恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第二章】乙女の誘惑

【第一話】始まりの合図(十六夜・談)

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 宵闇にも似た真っ暗な世界で朝日がゆるりと登る様に、一筋の光が差し込んでくる。閉じられていた瞼をゆっくり開くと、呼応するみたいに脳内へ頭痛と共に書き込まれていく数多の“設定”と“記憶”。未経験であるはずのこれらは全て“自分のものである”という錯覚と共に『…… あぁ、また物語の世界へ来たのね』と私は自覚した。だが、いつの間に此処へ落とされたのかが全く思い出せない。ハデス様とは違って体力の回復の為には睡眠が必要な身だ。眠っている間にまた、あの方の戯れに巻き込まれたのだろうと諦める事にする。

 どうやら今回は、剣と魔法が当たり前に存在する世界の様だ。
 此処センテリェオ王国はその国土の大半が風光明媚で宝石や鉄鉱石などといった資源が多い。豊かな土壌のおかげで食糧の問題もなく、人材の育成に注力したおかげもあって目覚ましい発展を遂げた王国である、らしい。
 昔は大陸の隅っこに位置している小国にすぎなかった我が国だが、今や他の帝国や皇国をも凌駕した国土と権力とを誇る偉大な大国として大陸のトップに君臨している。そこに至った最たる理由は——

 戦争。

 始まりは国土防衛の為だったのだが、同盟・属国にと引き入れた国をも守る名目で戦火は次第に広がり、何十年にも及ぶ大戦へと発展していった。
 ほんの数年前まではそこかしこで戦争をしていたせいで大陸全体は荒れに荒れていたが、“私”がこの国を見事勝利に導き、悲願だった平和が大陸全土に訪れた。それ以降は一転して和平路線に移行し、現国王の父と共に国内だけに留まらず、大陸全体の復興に注力して物資や人材を惜しみなく貸し出した事で今の所均衡は保たれ、他国とも表向きは友好的な関係を築けている。敗戦国の内心までは知らないが、再度戦争という可能性は徹底的に摘み取ったので、少なくとも“私”が在命の間は再戦の心配は無いだろう。

 強大な力を持つ個人に頼り切った平和…… ではあるが、この先もずっと戦火が続くよりはマシだと思っている。

 十代の頃から戦場に居たので婚期を逃し、剣士でもあった婚約者を戦争で失った事も重なって、早婚が当たり前でありながら、二十五歳になった今でも“私”は独身だ。戦争を終わらせた英雄であり王位継承者でもある身なので戦後すぐに別の者との結婚話が出たのだが、傷心中であるという理由で断り、そのままになっている。
 知略に長け、武にも優れ、思慮深い。将来的には父によく似た賢王となれる要素をふんだんに詰め込んだ人物の様だが…… どうにも違和感が拭えない。

 ——何故、私は…… 。

 この物語の“設定”と“記憶”の確認をしつつ、青藍色の瞳で周囲を見渡す。どうやらほんの一瞬、瞬きをした程度の間だったのか、今の今まで“私”が瞼を閉じていた事を『こんな時に居眠りですか?』と咎める者は誰もいなかった。

 目の前に広がった光景に息を呑む。
 三階まで吹き抜けになった広い空間は絢爛豪華と言う言葉が実にしっくりくる光景だった。そこかしこに飾られた彫刻や絵画といった美術品はどれもが素晴らしく、天井を支える為だけに並ぶ柱でさえも卓越した技巧を施してある。軽食やグラスなどを並べたテーブル、カトラリー、花瓶、楽団の楽器、床に敷かれた絨毯ですら特級品である事が靴裏からでもわかる程だ。国力を他者に示し、来賓者を楽しませる為にと室内を華美に彩るこれら全ては美術館に収めるにこそ相応しい品々ばかりだった。

