45 / 45
人の夢
しおりを挟む西の空へと、陽が沈もうとしている。
それを見ながら、男は大きな欠伸をした。
「ふ、あ~あ………今日は収穫ナシ、か…」
いそいそと店仕舞いを始める男。
とはいっても、ビールの空ケースと手書きの看板を片付けるだけというお手軽なもの。
「にゃあぁん……」
男の足元に黒猫が擦り寄って来た。
「ブラッドか……今日はもう仕舞いだ。帰って食事といこう」
男が猫の背を撫でてやると、猫は甘えた声で「にゃあ…」と鳴いた。
突然、男の動きが止まった。
「フーーッ!!」
男の足元に居た猫が、毛を逆立てて威嚇をする。
「おいおい、そんなに警戒しないでくれや」
野太い声と共に現れたのは、白いジャージを着込んだ男。
年齢おおよそ、40~50代といった所か。
小太りで背は低い。
引き摺っているジャージのズボンの裾から茶色い健康サンダルが覗いている。
「いやぁ、毎度ご苦労なこった」
ジャージの男は、脂ぎった額の汗を拭いながら近付いてくる。
「………これはこれは……一体何のご用ですかな?」
ジャージの男の正体を察知した猫は、威嚇をやめて、姿を消した。
「あらら……猫に嫌われちゃったかな?ざ~ん念」
肩を竦めておどけるジャージの男。
彼は、男の横に並び、ポケットから煙草を取り出した。
「随分面白い事をやってるじゃねーか、兄ちゃん」
煙草を口にくわえ、100円ライターで火をつける。
「ふぅー……」
闇に侵食され始めた空に向かって紫煙を吐き出してからジャージの男は続ける。
「兄ちゃんは、人間の命を奪う側なのによ」
男は観念したとばかりに、深く被ったフードを取った。
忽ち、男の素顔が晒される。
「貴方と同業じゃないですか」
姿形は、人間とさほど変わりはない。
ただ、特徴的な黄金色の瞳と、尖った耳。
血管が透けてしまいそうな程、色素の薄い肌は、人間のそれとは別物だった。
「はっはっは~やめてくれや、ウチは死人を極楽まで導くだけよ。一緒にしんといてくれや」
ジャージの男は、取り出した携帯灰皿に灰を捨てる。
「で?死神の兄ちゃんよ、生者と死者を引き合わせる目的を聞かせてくれや」
男の顔を覗き込んでくるジャージの男の目は好奇心に満ちている。
「……まいったな…」
後頭部を掻きながら苦笑する男。
残念ながら、ジャージの男の詮索からは逃れられそうにない。
渋りつつも、仕方なしに口を開く。
「………なぁに、ただの道楽ですよ」
「道楽?」
ジャージの男の確認に、男は僅かに頷いた。
「人間の命を奪う仕事柄、時々ふと良い事をしたくなる」
「………ほぅ」
男は、どこか宙を見詰めながら続ける。
「人間という生き物の目が前に付いているのは、真っ直ぐに前を見据える為……」
ジャージの男が、吸い終えた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「なのに人間ときたら、立ち止まり、やたらと後ろを振り返りたがる」
「確かにな」
ジャージの男の同意に、男が口角を引き上げる。
「私はね、そんな人間を前に進ませるキッカケを作っているに過ぎませんよ」
ジャージの男が二本目の煙草に火を着けた。
「人間とは、夢に縋って生きる儚(おろ)かな生き物だ…」
男の言葉に、ジャージの男が笑う。
「ははっ……そんなら、その儚かな生き物に夢を与えているお前さんも儚か者、という事になるな」
「………そうかもしれませんね」
男は、そっと目を伏せた。
「けれども、人の夢に縋って生きている姿は、中々いじらしい」
ジャージの男が静かに頷く。
男は、噛み締めるように言う。
「人の命は短く儚い……しかし、それ相応に美しい……だからこそついつい干渉したくなる…」
ジャージの男が紫煙を吐き出しながら笑う。
「ははっ……死神の言葉とは思えんな」
ジャージの男が灰を落とした。
「なぁ兄ちゃんよ、いっそウチで働かんか?今なら好待遇で迎えてやるしよ」
「どうだ?」と探ってくるジャージの男。
男は、その勧誘を鼻で笑った後「ご冗談を……」と、一蹴した。
「道楽は道楽だから楽しいのですよ」
「……なぁるほど。確かにな」
頷くジャージの男に対し「それに……」と、男は続ける。
「人間から、頭の上に輪っかを浮かせて背中に羽根を生やしていると誤解されているような仕事はごめんですよ」
ジャージの男は、自らの脂ぎった額をペシンと叩いた。
「全くだ。ったく、迷惑なこった。人間ってのは、思い込みが激しくていけねーな」
男は、ジャージの男の禿げかかった頭頂部を見やりながらポツリと漏らす。
「流石に、これは美化し過ぎだな……」
「何だぁ?聞こえてんぞ、兄ちゃん」
男の呟きに、すかさずジャージ男からの突っ込みが入った。
「天使様と崇めているものの正体が、ただの野暮ったい中年親父と知ったら、人間達はさぞかしガッカリする事でしょうね」
「うるせーぞ、兄ちゃん」
陽が完全に沈み、空に闇が広がった。
星のない闇に、月が昇る。
大きく、蒼白い月が。
神秘的な光を放つそれを見上げながら、男が言う。
「さぁて……今夜はどんな夢が見られるかな?」
期待に胸を踊らせる男の横顔を見て、ジャージの男が茶化す。
「何だか嬉そうだな、兄ちゃん」
「………えぇ、まぁ」
儚い花が咲いた夜は、蒼白い月が昇る。
そして
今夜も一つ、どこかで小さな奇跡が起こる。
___end
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる