
「当たり前じゃないですか。付き合ってるんだから」
パニック真っ最中の私の耳元に忍足さんの唇が寄せられた。
「………見られてるので堂々として下さい」
低くて甘い声でそっと耳打ちされ、猫背がかった背筋が真っ直ぐに伸びた。
その背中に四方八方から集まった視線が突き刺さる。
計画が既に始まっている事を理解し、軽く下唇を噛んで気を引き締める。
ここから先はヘマは出来ない。
周囲の人間の中には、私と忍足さんに向けて携帯を掲げている人もいる。
カメラ機能を起動させているんだと容易に推測出来た。
きっと………というか、確実に私達が被写体。
だったらオドオドした間抜けな姿より、少しでも良い女に写して貰わなければ。
角度的には、もう少し斜めから写して貰うのがベストなのだけれど…
「じゃあ行きましょうか」
「お、おおう……」
自分なりの決め顔を作っていた所で忍足さんに手を引かれた。
意識を別の所へ持って行っていたので、忍足さんの行動に対応するのが遅れてしまい足が縺れかけた。
プラス、妙な声も出た。
忍足さんに導かれるままに歩みを進める。
行き先は知らされていない。
「あっ、まんぼうライダーの森川っぽくね?」
「ぽいね、一丁前に男と一緒かよ」
二人でわざと人目につくよう人の多い通りを練り歩く。
「あ、森川!………だったっけ?まんぼう間宮の相方って」
「一緒に居る男の人、どっかで見た事ある。名前知らないけどドラマか何かで見た」
「え……何かの撮影?」
道行く人が振り返り、指を差してくる。
忍足さんの狙い通りだ。
でも正直、この晒し者状態が居心地悪い。
顔をしかめる私とは逆に、忍足さんは満足そうに口角を引き上げている。
「プライベートでこれだけ注目されると気持ちが良いな…」
嬉しそうに目を細める彼の横で私はまだ緊張が解れないでいる。
これは仕事だ。
今日の報酬はゼロではあるけれど、今後の自分の道を切り開くべく、大きなプロジェクトだ。
この仕事の成果次第で自分の今後が決まるんだ……と、自らに言い聞かせる。
イケメン俳優と一日デートするだけ、付き合ってますアピールをするだけ…
ただそれだけで、後に大きな収穫を得られるかもしれないのだから、こんなに楽で美味しい仕事はない。
イケメンと一緒に居るだけで、私の株も上がるってもんだし。
だからこそ、しっかりやり遂げなければ……
「………そんなに固い顔しないで貰えません?」
笑いを堪えながら忍足さんが言う。
「そんなに緊張されるとやり辛いです」
「え、あ………すみません…」
咄嗟に身を縮める私の右手は、既に手汗がジットリ…
全身の水分がかき集められているんじゃないかというくらい大洪水を起こしている
そんな私と手を繋いでいる忍足さんは特に何も言ってこないけれど、きっとこの湿度100%の状態に不快な思いをしている筈。
一度繋いだ手を解いて水分を拭いたい。
でもここで無理矢理解くのは不自然過ぎる。
どうしよう、どうしよう……と、解決策を見出だせないまま悶々としている私とは違い、忍足さんは涼しげな表情でいる。
我慢してくれているのか、それとも意外にも私の手の湿りに気付いていないのか……
どちらにせよ、このジットリに触れずにいてくれてありがたい………と、思っていたのに。
徐に「もしかして……」と切り出してきた忍足さんは、私が一番触れて欲しくない事を聞いてくる。
「……男と付き合った事ないんですか?」
「っ、」
条件反射的に身を震わせた私を見て、彼は「あぁ……なるほど」と。
私が答えを言わずとも察したらしい。
「全然ないんですか?」
念を押すように確認してくる忍足さんに、私は黙って頷いた。
「どうりで目が泳いでる訳だ。手を繋いだ瞬間の驚きようにも納得。免疫ないから驚くのも無理ないですよね」
恥ずかしい。
異性と二人っきりでデートするのが初めて、手を繋いで街中を闊歩するのも初めて。
いい歳して、全部初めて尽くし。
それをあっさり見抜かれてしまったのが何とも耐えがたい屈辱。
「………すみません。経験値不足以前に、経験すらなくて…」
異性と手を繋ぐなんて幼い頃以来だ。
しかも相手は父、もしくは弟のみ。
それでも年頃になれば色恋沙汰的な話の一つや二つあるものだろうけれど、私にはなーんにもない。
この地球上には何十億もの人間が存在しているのだから、一人くらい私に恋してくれてもいいものなのに、誰一人として私に見向きもしない。
全く可笑しな話だ。
自身の経験値の無さを恥じるが為に自ずと視線は下を向く。
地面を蹴るブーツの爪先を睨むように見ている私に「意外ですね」と、忍足さんは言った。
「芸人の人って激しく遊んでいるようなイメージがあったので……あ、これは偏見じゃないんですけど」
「…………立派に偏見だと思いますよ?」
お笑い芸人=遊び人というイメージが定着しがちな昨今。
中には例外がいる事をしっかり認識して欲しい。
確かに合コン三昧の日々を送る芸人さんは多い。
奥さんが居ながら平気で浮気する人も中にはいる。
そういった人は、浮気は芸の肥やしだと開き直ってたりするけれど、真面目な人間だってちゃんといるのだから。
少なくとも私はそっち寄りの人間だと自負している。
「でも、実際、業界関係者と飲みに行く機会多かったんじゃないですか?」
「…………そりゃあ、売れていた時はそれなりにお誘いはありましたけど…」
