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Ⅰ.スターディア
第12話 末っ子王子と黒髪の騎士②
しおりを挟む「確か、抜けるのに丸二日かかるって言ってたっけ」
ぼくは、一人呟く。
お腹はぐーぐー鳴っているし、何よりも寒い。
昼間はよかった。街道はすぐに見つかったし、天気もいい。白馬を休ませながら快調に道を走った。
幸い追手は来ないし、盗賊にも遭っていない。
ただ、火をうまく起こせず、暖をとれないのはつらかった。日が暮れかけて、また夜がやってくる。
街道をそれて、休めそうな場所を探した。疲労が蓄積しているのを感じる。
寒気がして、木の根元に座り込むと白馬が心配そうに覗き込んできた。
「ごめんね。今日はもう、ここでいいや」
両手を回すようにして、自分の体を抱え込む。寒気と熱さが交互にやってくる。
うとうとと、まどろみかけた時。
近くに、何かが来るのを感じた。
森の中は既に真っ暗で、時折生き物の気配がする。
でも、これは違う。
草を踏み分けて近づいてくるのは⋯⋯人だ。
⋯⋯どうしよう。
追手?盗賊?
どくん、どくんと自分の心臓の音が大きく聞こえる。
白馬が鼻を鳴らし、前脚を蹴る。
ぼくは息を殺した。
気配を殺すようにして移動してくる。
すぐ近くの枝が、パキリと踏みしめられた。
思わず、目を固くつぶる。
「⋯⋯殿下!」
ぼくは、その声に顔を上げた。
「サフィード?」
ぼくを見て見開かれた瞳には、安堵と歓喜の色があった。
「よくぞ⋯⋯ご無事で!!」
騎士が、ぼくの前にしゃがみこむ。
ぼくは、ほっとして全身から力が抜けるのを感じた。
「サフィードこそ、無事でよかった。迎えに来てくれたの?」
「お許しください。殿下をお守りすることもできず、黒の森にお一人で過ごさせるなど、もはや近衛と名乗ることもできません」
「いや、そんなことはいいんだ⋯⋯けど」
「殿下!?」
「⋯⋯サフィードの顔を見たら、なんだか、力が抜けて」
言い終らぬうちに、ぼくは騎士の腕の中に倒れ込んだ。
あたたかい。いや、熱いのか。ううん、あたたかい。
目の前に見えたのは、焚火だった。パチパチと火の爆ぜる音がする。
ぼくの体は、生地のしっかりとした外套で全身をくるまれていた。
あたたかいはずなのに、寒気が走る。額には汗が浮かぶ。
「サフィード⋯⋯」
「殿下。お気がつかれましたか!」
「⋯⋯うん。これ、サフィードの⋯⋯」
「申し訳ありません。ご用意するものが他になかったもので、私の外套を」
「ごめんね。寒いよね」
「⋯⋯殿下、何を仰るのです。殿下こそ、熱が出ていらっしゃいます。水をお飲みになりますか?」
「うん。欲しい」
熱のせいか、喉が渇いて仕方がなかった。
サフィードがぼくの体を支えて、起こしてくれる。皮袋から水を飲もうとしても、手が震えて上手く飲めない。
「サフィー。みず⋯⋯のみたい⋯⋯」
ぼうっとして、幼い頃の呼び方で名を呼んだことには気づかなかった。
騎士は、ぼくに水を飲ませようと手を添えたり、体の向きを変えてくれたりした。
それでも、うまく口には入らず貴重な水が零れてしまう。
サフィードの瞳に逡巡の色が宿る。
「殿下、ご無礼を⋯⋯お許しいただけますか?」
ぼくは、何のことかわからずに騎士を見た。
「⋯⋯うん?」
サフィードは、片手でぼくの体を支え直すと、皮袋の水を口に含んだ。
そして。
ぼくの唇に、あたたかいものが触れた。
少しずつ口内に流れ込む水の味は甘く、静かに体の中に沁みていく。
まだ、足りない。まだ。
「サフィー、⋯⋯もっと」
吐息と共に言葉をもらすと、サフィードの体が震えた。
サフィードがもう一度、皮袋の水を口に含む。
口移しで与えられる水は、体の渇きを癒していく。
ぼくは、外套から右手を伸ばして、サフィードの頬に触れる。サフィードの頬はひんやりして、気持ちが良かった。
「冷たい」
「⋯⋯殿下のお体が熱いのです」
「サフィー、気持ちいい。ねえ、触れていてもいい?」
ぼくが幼い頃、サフィードはどこに行くにも一緒だった。ずっと友達だと思っていた。
今思えば、遊び相手と護衛が一緒になったようなものだったのだろう。
城をすぐに抜け出す末の王子から目を離さないよう、サフィードは言い聞かされていたはずだ。
ぼくが王立学校に入る何年も前にサフィードは騎士学校に入学した。そして、次に会った時は、ぼくの近衛になっていた。
幼い頃のように甘えるぼくを見て、サフィードが何かを振り払うように頭を振る。
そして、静かにため息をついた。
「⋯⋯イルマ殿下。今宵だけです」
呟くように、小さな声が聞こえる。
ぼくは思わず微笑んだ。
『イルマさま、今日だけですよ』
年上の友達が、ぼくの願いを聞き届けてくれる時。
いつも、そう言った。
逞しい体にもたれかかれば、人肌に安心してたちまち睡魔に襲われる。
熱に浮かされて水を求めれば、優しい瞳が目の前にあった。望めば、望むだけ。何度でも水が与えられる。
「サフィー、ありがとう」
いつの間にか、傷ついた左手の指には布が巻かれていた。
眠りに落ちたぼくの手をとって、騎士の唇がそっと口づける。
それを見ていたのは、深い夜の森だけだった。
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