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Ⅲ.祝福の子
第4話 告白②
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「すごい、すごい! すっごーい!!」
目の前に広がる光景に息が止まりそうになる。
宰相の保有する湖畔屋敷から見える風景は、ぼくの想像をはるかに越えていた。
女神の湖は次々に色が変わる。
澄んだ青から深い青へ。光の差し込む角度によって鮮やかな明るい緑へ。波が穏やかになった時は、鏡のように周りの風景が湖水に映り込む。
空の青、湖水の青、木々が鮮やかな錦を纏う姿を映した鏡面は、見る者の心を打たずにはおかなかった。
「こんなに美しい時期の湖が見られるなんて⋯⋯!!」
「見事な景色だ」
ぼくもシェンバー王子も感嘆の声を上げた。
「以前にもご覧になったことがおありでは?」
「4年に1度の湖上祭のときは、王族はゆっくり見ている暇もありません。日程に追われて、神事をこなすばかりです」
壊れかけの馬車の窓から見える風景に興奮していたのに、湖畔屋敷から見えたのは、その何倍も素晴らしいものだった。白亜の屋敷は湖が一望できる小高い丘の上に建っている。元々、この地は宰相の祖先が治めていた土地だ。
「ここに来られて、本当に良かった」
感激して言えば、ユーディトが微笑む。
「二階の部屋は全室、湖が見られるようになっています。朝と夕方は特に美しいと思います。この部屋はイルマ王子、隣はシェンバー王子にご用意しました。それぞれ続き部屋がございます」
シヴィルがシェンバー王子に向かって言った。
「王子のお部屋はこちらです。私がご案内しますので、どうぞ」
二人きりになった部屋で、ユーディトがはにかむように言った。
「⋯⋯来てくれて、本当に嬉しい」
「ユーディト」
「こんな、細い手首を縛り上げるなんて」
ぼくの両手には痕がついて、既に斑に変色していた。ユーディトは、ぼくの左手を取って、宝でも扱うかのようにそっと口づける。
「⋯⋯早く治るように」
驚いて友人の目を見れば、翡翠色の瞳はいつもとは違う輝きを持っていた。右手にも同じように、痕に沿って口づけられる。
「ユ、ユーディト」
じっと瞳を覗き込まれて慌てた。ユーディトの瞳は、こんな色をしていたんだっけ?
美しい瞳には情欲の色が混じっているように見えた。
包みこまれるように両手を握られる。
「イルマがここにいてくれる間は、何不自由なく暮らしてほしい。してほしいことは、全部俺がするから。なんでも言ってくれ」
いつもと違う友人の口調に、とまどってしまう。なんで、こんなに甘いんだ。
「う、うん⋯⋯」
「イルマ⋯⋯」
甘い⋯⋯あまい。
「ああっ!」
「!?」
「さっきの! シヴィル!!」
「シヴィル?」
「思い出した! 庭園の四阿にいた!! 彼だよね?」
ユーディトの顔は、この上なく歪んだ。
⋯⋯悪いことを言ったのかもしれない。
夕食の席のユーディトは静かだった。
料理人が心を込めて作ってくれた食事はとても美味しい。釣ったばかりだと言う湖の魚は、シェンバー王子も絶賛している。
「ユーディト様?」
シヴィルが怪訝そうな顔でユーディトを見た。
ユーディトは、はっとしたように笑顔を作る。
⋯⋯ぼくのせいだ。
夕食後に、ぼくはユーディトに声を掛けた。
「ごめん。ぼく、余計なことを言ったよね。以前、忘れてほしいと言われていたのに」
「⋯⋯いや、いいんだ。俺がいけないんだ。もっと前からちゃんと伝えておくべきだった」
ユーディトは、思いつめたように言った。
「イルマ。聞いてほしい話があるんだ⋯⋯。俺の部屋に来てもらってもいいだろうか」
ぼくは、黙って頷いた。
ユーディトの部屋は、一階の端にある。大きな窓とすぐに外に出ることのできる扉。雄大な湖の風景を朝に晩に眺めることが出来る部屋には、燭蝋が幾つも灯されていた。
白壁の部屋に穏やかな明かりが揺れる。持ち主の温かさに相応しい優しい光だった。
丁重に部屋の中に招き入れられ、広々とした部屋の絹張りの椅子に座る。ユーディトは向かい側の椅子に腰を下ろし、葡萄酒を手にした。
