司書の迷走恋愛

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
1 / 7
本編

【第1話】初恋の顛末

しおりを挟む
『私立清明学園』
 国内でも屈指の進学校で、成績の芳しくない学生が易々と入学出来る学校ではない。他の進学校の中でトップクラスの人間でさえも、この学校では普通の人間になってしまう。本当に『天才的頭脳』でも生まれつき持っていないと、まともには扱ってもらえない場所だ。

 いや、場所『だった』と言うべきか。

 ロイ・カミーリャという年若い理事長が就任して以来、この学校は随分変わってきた気がする。好成績さえ取っていれば何でも許されるなどという悪習は無くなり、学業はそれほどでなくとも運動能力の優れている生徒にも門戸を広げ、多彩な才能を育む為の学び舎へと変化を遂げた。それと共に、一月『仮装カルタ大会』を筆頭とした理解し難い学校行事もかなり増えたが…… まぁそれは御愛嬌だ。

 個人のレベルに合わせた勉強の進め方にも力をいれ、個々の才能を伸ばす事に重点をおくようになった為、受け入れる事の出来る生徒数は以前よりも減ったせいで、前以上に難関校の色が強くなった事が私としては気になる処だが…… 。
 『学校のレベルについていけない』と登校拒否や途中で退学をするといった生徒は皆無となった事を考えると、今の理事長のやり方は今の学生達には合っているのかもしれない。
 毎月のように開催される学校行事の意味に関しては、やっぱりなかなか理解してもらえていないようだけれども。

 そんな清明学園には現在、女王的存在の生徒と王様的存在の生徒が二人いる。
 女王扱いされている生徒の名前は『千草那緒』。現在三年A組の生徒で、入学以来常に成績はトップ。温厚な性格、今では絶滅危惧種に近い大和撫子系美人となれば、本人の意思に関係なく祭り上げられるのは…… 仕方のない事だろう。常に注目の的になりやすい千草さんだが、委員や生徒会・部活動などには属さず、彼女は図書館の住人と化している。
 付いたあだ名は『図書館の女王』『帰宅部の女神』など、センスなぃっとぼやきたくなるものばかりなのだが、そう呼んでいる人達は真面目に考えて言っている事なんだろうから質が悪い。出来ればそんな可笑しなあだ名、卒業まで千草さんの耳には入りませんように…… そう願わずにはいられない。千草さんには、変な話は聞かせたくないから。
 何も知らぬ美しい大輪の華のまま、卒業して欲しいものだ。

 もう一人の生徒は、千草さんとは対極の存在だ。
 一年生の時点で生徒会長に就任し、二年生になった今も成績は学業・運動面共に常にトップクラス。モデルも出来るのでは?と思う程の整った外見には、浮世離れした所のある当校の生徒ですらも熱を上げ始末。私からは西洋系の血の入る金髪碧眼眼鏡青年である理事長の方がカッコイイと思うけど…… あの方の性格を考えると、まぁ『天神竜一あまがみりゅういち』君の方に人気がいくのは仕方がない事だろう。
 性格まではよく知らない。千草さんとは違い、話した事もないから。遠くから見聞きしている分には『完璧な男子』といった処か。容姿や成績の良さも然る事ながら、責任感・正義感もあり、優しく親切。ちょっと我の強い部分もある様だけれど、そういった面もなければトップは務まらないだろう。弱みを決して人には見せない、完全無欠の生徒。
 その為か付いたあだ名は『清明学園の皇帝』。
 …… 正直、私はそういったタイプが嫌いだ。完璧過ぎて気持ちが悪い。完璧な処が欠点といった処か。人間味がない、お綺麗過ぎる人形のような生徒。故に、千草さんとは対極に居る存在であるというのが、私の見解だ。彼女はとても温かい人だから。


「おはようございます、天神さん」
 朝一番、勤め先である清明学園の図書館の職員用玄関の前に立つ私に、誰かが声をかけてきた。
 誰だろう?こんな早くから。
 不思議に思いながら扉の鍵穴に鍵を入れようとしていた手を止め、声の方へ振り返る。するとそこには、ニコニコと微笑みながら手にいっぱいの本を抱える千草さんが立っていた。
(なるほど。昨日の本を、もう本を返しに来たのね)
 そう悟った私は「待ってね、急いで表の方を開けるから。そっちへ周ってくれる?」と答えた。
「わかりました。朝早くからすみません」
「いいのよ大丈夫。あ、遅れたけど、おはよう千草さん」
「おはようございます。じゃ、また後ほど」
 可愛らしい笑顔で返され、同性なのにドキッとしてしまった。んー朝から眼福だわ。
「うん、後でね」
 そう返事をすると、私は職員用玄関の入り口を開けて中へと急いだ。


 タイムカードを機械に入れて出勤時間を記録すると、急いで生徒用の正面玄関の鍵を手に持ち、鍵を開ける為に小走りで向う。体力がなく、本の虫である私はすぐに息があがってしまい頭がフラフラしてきた。ヨロヨロになりながら震える手で鍵を開けようとしていると、とても心配そうな顔で私を見ている千草さんの顔がガラス越しに見えた。大丈夫、大丈夫と手で合図をしながら解錠し、自動ドアになっているガラス扉を開けた。

 バッと慌てて私の側に駆け寄り「大丈夫ですか?」と言う彼女に「ごめんねー体力がなくって。でも平気よ、本当にもう大丈夫」と明るい声で答える。
「もう…… 無理しないで下さいね、私はいくらでも待ちますから」
「でもほら、授業の開始時間もあるでしょう?」
「平気ですよ、まだ二十分以上もあるんですから」
「そっかそっか」
「まだ本当なら図書館の開く時間でもなかったんですから。それに、本来なら放課後まで待たないといけないのをご好意で返却させてもらえているんですし……」
「まぁそうなんだけど。あの本の量を放課後まで席の側に置きっ放しもちょっとねぇ。それにまぁ貴女の場合は理事長の許可付きだから気にしないで」
 一緒に話しながら図書館を入ってすぐのホールを抜けて、図書館の受付へと向う。重そうな本を何冊も抱える彼女に「半分持とうか?」と声をかけたが、それは断られた。
「体力ない人には頼めませんっ。今度一緒に体力作りでもしてくれたら、その時には頼みますね」
 私以上の本の虫であり、年下でもある子にそんな事を言われてしまう自分を情けなくも思ったが、本当の事なので言い返せなかった。


