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第52話 四魔大公

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魔王城ヘルメス・トトメスは8つの階層に分かれている。
玉座があるのは第5階層。なぜ最上部でないのかといえば、ロープなどを使って外壁を上るスキルを持つ人間が存在するためだ。最も防衛能力に優れているのが、第5階層だった。

では、最上階は何になっているかといえば、幹部のみに使用を許されたラウンジになっていた。黒を基調としているのは他の階層と同じ。そこにある椅子もテーブルも壁に掛けられた名画も、すべて人間の王侯貴族から奪った高価な物ばかりだ。どれも一級品であり、手先が不器用なモンスター達では絶対に作れぬ代物だった。

瀟洒で洗練された空間を、ヘドロのようなものをまき散らすモンスターや天井に頭をこするほどの巨体のモンスターが歩いている。

そんな第5階層の中には、数段高くなった場所が存在している。人間の王宮にある玉座をイメージして作られたものだ。玉座に当たる物が1つではなく、4つ用意されてテーブルがあるところが違った。

『四魔大公』と呼ばれる魔王軍最高幹部の席だ。

魔王から領地を所有することを許された大公の地位にある4体のモンスターのグループのため『四魔大公』という通称で恐れられていた。

その周囲には並みの幹部モンスター達は近づかない。まして、今は強大な力を持つモンスター達が不穏な空気を発しているのだ。

「魔王陛下にも……困ったもんじゃわい」

口火を切ったのは、4体の中で最も小さなモンスターだった。力強さも感じさせない。不気味な残響のある老いた声を響かせた。

人間の脳味噌にそっくりの外観のどこにも口はない。いや、口だけでなく、目や耳、鼻にあたる部分も存在しなかった。
ただ脳味噌のような色形をしたものがぷかぷかと椅子の上に気味悪く浮いている。

叡智の粘体インテリジェント・スライムと呼ばれる超希少種のスライムだった。地面を移動する速度が非常に遅く、物理的な攻撃力もほとんどない。

反面、宙を魔法で素早く移動し、多種多様な強力な魔法を使うことができた。魔力の保有量においても魔王軍で五指に入るだろう。

「うむ」

短く、だが重々しく頷いたのは、全身が筋肉でできているかのような男だった。眉毛もない。腋毛も胸毛も脛毛もない。元は毛深い獣人であったが、長年の荒行と修練の末、今では同族に交じっても誰にも同族と悟られないほどの異相となっていた。

彼専用となっている椅子は、背もたれが破壊され、スツールのようになっていた。
裾の擦り切れた白い下穿きに黒い細帯を締めただけの彼は、椅子に正座していた。太い腕を組み、黙想しているかのように目を閉じている。突き出た眉の部分に毛はなく、代わりに筋肉の盛り上がりがある。

「ニョルンってさー、地虫の中でもとりわけ貧相じゃな~い?」

ゴブリン族を地虫とあざ笑う有翼人。端正な顔立ちと瀟洒な服は、一見すると人間の貴族のようであった。だがその腕の部分から突き出た鷲のような大きな翼がその想像を裏切っている。

翼の先端で器用に長いキセルを扱い、先端から紫煙をくゆらせている。
この場にいる中で唯一綺麗に椅子に腰かけていた。

「ニョルンごときを重用される魔王陛下。理解できぬ」

潰れかけた椅子の残骸に頭部を預けている岩でできた巨大なミミズのようなモンスターがしゃべった。白い岩肌はよほど硬質なのか、しゃべったり、身じろぎしたりするたびに椅子の残骸がどんどん粉々に粉砕されていく。

「このまま何の手柄も立てられなければ『四魔大公』の名が泣く。賢しげなゴブリン……それも半分人間の血を引く半端者なんぞにいいようにされてはな。まして奴ごときの進言で、1年間もの長期にわたって人類国家すべてと休戦協定を結ぶなどあり得ん話だ」

宙に浮く脳味噌のような叡智の粘体インテリジェント・スライムの言葉に、他の『四魔大公』達も相槌を打つ。

「うむ」
「そねー」
「おう」

「ならば、これまでに話し合った通り、我らは我らで独自に動くぞ。ワシの立てた計画通りにな。奴の進言なぞ無意味だったと魔王陛下にわかって頂くため、目障りな勇者と聖女を討つ。旗印を失った人類軍など我ら『四魔大公』の敵ではないだろう。謎の『光の柱』の究明もバベルの調査も、あとで存分にやればよい」