「少し飲む?」
「⋯⋯じゃあ、少しだけ」
ユーディトは淡く微笑んだ。どこか緊張しているようにも見える。
側に仕えている侍従の姿がないところを見ると、人払いがされたようだった。
二つの銀器に少しずつ葡萄酒が注がれた。赤紫の美しい色が広がる。
「乾杯」
舐めるように少しだけ口にしたぼくは、まるで花のような柔らかな香りに驚いた。
「飲みやすいし⋯⋯甘い?」
「これならイルマも飲めるかと思って」
「うん。美味しい」
「今年、領内で出来たばかりの物の中から選んだんだ。華やかで飲み口もいい」
城で出されるものよりずっと軽やかな味わいに、こくこくと飲み進んだ。
嬉しそうに微笑むユーディトの端正な顔を見ながら、昔のことを思い出す。
「⋯⋯ぼくは酒が苦手で、あまり飲めなくて。学校で無理やり勧められたときは、いつもユーディトが代わりに飲んでくれたんだよね」
「役得だった。美味しい酒が飲めて、イルマにも感謝してもらえて」
確かにユーディトは酒に強かったけれど、飲みたがる姿を見たことがない。さりげなく、いつも気遣ってもらっていた。
「ありがとう。いつも庇ってくれて。⋯⋯ぼくも、ユーディトの役に立てたらと思うんだ」
ぼくは、シヴィルのことを思い出して小さく言った。
ユーディトが息を呑んだ。
「⋯⋯イルマ。さっきの話なんだけど」
「うん?」
「俺とシヴィルは、本当にただの従兄弟同士で恋人じゃないんだ」
真剣な口調で言われて、ぼくはユーディトと瞳を合わせる。
⋯⋯葡萄酒の酔いが回って、なんだか頭がふわふわする。
「二人きりで⋯⋯抱き合っていたのに?」
「あれは⋯⋯誤解なんだ。ちょっと練習をしていただけで」
れんしゅう?⋯⋯ああ、ダメだ。馬車の疲れもあるのかな。急速に眠気がやってくる。
「俺が好きなのは⋯⋯昔も、今も。一人だけだ」
⋯⋯ひとりだけって、ユーディトらしいな⋯⋯。
「⋯⋯ずっと、イルマだけだ」
⋯⋯⋯⋯。
「イルマ? ⋯⋯イルマ!? ⋯⋯寝てる!! えええっっ。イルマ―!!!!!」
目の前に広がる光景に息が止まりそうになる。
宰相の保有する湖畔屋敷から見える風景は、ぼくの想像をはるかに越えていた。
女神の湖は次々に色が変わる。
澄んだ青から深い青へ。光の差し込む角度によって鮮やかな明るい緑へ。波が穏やかになった時は、鏡のように周りの風景が湖水に映り込む。
空の青、湖水の青、木々が鮮やかな錦を纏う姿を映した鏡面は、見る者の心を打たずにはおかなかった。
「こんなに美しい時期の湖が見られるなんて⋯⋯!!」
「見事な景色だ」
ぼくもシェンバー王子も感嘆の声を上げた。
「以前にもご覧になったことがおありでは?」
「4年に1度の湖上祭のときは、王族はゆっくり見ている暇もありません。日程に追われて、神事をこなすばかりです」
壊れかけの馬車の窓から見える風景に興奮していたのに、湖畔屋敷から見えたのは、その何倍も素晴らしいものだった。白亜の屋敷は湖が一望できる小高い丘の上に建っている。元々、この地は宰相の祖先が治めていた土地だ。
「ここに来られて、本当に良かった」
感激して言えば、ユーディトが微笑む。
「二階の部屋は全室、湖が見られるようになっています。朝と夕方は特に美しいと思います。この部屋はイルマ王子、隣はシェンバー王子にご用意しました。それぞれ続き部屋がございます」
シヴィルがシェンバー王子に向かって言った。
「王子のお部屋はこちらです。私がご案内しますので、どうぞ」
二人きりになった部屋で、ユーディトがはにかむように言った。
「⋯⋯来てくれて、本当に嬉しい」
「ユーディト」
「こんな、細い手首を縛り上げるなんて」
ぼくの両手には痕がついて、既に斑に変色していた。ユーディトは、ぼくの左手を取って、宝でも扱うかのようにそっと口づける。
「⋯⋯早く治るように」
驚いて友人の目を見れば、翡翠色の瞳はいつもとは違う輝きを持っていた。右手にも同じように、痕に沿って口づけられる。
「ユ、ユーディト」
じっと瞳を覗き込まれて慌てた。ユーディトの瞳は、こんな色をしていたんだっけ?