 受付の中へと私は入り、彼女は重い本を何冊も返却専用の受付台の上に置いた。本の全てに必ず付けてあるバーコードを機械で読み取り、返却業務を完了させると「はい、確かに」と軽く本を叩きながら伝えた。
「借りたい本があるのでちょっと持ってきてもいいですか?」
「いいよ、でもちょっと急いでね。教室まで行く時間もちゃんと考えないと」
「大丈夫ですよ、ちゃんと場所もチェック済みの本ですから」
 早歩きで図書館奥へと千草さんが向う。本当は駄目だけど…… 。
「走って行ってもいいよー、誰も居ないし。でも二人の秘密ね」
 図書館内だというのに大声で叫ぶ私へ向かい「ありがとう!」と、千草さんから返事が返ってきた。館長が居たら説教されるところだけど…… まだ誰もきていないし、いいよね。
 今は何よりも時間がない。この広い学校と図書館の中ではどんなに目的地が把握出来ていても、移動だけで結構な時間がかかる。無駄に広いせいで、私も何度泣きを見た事か…… 。
 今のうちに、千草さんから返却された本を一時的に置いておく場所まで移動させておこう。そう思い、先程受け取った数冊の本を持って立ち上がると「——あの」と小さな声がカウンターごしに聞こえた。
 本から顔を上げて「はい?」と答える。
「今って、本借りられますか?」
 そこには、気まずそうな声でそう言う男子生徒が立っていた。
 朝から会えるとは思っていなかったその生徒の登場に、私の心臓は無駄に鼓動を早め、不規則になった。
「え、あ、ええ!だ、大丈夫ですよ!」
 本当は千草さんの様に許可を貰った生徒じゃないと駄目なのだが、反射で許可してしまった。嘘をついてしまった焦りと、心待ちにしていた相手と登場とで、ちょっと声が裏返った。
「よかった……どうしても気になる本があったんで」
「あ、でも急いで下さいね!授業開始の時間に遅れさせる訳にはいかないので」
「はい、忠告ありがとうございます。でも大丈夫、すぐそこにある本ですから」
 少し早めに歩き、彼が新刊の並んだ棚に向う。手に持って戻ってきたのは、意外にも一冊の恋愛小説だった。

 …… こんな本も読むんだ、意外。

 でも、著者の名前を見てすぐにそんな考えは消えた。『著者 湯川大和』彼の大好きな作家、なんだと思う。同じ本を何度も、何度も借りたりしているし。
 本を受け取り、生徒手帳を出してもらう。手帳に付いている識別用のバーコードを読み取り、本の方にも付いているバーコードも読み取ろうとしていると「…… 変、ですか?」と上から小さく声が聞こえてきた。
 何がだろう?
 何の事かわからず「はい?」と訊き返すと、彼は「いや、だって…… 何かニヤニヤしてるように見えるんですけど」と少し恥ずかしそうな顔をされてしまった。
 マズイ、顔に出てたんだ。
「違いますよ!私もこの本が好きで、借りてくれる人が居て嬉しいなって思って、それだけで決して男子生徒が借りた事をどうこう思ったりは——」
「あんまり言うと墓穴掘りますよ」
「え⁈」
 いつも微笑みを絶やさないイメージの彼が、ちょっと冷めた表情で言い放ち…… かなり驚いた。
「あ、いや、すみません。今のはなしで」
 なんて、いつものニコニコ笑顔で今更言われても…… どうしていいものか。
「じゃあ、借りていきますね」
「あ、はい。…… 返却は二週間後に必ずお願いします」
 ちょっと唖然としたままそう答えると「あんまり気にし過ぎると、可愛い顔が台無しですよ」と言いながらぽんっと彼が、カウンター越しに居る私の頭に軽く手を置いた。

 嘘でしょ⁈何で彼の手が私の頭なんかを!

 異性に頭を触られるなど、小説の中でしか体験(?)したことの無い私は軽くパニック状態になってしまった。
「持って来ました!」
 大声で叫び、息を切らしながら千草さんが全速力で本を抱えながら走ってきた。
 受付前に立つ彼が目に入ったのか、千草さんの足が急にピタッと止まり、ゆっくりしたものに。汗を垂らしながら無理やり呼吸を整え、本を抱えた月咲さんがゆっくりこちらの方へ歩いてくる。時間も気になるのか、彼女の視線がチラチラと何度も上の方に飾られている時計の方へいく。その様子を見ていた彼がクスクスと笑いながら「先輩、大丈夫ですから急いで下さい。誰にも言ったりしませんよ」と千草さんに声をかけた。
 パァッと顔色を変え「ありがとう!」と返事をすると、即座にまた受付までの短い距離を走り出し、本を私の前にドンッと置く。急いでポケットの中から生徒手帳を取り出し私に差し出した。
「…… 朝の図書館って、案外面白いものが見られていいな」
 手で口元を隠しながら、彼がボソッと呟く。意外な言動にまた少し戸惑いを感じた。
 …… そんな事言うようなタイプだっけ?
 頭に疑問符がいっぱい浮かぶも、今は千草さんの本の処理を急がないとと即座に頭の中を切り替えて、貸し出しの手続きをし、生徒手帳を「はい!また後でね」と言いながら手渡す。
「ええ、また後で!」
 そう返事をしながら千草さんは本を抱きかかえて、走り去るように図書館を後にした。


