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再会とお礼
しおりを挟むポメガバースの彼と再会したのは一週間後、雪隆の自宅マンションのエントランスだ。
土曜日で弟の手伝いをし終えた頃には夕方になっていた。夕飯を買ってきてエントランスに到着した雪隆は、彼の姿が目に入ってきた。
ガラスの壁で隔たれた喫煙スペースでタバコを燻らせている。遠くを見つめている横顔が様になっているように感じた。初対面の時よりも威圧感を感じないのは、あの印象的な瞳が自分に向かっていないからだろうか。
今日の佐々木は前髪をあげワックスで固めている。拾った時に回収した紺のスーツもピシッと着こなしていた。すっきりとした清潔感よりも物憂げに見えるのはゆるりと曲がった姿勢のせいだろう。仕事中にこちらに寄ったのだろうか。
そのままじっと見つめているのもおかしいので、こんこんとうるさくならない程度の力で扉を叩く。自分に用事があるからこうやって待ちぼうけしているのだろうと予想して。
マンションの他の住人を待っていたのならその時はその時だ。また、ここに住んでいるとも考えにくかった。こんなに印象的な美形ならば雪隆の印象に残らないはずがないからだ。
彼はすぐ音に気がついて、残りのタバコの火先を携帯灰皿で消す。出入り口をあけこちらにやってきた。
雪隆の方は学生時代にスポーツをしていた影響かタバコを吸いたいとは思わない。だから、ポメガの彼──佐々木の体が動くたびタバコの煙の匂いがふわりと鼻についた。甘く感じたのはそういう銘柄だからだろうか。
「電話。なんでかけてこないの」
「いや、なんか怖いですし」
ちっ、と短い舌打ちが聞こえてくる。佐々木は両手をスラックスのポケットに入れ、不貞腐れたように口をへの字に曲げる。淡褐色のきつい眼差しがこちらを射抜くように見つめる。
背だって体格だって雪隆の方が少し大きめであるはずなのに、その一つの仕草だけで気圧される。迫力があるのだ。
「こちらに訪ねてきたということは、何か用事でもあるんですか」
「お礼」
「お礼ってあなたを保護した時のですか」
「そう」
彼──佐々木が右腕を上げると、その手に持っていたのは有名和菓子店の紙袋だった。受け取れということなのだろう。素直に従う。紙袋を持ち上げの中身をそっと覗くと、正方形で金属の缶が入っていた。
「ありがとうございます……?」
言葉少なに答える彼の口調は気怠げだ。雪隆は受け取ると佐々木に会釈してそのままエレベーターへ向かう。なぜか彼は当然のように後についてきた。用事は終わっただろうに雪隆の部屋まで来るつもりなのだろうか。
「なんでついてくるんですか?あ、忘れ物とか?とってきますよ」
「そんなの無いし。んー……休ませて」
一縷の望みをかけて可能性を提示するも、全く違う方面で佐々木の言葉が飛んできた。もっと訳がわからない。
しかも魔の悪いことにエレベーターに乗ってしまった後に雪隆は尋ねてしまっていた。エントランスで聞いておけばよかった。今更家に来るなとは言いづらい。彼の鼻先で扉を閉めることなどできるだろうか。いま人型の彼と話しているが、ポメラニアンの彼を思い浮かべるととてもそんな非情な真似はできなかった。雪隆の犬好きが変な方向に向かっている。
佐々木の言葉に沈黙で返しつつ、エレベーターのボタンを押す。
二人きりのエレベーター。順調に目的の階まで運ばれる。雪隆は隣の人物に気がつかれないようにそっとため息をついた。
お人好しな自身は、他人からの提案を受け入れた方がストレスがかからないのだ。たとえそれが名前と電話番号しか知らない身元不明の男だとしても。彼の思い通りになってしまっていることにモヤモヤする。
玄関の鍵を開けて、男を上げる。佐々木は躊躇いなく靴を脱ぎ、勝手知ったる我が家とでもいうように洗面所へと向かっていった。家主は雪隆なのだが。
ポメラニアン姿で風呂に入ったことがあるから、併設されている洗面所の場所も覚えていたのだろう。ついていく。
わんこであれば可愛らしいだろう手洗いも、人間がやっているのは当たり前の光景だ。ポメラニアンであったのならよかったのに。よく自分で洗えたね、と手放しで褒め身体中わしゃわしゃと撫でてやるのに。
しかし、そのためには目の前の男にストレス過多になってもらわなければならない。自分の満足のために人に犠牲を強いるのは雪隆は好きではなかった。
そう思う雪隆とは関係なしにリビングへと向かった佐々木は勢いよくソファに座ると隣を乱暴に叩く。座れという指示かと思い、素直に従ってしまう。
一人暮らしで一人きりで過ごすことに慣れた部屋に、自分と他人がいる事のが不思議だ。
大学時代の部活動で自分の部屋だったり他人の部屋だったり遊びに行ったことはあったが、社会人として働き始めてからはその機会はめっきり減っていた。
