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第六章

【第九話】断絶

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「まずは情報集めっすね!」

 底無しの真っ黒い床のみがある和風の部屋の入り口の前に立つ五朗が、人差し指を立てて真面目な顔で言った。
「そうですね。いきなり向こう岸まで飛ぼうとはせずに、まずはそこから始めましょう」
 リアンがジト目を焔に投げかける。その視線が胸に刺さり、焔はうっと言葉を詰まらせて、「あぁぁーっ!俺が悪かった、だからもうそんな顔をするな!端正な顔が台無しになるだろうが」と喚きつつ、自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻きむしった。その様子はもう普段の焔のもので、道中のピリピリとした威圧感は消えている。軽率な行為をしてしまいはしたが、その結果により気持ちが好転して緊張感が少しほぐれたのかもしれない。

(…… た、端正)

 また不意の褒め言葉をもらえてリアンの顔がいとも簡単にニヤける。その顔をさっと片手で覆って隠すと、攻略対象となっている部屋の天井部分に目をやった。

「——えっと。天井には何かを引っ掛けられる様な箇所はありませんし、ロープなどをかけて飛び越える事も無理そうですね」

「自分も今周囲をちょっと見て来たっすけど、ヒント的なものが書かれたプレートの類もゼロでしたっすわ」と、少し離れた位置から皆の元に駆け寄りつつ、五朗が腕をクロスにした。
『魔法も使えない。身体能力にものを言わせて一気に飛び越える事も、ロープを振り子の様にして越えるのも無理そうで、そのうえヒントも無しとなると…… もうコレ、詰みなのでは?』

 うーん…… と、唸る様な声を三人と一冊がこぼす。

「ここまで先に進むアテがないと、素早い攻略は厳しそうだな」
 口元に手を当て、思案するみたいな顔をしながら焔が部屋の奥にある森の様な空間をじっと見詰めた。この件の犯人がこの先で尻尾を呑気に揺らしながらのんびりと寛いでいる姿が彼には見え、感情がイラッとざわついたが何とか堪える。早く文句の一つでも言って顔をぶん殴ってやりたいが、それはまだまだ出来そうに無い。

(このダンジョンは魔族側のものでは無いから作製には携わっていないしな。企画書の段階ではラフ画を描いて、街の持つ歴史を少し考えていただけだったから、こんな仕掛けの仕組みなんぞ検討もつかないな…… くそっ!)

 この世界の企画者として、苛立つ焔の気持ちをどうにかしてやりたいが、自分の手を離れて成長し続けているこの世界にはもう知らない事があまりにも増え過ぎた。この街の歴史を知っている程度では目の前の問題を解決出来る手立てが何も思い付かない。“魔王”なんて職へ魔族達に祭り上げられ、今は召喚魔として甘い生活を過ごしているリアンだが、本職は所詮プログラマーだった男だ。ゲームの企画は趣味の範囲でしか無かったので企画書の中身は詰めが甘く、考えていた設定はあまりにもざっくりとし過ぎていたせいで今持っている知識では力不足でしかなかった。

「…… ノーヒントって事はっすよ、コレ実はすんげぇ古典的な仕掛けなんじゃないっすか?」

 五朗がはっと何かに気が付いた様に瞳をキラリと光らせた。
 この面子の中では一番色々なコンテンツやゲームをやりまくってきたので、こういった場合の機転に関しては最も利くみたいだ。
「砂!…… は建物内部じゃ流石に無いっすから、もうこの際薬の粉でいいや」
 彼の身につけている装備には、腰に巻いてあるベルトに小さな薬瓶が何本もセットしてある。その殆どが液体の毒薬ばかりだが、辛うじて数本だけある粉状の物を手に取り、五朗が魔毒士のスキルを使って害の無い物に変化させる。そして瓶の蓋を開けると、真っ黒な空間の前にゆっくりとしゃがんだ。

「違ったら恥ずかしいんで、もし失敗しても笑わないで下さいよ?」

『貴方の行動なんて全て駄目で元々ですから。思い付くものはなんだってやりましょう!』
 五朗の横にふわふわと浮かび、彼の手元をじっとソフィアが観察している。
「うぅ、微妙に刺さる言葉の棘が気持ちいい!」
 ゾクゾクと背中を震わせながら五朗が薬瓶の中から真っ黒な空間に向かって粉を振り掛けていく。するとその粉が、一部分のみ底へ向かって落ちる事無く真っ黒な空間上に残ったではないか。
「やっぱり…… 」と五朗は呟き、腕を少し伸ばしてその先にも粉を振り掛けてみた。

