4 / 5
1章
皇帝陛下の来訪
感傷に浸る余裕もなく、嵐はやってきた。
書斎で本を物色していると、突然ぜーはーと息を切らしたライオネルが飛び込んできた。
顔を合わせたのはいつぶりだろう。しかし再会を喜ぶような間柄ではなく、ライオネルは何冊かの本を抱えたカノアを睨みつけると、怒号を飛ばしてくる。
「お前! 何をやらかしたんだ!」
「え?」
身に覚えのない怒りに戸惑っていると、ライオネルがわなわなと震え出した。
「お前に用があると、ラガンダ皇帝陛下がお見えだ!」
とたん、抱えていた本たちを思わず落としてしまった。
かくして、大慌てで支度をして客間に急ぐと、そこにはラガンダが優雅に茶を飲んでいた。
「やあ、カノア。待ちくたびれたよ」
皇族の証である黒髪と、光が反射する海のような眸。
まちがいなくレフダン皇国の新しき皇帝であり、かつてカノアが足踏みで洗ってしまった召し物の主――ラガンダだ。
「お待たせして申し訳ありません。レフダン皇国の太陽にごあいさつ申し上げます」
あいさつをすると、ラガンダは何が面白いのか、ふふ、と笑う。
「昔からあいさつだけは完璧だったよね。僕の服を踏んづける子だとは思えないよ」
「そ、その節は大変失礼しました……」
まさか序盤から過去のあやまちを言及されるなんて。
そういえばラガンダはかなりのひねくれ者だったな、と当時を思い出す。幼いころの主を一瞥すると、こちらを見る目は一切笑っておらず、どっと冷や汗が溢れ出した。
そんなカノアをどう思ったのか、ラガンダはまた控えめに声を上げて笑う。
「昔話はまた今度にしよう。座ってくれ」
「……失礼します」
ラガンダの向かいに腰かけると、それが合図のようにラガンダが長い足を組み直した。その所作だけで怖い。
ラガンダがわざわざ邸宅まで訪れたのは、やはり即位式の件だろう。招待されたにも関わらず欠席するなんて、皇命を無視したも同然だ。どうせ罰せられるのなら、刑は軽いほうがいい。
自ら断頭台に向かう犯罪者の面構えで、先手を打って謝るべく口を開きかけたところで、
「ああ、即位式に出なかったことを咎めにきたわけではないよ」
と、心を読まれているかのごとく遮られた。
拍子抜けだ。ほっとすると同時に、新たな不安の芽が顔を出す。
罰せられないのであれば、よけいにラガンダがこの場にいる理由が分からない。と、ラガンダはティーカップをテーブルに置き、答え合わせをするように口火を切った。
「君を即位式に呼んだのは、君の婚約者を紹介するためだったんだ」
え。
寝耳に水の話に、カノアは目を丸くした。
「婚約者って、アルマン卿のことじゃないですよね?」
「まさか。彼との婚約破棄の件はしっかり受理したよ。君の新しい婚約者のことさ」
「……新しい婚約者なんていましたっけ」
「いるんだよ。僕が決めた新しい相手がね。皇命だと思っていい」
「……そうですか。お相手はどちらさまでしょうか」
驚きはしたが、それだけだった。
婚約破棄のたびに、新しい婚約者をあてがわれるのはいつものことだ。紹介元が身内か、ラガンダかの違いだけである。
今度はベリーツィアの誘惑に負けない人だといいな。そう思いながら、ぼんやり自分のティーカップに茶を注ぐと。
「シオン・ルアー・ヴィスコンティ公爵」
瞬間、思わずティーポットを床に落としてしまった。
「も、申し訳ありません。すぐに片づけますので」
ラガンダの悪戯な唇から躍り出た名前が、鼓膜にこびりついて離れない。
落としたティーポットは底が欠けて、中に残っていた茶がこぼれている。割れた硝子の破片を拾おうとして、微かに指を切ってしまった。
混乱して、痛覚が鈍くなっているらしい。傷口にぷっくら浮かぶ血を眺めていると、いつの間にかカノアの目の前に屈んでいたラガンダに「ふふ」と笑われた。
「相変わらずそそっかしいんだね」
懐かしむように笑むラガンダを見やり、やっと現実感が迫り上がってきた。同時に、ラガンダの意図も分かってしまった。なんて残酷なことをする人なんだろう。
「……リゼルと公爵さまの関係を存じていたのですね」
廃嫡されたとはいえ、シオンは皇族の血を引いている。聖女であるリゼルと結婚したら、ヴィスコンティ公爵家の力は大きくなる。ラガンダはそれを阻止したいのだ。
「君って本当に不思議だよね。そそっかしいし、変なところで抜けてるし、一見ただのお坊ちゃんなのに、すごく頭の回転が早い。そんなところも昔のままだ」
