売名恋愛(別ver)

江上蒼羽

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想定外のキス

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バラエティーの収録が終わり、疲労感を携えて楽屋に戻ると、スタッフからと思われる差し入れがテーブルの上に置かれていた。


「うわっ………美味しそうなケーキ!!」

「あら、良かったじゃない」

「食べて良いんですか?っていうか、ここにあるって事は食べて良いんですよね?ねっ!」


色とりどりのケーキを前に大はしゃぎ。


「いただきまーす」


ウキウキしながら大きなイチゴの乗ったケーキに手を伸ばす。


「こら、森川!手も洗わないで行儀悪い!」


川瀬さんの説教なんて聞こえないフリ。

手掴みしたケーキを大口で迎え撃つ。


「んー!おいしー!!」


口内に広がる濃厚なクリームに唸る私を呆れ顔で川瀬さんが見守っている。

更にもう一口……と、再度大口を開けたところで、楽屋のドアがノックされた。


「はい」


川瀬さんが対応に当たるのを横目に、ケーキの残りをパクリ。

さてさてもう一個……と、手を伸ばした時、楽屋の入り口から聞こえた声に体が強張る。


「こんにちは、お疲れ様です。森川さんもここの局にいらっしゃると耳にしたものですから、ご挨拶に伺いました」

「それはそれはご丁寧にありがとうございます」


この時点で心臓バクバク。


「森川、私下で飲み物買ってくるから」

「なっ、何ですとー?!」


今一番顔を合わせたくない人の登場と共に、今一番側に居て欲しい人の離脱。

絶望でしかないこの状況は、私の心臓に負担を掛けている。

無情に閉められたドアの音に肩が大袈裟に震えた。


「お疲れ様です。偶然にも同じ局でお仕事だったみたいですね」

「は、はい、そのようで……」


コツコツと踵を鳴らしながら近付いて来る彼の方を見る事が出来ずに、ひたすらケーキを見詰める。


「お時間が取れないとの事なので、合間を見て伺った次第です」

「そ、そうですか」


いつも通りの落ち着いた口調であるものの、いつもとは違うプレッシャーを感じる。


「申し訳ありません、休憩中の所」

「いえ……」


忍足さん接近の気配が止まったと思いきや、隣のパイプ椅子が床を擦る音がした。

それから、ギシッと鈍い音が立つ。

忍足さんが私の隣に腰を下ろしたのだ。

冷や汗タラりんの手汗じっとりの不快さ+変な緊張感に目の前がグルグル回る。

どうかあの記事の事を知らないで欲しい……と切に願う。


「あ、差し入れのケーキですか?旨そうですね」


差し入れのケーキに気付いた忍足さんに「良ければどうぞ……」と、ケーキを勧める。


「それじゃあ、遠慮なく頂きます」


忍足さんが洋梨の乗ったテッカテカのタルトを手にする。

私とは違い上品に食す忍足さん。

指についたソースを舐める姿が何とも色っぽい。


「ん、旨い。スタッフさんからの差し入れですか?」

「えと……はい、多分そうじゃないかと……」


なるべく目を合わせないよう視線を宙に彷徨わせる私の視界に、忍足さんが超ドアップで入り込んで来る。


「案外……最上 宗介からの差し入れかもしれませんね」

「っ?!」


条件反射的に体が仰け反った。

忽ち、それまで朗らかだった忍足さんの顔付きが変わる。

鋭い眼差しが私を捕らえて離さない。


「………説明願います」


この一言で、彼が記事について存じ上げている事を確信した。

こうなれば、恐怖以外の感情は何もない。


「な、何の事でしょう?」


わざと視線を逸らしてしらばっくれてみる。


「何の……じゃないでしょう?」

「………」


口調は丁寧。

だけど、とても威圧的。


「あ、あの……もしかして最上さんとの記事について仰っているなら、あれは完全なでっち上げです。偶々合コンで遭遇しまして……」


忍足さんが怪訝そうに「……合コン?」と復唱する。

ハッとして慌てて弁明に入る。


「や、あの、先輩芸人から話題作りとして無理矢理参加させられたんですけど、そこで最上さんとばったり会いまして……その後、早々にお開きになったので、お腹も空いていたし、誘われるがままに一緒に飲みに行っただけなんです」

