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Ⅱ.フィスタ
第13話 山の一夜と二人の距離①
しおりを挟むユーディトの湖の別荘へ行く日は、あっという間にやってきた。
ぼくとセツ、シェンバー王子と侍従のレイ、護衛の近衛の中にはサフィードもいる。
あまり目立ちたくはなかったのでごく少数で、馬車も小さなものを選んで出発した。
晩秋の陽光の中、湖に繰り出すのは心が弾んだ。
「道中気をつけて、イルマ。一足先に湖畔屋敷で待っている」
微笑むユーディトに笑顔で応えた。
馬車から見える風景がどんどん変わっていく。空は高く、青かった。女神の湖はフィスタの中では北にある。開けた大地から、急峻な山並みに向かって走る。
「イルマ殿下は、旅をするのがお好きなようだ」
馬車の向かいの席では、シェンバー王子が微笑んでいた。今日は王子を見てさえ、温かな気持ちになれる。女神も頬を染めそうな美貌も心から美しいと思えた。
「好きです。人も、物も、自分の知らないものばかり。ぼくも本当は兄たちのように他国に留学したかった」
滅多にない旅に高揚する気持ちが出たのだろう。うっかり、そんな本音を漏らしていた。
「そう言えば、フィスタの王子たちは皆成人前に留学すると聞いている。第3王子のラウド殿も留学中と聞いた。殿下は?」
「ぼくには話が来ませんでした。末子だったからかもしれません」
ガタンと大きな音がして馬車が止まった。
窓を覗くと、近衛たちが何か話し込んでいる。
「どうやら前方が倒木で塞がれているようです。少々お待ちを」
サフィードが知らせに走ってきた。
道いっぱいに倒れた木は、老いた巨木だった。取り除くには時間がかかるだろう。
王都から女神の湖に行くには昔からの街道を使う。それ以外の道は、山を大きく迂回する遠回りの道しかなかった。街道は当面使えないことを近隣に知らせるよう近衛の一人を残し、山際の道を行くことにした。
「多少お時間がかかります。街道に比べ馬車も揺れるかと思いますがご容赦ください」
「無理をしないでいいよ。ゆっくり行こう。水も食べ物もあるんだし」
「⋯⋯こちらのことは気にしないでいい。焦らずに進んでくれ」
おや、と思った。シェンバー王子は、時折優しさを見せる。それは気づかずにふっと消えてしまうような類のものだったが。
しばらく走った時だった。どこからか鳥の声が聞こえてくる。高く、低く、抑揚に富んだ声が響く。呼応するように、幾つもの鳴き声。
「⋯⋯鳥?」
「!!」
窓を覗こうとするぼくを、いきなりシェンバー王子が抱きしめた。
「なっ!?」
「殿下! 静かに!!」
高く低く響く鳴き声がひときわ大きくなる。ようやく、それが口笛だと気が付いた。
馬が大きく嘶く。
雪崩のような音、大きく揺れる馬車。揉みあう人々の声がする。
王子に椅子に横倒しにされた時、格子になっている馬車の窓から剣が突き刺さった。
扉がガンガンと叩きつけられている。
⋯⋯山賊?
フィスタの山中には盗賊たちが潜んでいる。
彼等は他国から流れてきた者が多いと言われ、なかなか正体を掴めないままだった。
覆いかぶさっていたシェンバー王子が体を離した瞬間、さらに馬車が大きく揺れた。
扉が開いて、剣を持った男が中に入ろうとする。王子は男の額を思いきり蹴りつけた。
男が扉の外に倒れた瞬間、足元に置かれていた包みが開かれる。そこには一振りの剣があった。
「殿下、動かないで」
再度、扉が開かれそうになる。王子は剣を手に、外に飛び出した。
斬り結ぶ音が響く。
ぼくは、息を殺して横になっていた。
⋯⋯どうしよう。どうしたらいい?
出て行っても邪魔になるのはわかりきっている。
息を殺してじっとしていると、馬車の扉が蹴破られた。覆面の男と目が合った瞬間、腹部に拳が入った。呻いたぼくは馬車から引きずり出された。
誰かがぼくの名前を呼ぶ。肩に担ぎあげられ、吐き気を抑えて動こうとすれば、首に手刀が入れられた。それきり、意識は暗く闇へと沈んだ。
焚火の音がする。
パチパチと枝が爆ぜる音。温かい思い出の音。
「サフィー⋯⋯」
言葉に出そうとして、口が布で硬く縛られていることに気づいた。両手と両足は縛り上げられていて、動くことが出来ない。
ぼくは、体を丸めて地面に転がっていた。腹と首の後ろに鈍痛が走る。既に辺りは暗く、夜になっていた。
少し離れた場所にある焚火の周りには、男たちが3、4人固まっている。低い話し声がぼそぼそと聞こえてくる。
「⋯⋯まさか、あれに王子が乗っているとは思わなかった」
「貴族の馬車だろうとは思ったが」
「あんな、化け物みたいな護衛がついているなんて、こちらも相当な被害だ」
不思議なことに、彼らの発音に粗野な響きはなかった。訓練された、正確な発音。
そうだ、あれは──。
「⋯⋯は、どうした?」
「まだ意識がもどっていないだろう」
「夜が明ければ、奴らは必ず山狩りを行うだろう。その前にもっと奥に行かねば」
フィスタの三方は山だ。急峻な山の懐に入ったら早々見つけてはもらえない。
男たちの一人が近づいてくる。ぼくは目を閉じて、息を殺した。足を軽く蹴られて、声が出そうになるのを必死で抑えた。気配が去って、体が震える。
焚火の火は熾火になり、男たちは交代で仮眠を取り始めた。
⋯⋯なんとかこの手の紐だけでも外せないだろうか。
後ろ手に固く縛り上げられ、なかなか動かすことが出来ない。
ぼくの近くには、若い男が一人、見張りにつけられていた。高木を背に、立ったままうつらうつらと舟をこいでいる。その男が、突然呻いた。
「ッ!!」
ずるずると根元に崩れ落ちる。
一見すると、ただ眠っているようだ。気を失っているのだろう。
⋯⋯すぐ隣に人の気配がした。
「⋯⋯殿下。お静かに」
「!?」
今まで、何の気配もしなかったのに。
ぼくは体が宙に浮くのを感じた。肩に担ぎあげられている。かさりとも音をたてず、夜の闇の中にぼくたちは紛れた。
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