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《14》
しおりを挟む薄れる意識の中で、懸命に不快な記憶を掻き消そうと抗っていると、トイレのドアがノックされた。
それと同時に、控えめな声で「朝比奈さん」と私の名を呼ぶ声がする。
声の主は夏川さん。
そこで遠退きかけていた意識がはっきりした。
「大丈夫ですか?中で潰れてませんか?」
問い掛けにすぐに「大丈夫」と返して立ち上がる。
手櫛でボサついた髪を整え、手早くメイクを直してトイレを出た。
トイレの前で待ち構えていた夏川さんは、私の顔を見てホッとしたように息を吐く。
「中でぶっ倒れてたらどうしようかと思いました」
「ごめん……調子に乗って飲み過ぎた」
まだ足元は覚束ない。
アルコールが満たされた体は熱を持っていて重く、他人の体みたいに感じる。
「美味しいから止まらなくなる気持ちは分かりますよ。私も結構飲んじゃってふらふらですもん」
と言いつつも、元来酒豪と名高い夏川さんだけあって全く顔に出ていないし、足元はしっかりしている。
「親跡さんが車で送ってくれるそうです。肩貸しますよ。掴まって下さい」
後輩に支えて貰わないと歩けないなんて、先輩として情けない。
「親跡酒造とのコラボの件、話はついたの?」
夏川さんが満面の笑みを浮かべた。
「はい、無事に。親跡さんも凄く乗り気で」
「そっか、それは良かった」
何の力添えも出来なかったのが口惜しいけれど、良い方向に話が進んだのなら万々歳。
ホッと胸を撫で下ろす。
「ですがやはり、親跡さんの一存では決められないそうですので、一度話を持ち帰って他の者と相談するとの事です」
「良い返事が聞けると良いね」
「はい。親跡さん自身もこの企画を通したいそうなんで、万一渋られたりしたら、頑張って説得してくれるそうです。これはほぼ確定といっても過言じゃないです」
やり切ったとばかりにガッツポーズを決める夏川さんを見て、少し気が早いような気がしないでもないけれど、あまりの喜びように私も嬉しくなった。
会計を済ませて、店を出た。
「車を回しますので、少しお待ち下さい」
車を取りに行った親跡さんを軒先の端で夏川さんと見送りに出て来てくれた帆貴さんの3人で待つ。
「ラッキーでしたね。タクシー代が浮いた!」
「まぁそうだけど………なんか悪いな」
内心夏川さんと同じ事を思っていながらも、親跡さんと友達である帆貴さんの手前、それを表に出すのを躊躇った。
「気にしないでいいっすよ。チカが自分から言い出したんだし。こういう時素直に甘えてくれた方が男は喜ぶもんですよ」
「ですよね。本当、朝比奈さんてば真面目なんだから」
帆貴さんの言葉に調子付いた夏川さんに「真面目で悪かったね」と言い返そうとした時、目の前に黒い車が停車した。
運転席から降りて来た親跡さんは、助手席側に回って、ドアを開ける。
「少し散らかってますけど、どうぞ」
即座に夏川さんが反応する。
「それじゃあ、お言葉に甘えて~お邪魔しま~す!」
一目散に助手席に乗り込んだ夏川さんに呆気に取られていると、後部座席のドアが帆貴さんによって開けられる。
「じゃ、朝比奈さんはこっちね。足元気を付けて」
「すみません、ありがとうございます」
軽く靴の砂を落としてから車に乗り込んだ。
購入したばかりなのか、新車特有の香りがする。
「じゃ、夏川さん、朝比奈さんまた来て下さいね」
窓の外で帆貴さんが営業スマイルしながら手を振っている。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
「また是非来たいです。ていうか、絶対来ます!次はもっと色々冒険したいな~」
帆貴さんは夏川さんの力強い来店宣言を聞いて笑顔で「待ってます」と返した後、今度は親跡さんに向けて言う。
「チカ、安全運転な」
「……言われなくても分かってる」
親跡さんがぶっきらぼうに答えたのは、私がシートベルトを締めたのとほぼ同時だった。
ゆっくりと車が動き出す。
夏川さんが車内から愛想良く帆貴さんに向かって手を振っている。
外から見えるか分からないながらも、私も会釈しておいた。
「ここからだと夏川さんと朝比奈さん、どちらの家が近いですか?」
ハンドルを操作しながら親跡さんが聞いてきた。
それに対して夏川さんが「朝比奈さんです」と元気に答える。
実際は私の方が遠いのだけれど、恐らく夏川さんは私を先に降ろしたいのだろう。
なんとなく………というか、露骨な下心が垣間見えた。
夏川さんは親跡さんに狙いを定めたようで、私が邪魔らしい。
取り敢えず早く帰って横になりたい私は、先に降ろして貰えるなら寧ろ好都合だ。
呂律の回らない喋りで、この先右だの真っ直ぐだの道案内する。
その傍ら
「あ~今日は良い日だ~!」
上機嫌な夏川さんはひたすら喋りっぱなしで……
エンジンがかかっているのか分からない程静かな車内でやたらと夏川さんの声だけが響いていた。
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