まぁ誘いはあったにはあった。
業界関係者は勿論、番組のスポンサーやIT事業者、ごくたまに読者モデルとか……色々と。
ただ、一緒に飲んだ人は決まって同じ台詞を言う。
『案外普通だね。テレビで見るより面白くない』
更に奥手で人見知りな性格が災いとなって、友達にすらなれずにその日の内に試合終了。
連絡先を聞かれた試しもない。
出会いをチャンスとして活かせなかった情けない経歴は山のようにあっても、恋愛遍歴はまっさらな状態。
そりゃあ、手を繋いだだけで挙動不審にもなるでしょうよ。
「……異性を前にすると変にあがってしまうんです…」
今現在も緊張の真っ只中。
全力疾走した並みに心臓がバクバク躍動している。
その内スタミナが切れて止まるんじゃないかって冷や冷やする。
「バラエティーでは思いっきり異性と絡んでいませんでした?」
「あれは………台本だったので…」
台本さえあれば私は何だって出来る。
先輩芸人に絡んだり、番宣の為に出演した俳優に女アピールしてみたり……
でもアドリブはどうも苦手。
機転が利く相方と違って、台本がないと上手く立ち回れないし、ボケられない。
お笑い芸人として致命的とも言える欠点を抱えている。
干されるのも無理はない。
これじゃ間宮との差が開くのも頷ける。
「………とにかく、異性とは縁がなかったんです」
早くこの話題を終わらせたくて締めようとする私に、忍足さんは「ふぅん……」と鼻を鳴らす。
「良く言えば身持ちが固い。悪く言えば社交性がないって事かな……」
「え………?」
「思っていたより大人しい方なんで意外に感じてます」
「大人しいですか?私って……」
首を縦に振った忍足さんは、私がこれまでに何度となく聞いてきた言葉を口にする。
「前回会った時も思いましたが、テレビで見るのと印象が違いますよね。テレビではあんなにはっちゃけてたのに、実際は大人しくて普通……」
「………」
「ギャップが激しい」
あぁ、やっぱり………と、肩が落ちる。
テレビでは明るいキャラクターを演じていただけに、実際の私の根暗な性格を知った人は、そのギャップに驚き、引いていく。
カメラが回っていなければ私だってごく普通の女子な訳で。
お笑い芸人は、プライベートも面白可笑しく生きているとでも思ったら大間違いだ。
「異性と縁がないってのは言い訳ですよね」
「言い訳じゃないです。本当の事です」
つい不貞腐れ気味に言ってしまったけれど、忍足さんは意にも介さない様子で「言い訳です」と、ばっさり。
「まぁ何にせよ、28まで何にもなかったというのはかなりヤバイですよ」
忍足さんは心底馬鹿にしてます感たっぷりに私を見下ろす。
「寂しい人生ですね」
「………わざわざ言ってくれなくても分かってます」
自分でも危機感を感じている。
寧ろ、焦りさえ感じている三十路近くの女にズケズケ物を言ってくれちゃう辺り、忍足さんはかなり性格が悪いと見える。
若干の嫌悪を胸に抱きつつも繋がれた手を解けない状況が歯痒い。
彼の言う通り、私は寂しい人生を送っている。
大した話題はなく、話を拡げる話術もない私は、異性を夢中にさせる要素なんて殆んどないに等しい。
もしかしたら一生恋愛出来ないのかもしれない。
「で、でも、キスはした事ありますよ」
馬鹿にされた悔しさが私に見栄を張らせる。
「へぇ…そうなんですか?」
忍足さんが薄く笑う。
その笑みに全てを見透かされているような気がした。
「ビ、ビジネスキスですけどね……」
つい怯んだ愚かな私は、自らの恥を晒して傷を深める。
「大変ですね。お笑い芸人って」
憐れみを含んだ眼差しを向けられ、カァッ……と、体温が上昇した。
笑いを取る為にしたビジネスキスは3回。
チュッと軽く口付けるのから数秒に渡る濃いものまで、程度は様々。
記念すべきファーストキスは、抱かれたくない芸能人ランキング上位常連組大御所芸人。
見た目の気持ち悪さに反して意外にも唇は柔らかく、仄かに良い匂いがした。
2回も確か先輩芸人で、3回目は俳優さんだったような……
何はともあれ、初キスが不細工芸人となんて、私史上消したい過去だ。
大してウケなかったから余計に思い出したくもない。
「んー………でも…」
苦い思い出に囚われて自然と足取りが重くなりつつある私を急かすように、忍足さんが強く腕を引いた。
「恋愛経験がないってのは可哀想ですけど、逆に初々しくてなんか良いかもしれない。俺まで新鮮な気持ちになれますから」
「あーそうですか」
ヤケクソ気味に言う私とは裏腹に忍足さんの足取りは軽い。
「折角だし楽しみましょう」
忍足さんは言葉の通り、この状況を楽しんでいる様子。
「是非そうさせて頂きます」
強気に返すも、内心既に帰りたい状態。
既に疲労困憊で前途多難な気がしてならない。
メディアでの露出はなくなっても、お笑い芸人はやはりお笑い芸人。
ましてや、チョイ役ばかりでありながらもじわじわ露出が増えつつある俳優と一緒となれば嫌でも目立つ。
道行く人は大抵振り返り、二度見。
指を差され、写メを撮られ……
きっと今頃は、ツイートされ、画像もUPされ、私と忍足さんの目撃情報は大いに拡散されている事だろう。
世の中って怖い。
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