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2章.Kyrie
強かに、しなやかに
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朝はサリエルに肩を揺さぶられて起床する。
讃美歌の練習が追加されたことで、古語を覚える時間が減ってしまった。ミカエルはそろそろ、消灯後もトイレで勉強しないと間に合わない気がしている。
「今日提出の課題は終わってる?」
「おー」
「……君って実は頭いいよね」
「あ?」
昨夜終わらせた課題を見せると、内容を確認したサリエルはボソリと呟いた。
「うん、これなら大丈夫。今日もファロエルと一緒?」
「励めってよ」
朝食後、わざとらしく優雅に食後のお茶を堪能していたファロエルのもとへ行き、荷物持ちから始まった本日である。
「今日こそしっかり学ばせてやる。古語も教えるように言われているからな。昼休憩にやるぞ」
サリエルに目をやると、肩をすくめていた。無駄な時間にならないといいが。
それが的中したかのように、図書館の自習室で行われたファロエルの勉強会は悲惨なものだった。
「つまりこれはだな、ここにあるように、」
「冠詞が違うからそれは違うよ」
「ええい煩いっ。おいミカエル、この一文を訳せ!」
「……人はパンだけで生きるのではない。あー、主の口から出る、一つ一つの言葉による」
「うん、合ってる」
「だからッ、教えるのは俺だ!」
せめて変な覚え方をしないようにとサリエルが助け舟もとい妨害をしてくれるのだが、その度ファロエルの怒りのボルテージは上がった。
「図書館では静かに」
「……はい、先生」
挙げ句の果てに、通りがかった教師から注意される始末。ファロエルの機嫌が悪いまま今日を終えたら、それがペネムエルに伝わって、きっと理不尽な怒りを買うだろう。
ミカエルは半目になって口を開いた。
「どーしよー、俺ー、ここらのページはまだ覚えてねえからわかんねえなー」
「なんだって? ここを訳してみろ」
「あー、なんだかの日々にこそー、うーん、あなたの創造主にー?」
「ぜんぜんわかってないな! いいか、ここは――」
途端にファロエルの機嫌は治り、鞭を片手にミカエルを脅しながら教える様子は、実に楽しそうだった。
ファロエルのご機嫌取りから解放されたのは放課後のこと。
それまでに言葉遣いを注意され、二、三度鞭で打たれたが、完治した手にはそれほど脅威でなかった。しかしミカエルはあえて痛そうなリアクションを取り、ファロエルを満足させつつ、それ以上強く打たれることを回避したのである。
「讃美歌の特訓、がんばってね」
「おう」
サリエルに見送られ、講堂に向かう。
ふと茂みの向こうに目をやれば、木陰に隠れてキスをしている生徒の姿が。実際目にすると、ちょっと驚く。ミカエルは無理やり視線を外し、止まりそうになった足を動かした。
講堂の厚い扉を開く。
すでに讃美歌が響いていた。ミカエルに気づいたコカビエルが手を上げたので、そちらへ向かう。
「やぁ、来たな。あっちの部屋で」
「……ここでやりたいデス」
「ここでは聖歌隊の練習の邪魔になる。心配しなくても、鞭は振るわないさ。君が真面目にやればな」
促すように腰に添えられた腕を振り解き、ミカエルは仕方なく例の部屋に向かった。
「まずは発声の練習だ。いいか、息を吸い込むときはここを意識するんだ」
大きな手が下腹部に添えられる。
ミカエルは振り解きたいのを我慢して、言われた通りに呼吸をしたり、声を出したりを繰り返す。
「ここが広がってるのがわかるだろう」
「自分でやりマス」
調子に乗ってきた手を退かしてコカビエルから距離を取り、自分の手を当てながら続けた。後ろに立たれないよう、常に正面を向けるようにする。それが伝わったのか、コカビエルはフッと笑った。
「何を警戒してるんだ?」
「人に触られるの苦手デス。近くにも立たれたくないデス」
「君は野生動物みたいだな。しなやかな身体つきといい」
コカビエルは面白そうに言い、頭の天辺から爪先までミカエルを観察した。
「しかし、その金髪は王家の者のようだ。そうして見ると、目つきは凶暴だが、気品すら感じられるな」
「歌の練習、もう終わりなら行っていいデスカ」
「何を言う、これからだ。今日も短いフレーズずつやってみよう」
何度もやるうちに、歌うというのがどういうことか、ミカエルも感覚的にわかってきた。
「よし、ちょっと休憩しよう」
喉を潤し、休ませるためのちょっとした休憩時間。
ミカエルはそれとなく口を開く。
「ここって力使えねえけど、教師もそうデスカ」
「ああ、そうだ。ただし、結界の影響から守る術具を身につけている教師は力を使える」
「術具?」
「力を使って作られたアクセサリーさ。込められた力によって、効果は様々だ」
ミカエルは目を輝かせてコカビエルを見上げた。
「センセーも持ってマスカッ」
「もちろん、色々持っているとも。けどな、ここの結界の影響から身を守る物はない。持つことを許されてる教師はごく一部なんだよ」
「……へー。例えば誰が持ってんデスカ」
「あー、俺が知ってるのはラファエル先生くらいだな」
ミカエルはコカビエルからすっと視線を外す。
「おい、いま "使えねえ" って思っただろ。君とこんな話をしたことを、ラファエル先生に言ってもいいのか?」
「センセーさいこー、カッコイイ、そんけーシテマス」
「……まぁいい。いきなりここに連れ込まれた君の気持ちはわからんではないが、卒業まで我慢しろ。あっという間だ」
「ハイ、センセー」
コカビエルはなかなか鋭いらしい。