体温を感じるか感じないかくらいの絶妙な距離。
隣同士に座って沈黙が痛くなってきた頃、そのまま佐々木は雪隆の方へ寝っ転がってきた。いわゆる膝枕というものだ。
「寝る」
自分の足は女性の柔らかな太ももとは違い筋肉で硬くしまっているだろうに、あっという間に穏やかな呼吸へと変わっていった。快適さとは程遠いはずなのに。
ひょっとして硬い枕が好きなのか。強い淡褐色の瞳は、閉じられて見えない。惚けたような表情。そのおかげかいつもよりも幼く見えた。先程の威圧感とは別人物のようである。
手持ち無沙汰になってスマートフォンをいじろうにも玄関近くの床の鞄の中に入っていて取り出せない。佐々木が膝の上に乗っているせいでここから立ち上がれないのだ。
しょうがないので近くにあったテレビのリモコンを繰って観たくも無い番組を流す。バラエティの演者の賑やかな笑い声に、佐々木が起きてしまうかと思われたがぴくりとも動かない。深い眠りについているらしかった。
そうして時間を潰しているときゅるきゅるとお腹が鳴る。軽い昼食以降食事をしていなかったからだ。特に今日はお客さんが多く、休憩時間が細切れにしか取れなかった。弟はうれしい悲鳴をあげていた。
雪隆は少しずつ動いてリビングテーブルに置いていた菓子をあける。シンプルなせんべいの詰め合わせだ。ぱり、ぱりと軽快な音を立てて割れる菓子。音を立てても佐々木は起きる気配がない。
「おっと、ごめん」
せんべいの粉が髪にかかって払う。整髪剤でオールバッグにされた硬い髪の毛。パリパリと固まったその髪型を崩さないようにそっと。その下の顔は疲れている。長いまつ毛とうっすらと目の下に浮かぶ隈、かさついた唇。眉間の皺を優しくなぞる。
ポメラニアンになるほどのことだ。きっとストレスフルな仕事なのだと思う。穏やかに上下する肩に同情が湧いた。
「ん……」
少し身じろぎをされて慌てたが、それでも佐々木は起きなくて雪隆の手は自然と頭を撫でていた。起きたら叱られてしまうだろうか。まぁその時はその時か。膝の上に寝っ転がるのだから、もしかしたら髪型が崩れても構わないのかもしれない。
そうして佐々木は三十分ほど眠りに入っていた。
「んー…………」
「起きました?」
「……喉が渇いた」
「ああ」
瞼が開き、強い瞳が雪隆を見つめた。寝起き特有のカサついた第一声。佐々木は立ち上がり大きく伸びをすると、首の音を鳴らし回す。膝枕で眠ったことについて遠慮など微塵も感じられなかった。他人の家でそれほど熟睡するなんてよほど疲れていたのか。
ようやく頭の重荷がなくなって、痺れた足を揉んでマッサージする。
「よく寝た……帰る」
「はあ……」
休憩のためだけに雪隆の家にきたようだが、本来は菓子折りを渡すだけではないか。そうは思ったが黙っている。
「また来るから」
雪隆の戸惑いとは裏腹に、彼はまたもや嵐のように去っていった。
※※※※※
業務用ドライヤーを使って洗ったわんこを一気に乾かしていく。今日の子は気持ちよさそうに目を細めていた。
「……で、そのポメガの人を兄さんはどうしたいの?迷惑に思っているようには聞き取れないけど」
「え……そうだな……夏樹ならどうする?」
先日起こったことを弟に雑談の体で話していたのだが、いつのまにか相談の様相になってしまっている。そんなに深刻そうに話していたのだろうか。
「僕だったら、ポメラニアンを見つけた時点ですぐに警察を呼ぶかなぁ」
意外だ。トリマーという職業を志すくらいなのだから、犬には無償の親切を注ぐのかと思ったが。雪隆がそう言うと、そこは職業とプライベートの違いだと言い切られた。下手に怪我をさせても責任を取れないからと。
あくまで道端で出会う野良かもしれない犬とお客様の大事な家族である犬は違うと言うことか。
わんこは完全に乾き切ってブラッシングされている。黒く長い毛並みが艶やかだ。躾がきちんとなされているのか暴れる気配もない。ふわふわとした黒い毛玉のポメラニアンの毛質とは大違いだなと雪隆はふと思う。
「あと!なんで二回目会った時、家にあげたの?お礼もらってはい、さようならでいいじゃない。だって怖くない?知らない人が我が物顔で家でのんびりしてたら」
「確かに」
けれども人よりも世話焼きの雪隆は追い出そうと言う気が起きなかったのだ。特に疲れてだらんと下がった肩を見た時に。ポメラニアン体の彼を知っているからこそ余計甘くなっているのかもしれなかった。
それに雪隆のようないかにも鍛えてスポーツをしていましたとでも言うような風体の者を強盗等の犯罪に巻き込もうとするだろうか。普通は返り討ちにあうと考えるだろう。
「まぁ嫌なら、兄さんだっていい大人だから断るだろうけどさ……」
「そうだな」