カノアを見つめる懐旧の視線の中に、確かな威圧感が覗いていた。反抗するな、と暗に訴えているのが分かる。物腰は柔らかなのに、つついたら容赦なく襲いかかってくるようなラガンダのアンバランスさが、カノアは苦手だった。
だからといって恐怖の言いなりになるわけにはいかない。
「ヴィスコンティ公爵家は皇家に絶対的な忠誠を誓う家門です。リゼルが公爵さまのもとへ嫁いでも問題はないのではありませんか」
「まあ、政治的にはそうかもね。だけど、考えてもみてよ。聖女よりも皇后に相応しい存在があると思うの?」
「……リゼルと結婚するおつもりなのですね」
「うん。それが一番まとまりがいいだろう」
確かに、皇家にとってはそれが最善だろう。臣下を介することもなく、更なる権威を得られるのだから。
では、シオンはどうなる。
皇家に忠誠を誓う家門の当主であるシオンは、皇帝であるラガンダが下した決定に逆らうことはできない。
このままでは、皇家の利益のために、シオンの気持ちは置き去りにされてしまう。
まだ子供だったシオンの、リゼルに向ける熱い眼差しを知っている。
リゼルとの約束を果たすために、シオンが死に物狂いで努力をして、大陸一といわれるほどの騎士となったことも。
リゼルのための努力を知っていながら、この皇命に従うわけにはいかないのに。
「あの、リゼルと結婚、しないでください」
ラガンダに対抗できる弁舌を披露できるわけでも、彼に思いとどまってもらえる秘策があるわけでもない。だが、気づいたら、そんなことを口走っていた。
「……どうして?」
カノアを見下ろす視線が急速に冷めていく。これ以上の進言は首が飛ぶかもしれない。
それでも。
「ぼ、ぼく、陛下のことが好きなんです!」
ええい、どうにでもなれ、とカノアはとっさに叫んだ。
「だから、あの、他の人と結婚してほしくないというか……」
言いながら、かあっと頬に熱が集まるのを感じる。
ちらりラガンダを一瞥すると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
気まずい。もっとマシな言い訳があっただろう。そう自分を責めても、一度放った言葉を取り消すことはできない。体中がだらだらと汗を吹き出している。
「ぷっ、あははははは!」
沈黙を破ったのは、突き抜けるようなラガンダの笑い声だった。
「あはっ、はははは! 君が、僕のことを好き? あははは! もう一回言ってみてよ!」
完全に馬鹿にされている。おのれ、もしも本気の告白だったらどうするんだ。こんなに笑われたらトラウマものだぞ。
ラガンダはひとしきり腹を抱えて笑うと、目尻を濡らす涙を拭い、深く息を吐いた。
「はーっ、この世に誕生して二十年になるが、こんなに笑ったのは初めてだ」
「……さようでございますか」
カノアが唇を尖らせると、ラガンダは悪戯を企む子供のように、にやり笑った。
「僕と聖女が婚約することになったら、君のそういう一面をもっと見られるということだよね。よけいにヴィスコンティ公爵に聖女を渡すわけにはいかないな」
うわ、性格わる。喉元まで迫り上がってきた本音を慌てて飲み込み、ごほんと咳払いする。
「僕の言葉を信じるおつもりでないことは分かりました。それより、どうして公爵さまの婚約者に僕を選んだんですか。もっと適任がいたでしょう」
「いや、君以上の人材はいないよ。君の噂は少々奇抜だからね」
その口ぶりに、ラガンダの思惑を察した。つまり、シオンの足枷になれ、と命じているのだ。
カノアの評判は地を這うどころかのめり込むほど低く、つねにあくどい噂をアクセサリーのように身にまとっている。そんな婚約者がいれば、おのずとシオンの支持は弱くなる。
レフダン皇国随一の騎士と、レフダン皇国の恥であるカノア。まるで月のスッポンだ。
「あまり公爵さまのこといじめないでください」
「人聞きが悪いな。僕はいつでも民の幸せを願っているよ」
シオンの大切な初恋を奪っておいて、どの口が言うんだ。じっとり睨みつけると、ラガンダはからからと笑う。思い通りにならないカノアをおもちゃにして遊んでいるのだ。
