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Ⅳ.道行き
第4話 一年②
しおりを挟むユーディトと話し終えて、セツはイルマ王子の部屋に戻る。
──イルマ様のお部屋も、少しずつ暖かく整えなくては。
「セツ様、ぼくが取りますよ」
棚の上段にあった荷物をとろうと苦心していると、部屋に入ってきたレイが言う。
レイの目線は、いつのまにかセツよりも上になった。セツは、そんなレイをしみじみと見つめる。
この一年で、レイは侍従として成長した。おどおどして引っ込み思案だった少年はもういない。声変わりもして、すっかり以前とは変わっていた。
──弟のように可愛がってきたのに、何だか寂しい。
「レイ、また少し大きくなった?」
「え? あ、本当だ。どうりで服の丈が合わないわけです」
「このままじゃ、いずれは見上げるようになりそう」
「ぼ、ぼく! 今よりもっと大きくなりたいです!!」
「ええー。なんだか複雑うう⋯⋯」
頬を上気させて、レイはにこにこ笑っている。
明るいその笑顔にどんなに救われてきたか、セツ自身もわかってはいなかった。
「ねえ、セツ様」
「ん?」
「サフィード様は、お元気でお過ごしでしょうか」
セツは、答えずに窓の外を見た。青く澄んだ空は湖の色を思い出させる。
答えのないセツの視線を追うように、レイも外を見る。真っ黒な鳥が一羽、はばたいていった。
湖畔の村に、少年の声が大きく響く。
「サフィー!! まだ潜ってたの?」
「ああ」
「すっごいなあ! こんなに長いこと潜れる奴なんて、村にもいないよ」
少年の目が、きらきらと輝いた。
水はすっかり冷たくなり、この時期に湖に入る者などいない。
陸に上がった体は全身が冷え、手足は泥のように重かった。一日の内に水に潜れる回数は、どんどん減っていく。
サフィードは、布で体を拭き、岸に置いていた服を手早く身に着ける。
「サフィー、はい」
「ありがとう、ラダ。助かるよ」
イルマ王子との釣りで知り合った年嵩の少年は、名をラダと言った。
少年が手渡してくれたのは、温めた葡萄酒だった。少しずつ飲めば、体が徐々に熱を取り戻す。
湖畔の村に住む者たちは親切だ。葡萄酒はラダの母親がこっそり、息子に手渡してくれたのだろう。
季節に関係なく湖に入るサフィードに最初は皆、目を剝いた。いくら反対しても無駄だと知ると、今はもう好きにさせてくれている。
「ねえ、サフィー。もうじき『女神の刺繍』は終わる。そうしたら、また冬が来るよ」
ラダの顔が心配気に曇る。まだ、湖に入るのか。そう書いてあった。
「⋯⋯もう、湖には入れない季節になるな」
「うん」
ほっとした顔を見て、サフィードは、思わず苦笑する。
こんな子どもにまで心配をかけていることに、騎士の胸は痛んだ。
◇◆
春や夏とは違う。もうじき晩秋だ。その後は、冬がやってくる。
城を離れてこの地にやってきた、冬が。
死を賜ることは叶わなかった。
イルマ王子を守るために生きてきた。そんな自分が、王子を目の前で失ったというのに。
それどころか、陛下は仰ったのだ。
「『祝福の子』の守護騎士は御子がいなくなった後、何人も罪には問わぬ」
罪が何なのか、誰に言われなくとも自分が一番わかっている。
王子を守れなかった己こそが、罪なのだ。
一日の内、いつ眠って、いつ起きているのか。闇の中で何度も目を覚ます。
目を閉じても、瞼に浮かぶのは金色の水に包まれたイルマ王子の御姿だけだ。
王宮の『女神の間』には、大理石で作られた女神の像がある。
“あなた方の悩みや悲しみを全て受けとめます。そして、私の喜びを差し出しましょう”
女神はそう言って、人々に慈悲の手を差し出す。
「女神よ。では、私の喜びをお返しください。貴女が抱いた私たちの王子を、どうぞその御手からお返しください!」
窓からさす朝陽に、宵闇の中の月明かりに。ただ静かに微笑む女神が浮かぶ。
何度祈りを繰り返しても、天には届かない。
ならば。
イルマ様、私の居る場所は貴方のおられる場所。たとえそこが、水底の世界だとしても。
「何卒、守護騎士を返上する許可をお与えください」
王の間で再び請えば、陛下の答えは否だった。
「それは許さぬ。イルマからの言伝だ」
「陛下。今、何と!?」
「イルマが書状を残していた。たとえ自分がいなくなっても、サフィードの守護騎士の任は解くなと」
衝撃に身が震えた。
「其方は、イルマの元に行きたいのであろう。だが、イルマの望みは違う。⋯⋯水底の世界ではなく、現世に生きよ、サフィード」
王の青い双眸は、冬の湖よりも静かに凪いでいる。
イルマ王子の笑顔が浮かぶ。
『サフィード、ぼくの守護騎士。お前以外に、ぼくの騎士はいない』
⋯⋯イルマ様。
貴方を守れなかったこの身を、まだ守護騎士とお呼びくださいますか。
止めようと思っても、頬を伝わる涙を止めることは出来なかった。
「其方に、湖畔屋敷の守りを頼みたい」
無為に日々を重ねていた時に、ユーディト様から依頼を受けた。
「⋯⋯人手が足りなくてな。本当は私が行きたいところだが、父の補佐が忙しい。頼めるか?」
一も二もなく頷いた。
粉雪が舞う中をただ一人、栗毛の馬に乗って、王城を後にした。
せめて、イルマ様の近くへ⋯⋯。ただそれだけが、心の縁だった。
◇◆
「ラウド殿下が戻られたって!?」
「ええ、ただいま陛下の元にいらっしゃるそうです」
その知らせは、王宮に久方ぶりの晴れやかな空気を運んできた。
フィスタの第3王子ラウドは、他の王子たちよりも長い間、他国に留学していた。
まるで渡り鳥のように、数ヶ月暮らしては、次の国へと旅立っていく。そんな生活を四年も続けて、ようやく祖国に帰ってきたのだ。
「ラウド、よくぞ戻った」
「御無沙汰しております、陛下。フィスタは変わりなく実り多き様子。何よりと存じます」
「⋯⋯実りは多く、国は安泰だ。だが失われたものの大きさに、今だ耐えることが出来ぬ」
「イルマのことは聞きました。母上は、ようやく落ち着かれたとも」
国王は黙って頷いた。
「お耳に入れたき話がございます。どうぞ、お人払いを」
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