 嵐が過ぎ去り、二人だけになった館内。
 とても静かで、静穏な館内に私の心臓の音だけがイヤに響いて聞こえる気がする。貸し出し処理も終わったし、千草さんが慌てるように、もうそろそろ教室へと入っていないといけない時間だ。
 なのに、何故彼は、竜也りゅうや君はここでぼぉっとしているんだろう?
 訊くに訊けず、そわそわとだけしてしまう。
「…… さて、僕も行かないと担任に怒られてしまいますね」
「あ、はい。またの来館をお待ちしております」
 お決まりのセリフを返した。それ以外に、言葉が浮かばなかったから。
「…… 『いってらっしゃい』の方が、僕は嬉しいな」
「え?…… いってらっしゃい、ですか?」
 なんで?
「ええ、何だかその方が近しい感じがしませんか?」
 …… まぁ、しますけど。何故それを求めるの?
 でも、少しでも近くに感じたいと思う気持ちが先走り、気恥ずかさを感じながらも「い、いってらっしゃい」と彼の望み通り言ってみた。
「いってきます」
 私の言葉を受け、彼はとても嬉しそうな可愛い笑顔で「いってきます」と答え、本と生徒手帳を手に持つと小走りに図書館を出て行った。

 ドクンッ…… ドクンッ……

 いやでも高鳴る心臓をキュッと押さえて、私は受付の机に突っ伏した。

 『いってきます』
 そう言った彼の声が耳を離れない。

 今まで何度も何度もここで会った事があったけれど、一度も今みたいに会話らしい会話なんか出来た事無かったのに、今日に限っていったいどうしたというのだろうか?今までに無い反応があったせいか、今まで一度も考えた事のなかった事が頭をよぎる。

 もしかしたら…ちょっとは気にしてもらえてる?
 なんて…… いや、あるはずがないと即座に否定。
 だって、だって彼は、竜也君はこの学園の皇帝『天神竜一』の弟なんですもん。

       ◇

 私は今、人生初の片思いをしている。
 二十代も半ばになって今更…… と自分でも馬鹿馬鹿しく思うが、今まで自分の夢を叶えるので精一杯で、恋だ何だと目を向ける余裕がなかったのだ。でも、相手が相手なだけに、自分は恋をしたんだと自覚したと同時に結果は目に見えていた。相手が…… 悪すぎる。

 彼の名前は『天神竜也』君。

 さっき私が本の貸し出し業務をしてあげていた人だ。この学校の二年生で、『清明学園の皇帝』だなんてアホなあだ名を付けれている『天神竜一』君を双子の兄に持つ。兄の竜一君と似ているのは、容姿と髪の長さくらいなもので、顔を隠したいの?とでも思ってしまう程の太目の縁の眼鏡をかけ、いつもニコニコと優しげな笑みをたたえる。兄を輝く太陽とするなら、彼は夜空を彩る月と言った処か。
 人気があり、色々な人達に常に囲まれる兄とは違い、竜也君はいつも一人でこの図書館に居る。お兄さんと一緒にいる所は、私はこの二年間で何度かしか見た事がない。仲は良さそうだけれど、きっと大人しい弟に気を使って離れているんじゃないかな?と勝手に推測している。常に誰かに囲まれてる兄の側に居るのは、きっと大人しい彼では息苦しくてしょうがないんじゃないかなと思うから。


 窓辺に座り、大人しく本を読んでいる竜也君の姿を初めて見たのは、一年生であった彼もだいぶ高校生活に馴染んできたと思われる去年の秋頃だった。
 眼鏡と少し長い横髪で隠れてしまっているけれども、随分顔立ちの綺麗な子だなっていうのが第一印象。受付で彼の名前を知った時は驚いた。

『天神竜也』

 私、天神飛鳥あまがみあすかと同じ苗字だったのだ。
 こんな事もあるんだなと思った。かなり珍しい苗字のはずなのに、親戚でもない赤の他人が同じ苗字だったから。
 気さくな方ではない私でもさすがに驚いて『珍しい苗字なのに、案外いるもんなんですね』何て声をかけてしまい、彼を驚かせてしまった事を覚えている。
 きょとんとする彼に『私も同じ苗字なんですよ』と言葉を付け加える。
『ああ、それで』
 短い言葉だったが、返事をしてくれた。それがきっかけで色々お話をするように——なーんて、少女マンガ的な展開は無いまま、もうかれこれ一年以上が経過した。いつも受付のカウンター越しに返却日を告げる私に、『はい』と答えてくれるだけだ。
 たまに『お疲れ様です』何て言ってくれた事も、館内ですれ違った時にはあったけれど…… 毎回ではない。でもそんな一言をたまにでもくれる事が嬉しくって、叶わないとわかっていながら、ほのかな恋心を捨てられずにいる。

 高校二年生って事は、彼はたぶん十六か十七歳の子供。

 私といえば…… 大学卒業後すぐにこの図書館に就職したとはいえ、もう高校生から見ればいいオバサンだ。五歳以上も年上の女に好意を持たれているなんて、きっと彼も夢にも思っていないだろう。

 …… それでいい、それで。片思いで十分。

 どうして好きなのか、どこが好きなのかも上手く説明出来ない程度の感情だし、片想いが丁度いい。理事長だって言ってたもの『片想いこそ究極の愛情だ』って。見守る愛だってあるんだよって、何度も何度も言われた。きっと遠まわしに『うちの学生に惚れるな』と釘を刺されただけなんじゃないかなと思うけど、確かに社会人の私が高校生に惚れるなんて馬鹿げてるなって思うから賛同しておく。
 …… 立場が逆なら、あんまり問題ないのだろうにと感じるのはきっと、私の考えが偏っているのよね。