ミカエルは良い子の返事をし、本気で考えていることを悟られないよう、適当な雰囲気で楽譜に目をやった。
讃美歌の練習が追加されたことで、古語を覚える時間が減ってしまった。ミカエルはそろそろ、消灯後もトイレで勉強しないと間に合わない気がしている。
「今日提出の課題は終わってる?」
「おー」
「……君って実は頭いいよね」
「あ?」
昨夜終わらせた課題を見せると、内容を確認したサリエルはボソリと呟いた。
「うん、これなら大丈夫。今日もファロエルと一緒?」
「励めってよ」
朝食後、わざとらしく優雅に食後のお茶を堪能していたファロエルのもとへ行き、荷物持ちから始まった本日である。
「今日こそしっかり学ばせてやる。古語も教えるように言われているからな。昼休憩にやるぞ」
サリエルに目をやると、肩をすくめていた。無駄な時間にならないといいが。
それが的中したかのように、図書館の自習室で行われたファロエルの勉強会は悲惨なものだった。
「つまりこれはだな、ここにあるように、」
「冠詞が違うからそれは違うよ」
「ええい煩いっ。おいミカエル、この一文を訳せ!」
「……人はパンだけで生きるのではない。あー、主の口から出る、一つ一つの言葉による」
「うん、合ってる」
「だからッ、教えるのは俺だ!」
せめて変な覚え方をしないようにとサリエルが助け舟もとい妨害をしてくれるのだが、その度ファロエルの怒りのボルテージは上がった。
「図書館では静かに」
「……はい、先生」
挙げ句の果てに、通りがかった教師から注意される始末。ファロエルの機嫌が悪いまま今日を終えたら、それがペネムエルに伝わって、きっと理不尽な怒りを買うだろう。
ミカエルは半目になって口を開いた。
「どーしよー、俺ー、ここらのページはまだ覚えてねえからわかんねえなー」
「なんだって? ここを訳してみろ」
「あー、なんだかの日々にこそー、うーん、あなたの創造主にー?」
「ぜんぜんわかってないな! いいか、ここは――」
途端にファロエルの機嫌は治り、鞭を片手にミカエルを脅しながら教える様子は、実に楽しそうだった。
ファロエルのご機嫌取りから解放されたのは放課後のこと。
それまでに言葉遣いを注意され、二、三度鞭で打たれたが、完治した手にはそれほど脅威でなかった。しかしミカエルはあえて痛そうなリアクションを取り、ファロエルを満足させつつ、それ以上強く打たれることを回避したのである。
「讃美歌の特訓、がんばってね」
「おう」
サリエルに見送られ、講堂に向かう。
ふと茂みの向こうに目をやれば、木陰に隠れてキスをしている生徒の姿が。実際目にすると、ちょっと驚く。ミカエルは無理やり視線を外し、止まりそうになった足を動かした。
講堂の厚い扉を開く。
すでに讃美歌が響いていた。ミカエルに気づいたコカビエルが手を上げたので、そちらへ向かう。
「やぁ、来たな。あっちの部屋で」
「……ここでやりたいデス」
「ここでは聖歌隊の練習の邪魔になる。心配しなくても、鞭は振るわないさ。君が真面目にやればな」
促すように腰に添えられた腕を振り解き、ミカエルは仕方なく例の部屋に向かった。
「まずは発声の練習だ。いいか、息を吸い込むときはここを意識するんだ」
大きな手が下腹部に添えられる。
ミカエルは振り解きたいのを我慢して、言われた通りに呼吸をしたり、声を出したりを繰り返す。
「ここが広がってるのがわかるだろう」
「自分でやりマス」
調子に乗ってきた手を退かしてコカビエルから距離を取り、自分の手を当てながら続けた。後ろに立たれないよう、常に正面を向けるようにする。それが伝わったのか、コカビエルはフッと笑った。
「何を警戒してるんだ?」
「人に触られるの苦手デス。近くにも立たれたくないデス」
「君は野生動物みたいだな。しなやかな身体つきといい」
コカビエルは面白そうに言い、頭の天辺から爪先までミカエルを観察した。
「しかし、その金髪は王家の者のようだ。そうして見ると、目つきは凶暴だが、気品すら感じられるな」
「歌の練習、もう終わりなら行っていいデスカ」
「何を言う、これからだ。今日も短いフレーズずつやってみよう」
何度もやるうちに、歌うというのがどういうことか、ミカエルも感覚的にわかってきた。
「よし、ちょっと休憩しよう」
喉を潤し、休ませるためのちょっとした休憩時間。
ミカエルはそれとなく口を開く。
「ここって力使えねえけど、教師もそうデスカ」
「ああ、そうだ。ただし、結界の影響から守る術具を身につけている教師は力を使える」
「術具?」
「力を使って作られたアクセサリーさ。込められた力によって、効果は様々だ」
ミカエルは目を輝かせてコカビエルを見上げた。
「センセーも持ってマスカッ」
「もちろん、色々持っているとも。けどな、ここの結界の影響から身を守る物はない。持つことを許されてる教師はごく一部なんだよ」
「……へー。例えば誰が持ってんデスカ」
「あー、俺が知ってるのはラファエル先生くらいだな」
ミカエルはコカビエルからすっと視線を外す。
「おい、いま "使えねえ" って思っただろ。君とこんな話をしたことを、ラファエル先生に言ってもいいのか?」
「センセーさいこー、カッコイイ、そんけーシテマス」
「……まぁいい。いきなりここに連れ込まれた君の気持ちはわからんではないが、卒業まで我慢しろ。あっという間だ」
「ハイ、センセー」
コカビエルはなかなか鋭いらしい。
ミカエルは良い子の返事をし、本気で考えていることを悟られないよう、適当な雰囲気で楽譜に目をやった。
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