かつてラガンダの侍従だったカノアが彼の衣服を足踏みで洗ったときも、ラガンダは腹を抱えて笑っていた。シオンのように失敗を笑い飛ばしてくれたわけではなく、確実にカノアを笑いものにしていた。どれだけ主人が面白がっても笑い話で終わるものではなく、侍従長から解任を言い渡されたのだが。
その後、ラガンダから一通の手紙が届いた。そこにはたった一言、「君の足さばきは最高だ」と書かれていた。なんて性格がわるいんだ、と幼いながらに絶望したことを覚えている。
遠い目をして過去の回想に耽っていると、ラガンダは「さてと」と立ち上がった。
「そろそろお暇するよ。婚約式の日取りは後ほど知らせる」
ラガンダの帰宅に、思わず心の中の自分がばんざいして喜ぶ。しかし、そんな本心は笑顔の裏側に潜めて「お送りします」と門までラガンダをお連れした。
馬車に乗り込む憎き背中にさっさと帰れと念を送っていると、突然ラガンダが振り返った。
「礼装の洗い方を教えたほうがよかったかな」
不意打ちでからかわれて、思わずカノアの口角がひきつった。
「ありがたい申し出ですが、お忙しい陛下の手を煩わせるわけにはいきませんので」
「どうして。僕のことが好きなら、少しでも一緒にいたいとは思わないの」
「そうですね。陛下に実演していただけるなら是非。衣類はこちらでご用意します」
苛立ちのボルテージが急上昇して、暗に「カノアの衣類はお前が洗え」という嫌味が口をついて出てしまった。
「つれないな。こんなのが稀代の悪食だなんて笑えるね」
カノアの不敬を咎めることもなく、ラガンダは笑って馬車に乗り込んだ。
発車する馬車を見送り、べーっと舌を出して悪態をつく。もう二度と来るな。
恐らくラガンダは、社交界に出回っているカノアの噂たちが真実でないことを知っている。そのうえで野放しにしている。ラガンダには関係のないことだからだ。それはべつに構わない。
ただ、その関係のないことを潔白だと知ったうえで利用することが許せない。しかも、カノアの大切な人を傷つけるものだなんて。
カノアはきつくこぶしを握った。手のひらにありったけの勇気と決意を込めて、ほんの少しも逃がさないように。
シオンの幸せを、絶対に守らなければ。
あの日くれた、四葉のクローバーのおかえしに。
あなたにおすすめの小説
契約結婚だけど大好きです!
泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。
そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。
片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。
しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。
イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。
......
「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」
彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。
「すみません。僕はこれから用事があるので」
本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。
この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。
※小説家になろうにも掲載しております
※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します
あなたの愛したご令嬢は俺なんです
久野字
BL
「愛しい令息と結ばれたい。お前の家を金銭援助するからなんとかしろ」
没落寸前の家を救うため、強制的な契約を結ばれたアディル。一年限りで自分の体が令嬢に変わる秘薬を飲まされた彼は、無事に令息と思いを通じ合わせることに成功するが……
何かと突っかかってくる公爵様との婚約はお断りです。
あちゃーた
BL
剣術を磨き、王国最年少騎士となった真面目な主人公アーバン。
ある日、アーバンの元に実家から手紙が届く。
そこにはアーバンに婚約者ができたと綴られていた。
そんなの聞いてないし、第一相手はアーバンに何かと突っかかってくる公爵家のジェランではないか!?