       ◇

「おや、今日は随分早かったんですね」
 白い上着を脱ぎながら、同僚の楠木くすのきさんが私に声をかけてきた。
「あ、おはようございます。楠木さんの方は、遅刻しなかったんですね」
「ちょ!『今日は』とか失礼じゃないか」
「だって、ここ数日連日遅刻していたんですもん」
「あ…… あれは、その…… 」
 楠木さんが視線を彷徨わせた。
「ほらね?否定出来ない」
「くっ…… 仕方ないでしょう?僕だって色々私生活があるんだから」
「深くは追求しませんよ、好奇心は強い方ではないので」
 そうは言っていても、楠木さんも私と同じ本の虫。新刊を読み漁っての寝不足だと簡単に想像できた。
「それは助かるな。ありがとう、天神さん」
「いえいえ」
 キョロキョロと周囲を見ると楠木さんが、「あれ、今日はもう朝から誰か本借りに来た?」と訊いてきた。
 何でわかったんだろう?
 不思議に思いながら「ええ、でもどうして?」と訊ね返す。
「借りたかった本が消えてるから」
 彼が新刊の並ぶ棚を指差した。
「楠木さんも、恋愛小説なんて読むんですね」
 かなり意外だったので、私はクスクスと笑ってしまった。
「彼の本は特別だよ」
 少し頬を赤くしながら言った。
「歴史や推理小説、色々なジャンルの作品を書いているのに、どれもこれも彼らしい個性が残ったまま史実を織り交ぜて書かれた内容に惹かれるんだよね。ベストセラーとかになるような華のあるタイプの作家ではないけど、僕は好きなんだよ」
「へぇー…… 私も読んでみようかな。千草さんにもいい作家ですよって勧められていたんですよね。最新作だけは読むなって言われましたけど」
 何故なのか理由を訊いても、彼女は顔を真っ赤にしただけで何も教えてくれなかった。
「あ、やっぱり千草さんも読んでたか、湯川先生の作品。でも、なんで最新作だけは評価低いんだろうね?」
「さぁ?『新刊も入ったよ』って言った途端に顔面蒼白になりながら『読んじゃだめですよ!あんなの』って叫んで、館長に怒られてましたね」
「叫ぶ?珍しい事もあるもんですね。余計に気になるなぁ…… 新刊のタイトルって何でしたっけ?」
 楠木さんは首を傾げ、何故だ?と不思議がった。
「…… 『桜の園』でしたっけか?桜のうんちゃらなのは覚えてるんですけど、園かどうかは自信がないです。っていうか、読みたかった本ならタイトルくらい覚えておきましょうよ」
 呆れてしまう、本当に読みたかったのだろうか?
「ごめんごめん、あはは」
「もう…… 」
「んじゃ、館長が来る前に仕事始めちゃいますか」
「そうだね、早くしないとすぐにお昼休みになっちゃうしな」
 そう言いながら軽く身体を伸ばすと、私達はそれぞれ自分達の業務を始めた。

       ◇

 学校が所有する規模としては有り得ない広さを誇るこの図書館の中を、昨日返却されてきた本を棚に戻しつつ簡単に棚の中の整理もする。一般の方への貸し出しをしていないおかげか、生徒のマナーがいいのか、紛失する本や破損する本は少ない。だが広過ぎる館内のせいで本の返却業務に時間がかかってしまうのが…… 体力のない私としてはかなりイタイ。一周する頃にはもう足がフラフラしているなんてしょっちゅうだ。

 今日も毎度のごとく脚が棒状態になり、受付の席に座りながら脚を摩り解す。
 新しく入荷を予定している本を注文したり、延滞している生徒がいないかをチェックしたりもしないといけなかったのに、時計を見ているともう十二時を過ぎていた。
 軽くため息をつきつつ楠木さんの席の方を見ると、何やらすごく真剣にお仕事をしているみたいだったので声をかけるのをやめて私も昼休みに来る生徒さん達の為の準備を始めた。

 昼休みを知らせるベルが鳴り、学校全体がざわざわと動き出す。その中でもここは特別な場所なせいか、静かだ。
 本を扱う場所なので飲食は禁止。なので昼休みが始まっても、すぐにここに来る生徒はほとんどいない。図書館のすぐ隣に最近作られた学生用のカフェで食事をと考えていたが、混んでいて座れなかった生徒が暇つぶしとしてたまに来る事がたまにあるくらいだ。

 二十分くらい経ったくらいから、一人二人と、少しづつ本を借りに来る人や雑誌や参考書を見に来る人達が入ってきた。
 テスト期間が近くない限り、一般の図書館程には来館者のいないこの図書館では、イヤでも来館者の行動が目に入る。本を借りに来てくれる人達の好みや、傾向はどうしてもわかってしまうし、どこの席で本を読む事が多いとか、どんな目的で図書館に来ているとか…… 。

 一番の常連である千草さんは、純粋に本が好きでしょうがないんだとすぐにわかった。それこそ棚に並ぶ本をジャンルを問わずに片っ端から読み漁っている感がある。あまり好みとかこだわりもないみたいで、本の世界を楽しめればそれでいいみたいだ。

 次によく来てくれるのが、私の片思いの相手である天神竜也君。彼は歴史モノが好きみたいで、戦国系の本をよく好んで読んでいる。たまに違うジャンルの本を読んでいるけど、基本的にはそういうのが好きなのだろう。貸し出した本の一覧を見ると、すぐにわかる。

 パソコン画面に表示された竜也君へ貸し出した本の一覧を見ながらクスッと笑っていると、カウンター越しに「天神さん」と声をかけられ、後ろめたさから体がビクッと動いた。
 慌てて画面を閉じ「はい、何でしょう?」と言いながら顔を上げると…… 竜也君が笑顔で立っていた。
 今まさに考えていた相手が目の前に居る事の焦りからなのか、気まずさからなのか、嫌な汗が手に滲む。視線を軽く下へとずらしてしまった。
「何か御用ですか?」
「探してる参考書があるんですが」
「そちらのパソコンで貸し出中かどうか調べる事が出来ますよ」
 そう答えながらパソコンの方を指で差す。
 すると「ええ、知ってますよ。それで今調べてきて貸し出していない事はわかったんですが、本棚に見当たらないんですよ」と言いながら、図書の場所を示す記号の印刷された小さな紙を私の前に差し出してきた。
「わかりました、今探してきますので少々お待ち下さい」
 あら珍しい。その場で読んでも、きちんと戻してくれる子が多いのに。
「楠木さん、受付お願いします」
 後ろの方で別の作業をしていた楠木さんに小声で言いながら立ち上がると、ひざ掛けをたたんで近くの棚の上に置き、カウンターから出る。
「はい」と答えてくれた楠木さんが受付の席に座り、本を借りに来た別の生徒達の対応にあたってくれた。