「………」

「すみません、忍足さんと交際中という名目でありながら、私が軽率な行動を取ったばっかりに…」


一気に喋り過ぎて軽く酸欠状態だ。


「お、怒っていらっしゃいます?いやいや、でも私の印象が悪くなるだけで、決して忍足さんの迷惑には……」


ならない筈。

……にも拘わらず、彼は眉間の皺を濃くさせる。


「世間から見れば、俺は恋人に浮気された間抜け男でしょうね」

「……うっ…すみません…」


忍足さんが深い溜め息を吐いた。


「この前は芹沢で今回は最上……案外抜け目ないですね」

「……はい?」


忍足さんの言う意味が良く分からず首を傾げると、彼が物凄い形相で私を睨み付けて来る。


「男と付き合った経験ない癖に、結構男好きなんですね、森川さんは」


刺々しいい言葉に思いっきりカチン。


「違います!!そんなんじゃないですってば!」


語気を強めて否定するも、忍足さんの目は相変わらず冷たいまま。


「本当に軽率ですみませんでした。でも、それを責められるのは心外です!今回の記事でお互いの認知度もまた上がっただろうし。そもそも定期的に話題を提供しようと言ったのは忍足さんでしょう?!」


最早逆ギレに近い感じ。

実際、そこまで怒られるような事を私はしていないと思う。

あくまで付き合っているフリをしているだけの間柄なのに、男好きとなじられ、詰め寄られる筋合いはない。


「どうせ芹沢の時みたいに、最上にもニコニコ良い顔してたんでしょう?」

「わ、私はただ楽しく飲んでただけです。別に良い顔なんてしてません!」


言うべきか悩んだけれど、いつまでも詰られ続けるのは嫌だから最上さんの件を出す事にした。


「そんな事より、最上さんは、私と忍足さんの関係を疑っているみたいですよ?売名の為のビジネス交際なんじゃないかって」


私としては一大事な事なのに、忍足さんの眉間はピクリともしない。


「そんな事は想定内です」

「想定内って……大変な事態ですよ?バレたらヤバくないですか?」

「全然」


事の重大さを伝えようと必死に訴える私とは反対に忍足さんは全く焦りもしない。

そんな彼に苛立ちを覚えていると、不意に二の腕を捕まれ、強引に引き寄せられる。

「えっ?」と声を挙げる間なんて与えられなかった。

妙な圧迫感と息苦しさ。

これは、多分目の前に忍足さんの顔がある所為。

優しく当てがわれた唇から彼の体温がじんわり伝わってくる。

伏せられた目を縁取る睫毛はお世辞にも長いと言えない。

それでも整った顔立ちだというのは良く分かる。

ここで漸く自分が今何をされているのかを認識した。

その瞬間、私の意識を吹っ飛ばさん勢いで脳内の至る所で大規模な爆発が巻き起こった。

時間にして僅か数秒。

なのに私には物凄く長く感じて。

忍足さんがゆっくり唇を離す様をぼんやり眺めた後、すぐにカーッと何かが込み上げてくる。


「あ、わわわ……」


キス、された…

脳内の爆発音はまだ止まない。

というか、当分ドンパチやってると思う。

何故いきなり?てか、忍足さん……何で?と、激しく混乱する頭。

忍足さんとの行為の名残を保護するように唇を覆う両手。

小刻みに震える肩と、大きな音を立てる心臓。

それら全てをもて余しながら、驚きで声も出ない。


「疑われているなら、いっそ交際を本物にしてしまえば良い……ただそれだけの事です」

「ほ、本物って……」


彼が何を言っているのかよく理解出来ない私は、相当頭が悪いのかもしれない。

というか……


「……キスしましたよね?今」


確かにされた。


「前に、手を繋ぐ以上の行為はしないって言ってませんでした?」


忍足さんは、ばつの悪そうな顔をして言う。


「確かに……あの時はそう言いました」

「その上、俺的にも嫌なんで……とか嫌~な感じで言ってましたよね?」


頭は悪いなりに、浴びせられた失礼な言葉の数々はしっかり記憶に留めていたりする。

私とは本気の恋愛は絶対有り得ないとかも彼は言っていた。


「………正直、自分でも驚いています。森川さんに気持ちなんかなかった筈なのに……」


溜め息を混じりに心境の変化を吐露する忍足さんの色気に、私の喉がゴクッと鳴る。


「たとえ、記事がデタラメだったとしてもムカつきました。嫉妬も………はっきり言ってしました…」


この先の言葉にもの凄い期待を込めて、耳に全神経を集中させる。


「………俺は、森川さんに強く惹かれているようです」
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