「回避だ!回避!!こんなの絶対にお断りだぁぁぁぁ!!!」
ツンデレ溺愛攻め×鈍感受け
もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!
めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。
目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。
二度と同じ運命はたどりたくない。
家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。
だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。
前世、悪役侍従。二度目の人生で対立騎士から愛を知る
五菜みやみ
BL
両親の離婚を期に母が去り、地下書斎に軟禁されて育ったロレティカは父に認められたい一心で第一王子バレックに仕えるも、虐げられる日々を送っていた。
唯一優しく接してくれた国王陛下は崩御し、絶望する中、異母兄弟で第ニ王子レイリスとの後継者争いに終止符が打たれると、即位したバレックと王太后による恐怖政治が始まった。
前陛下を亡くした悲しみに囚われていたロレティカは国を崩壊させようと動き、その後、レイリスよる反乱が起こる。
敗れたバレックは家臣と共に投獄され、ロレティカも地下牢へ繋がれる。
そこでレイリスの護衛騎士サルクの優しさに触れ、無償の温もりを注がれて恋を知り……。
処刑寸前に「今度はサルクのために生きたい」と願いながら断罪されたが、目覚めると登城前に時間が巻き戻っていて──!?
王子のこと大好きでした。僕が居なくてもこの国の平和、守ってくださいますよね?
人生2929回血迷った人
BL
Ωにしか見えない一途なαが婚約破棄され失恋する話。聖女となり、国を豊かにする為に一人苦しみと戦ってきた彼は性格の悪さを理由に婚約破棄を言い渡される。しかしそれは歴代最年少で聖女になった弊害で仕方のないことだった。
・五話完結予定です。
※オメガバースでαが受けっぽいです。
三人の孤児の中から聖女が生まれると言われましたが、選ばれなかった私が“本物”でした
あきくん☆ひろくん
ファンタジー
フクシア神教国では、聖女になることは最高の誉れとされている。
ある日、予言者は三人の孤児を指してこう告げた。
「この中から、一人は聖女になる」と。
長女カヤ、次女ルリア、そして三女ケイト。
社交的で人望のある姉たちは「聖女候補」として周囲に期待され、取り巻きに囲まれていた。
一方でケイトは、静かで目立たず、「何にもなれない」と言われる存在。
――だが。
王族が倒れ、教会の治癒でも救えない絶望の中。
誰にも期待されていなかった少女が、ただ「助かってほしい」と願った瞬間――奇跡は起きた。
その日、教会は“本物”を見つける。
そして少女は、まだその意味も知らないまま、聖女として迎えられることになる。
これは、誰にも選ばれなかった少女が、神に選ばれるまでの物語。
Seele―目が見えるようになったのは奇跡ではなく、罰だった―
真紀
BL
【完結まで執筆済み】目が見えない兄と、彼を一人遺して死にゆく弟の物語。
死んだ弟の角膜で、光(コウ)は視力を得た。見えたのは、涙をこらえる親友の顔。「和はおまえが大嫌いだった。憎んでた。だからおまえに目をくれたんだよ」光が歌をやめたのは、その日からだ。
あの人が泣きながら殴るたび、光は願う。「どうか明日は、早く壊れてしまえますように」と。
光は音楽を捨て、達哉は涙を隠せないまま、二人は同じ世界に立ち続ける。
これは、赦しのない世界で、それでも生きようとする者たちの物語。
《第二章》盲目の光が、最愛の弟を失うまでの日々を書いています。ブロマンス寄りですがBL好きな方に読んで欲しい作品です。「ノンケを堕とすノンケ」が好物の方、ぜひどうぞ。