鍛冶屋の時次郎、捕物帳

ぬまちゃん

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刀鍛冶の時次郎

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 八丁堀から長屋に帰る道すがら、オレはおヒサ姉さんに語りかける。

「おヒサさん、これはヤバイ事件だなあ。オレは、この刀身から真実を取り出すけど。それがどんな事になるかは、正直皆目見当がつかない。どう転んでも、『メデタシ・目出度し』で終わらないかもだ。それでも、あのお武家様に伝えなけりゃあダメかい?」懐中ふところに収めた刀身に上から手を当てながら、ポツポツと喋る。

「時ちゃん。それはそうさ。どんな事が分かっても、それを包み隠さず伝えてあげなきゃあ。良いことでも、悪いことでも、それをどう考えて行動するかはあちらのお武家様が決める話だよ」

 普段はイケイケなおヒサ姉さんも、前を向きながら丁寧に答える。

「人生なんて、一寸先は闇、て言うじゃあない……でもさ、アタシは思うんだけど、闇って言うけど、悪い事ばかりじゃあないでしょう? 闇の向こうに良いこともあるかも? でしょ」

 そう言って、オレの方に顔を向ける。

「例えば、アタシと時ちゃんが今こうして夫婦になるなんて、時ちゃんも考えてなかったでしょ?」

 おヒサ姉さんの話はイキナリの展開だ。

「え? そこですか。一寸先は闇の例が、おヒサ姉さんとオレの仮の夫婦の事ですか? オレは、闇だと思ってませんよ。もう、天国行きですよ」

 オレはイキナリの振り幅に驚きながら、チョットだけ嬉しそうに答える。

「だから、言ったでしょ。闇は悪い事ばかりじゃあないわ、良い事だってあるっていう例よ!」

 おヒサ姉さん、チョット気分を害したのか、口をすぼめる。うーん、おちょぼ口のお姉さんも可愛いなあ。

「お! じゃあ、おヒサ姉さんも今のオレとの関係を気に入っていると言う事で良いですね」

 オレはおヒサ姉さんの顔をマジマジと見ながら続ける。

「まあまあ、そんなに興奮したらダメでしょ。早く帰って、その短刀にこもった思いを取り出すんでしょう? アタシとイチャイチャしたかったら、先ずはする事をしてね!」

 おヒサ姉さん、オレのツッコミに驚いて話を戻そうとする。

「えっ? おヒサ姉さんとする事って言ったら、アレしか無いじゃないですか! もう、オレのアソコはビンビンですよ!」

 振られた話を突っ込むのが男の仕事だ。直ぐに元には戻さないで突っ込みを続ける。

「バカね!? 何言ってんの、そっちの話じゃないでしょ。刀の打ち直しの話でしょ!」

 おヒサ姉さん、少し顔を赤らめながら、必死に話を戻そうとする。

「良し! これで今朝の仇は取ったかな?」

 いじって赤くなっているおヒサ姉さんも可愛いが、今は請け負った仕事が最優先だ。

「分かってるよ、おヒサさん。じゃあ、オレはこのまま長屋の外れの仕事場に行くから、後で握り飯でも持って来てくれ!」

 仕方ない。
 八丁堀の旦那に頼まれた話に戻す。

「全く、年頃の女をからかうんじゃ無いよ。分かったわ、後で梅干し入りの握り飯しと苦ーいお茶を持って行くから、楽しみにしてなさい!」

 ……

 オレは、長屋の大家さんが特別に用意してくれている離れに入った。

 そこは十畳程のガランとした土間になっている。
 部屋の隅には、鉄を真っ赤に溶かす火床(ホド)と呼ばれる炉があり、そこに空気を送る鞴(フイゴ)と、燃料の木材や炭が置いてある。