「ほらほら!正解だったっすよ!めっちゃ古典的仕掛けの部屋っすわ!」

「…… コレ、よーく目を凝らして見たら普通に道がありますね。ですが…… せいぜい平均台くらいか、多めに見積もっても子供一人が通れるくらいの横幅といったところでしょうか」
 真っ黒な空間を凝視し、少し悔しそうな声でリアンが言う。あまりに古典的過ぎる仕掛けである事を五朗よりも先に気が付けなかった事が悔やまれる。
「昔観た考古学者の映画であった仕掛けっすわ!…… いや、違う作品だったかな。もううろ覚えっすけど、大体そんな感じっす!周囲の底と同じ様に見える道なせいで、本当は道がちゃんとあるのに、無いように見えるっていう至極単純なトラップっすわ。地味過ぎてかえって気が付きにくいっすよねぇ。それに早々に気が付くとか、自分スゴくないっすか?ソフィアさん!」
 褒めて欲しいと書いてある顔を五朗はソフィアに向けたが、彼の方は素知らぬ様子だ。
『…… 仕掛けがわかったのはいいですけど、コレ…… かなり細いですよ?ちょっとでも踏み外せば真っ逆さまに落ちますよね』
「えぇ、落ちますね。粉をかけながら道を確認しないと危険極まりないでしょう」
 うんうんと頷きながらリアンがそう言うと、焔が「そんな物は必要無い」と答え、我先にと真っ黒な底と同化して見える細い道をさっさと歩き始めた。

「——んな⁉︎またそんな不用意な行動を!」

 軽率な行動のせいでリアンが怒り、即座に焔の後へと続く。
 すると、仕掛けが認識出来たおかげで薄っすらと何となく見えなくもなかった道が突如綺麗さっぱりと全て消えてしまい、五朗の目の前で焔とリアンが真っ黒な空間へと落ちて行ってしまった。

「主人さん!リアンさーんっ‼︎」

 ヒェッと変な音を喉奥で鳴らし、反射的に真っ黒な空間へ向かって腕を伸ばす。だが次の瞬間には最初にやらかした焔と同じ様に、部屋の入り口前にドサリと二人が投げ出されてきた。
「…… 何故じゃ、道筋通りに俺は歩いていたぞ?」
 納得いかないといった顔で焔が顔を顰める。すると彼の体の上へ覆い被さった状態になっているリアンは、目の前にある魅惑的な焔の平たい胸に顔をぽすんと埋め始めた。
「状況を考えろ、状況を」
 くんくんと匂いまで嗅ぎだしたリアンの頭を焔がペシリと叩く。
「あだっ」
「…… 此処に戻るってわかっていてもこっちはかなり焦るんっすけど。ついでに、ちょっとはその色めいた雰囲気は流石にやめて下さいよ」
「許せ。他意はないんだ」
 リアンの下から抜け出しながら、焔が詫びるみたいに軽く手を振る。
「私はありますけどねー」
 ふふっと笑いながら言ったリアンの声は、とても小さなものだった。


 改まった顔で「さてと」と呟き、焔が首を傾げつつ腕を組む。
「今の敗因は何だと思う?」
「靴越しではありますが、感触的にはどちらも道を踏み外してはいませんでしたよ」
「じゃあ重さじゃないっすか?リアンさん立派な角とタッパがある分、相当重そうですし」
「失礼な!細身の割には筋肉質なせいで確かにそれなりには重いですが、決して微塵も太ってはいないですよ!」
 スタイルに自信のあるリアンが今にも噛みつきそうな勢いで反論する。
「そうだな、リアンは腹筋も太腿のラインも…… いや、すまん何でもない。だが、重さの説は一理あるかもしれんな。俺が一人で歩いた時は平気だったのだし」
「じゃあ次は自分と渡ってみますか?自分ヒョロイんで軽いですし」と五朗が提案し、二人は早速実行してみた。


 ——焔とリアンで失敗した事から、焔は五朗と真っ黒な道を歩いてみたのだが、それでも底へ落ちて行ってしまった。
 では別のパターンならばどうだとリアンが先に行き、そして五朗が続いてみたりもしたのだが、やはり失敗してしまう。組み合わせだけではなくて順番を変えたり、ソフィアだけで進んでみたりと色々なパターンを試してみたのだが、人の形をした者が二人を超えると必ず部屋の入り口へと戻されてしまう。となるとこれは重さが問題と言うよりは、人数の問題なのでは?と今更気が付いた三人と一冊は、一人づつ順々に行く事を同時に提案した。

「よし、では俺から行こう。一人で対処出来る事が多い者が先頭をきるのが一番だろうしな」

 出来るだけ早く主犯と相対したい焔が宣言する。
「いえ!それならば私が行きましょう。主人を真っ先に危険に晒すなど、召喚魔としてはあるまじき事ですので」
 胸に手を当て、リアンが全力で焔の言葉を拒絶した。
「自分は最後尾でいいっす。こうも細いと渡るのもめちゃくちゃ時間かかるでしょうし。ちなみに目の前の空間に何者かは居るみたいですけど、敵意のある感じじゃないっすから、主人さんが最初でいいと自分は思うっすよ」
 自分の実力がパーティー内で最下位であると自覚している五朗は分相応な事を言う。すると三人の様子をじっと伺っていたソフィアが、『あの——』と遠慮がちに声を掛けた。