「奴らにしてみたら、いきなりラスボスクラスと遭遇って感じかしら」

有翼人が翼の先を口元にあてて笑いをこらえる。

「しかも相性の悪いモンスター2体同時よ、彼女ら泣いちゃうんじゃない?」

叡智の粘体インテリジェント・スライムが計画した作戦は、シンプルなものだった。

勇者も聖女も10歳児のうちに、魔王軍の最大戦力で一気に叩き潰してしまおうというものだ。

「現実は劇とは違う」

脳味噌のような叡智の粘体インテリジェント・スライムの言葉に、岩の化け物が不思議そうに声を上げた。

「ゲキ?」

「人間共が好むくだらぬ作り話やほら話の類じゃ。たった1人で1000体のモンスターを足止めして貴族の娘を逃がした騎士の話とか」

「大ぼらだな」

「飛行モンスターもいるもんね。そんだけいりゃあさ。ほんと、人間ってくっだらなーい」

自分の翼を1度自慢げに広げたあと、有翼人はまた翼を閉じた。

「劇ならば、いきなり最大戦力が10歳児1人に同時に襲いかかるなど許されぬだろう。第1幕の冒頭で終幕となってしまうからな」

だが、と脳味噌だけのような叡智の粘体インテリジェント・スライムが続けた。

「我らはやる。ワシと魔王軍最強の拳士であるお主で、肉弾戦も接近戦も苦手なティエラとかいう聖女の小娘を血反吐も出ぬまで殴り、そして殺す」

「うむ」

「聖女の魔法は強力無比。7属性の中でも魔に対する対応力が特に高い。魔拳士では本来相性が悪い。おそらくお主ひとりならば、動きを封じられて倒すことはかなわぬだろう。だがワシならば、聖女の魔法さえ封じることができる」

スライム系の種族は、何らかの阻害効果に特化していた。多くのスライムは移動阻害や行動阻害に特化している。

しかし叡智の粘体インテリジェント・スライムは、魔法の阻害に特化していた。だが弱点もある。一般的なスライムが自らの体で、相手の手足を絡めて移動や行動を阻害するように、叡智の粘体インテリジェント・スライムも相手に張りつく必要がある。しかも張りついている間、自らも魔法を使用できなくなるのだ。

つまり自らの自由と引き換えに魔法を封じる強力な力だった。

「魔法を使えぬ聖女相手に、最強の拳士であるお主が負けることは絶対にない。屈強な騎士団相手でも、相手に魔術師さえいなければ壊滅的打撃を与えられるお主ならな。……幸い聖女のクラスにそのような体術のスキルはないことは知れておる」

次に、と脳味噌に見える叡智の粘体インテリジェント・スライムが有翼人と岩の巨大なモンスターに話しかける。

「ルヴィアとかいう勇者は、お主ら2人に任せる。勇者は人だ。空を飛ぶ翼もなければ、地中に潜るすべも持たぬ」

「勇者って言ったって、地虫の一種でしょ? 楽勝よ~。勇者の放つ剣の衝撃波の届かない遥か上空から風の刃で切り刻んでやるわ」

「油断するなよ。……勇者は自らの力を劇的に高めるすべを持つ。過去の例から見てもお主だけならば、強力な衝撃波を放たれて撃退されるか、逃走を許すか、どちらかになる可能性が高い」

「おら、いる。おらが地面に潜って、いきなり大地から現れて食らいついてやる」

「うむ。空と地中からの同時攻撃だ。決して地面に立ってまともに戦おうなどと思うなよ? 勇者はその状況なら間違いなく最強と呼べる力を発揮する」

「わかってるわよ~。要は空からの遠距離攻撃と、地中からのヒットアンドアウェーを同時に仕掛けてチクチク攻めるってことでしょ? 勇者って言ったって10歳の小娘。三日三晩くらい攻め立ててやれば泣いちゃうんじゃないかしら……? チクチクいじめるのは大好きだし、大得意よ」

「おらに、疲労は、ない」

「頼もしいことだ。勇者と聖女を討つ手はずはワシが整える。しばし待たれよ」

「あら? 今すぐってわけにはいかないの?」

有翼人が鳥のように頭を180度回転させて、首を傾げる。逆さになった貴族風の端正な顔立ちにまったく苦しみの色はない。平静とした様子だ。

「誰の進言によって決まったかはともかく、これは魔王陛下の指示だ。あまり大っぴらに動けぬし、もしバレればこの計画も頓挫する」

「つまり人間にも味方にもバレないように……ってことね。ウフフフ……。もしルヴィアを殺したら剥製にしていいかしら? 今の顔に飽きてきたから、自分で使おうかな。あの綺麗な宝石のような赤い髪、素敵よね」

「好きにしろ。ワシは魔王陛下へ忠誠を示すことにしか興味はない」

「おらは、勇者の骨、欲しい。内臓もいらないならもらう」

「えぇ。いいわよ。半分こしましょ。外側と中身と」

「勝ったあとのことは、殺したあとでも構わんだろう」

一切毛のない異相の獣人の拳士が黙したまま頷く。

「よし! では共に魔王陛下に素晴らしき結果を報告しようではないか!」

「「おぉう!!」」
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