「美術書?…… B-3の棚か。こんな本も読むんだ」
 小さな紙見詰めながらブツブツと呟いていると、すぐ後ろから「ええ、読みますよ」と竜也君の声が返ってきた。
「え⁈」
「しー…… ここは図書館ですよ?」
 てっきり受付カウンター前で待っているものと思っていたので、驚きのあまり声量を調節出来ず大きな声になってしまった。そんな私の口元を指で軽く押さえながら、再び竜也君が「しー…… 」と笑顔で言ってきた。
 それだけで私の心拍数はイヤでも上がり、顔も真っ赤になってしまう。男性に免疫がないせいもあるのだろうけど、好きな子が相手となると、もうどうしていいのか上手く頭が動かない。
「す、すみません。まさか側に居るとは思ってなかったもので…… 本当にすみません」
 小声で謝り、慌てて頭を下げる。
「いいんですよ、今まで図書館では借りた事のない分野ですからね」
 眼鏡の奥に見える目が、優しげに細められた。
「えっと、受付でお待ち頂いててもいいですか?この本は二階になりますし」
「わかてますよ、僕もさっき行ったんですし」
「いや、だからちょっと探すのに時間がかかるかもしれないので、雑誌でも読んでお待ちになっていた方が」
「いえ、行きます。一緒の方が早いでしょ?」
 …… 二階ってあまり人が居ないから、出来れば彼とは行きたくないんだけどなぁ。
 そう思うも、拒否するまともな理由が思い浮かばず、仕方なく一緒に階段を上がり、二階にある美術書を扱う書籍の棚へと向った。


「アール・ヌーボーの勉強をね、今日の美術の時間にやったんですよ」
 探している本は竜也君の言う通り置いてあるはずの棚にはなく、仕方なしに片っ端から周囲の本棚を探している私に彼がそう声をかけてきた。
「建築物や食器などにも活用された美術の、より詳しい歴史を知りたいなと思って。その時に先生が手に持っていた本をに興味が湧いたんです」
 棚に並ぶ本を指差しながら目的の本を探す彼が、訊いてもいないのに色々自分から話してくれた事に、少しの嬉しさと戸惑いを感じた。

 今日は朝から随分お話してくれるけど、どうしたんだろう?

 まともに会話らしい会話をした事が無かった関係だったのに、急にこう色々声をかけられてもどう反応していいのかわからない。
「そうだったんですか、すみません説明させてしまって」
「いいえ、僕が言いたかっただけですから」
 うう、説明させたくさせちゃうなんて何て大失敗を…… さっきの発言、絶対に変に思われてるって事だよね。
 探す手を止めずに、でも心の中で後悔たっぷりのまま本棚を見ていると「誰かが読んでいるのかもしれませんね、館内で」と竜也君が言った。
「これだけ探してないなら、その可能性が高いですね。竜也君と同じ授業を受けた生徒さんが、同じ事を思ってたのかもしれません」
 そう言い軽いため息をつきながら彼の方へ数歩歩き「どうしましょう?他に似た本を探しましょうか?」と訊こうとした時、竜也君が私の方をちょっと驚いた顔で見ている事に気がついた。

 変な事は言っていないと思うんだけれど…… どうしてこんな顔してるの⁈

「えっと…… どうか、されましたか?」
 わからないままでは、失礼をしてしまっていたとしても謝りようがない。そう思った私がそう訊くと、ちょっと照れくさそうな笑みを浮かべ、竜也君が耳の裏を軽くかきながら「ちょっと驚いただけですよ」と答えた。
「驚く?同じ考えの生徒さんがいた事にですか?」
 それなら私が何か失言した訳ではないって事よね
「いや、別にそんな事はどうとも思ってません。名前をね、知っていてくれているんだなって」
「…… 名前」
 あ、まずいっ!いくら有名人の弟さんだとはいえ、親しくない生徒さんの名前を覚えているのはおかしかったか。
「え…… あの、同じ苗字だったので、受付の時に自然に、ね」
「ああそうですね、僕等って同じ苗字なんですよね。珍しいな、佐藤とか鈴木とかありふれた苗字ではないのに、一緒だなんて」
 そう納得しつつも、どこかちょっと残念そうな感じの表情を竜也君が浮かべる。そんな表情をさせてしまうのがイヤで、つい私は「あ、でも常連さんだから覚えていたってのもあるんですよ?竜也君はよくこの図書館に本を読みに来てくれているでしょう?見かけるたびに『また来てくれてるな』とか思って見ていたので——」なんて、口が滑ってしまった。

 あー…… 私今、余計な事まで言った。

 不必要な事まで話してしまった事に、後悔で心が沈む。たかが図書館の職員にそんな風に見られていただなんて、気持ち悪いに決まっている。お兄さんの竜一君のようには好奇の目を向けられる事に慣れてはいないだろうに。