『でしたら、主人と私がセットで先へ進み、到着後すぐにリアン様を再召喚されては如何ですか?細い道を真っ当にゆっくりと歩くよりもずっと早く、主人と合流出来ますよ』

 主人である焔の意見を最優先にしつつ、リアンの気持ちを汲み取った提案をソフィアが出した。一足飛びで超えていくのはルール違反の様だったが、持ち前の運動神経の良さまでは完全に消えないのがありがたい。
「流石はソフィアさんっす!主人さんはこの細い道でも真っ直ぐに迷わず歩くのめっちゃ上手かったですし、途中で落とされない限り、一番前に進めていましたもんね!」
「…… 確かに」と、素直に認めてリアンが頷く。リアンも下手ではなかったのだが、焔程には躊躇無く走れず、無意識に感じてしまう恐怖心のせいか進むのはあまり早くなかったからだ。

「召喚魔の正しい使い方じゃないか、それでいこう」

 ぽんっと軽く手を打ち、焔がソフィアの提案を採用した。リアンを呼び出してから一度も“召喚魔を戻す”スキルを使った事が無かったせいで全く思い浮かばなかった案だったので、それだ!と言いたげな顔だ。
「…… わかりました」と渋々といった顔ではあったが、リアンもソフィアの意見を受け入れる。それが一番早く合流出来ると言われると確かに納得しか出来なかった。

「じゃあ行こうか」

 前を真っ直ぐに見据え、真っ黒な空間に向かって焔が一歩前に進む。人の横幅よりも更に狭い細い道を踏み外す気配無く進んで行く主人のフードの中へソフィアがサッと入り込み、荷物感を漂わせた。
「そんな演技する必要無いっすけど、それをあえてやるソフィアさん可愛いっす!」
 目をハートマークにさせて手を祈るみたいに重ねる五朗の横で、リアンは冷めた顔をしている。
「そうですか?私には差がわかりませんが…… 」
「何でっすか!あの完璧は演技がわからないとか、ホントリアンさんは主人さんの事しか見てないっすね!」
「まぁ実際そうなので」
「そう、でしたね…… 。まぁ自分も人の事言えないんでお互い様っすから、何も文句は無いですけども」
 と、二人が話している間に、もう焔はもう対岸まであと一歩の所まで来た。問題の部屋を出て、地面に靴が触れた瞬間、グイッと見えない何かにフードが軽く引っ張られ、それと同時に中に入っていたソフィアがポロッとこぼれ落ちた。その途端、今度は焔の腕が強く前側に引かれて広い空間に引き込まれる。

『主人っ!』

 ソフィアが体勢を立て直し、即座にフードの中に戻ろうとした。だが二人の間に硝子の様な壁が突如現れて完全に遮断されてしまう。それにより焔だけが目的地へ到着し、ソフィアは仕掛けのある部屋に取り残されてしまった。

「ソフィア⁉︎」

 状況を瞬時に察し、焔が振り返る。すると真っ黒だった穴部分と細い一直線の道が全て、一瞬にして普通の畳を敷いたものへと変わった。
「主人!」と叫び、畳の上をリアンが駆け出した。召喚し直すという手立てが無理となると、本来ならば越えねばならなかったはずの細い道を走らずに済んだおかげで瞬時に側までは行けたが、透明な壁が二人を隔てている。何とか壁を壊せないかと思い全力で叩いたがどうにならず、今度は火の魔法を拳に纏わせながらぶち当ててみた。が、ヒビ一つ入らず壁が割れる気配は無い。
 焔側からも細い脚を振りかぶって蹴りを入れてはみたが何も変わらず、拳を当てて力一杯に叩こうが、長く伸ばした爪で引っ掻こうが残念ながらビクともしなかった。

「やったらと頑丈だな!」

 苛立った焔の声と壁を破壊しようとする音とが紅葉の森といえる空間に響く。
 急に二人が目の前で透明な壁の殴り合いを始めた事に驚きつつ、五朗も二人とソフィアの元に合流した。火でダメならば雷を。それでも無駄ならと氷を拳に纏わせたり、巨大な氷塊を壁に向かってぶち当てているリアンから遠く離れた隅でそっと透明な壁に触れ、酸を使った毒で壁を溶かせないかと五朗が試みるが、やはり変化は無い。焔とリアンの様に力技は使えないのでどうにか他の手はないか、せめてヒントは?と周囲を見渡すも、広い空間につながったいた部分は全て透明な壁があるだけで期待した様なものは何一つとしても無かった。

「…… いくらやっても無駄だよ?もう余興は充分だ。さぁこっちで私と少し話をしようじゃないか」

 舞い落ちる紅葉を一枚手に取り、誘拐の主犯と思われる存在が、焔に向かって声を掛けてきた。それにより攻撃一辺倒だった焔の手元がピタリと止まり、目隠しの奥を赤く光らせながらゆっくりと声の主の方へと振り返る。
「やぁ」
 ニコリと笑う彼の顔をじっと見て、訝しげな雰囲気を纏いつつ、焔は口を開いた。

「…… ちょっと待て。お前は、誰だ?」

 焔の予想していた姿とは大幅に違う者と目が合い、彼は素直な疑問を言葉にする事しか出来なかった。
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