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Ⅱ.フィスタ
第12話 宰相の息子と湖の計画②
しおりを挟む「⋯⋯少し遠出をしようかと」
「ほう。どちらまで? 私はフィスタのことをまだよく知らない。教えていただけたら嬉しいのですが」
王子はにこにこと笑顔を浮かべて、ぼくの隣に立った。
ぼくは思わず、ユーディトの顔を見る。ユーディトはシェンバー王子を見据えながら、口を開いた。
「我が家の別荘に殿下をお誘いしました」
「宰相殿の?」
「はい。もうじき女神が誕生されたと言われる湖で収穫祭がございます。イルマ殿下にお越しいただけたら幸いなことと思いまして」
「女神の湖には、一度訪れてみたいと思っていた。ユーディト殿、私も一緒に行ってもいいだろうか」
「え? あ、はあ?」
ユーディトは目を見開き、返事が覚束ない。
ぼくがおろおろと二人の顔を見回していると、宰相府の役人が飛んでくる。
「ユーディト様! もうすぐ会議が始まります!!」
「お、王子。また改めてお返事申し上げます」
慌ただしく去った二人の後に残され、ぼくは胡乱な気持ちでシェンバー王子を見た。
「⋯⋯なぜいきなり一緒に行くなどと?」
「おや、そんな顔をされるのは心外ですね。女神の湖には一度行きたいと思っていたのですよ」
「今まで聞いたこともありませんが」
「殿下と一緒にいるのが楽しくて忘れておりました」
さらりと言ってのける姿に、思わず眉を顰めた。
「⋯⋯貴方といつも一緒に居たいだけだと言ったら信じてくださるのでしょうか?」
「は?」
すかさず近づいてきた王子の唇を、手の平をかざして退ける。
「近いです! 王子!!」
いつものことだが、距離感がおかしいと言うんだ。
「⋯⋯相変わらずですね」
逆にその手をやんわりと握りしめられて、口づけられた。
「ひっ!」
思わず小さな悲鳴を漏らせば、王子は肩を震わせて笑っている。慌てて、手を振り払って引っ込めた。
「殿下は、私が今まで会った中で見たことがない種類の方です」
「そうでしょうとも!」
きっと、こんな王子の周りには美男美女だらけだったに違いない。誘いを断るやつなんかいなかっただろう。
馬車の中で鼻先に口づけされて以来、やたら距離を近づけようとしてきて困る。
油断も隙もありはしない。
「⋯⋯そんな、怒った猫みたいにならなくてもいいのに」
「怒った猫?」
「フーフー言って威嚇してくるところですよ。毛を逆立てた子猫みたいではないですか」
そう言ってくすくす笑っている。
「全くお可愛らしいことですね」
艶然と微笑む様子に思わず見惚れてしまいそうになる。
⋯⋯だめだ。まるで口説かれているような、この甘ったるい感覚に慣れてはいけない。王子が来てからというもの、相手に呑まれっぱなしだ。ぼくは頭を振った。
「シェンバー王子、ぼくは友人の招待を受けましたが、貴方のことまではどうこうできません。どうぞユーディトにご相談ください」
そう言って、王子に背を向けて歩き出した。
☆★☆
「なんで! シェンバー王子もご一緒なんですか!? ユーディト様!!」
宰相の屋敷に悲鳴に似た声が漏れる。
「ご一緒したかったわけではない⋯⋯」
「それはそうだと思いますよ! でも、何で」
「⋯⋯成行き⋯⋯だろうか」
──あんなに周囲に気をつけて話しかけたはずなのに。どうして、シェンバー王子が現れたのだろう。いくら考えても、ユーディトにはわからなかった。
宰相府でユーディトが必死で仕事を片付けていると、宰相が部屋に入ってくるなり言った。
「シェンバー王子がイルマ殿下と共に湖畔の別荘にお越しをご希望だと伺った。お前がお勧めしたのか?」
「え? いや⋯⋯その」
息子が口ごもっている間に、父は感極まったように言う。
「スターディアの美貌の王子と女神の恩寵高いイルマ殿下をお迎えできるとは何たる誉れ! お前にしては気が利くことだ。よくやった! ユーディト!!」
「⋯⋯ち、父上」
息子は、思わず仕事先では閣下と呼ぶのも忘れて訊ねた。
「⋯⋯それをどちらで?」
「もちろん、シェンバー殿下からだ。全く腰が低くていらっしゃる。女神の湖を一度見たいと思っていた。名高い屋敷にイルマ殿下が招かれたので良かったら共に伺いたいのだがと」
ユーディトは衝撃を受けた。宰相である父に先に話を通す抜け目のなさに愕然とする。これを器の違いと認めてしまうのは、何とも口惜しい思いがした。
「お二人をもてなすとなれば、仕方ない。お前の休みは追加しよう! しっかりお相手を務めるがいい!!」
誇らしげに告げた宰相は、部屋に入ってきた他の大臣に、王子訪問の自慢話を始めた。
──これでは、断りようもない。イルマと二人きりで過ごす湖の週末が、がらがらと崩れ落ちていく。
がっくりと肩を落とし、ユーディトは机の上に積まれた書類の陰に突っ伏した。
「父からもてなすように言われている。シェンバー王子とイルマが共に来ることは確定だ」
「わかりました。私も一緒に行きましょう」
決心したようにシヴィルが言う。
「シヴィル!!」
「このままでは、夜もおちおち眠れません」
この調子では、ユーディトの負けは火を見るより明らかだった。馬鹿な子ほど可愛いのは世の常。師匠は弟子の為に一肌脱ごうと誓った。
☆★☆
「休暇を頂戴し、誠にありがとうございました」
ぼくの前で黒髪の騎士が跪く。
「いいんだよ。父君の具合はどうだった?」
「危篤の知らせに反して、私が駆けつけたときには既に回復しておりました。お前はさっさと城に戻れと、滞在中はうるさくてかないませんでした」
サフィードの実家から早馬がやって来たのは1週間前のことだ。渋るサフィードに無理やり休暇を取らせ送り出した。
自ら進んで休みを取ることもない騎士に、休暇を消化するまで戻るなと言ったが、なかなか大変だったようだ。
「殿下は、お変わりなくお過ごしでしたか?」
「ああ、いつもの通りで。⋯⋯シェンバー王子とゴートの孤児院に行った位かな」
騎士が眉をかすかに曇らせたことに、ぼくは気づかなかった。
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