儚い花―くらいばな―

江上蒼羽

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人の夢

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西の空へと、陽が沈もうとしている。

それを見ながら、男は大きな欠伸をした。


「ふ、あ~あ………今日は収穫ナシ、か…」


いそいそと店仕舞いを始める男。

とはいっても、ビールの空ケースと手書きの看板を片付けるだけというお手軽なもの。


「にゃあぁん……」


男の足元に黒猫が擦り寄って来た。


「ブラッドか……今日はもう仕舞いだ。帰って食事といこう」


男が猫の背を撫でてやると、猫は甘えた声で「にゃあ…」と鳴いた。

突然、男の動きが止まった。


「フーーッ!!」


男の足元に居た猫が、毛を逆立てて威嚇をする。


「おいおい、そんなに警戒しないでくれや」


野太い声と共に現れたのは、白いジャージを着込んだ男。

年齢おおよそ、40~50代といった所か。

小太りで背は低い。

引き摺っているジャージのズボンの裾から茶色い健康サンダルが覗いている。


「いやぁ、毎度ご苦労なこった」


ジャージの男は、脂ぎった額の汗を拭いながら近付いてくる。


「………これはこれは……一体何のご用ですかな?」


ジャージの男の正体を察知した猫は、威嚇をやめて、姿を消した。


「あらら……猫に嫌われちゃったかな?ざ~ん念」


肩を竦めておどけるジャージの男。

彼は、男の横に並び、ポケットから煙草を取り出した。


「随分面白い事をやってるじゃねーか、兄ちゃん」


煙草を口にくわえ、100円ライターで火をつける。


「ふぅー……」


闇に侵食され始めた空に向かって紫煙を吐き出してからジャージの男は続ける。


「兄ちゃんは、人間の命を奪う側なのによ」


男は観念したとばかりに、深く被ったフードを取った。

忽ち、男の素顔が晒される。


「貴方と同業じゃないですか」


姿形は、人間とさほど変わりはない。

ただ、特徴的な黄金色の瞳と、尖った耳。

血管が透けてしまいそうな程、色素の薄い肌は、人間のそれとは別物だった。


「はっはっは~やめてくれや、ウチは死人を極楽まで導くだけよ。一緒にしんといてくれや」


ジャージの男は、取り出した携帯灰皿に灰を捨てる。


「で?死神の兄ちゃんよ、生者と死者を引き合わせる目的を聞かせてくれや」


男の顔を覗き込んでくるジャージの男の目は好奇心に満ちている。


「……まいったな…」


後頭部を掻きながら苦笑する男。

残念ながら、ジャージの男の詮索からは逃れられそうにない。

渋りつつも、仕方なしに口を開く。


「………なぁに、ただの道楽ですよ」

「道楽?」


ジャージの男の確認に、男は僅かに頷いた。


「人間の命を奪う仕事柄、時々ふと良い事をしたくなる」

「………ほぅ」


男は、どこか宙を見詰めながら続ける。


「人間という生き物の目が前に付いているのは、真っ直ぐに前を見据える為……」


ジャージの男が、吸い終えた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。


「なのに人間ときたら、立ち止まり、やたらと後ろを振り返りたがる」

「確かにな」


ジャージの男の同意に、男が口角を引き上げる。


「私はね、そんな人間を前に進ませるキッカケを作っているに過ぎませんよ」


ジャージの男が二本目の煙草に火を着けた。


「人間とは、夢に縋って生きる儚(おろ)かな生き物だ…」


男の言葉に、ジャージの男が笑う。


「ははっ……そんなら、その儚かな生き物に夢を与えているお前さんも儚か者、という事になるな」

「………そうかもしれませんね」


男は、そっと目を伏せた。


「けれども、人の夢に縋って生きている姿は、中々いじらしい」


ジャージの男が静かに頷く。

男は、噛み締めるように言う。


「人の命は短く儚い……しかし、それ相応に美しい……だからこそついつい干渉したくなる…」


ジャージの男が紫煙を吐き出しながら笑う。


「ははっ……死神の言葉とは思えんな」


ジャージの男が灰を落とした。


「なぁ兄ちゃんよ、いっそウチで働かんか?今なら好待遇で迎えてやるしよ」


「どうだ?」と探ってくるジャージの男。

男は、その勧誘を鼻で笑った後「ご冗談を……」と、一蹴した。


「道楽は道楽だから楽しいのですよ」

「……なぁるほど。確かにな」


頷くジャージの男に対し「それに……」と、男は続ける。


「人間から、頭の上に輪っかを浮かせて背中に羽根を生やしていると誤解されているような仕事はごめんですよ」


ジャージの男は、自らの脂ぎった額をペシンと叩いた。


「全くだ。ったく、迷惑なこった。人間ってのは、思い込みが激しくていけねーな」


男は、ジャージの男の禿げかかった頭頂部を見やりながらポツリと漏らす。


「流石に、これは美化し過ぎだな……」

「何だぁ?聞こえてんぞ、兄ちゃん」


男の呟きに、すかさずジャージ男からの突っ込みが入った。


「天使様と崇めているものの正体が、ただの野暮ったい中年親父と知ったら、人間達はさぞかしガッカリする事でしょうね」

「うるせーぞ、兄ちゃん」





陽が完全に沈み、空に闇が広がった。

星のない闇に、月が昇る。

大きく、蒼白い月が。

神秘的な光を放つそれを見上げながら、男が言う。


「さぁて……今夜はどんな夢が見られるかな?」


期待に胸を踊らせる男の横顔を見て、ジャージの男が茶化す。


「何だか嬉そうだな、兄ちゃん」

「………えぇ、まぁ」



儚い花が咲いた夜は、蒼白い月が昇る。

そして

今夜も一つ、どこかで小さな奇跡が起こる。




___end
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