うやむやな態度の雪隆に弟の夏樹はため息をついてハサミを手に取る。そうなると弟は口を聞いてくれなくなる。集中したいという合図だからだ。一ミリでもずれるとわんこの皮膚に怪我させてしまうこともあるから、この時の弟はいつも以上に真剣だ。
雪隆はその間に掃除を済まそうと風呂場に向かっていった。
使用済みだった風呂場が綺麗になったと出た時には、弟は顧客にトリミング終了の電話をかけていた。無駄な毛を切られすっかり別人のようになったわんこは誇らしげに胸を張っている。
「今日もありがとね。お疲れ様です」
「お疲れ様」
電話を切って夏樹はお客を迎える準備をする。こちらに背を向けていたが一瞬動きを止めると声が聞こえてきた。
「兄さんさ、あんまり僕にこう言ったこと聞いてこないじゃない。だから少し嬉しくて口出しちゃった」
「夏樹」
「もっと家族に頼っていいんだよ。それに、僕だって甘えてばかりじゃ大人としてカッコつかないし、ね」
「ありがとう。じゃあわんこの専門知識が必要になったら頼むな」
「任せて」
柔らかな心地の声色に、ホッと息をついた。
車で帰路に着く。運転している間も思い浮かぶのはあの黒毛のポメラニアンだ。
そもそも佐々木が雪隆に懐く理由がわからない。こんな素人よりも、佐々木のためにはもっと良い人物がいるはず。そういえば、ポメガバースの人達のためにちやほやしてくれる専門家がいたはず。
運転を終えた雪隆はスマホを取り出す。検索し、ある所へと電話をかけるのだった。
「ほら、プロの人にちやほやされたほうが気分もいいですよね?」
黒いポメラニアンはさっきから雪隆に対して黒くてふわふわな尻尾を見せるばかりだ。かたわらにいる「榎木」と書かれたネームバッチをエプロンにつけている店員も困り顔である。
辺りにはわんこの好きそうなおもちゃが散乱しているが、一切ポメラニアンは手をつけてはいなかった。店員の二十分間の奮闘の末である。
自身が佐々木のポメガバースに対応できるのか不安になった雪隆は、プロのポメガバース人化を手助けする業者に頼むことにした。通称『ちやほや屋』である。
業者はポメガバースである彼らの人権を損なうことなくポメラニアン化したポメガを短時間で人に戻す。もちろん情報保守もバッチリである。
こういったプロの手をかりた方が佐々木のプライドも守られるのではないかと思う。最初に雪隆が佐々木を撫でて人に戻った時のあの強い視線、あれは苛立ちと驚きを持っていたのだ。きっと不快だったに違いない。
次に雪隆の下を訪れたのはお礼と単純な休憩場所だと思う。ちょっと眠って休憩できるホテル代わりか。
そうして雪隆は佐々木が再びポメラニアン化してエントランスで忠犬ハチ公の如く待機していた時を見計らい、佐々木を抱えてちやほや屋へと赴いたのだった。
騙し打ちになってしまったのは仕方がない。けれど、雪隆の手には負えないと思ったのだ。
はじめはおとなしく抱えられて、むしろ緩く尻尾さえ振っていた黒い毛玉は、向かった場所を知ると低く唸り声を上げ始めた。まるで動物病院に不意打ちで連れられてきたペットみたいである。
そうなってしまうともうダメで、ずっと店の隅っこで警戒しているように丸くなっていた。
「これは結構気難しい方ですね……」
唸っているポメラニアンを遠くで見つめ、本人に聞こえないように小声で榎木がいう。太めの眉が八の字型に下がり困っている。
「自信あったのですけど……ははは」
榎木は乾いた笑い声を出した。黒いわんこは短く可愛らしい後ろ足でペシペシとおもちゃを蹴り上げる。まるで不要とでも訴えているようだ。
「お話を聞く限りでは、ちやほやされたい欲求は多少はあるようですね」
腕を組みうんうんと唸っていた榎木は顔を上げる。
「もしかしたら『全ての人にちやほやされたい』というよりは、『心を許した一定の人だけにちやほやされたい』のかもしれませんね。人懐っこいと言われているポメラニアンとはいえ、元は人間の方々ですので性格も同じとは限りませんので」
「みんな同じではなく?」
「はい。お家で安心する匂いに包まれて、彼のペースでちやほやするのがあっているのかもしれないですね」
帰る間際に榎木に自宅出張もやっていると名刺を渡された。使う可能性は限りなく低いだろう。多分、佐々木は自宅であっても他人がいるとリラックスできないのではと思った。だからこそ雪隆の自宅に現れたのは訳がわからなかった。
それでも少しだけ佐々木に協力しようと思えたのは、元来の雪隆がもつお人好しの性格のおかげだろう。
雪隆は佐藤の眉間に皺のよった寝顔を思い出していた。
結局その日は帰宅して黒毛のふてくされたポメラニアンを撫でることで元の人型へと戻っていった。後日、お礼としてのステーキ肉を渡された。
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