 絶対に変に思われた。

 一言も発しない竜也君から漂う空気がますます私の心を追い詰め、沈ませる。
「イヤだな、それなら声でもかけてくれればよかったのに」
「え」
 困るからそう思うのはやめてくれとか言われると思っていたのに、意外な言葉に驚いた。
「僕からはたまに声をかけていたんですけどね。それには気がついてくれていましたか?」
「ええ、もちろん。忙しい時に『お疲れ様です』って言ってもらえると、それだけで『頑張ろう』って思えて嬉しかったですよ」
「よかった、いつも返事がなかったので聞こえてないのかなと思っていたんですよ。もしくは…… 嫌われてるのかなって、ね」
「そ、そんな!嫌うだなんてありえませんよ!」
 手をブンブンと横に振りながら必死に否定した。好きだって事がばれてしまうのはイヤだけど、嫌ってると思われる方が大問題だ。そんな事になっては、今後話す機会が全くなくなってしまうかもしれない。それだけは、絶対に回避しなければ。
「頭をさげて答えていたつもりでいたんですが…… 」
「ごめんなさい、気がついていませんでした。その…… 俯かせてしまったなくらいにしか、思っていなかったです」
「すみません!今度はきちんとお答えしますね」
 誤解を与える行動をした事を謝罪したくて、ペコペコと何度も頭を下げる。
「そんなに詫びないで下さい、そこまでの事はしていないでしょう?それに、喜んでもらえていただけで十分嬉しいですから」
 竜也君にすまなそうな顔をさせてしまったのに、言ってくれた言葉が嬉しくて頰が緩む。

『喜んでもらえただけで十分嬉しい』

 彼にとっては何でもない一言だろうに、何故かその部分だけが耳についてしまい、頬が赤くなる。竜也君が喜んでくれたってだけで、本心じゃないかもしれないけど、それでもそんな言葉をもらえたって事実が嬉しくってしょうがない。でも嬉し過ぎて言葉が出ず、黙って俯いてしまう。
 そんな私に対し、少し困ったような色の混じる笑顔で竜也君が私を見詰めた。
「えっと、何かこの側にお薦めの本だとかってないですか?」
 頬を軽くかきながら、竜也君が訊く。年下の彼に気を遣わせてしまった気がするが、甘える事にした。
「この棚の付近でですか?それでしたら…… えっと」
 竜也君の一言で私の中の仕事モードがオンになり、周囲の棚に置かれた本の傾向や彼の本の好みなどの中からお薦めの本のジャンルを必死に探す。
「こっちになりますよ」と言いながら、彼をまずは歴史の本の置かれた棚の方へと連れて行く。史実系のものからそうでないものまで、様々に並ぶ本達。その中から数冊、わりと最近入ってきた本を数冊手に取る。ちょっと無難なラインナップだったかもしれないが、彼の好みそうな内容である事は間違いない。自信満々に「こちらなんかどうでしょう?」とそれらの本を彼の前に出すと、また少し困ったような笑顔をされてしまった。

 貸し出した本の中にはこれらの本はなかったのだけど、もしかしたらもう読んだ後だったのだろうか?

 不安になり「お好きじゃなかったですか?」と訊く。
「ごめんなさい、言葉が足りなかったですね。天神さんの、読んで楽しかった本が読みたかったんです。僕好みの本じゃなく」
「…… 私の、好きな本ですか?」
 そんなものを求められるとは思わず、きょとんとしてしまった。
「ええ。イヤでしたか?」
「い、いえ。イヤとかじゃないですよ。でも…… 」
 返答に困った。最近読んだ本はどれも、男性にあまりお勧めできるものじゃない。
「でも?」
「…… 私のよく読む本って、その…… 恋愛小説とか、そんなのが多いのであまり男性にはお薦め出来ないというか」
「僕だって読みますよ、年相応には恋愛にだって興味はありますから」
「そうなんですか?意外です」
 ハッキリ言ってしまった。だって、彼が借りた事など今朝の一度しか見た事がない。
「興味ないように見えていました?」
「ええ、全然っ」
「イヤだなぁ…… 異性の側に居れば普通に浮かれますし、好きな人の前にいれば緊張だってする。普通の男ですよ、僕だって」
 そう言って竜也君は私の右手首を掴み、ぐいっと引っ張ると自らの左胸に私の手を当てさせた。

 ドクンッドクンッドクンッ——

 私の腕を掴む手は少し震えていて、鼓動も少し早い気がする。気のせい、かもしれないけれど。
 こんな事私に確認させてどうしたいの?今日は朝から何かおかしい。今までなかった接点を、無理に作ろうとしているみたいに感じる。

 何故?何で私に鼓動なんて確かめさせるの?

 訊きたい事はいっぱいあるのに、全てが私の思い違いなんじゃないだろうかと思うと怖くて声が出なくなってしまう。
「わかって、もらえました?」
 私の手首を掴んだまま、竜也君が私の耳元に近づき、そっと囁いた。
 何をどうわかればいいの?
 これって、異性の側にいるからこうなってるって言いたいのか、それとも…… ?
 手の平から伝わる竜也君の鼓動の早さに合わせるように、私の心臓まで速さを増す。手が震え、頭が真っ白になってきた。

 図書館内だという環境のせいで周囲はひどく静かだし、誰も来ない。二人だけの状態で、好きな人に手首を掴まれ胸を触らせられてる今の状況のせいでまともな思考が出来なくなってきているのが自分でもイヤって程にわかる。頭では、ここは適当に流して好きな本を薦めて午後からの授業頑張ってくれの一言でも言って別れるのが正しい答えだって理解している。
 でも…… 心では、こんな事をするのって相手が好きだとかそういった理由でもないとしないよね?なんて希望的観測をおこない、想いを伝えるなら今がチャンスなんじゃないかなんて…… 。

「——す!」

 自分の中で答えが出る前に、変な声が出てしまった。
 ドサドサッ‼︎
 それ以上馬鹿は事を言わずに済む様にと、本を持っていた方の手でとっさに口元を塞いでしまい、あろうことか持っていた数冊の本を足元に落ちてしまった。
 でも竜也君はそんな事全く気に留める様子もなく「…… す?」だなんて言って訊き返してくる。