 さらに部屋の真ん中には、焼き入れした鉄を置く金敷(かなしき)や、打ち込みを行う大鎚、小槌。
 焼けた鉄を掴むための火箸などの道具が、整然と並べられていた。

 最初に刀身に付いた血糊を水で洗い流す。
 現れた刀身には綺麗な波紋が見える。
 たとえ短刀と言っても、自決用に造られた短い日本刀だ。
 きっと、名のある刀鍛冶によって丁寧に作られた物なのだろう。

 オレは波紋を和紙に書き出しておいた。
 同じ波紋は作れないが、打ち込みを行ってからもう一度再生させるためには必要な作業だ。

 井戸から組んできた水で体を拭いて、身を清める。
 さらに、白装束に着替えると入り口に祀られている刀剣の神様に一礼一拍し、精神を集中させる。

 火を起こし、鞴で空気をどんどん送る。
 火の勢いが強くなり炎になる。
 更に空気を送り込むと、炎の色が変わる。

「良し、いまだ!」

 さっき血糊を洗い流しておいた刀身を、火床にソッと入れる。
 一瞬だけ炎の勢いが落ちるが、鞴で空気を送り続ける。

 炎の熱で、時次郎の額から汗が噴き出してくる。
 オデコに巻いた手拭いは、その汗を一気に吸い込む。

 更に鞴で空気を送り続けると、短刀が真っ赤になりだした。

 真っ赤になった刀身を平箸で掴んで取り出し、金敷の上に置く。置いた刀身を、小槌で全身全霊を込めて叩く。
 暑さで身体中から汗が噴き出してくるが、それでも全力で刀身を叩く。
 叩いて、叩いて、更に叩く事で、刀身から不純物が無くなり、純度の高い鋼になるのだ。

 普通は、研いで細くなった部分に鋼の材料である玉鋼を巻いて叩いていくのだが、今回の刀身は使い込まれていないので、鋼を追加する必要はない。

 刀身に込められた思いを取り出すために、火を入れて打ち込みをしているだけだ。

 但し、熱し方や叩き方を間違えてしまえば、その刀身自体が二度と使い物にならなくなってしまう。

 だからこそ、この技は単純に原材料から刃を作る事より、はるかに難しい技術である。

 広いお江戸の中でも、ここまで出来る鍛冶屋は、時次郎を含めて片手で数えるほどしかいない。

 カーン!
 カーン!
 カーン!

 ゴー
 ゴー
 ゴー

 カーン!
 カーン!
 カーン!

 ゴー
 ゴー
 ゴー

 刀身を叩き続けると、温度が下がってくるので、また火床に入れて、鞴で空気を送り込み、刀身を真っ赤にする。

 カーン!
 カーン!

 ゴー
 ゴー

 打ち終わったら、
 波紋を作るための焼刃土(やきばつち)を塗る

 ベタ
 ベタ
 ベタ

 そして、最後は先入れをして終わりだ。

 ジュッ!
 ジュジュ、ジュジュ!

 あっという間に、数刻(時間)は経っていた。

 作業場の入り口には、おヒサ姉さんがこさえてくれたであろう、馬鹿でかい握り飯と、既に冷めている渋そうなお茶が置いてあった。

 時次郎は、白装束を脱いで、フンドシだけになると、身体中を拭いた。
 それから、着物を着て、美味そうに握り飯を食べて、渋そうにお茶を飲んだ。

 一息付いたら、最後は研ぎだ。

 隅の方から、砥石を取り出して、丁寧に研いでいく。
 刃物を打つ鍛冶屋は、研ぎも一流で無ければならない。

 研ぎは研ぎ屋に任せる刀鍛冶もいるが、時次郎の師匠はそれを良しとしなかった。

 最後までキチンとするのが、刃を作る者の務めだと言って、研ぎの技術も叩き込まれたのだ。

「ふー!」
「やっと終わったぜ」

 既に日はとっぷりと暮れようとしていた。

 さあてと、コイツを持って、おヒサ姉さんの所に行くか。

 この刀身がオレに伝えてくれた事を、おヒサ姉さんに話さないとな!
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