 間近でちゃんと見てみたいな…… 。
 今までずっと身近には、天蓋付きのベッドか書棚くらいしか見る物が無かったから。

 そんな好奇心に溢れた心をひた隠し、王族達の為にと用意された少し小高い箇所に置かれた椅子で寛ぎながら、視線だけを動かす。
 先程からずっと、室内が随分と騒がしいなとは思ってはいたが、どうやら今は宴の真っ最中みたいだ。楽団が綺麗な音色を奏で、男女がペアを組んで楽しそうにホール中央でダンスを楽しむ。美しい装飾品で着飾った女性達は皆艶麗で、彼女達こそが生ける宝石とも言える程に輝いている。ダンスに参加していない者達は歓談を楽しんだり、軽食を口にするか酒を飲む者も多い。皆この室内には慣れたものの様でそこかしこを飾る豪奢な装飾には目もくれていないのが残念だ。

 そんな事を考えながら短く息をつくと、演奏されていた楽曲が一瞬途切れた隙を見て、一人の青年が注目を集めようと人集りの中心に躍り出た。
 青年が“私”の弟でもあるからか、周りの視線が一気に彼の方へ集まる。何事かと興味津々といった雰囲気だが、そんな彼の行動が“私”の心の中にモヤッとした影を作った。そして何故か『…… とうとう始まったか』と考え、胸の奥底から湧く不快感に顔を顰める。どうやら宴の最中にこうなる事を、この“私”は事前に知っていたか、予測済みだったみたいだ。
 でも何故?と不思議に思っていると、注目を一身に集める事に成功した銀髪の青年は一人の女性の前に立ち、大声を張り上げて突如こう宣言した。

「——皆聞いて欲しい!私、ルークス・フォン・リュミエラは今ここで、エレオス・ディ・クラーツィアとの婚約を破棄する事を宣言する!」

 その言葉を聞き、周囲は驚きに包まれた。口々に「有り得ないわ…… 」「何故?」などと動揺し、非難する様な、王子は気でも触れたのか?と戸惑う表情になっている。彼らの気持ちは察するに余りある。むしろ同意しか出来ない。弟はまだ学徒であり成長途中であるとはいえ、この様な宴の席で国民に不安を与えるなど…… あってはならないのに、という思いのせいか段々胸糞が悪くなってきた。

 今“私”の目の前で婚約破棄を言い渡されたエレオス・ディ・クラーツィア令嬢は公爵家の一人娘であり、弟のルークスとは幼少の頃より定められた婚約者だ。品があり、思慮深く、頭も切れる。優しさに溢れてもいて、話せば人当たりも決して悪くないのだが、唯一残念なのはその見目だ。
 緩くウェーブのかかった漆黒の黒髪は我が国ではとても珍しく、悪目立ちしてしまう。赤い瞳は血の色を連想させ、猫の様なアイラインは相手に畏怖の念を抱かせる事まである。優雅なはずの微笑みは悪巧みでもしているかの様に他者の目には写り、薔薇の様に艶やかや唇は不吉な弧を描いでしまうのだ。

 所謂“悪役令嬢”要素をふんだんに詰め込んだ女性だ、と言える。

 そんな彼女が学園内で犯したらしい悪事の数々を、ルークスが人前で堂々と声高に上げてく。
 銀髪がよく似合う端正な顔立ちで背が高く、母によく似た細身の容姿は夢物語の“王子”そのもので、話の内容が公爵令嬢の断罪でなければ皆がうっとりする程の麗しさだ。

 そんな彼の後ろで、広い背中で隠す様に守られている一人の女性。
 
 アレは確か…… と、記憶の糸を手繰り寄せようとした時。“私”の脳内に莫大な量の記憶がまた、一気に流れ込んできた。濁流の様な荒れっぷりで瞬時には頭がついていかない。物語の“設定”が流れ込んでくる時とは全く違い、不快感や戸惑いの方が大半を占め、気持ち悪さで今にも吐きそうだ。
 だが今ここで自分まで慌ててはいけないと気を引き締めて大量の記憶を全て、最速で順々に対処していく。流石は歴戦の勇者だ、切り替えが早く、対応も上手い。体を微動だにせぬまま、ものの数分程度で記憶の全てを把握し終わると、激しい痛みは霞の如く消え去った。そして一つの結論に帰結する。

 そうか。
『“私”は、このゲーム世界に憑依した存在だったのか』——と。
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