「……す、す……」

 どうしよう⁈何も考えずに出ちゃった声だから、どうしていいのかもうわかんないよ‼︎
「す……イカの、美味しい季節が終わっちゃいましたね。今からでは遅いですが、育て方とか…… 読みますか?」
 我ながら苦しすぎる!誤魔化せていない!
「は?」
「あ、嫌いでした?す…… イカ… 」
 ちょっと拍子抜けしたといった感じの表情を竜也君がする。
 でもすぐに「僕はスイカは好きじゃないんで別に」と、少し笑い声の混じる声で言った。
 そして、そっと離れる竜也君の大きな手。ちょっと残念な気もしたが、これは仕方のない事だと自分へ言い聞かせ、私も胸から手を下ろした。
 無理やり納得しながら、今少し楽しそうにしてくれている彼に笑顔を向ける。
「確かにスイカのシーズンは終わっちゃいましたけれども、中華まんは美味しいい季節になってきましたね」
 またよくわからない事を口走ってしまった。
 もうダメだ、誰か助けて。
「そうですね、あんまんにするか肉まんにするかまた迷っちゃいそうですよ」
 さっきの変な緊張感も薄れ、普通に言葉を交わす事が出来る事にちょっとホッとしてきた。私にまた合わせてくれたのだろう。本当に優しい子だ、惚れ直してしまいそうで困る。でも…… そうよ、このくらいの距離が丁度いい。

 好きだなんて言えない、相手はまだ学生さんなんだもん。

「美味しい店知ってるんです。今度一緒に行きませんか?」
 少し首を軽く傾げ、ニコッと微笑みながら誘われてビックリした。
「私と…… ですか?」
「僕の目の前に居るのは、天神さんだけですよ」
 いいのかな、一緒にだなんて。嬉しいけど、社交辞令かもしれないしと思うと、素直に喜んでいいものか。
 戸惑い、私が返事に困っているとまた彼が少し困った笑顔に。
「迷惑でした?」
「まさか!迷惑だ何てそんな!好きな人相手に——」
 あ………… バカだ、私。目の前が真っ暗になった。
 不安定だった足元がとうとう崩れ去り、谷底に落ちていくような感じがする。異性に慣れてないとはいえ、このミスはただのバカだとしか言い様がない。場馴れしていないせいで招いた事態だと諦めるにしても、それ以前の問題だと自分でも十分過ぎる程にわかってしまうので、いい訳も出来ない。せめて聞こえてない、もしくは聞き流してくれないかと心底願ったりもしたが、すごく驚いた表情で硬直する竜也君の様子を見ている分には、そのどちらも有り得ないだろう。
 もうなるようになれ、なるようにしかならないと諦め、ため息混じりに「すみません…… 無かった事にしてはもらえませんか?倫理的にも問題しか無いので」と謝ってみる。
「謝る事は別に…… 。でもちょっと驚いてしまって」
 後頭部を軽くかきながら、竜也君が言う。
「まさか、天神さんが僕を——なんて、夢にも思っていなかったから」
「ご、ごめんなさい。その、話せて嬉しくって…… 誘ってもらえたの事とかで動揺しちゃって、困らせる気は全くないんですっただ遠くから見ているだけでよかったので」
「困ってなんかいませんよ」
 笑顔でそう言い、私の頭をそっと竜也君が抱き締めるように包んでくれた。
「っ⁈」
 嘘‼︎
 驚き過ぎて、頭が噴火してしまいそうだ。真っ赤になる頬を両手で押さえ、パニック状態になってしまう心を静めようと軽く深呼吸をするが、落ち着くどころか深呼吸もままならない。
 これってもしかして、ものすごくいい雰囲気なんじゃないの⁈
 まさかOKもらえたって事⁈
 そう思った私は、真っ赤なままの顔を勇気を出して上にあげ、への字口になってしまっているのもお構い無しに「あ、あの!」と竜也君に向かい言った。
「なんです?」
 ニコッと私に向かい、竜也君が優しく微笑む。この状況で言われそうな言葉なんか、一つしかない。その状況下で、彼はニコニコと優しそうな笑顔を私に向けていてくれているのだ、何も怖い事何かない——はずだっ!
「わ、わたし」
「はい」

「竜也君が好きなんです!付き合ってはくれませんか?」

 勇気を振り絞り、彼の服をギュッと掴みながら言った。
 言ってやった!人生初の告白だっ。

「 ……… 」

 ——あれ?すぐに返ってくると思っていた声が、返ってこない。
 目を少し大きめに開き、硬直する竜也君の姿が、私の目には映っている。
 まさか、この状況で私から出る言葉を予想もせずに笑ってた?『何こいつ変な奴』的な笑いだった?もしかして。
 血の気が引き、高揚していた気分は一気にまた地の底へ。笑っている=大丈夫だなんて、浅はか過ぎた様だ。
「そうですよね、うん。わかってたのに、やっぱりなぁ…… 」
 竜也君がボソボソと呟き、落ち着かないといったふうに首の後ろを撫でた。
「あ、あの?」
 白か黒かハッキリしないと気の済まない所があるせいか、返事をくれない竜也君の態度にどうしていいのかわからない。駄目なら駄目できちんと言って欲しい。絶対に悲しいけど、傷つくけど…… 。

「…… ごめんなさい。嬉しいけど、そういったのはちょっと」

 …… あー、ですよねぇ、うん。
 わかってたけど、わかってたから言う気もなかったのに…… 私のバカ!
 何故状況に流された!後悔先に立たず。まさかその言葉を体感する日がくるだなんて。
「いえ、いいんですよ。こっちこそ急にごめんなさいね」
 パッと彼から離れて、一歩引く。泣きたい位に悲しいけど、ぐっと堪えた。年下の前で泣くなんて、恥ずかしい真似をこれ以上彼の前では増やしたくはない。
「あ、そう言えばお薦めの本の話をしていたんですよね。何冊か選んで持って行きますから、カウンターの側で待ってて下さい」
 気持ちを誤魔化そうと、早口で言った。
「いや、もう時間もないんで放課後にまた来ます。それまでに用意しておいてもらってもいいですか?」
 申し訳なさそうな顔で竜也君にそう言われ、正直もう来ないでくれと返したくなる。
 私のせいで気まずい雰囲気になってしまったんだという事がイヤって程にわかっているので、その表情に心が瀕死状態になるまで叩きのめされた。
 淡い感情で終わっていれば、こんな思いしたくないから片想いでいいって思ってたのに…… しばらく晩酌の欠かせぬ夜が続きそうだ。
「じゃ、僕はこれで」
 ペコッと軽く頭を下げ、竜也君が足早に一階へ続く階段のある方へと駆けて行く。図書館内は走っちゃ駄目なんだけど、今はそんな事を注意する気分にもなれない。無言のまま彼の後姿を見送るだけで精一杯で、泣かないように我慢するだけでも辛く、もう心は限界だった。