美しい瞳には情欲の色が混じっているように見えた。
包みこまれるように両手を握られる。
「イルマがここにいてくれる間は、何不自由なく暮らしてほしい。してほしいことは、全部俺がするから。なんでも言ってくれ」
いつもと違う友人の口調に、とまどってしまう。なんで、こんなに甘いんだ。
「う、うん⋯⋯」
「イルマ⋯⋯」
甘い⋯⋯あまい。
「ああっ!」
「!?」
「さっきの! シヴィル!!」
「シヴィル?」
「思い出した! 庭園の四阿にいた!! 彼だよね?」
ユーディトの顔は、この上なく歪んだ。
⋯⋯悪いことを言ったのかもしれない。
夕食の席のユーディトは静かだった。
料理人が心を込めて作ってくれた食事はとても美味しい。釣ったばかりだと言う湖の魚は、シェンバー王子も絶賛している。
「ユーディト様?」
シヴィルが怪訝そうな顔でユーディトを見た。
ユーディトは、はっとしたように笑顔を作る。
⋯⋯ぼくのせいだ。
夕食後に、ぼくはユーディトに声を掛けた。
「ごめん。ぼく、余計なことを言ったよね。以前、忘れてほしいと言われていたのに」
「⋯⋯いや、いいんだ。俺がいけないんだ。もっと前からちゃんと伝えておくべきだった」
ユーディトは、思いつめたように言った。
「イルマ。聞いてほしい話があるんだ⋯⋯。俺の部屋に来てもらってもいいだろうか」
ぼくは、黙って頷いた。
ユーディトの部屋は、一階の端にある。大きな窓とすぐに外に出ることのできる扉。雄大な湖の風景を朝に晩に眺めることが出来る部屋には、燭蝋が幾つも灯されていた。
白壁の部屋に穏やかな明かりが揺れる。持ち主の温かさに相応しい優しい光だった。
丁重に部屋の中に招き入れられ、広々とした部屋の絹張りの椅子に座る。ユーディトは向かい側の椅子に腰を下ろし、葡萄酒を手にした。
「少し飲む?」
「⋯⋯じゃあ、少しだけ」
ユーディトは淡く微笑んだ。どこか緊張しているようにも見える。
側に仕えている侍従の姿がないところを見ると、人払いがされたようだった。
二つの銀器に少しずつ葡萄酒が注がれた。赤紫の美しい色が広がる。
「乾杯」
舐めるように少しだけ口にしたぼくは、まるで花のような柔らかな香りに驚いた。
「飲みやすいし⋯⋯甘い?」
「これならイルマも飲めるかと思って」
「うん。美味しい」
「今年、領内で出来たばかりの物の中から選んだんだ。華やかで飲み口もいい」
城で出されるものよりずっと軽やかな味わいに、こくこくと飲み進んだ。
嬉しそうに微笑むユーディトの端正な顔を見ながら、昔のことを思い出す。
「⋯⋯ぼくは酒が苦手で、あまり飲めなくて。学校で無理やり勧められたときは、いつもユーディトが代わりに飲んでくれたんだよね」
「役得だった。美味しい酒が飲めて、イルマにも感謝してもらえて」
確かにユーディトは酒に強かったけれど、飲みたがる姿を見たことがない。さりげなく、いつも気遣ってもらっていた。
「ありがとう。いつも庇ってくれて。⋯⋯ぼくも、ユーディトの役に立てたらと思うんだ」
ぼくは、シヴィルのことを思い出して小さく言った。
ユーディトが息を呑んだ。
「⋯⋯イルマ。さっきの話なんだけど」
「うん?」
「俺とシヴィルは、本当にただの従兄弟同士で恋人じゃないんだ」
真剣な口調で言われて、ぼくはユーディトと瞳を合わせる。
⋯⋯葡萄酒の酔いが回って、なんだか頭がふわふわする。
「二人きりで⋯⋯抱き合っていたのに?」
「あれは⋯⋯誤解なんだ。ちょっと練習をしていただけで」
れんしゅう?⋯⋯ああ、ダメだ。馬車の疲れもあるのかな。急速に眠気がやってくる。
「俺が好きなのは⋯⋯昔も、今も。一人だけだ」
⋯⋯ひとりだけって、ユーディトらしいな⋯⋯。
「⋯⋯ずっと、イルマだけだ」
⋯⋯⋯⋯。
「イルマ? ⋯⋯イルマ!? ⋯⋯寝てる!! えええっっ。イルマ―!!!!!」
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