 足元に落ちたままにしていた本を広い、汚れを落として棚に戻す。彼に放課後渡す本を数冊選び手に持つと、とぼとぼとした足取りで一階へと戻った。もう昼休みが終わりに近いせいか、生徒達もどんどん図書館内から外へと移動を始めている。
 わりと長い時間、二階に二人きりだったのだと今更気が付かされた。
 俯きながら誰も居ないカウンター奥へと戻り、机の上にバサッと本を置く。すると楠木さんがコーヒーを二杯持ちながらカウンターへと戻ってきた。
「お!丁度良かった、今コーヒー淹れたんだ。飲むだろう?『ミルクはちょっと多め』だったよな。今日はちゃんと入れておいてやったぞ」
 明るく声をかけられ、少しホッとした。
「ありがとうございます」
 ヘコんでいるのを悟られぬよう、必死に平常を装ってコーヒーを受け取る。
 大人なんだもん、勢いでしてしまった告白くらいで動揺なんか…… いつまでもしてなんかいられない。今は仕事中なんだし、放課後も会わないといけないんだ。
 でもホントに来るのかな?来ないんじゃないのかな?普通に考えて。ウザイよね、んな年上にいきなり告白なんかされたら。私ならもう寄り付きもしない。卒業まで私と顔を合わせないっなんて、簡単に出来る事だし。面倒な事に関わるまいと、そうしてもおかしくないはず。
 別に『私は諦めないんだから』とまとわりついたりしないのに、綺麗さっぱり無かった事にするからまた普通に本を借りに来て下さいねくらい言っておけばよかったか?
 いや、言ったらかえって変に気を使わせたかも。

 もらった温かいコーヒーを口に運びながら、悶々と考え事をしていると「あんまり美味しくないだろ」と楠木さんがため息混じりに言った。
「え?美味しいですよ?」
「コーヒーは、美味しいさ。僕が淹れたんだもん。そうじゃなくって、味。よくわかんないんじゃないか?色々考え過ぎちゃって」
「え…… 」
 勢いで告白した事バレバレ?もしかして。だったら恥ずかし過ぎる。まさか聞かれていた?
「何があったのかは訊かないが、まぁ深く考え過ぎるなって。考えて答えが出る事で悩んでんなら話は別だけどさ」

 いえ、出ません。ってか、出てるから考えるだけ無駄って方が正しいのか。

「ははは…… 楠木さんには敵わないなぁ。お見通しか」
 コクッとまた一口、コーヒーを流し込むように飲み込む。聞かれた訳では無さそうだったのでちょっと安心した。
 大目のミルクのおかげで鼻につくような匂いもあまりなく、口に運ぶコーヒーがまるで、楠木さんの心の温かさみたいだなって思いながら、また一口。何があったのかなんて恥ずかしくて言う気にもなれないけど、この淹れてくれたコーヒーはすごく嬉しくて、心が落ち着く。

 あ、お昼の仕事を押し付けてしまった事お詫びしないと。

「コーヒー、本当にありがとうございます。落ち着きました。お昼も長時間抜けてしまいすみませんでした」
 コーヒーを手に持ったまま、軽く頭を下げてお礼をする。
 片手を手を軽く上にあげながら「いいんだよ、別に。詮索する気もないから、僕の方に気は使うな。でも午後からの仕事はキッチリな」と楠木さん。
「はい、大丈夫ですよ。大人ですから」
 胸を軽くトンッと叩いて、任せろとアピールする。
「何言ってんだか。私からしたら天神だってまだまだ学生達と変わらない年齢だよ。『大人なんだし』なんて変な頑張り方はするなって。いいんだよ、いつまでも子供な部分が多少あったって。大人はこうじゃないといけないなんて決まりもないんだしな。様は、人様に迷惑をかけない生き方ならいいんだよ」
「…… じゃあ楠木さん既に大人失格?」
「おい待て!折角いい事言ったのに何でだよ!」
「ここ最近の遅刻って、仕事には迷惑かけてますよね?」
「そ、そうきたか…… 」
 肩を落とし、楠木さんが反論出来ないとため息をこぼす。
「ごめんなさい、ちょっと突っ込みたくなっただけで、別に本当には迷惑だとは思ってないですよ。学生専用の図書館なんですから忙しいって言ってもたかが知れてますし、職員が私達だでけってわけでもないんですから」
「まあな。でももうたぶん遅刻はしばらくないから、大丈夫だ」
 根拠のある発言なのかはわからないが自信満々だ。シリーズを最後まで読み終わったのだろう、きっと。
「ならいいんですけど。なんて、言った側から私が遅刻したらイヤなんで深くはホント言う気ないですよ、大丈夫」
 コーヒーを飲みながら楠木さんと実の無い話をしていると、それだけで少し気持ちが落ち着いてきた。これだったら、もし放課後にまた竜也君が来たりしたとしても、そうでなくても、きちんと対応出来る気がする。
 もしまた来てくれたら、普通に接しよう。
 見てるだけの恋でも、私は構わないんだから。最初から、そのつもりだったんだし。振り出しに戻っただけ。それだけの事じゃない。

 そう、それだけの事…… 。
しおりを挟む

処理中です...