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Ⅳ.道行き
第15話 決断①
しおりを挟む夜明け前の空は暗い。
窓を開ければ、鼻や喉を刺すような冷たい空気が入ってくる。
ぼくは普段より早く目覚めて、部屋を出た。
人々が少しずつ動き出している。
一人で女神への祈りを捧げた。
目の前の女神の表情は穏やかで、どんな時も人々を優しく見守っている。
女神様。
ぼくは、あまりにも無知でした。
貴女のところから戻ってきたというのに、どうしてこんなに迷うことばかりなんでしょう。
朝食前に厩に向かう。
そこには、スターディアから連れ帰った白馬がいる。
ぼくがいなかった間、ずっと元気がなかった白馬。
誰にも懐かなかった白馬。
一年ぶりに戻ってきた時。ぼくの姿を見て、白馬は真っ先に、鼻づらを摺り寄せてきた。
「⋯⋯ごめん、ごめんね。ずっと待っていてくれたんだね」
たてがみを撫でれば、丸い瞳に光が宿った。その日から少しずつ元のように食べるようになって、馬丁たちを喜ばせた。
「おはよう。元気だった?」
白馬に向かって声を掛ければ、近くに人の気配がした。
「殿下?」
「サフィー⋯⋯」
黒髪の騎士は、優しく微笑んだ。
白馬の近くには、栗毛の馬たちがいる。
サフィードは、スターディアから連れ帰った一頭を自分の馬にしていた。
湖畔屋敷にも連れて行った栗毛は、今は王宮の厩で過ごしている。
近衛の馬たちは皆、騎士棟に近い専用の厩にいるが、サフィードは自分の栗毛を白馬の近くに連れてきていた。
「サフィーはいつも、ここに来ていたの?」
サフィードが頷く。
「毎朝、様子を見に来ていました。殿下がいらっしゃらない間、白馬が元気がないと聞いたのです。他の馬と離して、栗毛たちを近くにしたらどうかと馬丁たちに言いました」
白馬は、ぼくに近づいてくる。鼻づらを撫でれば、長いまつ毛を伏せて、目を細めている。
「⋯⋯馬たちも少しは効果があったようですが。殿下がお戻りになったことが一番良かったのでしょう」
サフィードの言葉に、何とも言えない気持ちになる。
一年。
ぼくがいなかった間に、確かに時は流れていた。
「サフィード、この子と遠乗りをしてもいいかな?」
「⋯⋯お待ちください。用意して参ります」
サフィードと共に、城を離れて丘を駆けた。
太陽が燦然と光を放ち、見る間に周りの色を塗り替えていく。
吸い込む空気は冷たく、鼻も耳もぴりぴりと痛む。
白馬たちの体からは、湯気があがっていた。
馬に乗ったのは、久しぶりだった。
幼いぼくに、懇切丁寧に馬の乗り方や接し方を教えてくれたのはサフィードだ。
『馬は賢い。友人に接するような気持ちで、親愛を込めて話しかけるのがよろしいでしょう』
当時のぼくには、友人と言えるような相手がいなかった。
『ねえ、サフィー。じゃあ、サフィーやセツと同じように話しかければいいの?』
そう問えば、サフィードは困ったように微笑み、頷いてくれた。
細い川の近くで馬たちを止めた。
二頭は、水を飲みに川辺へ近づいていく。
朝露が降りた草の上に腰を下ろした。
「殿下、これを」
サフィードが自分の纏っていた外套を脱いで、ぼくに渡そうとする。
「草の上は冷えます。不躾かとは思いますが、どうぞお使いください」
「姫君じゃないんだから、草の上ぐらい平気だよ。⋯⋯脱いだら、サフィーの方が寒いでしょ」
騎士が明らかに不満そうな顔をしているので、仕方ない。
ぼくは、サフィードの外套を折り畳み、草の上に置く。
自分が座った横に、騎士を手招いた。
「サフィー、ここ! 隣に座って」
「いえ、私はこちらで」
離れて腰を下ろそうとするサフィードの手を引き寄せた。
「殿下!!」
慌てふためく騎士を無理やり自分の隣に座らせながら、ぼくは言った。
「ねえ、サフィー。ぼくは、もう一度スターディアに行こうと思う」
騎士が、凛々しい眉を顰める。
「殿下!? 一体、何と仰せですか?」
「⋯⋯シェンバー王子は、目が見えないんだ」
サフィードの瞳が驚愕に見開かれる。
「湖上祭の時に、シェンバー王子とサフィーが道を渡って来てくれただろう? 『祝福の子はいらない』そう叫んだ王子の瞳を、女神の光が貫いた。焼かれた瞳は白銀に変わり、もう世界を映さない」
衝撃に黙り込むサフィードに、ぼくは言った。
「ぼくは、王子の目になる」
「お断りします」
シェンバー王子は、きっぱりと言った。
「同情は、いりません」
美貌の王子の言葉は、刃物よりも鋭利だった。
柳眉は上がり、白銀の瞳は氷のように輝く。
形のいい唇から紡がれる言葉は酷薄で、女性なら卒倒しそうだ。
部屋の中は沈黙に包まれている。
応接室には、ぼくとセツにサフィード、シェンバー王子とレイが向かい合っていた。
その中で、セツが一番先に口を開いた。
「な、なななななんで! イルマ殿下がどんな気持ちでお心を決めたと思って!!!」
シェンバー王子は、セツの言葉を無視して言った。
「イルマ殿下。目が見えない私は、スターディアでは価値がないものとされるでしょう。騎士団を統轄することもできず、王太子の盾となることもできず。それでも、私は女神に申し上げたことを後悔していません。この国に来たことも、です」
王子は大きく息を吐く。
「女神は、この命まではお取り上げにならなかった。ならば、この生にも意味があるのでしょう。何ができるかはわかりませんが、貴方が気に病むことはない」
「私がお側におります」
レイが震える声で言う。
「ご心配はいりません。国に帰っても、王子には何もご不自由がないよう、私が⋯⋯」
「⋯⋯同情じゃ、ない」
ぼくは、必死で言葉を絞り出した。
「では、何です? 愛情だとでも仰るのですか?」
「⋯⋯」
「イルマ殿下。私が好きでしたことです。どうぞお気になさらず」
シェンバー王子の言葉には、はっきりと拒絶の意志があった。
◇◆
「あれは⋯⋯、どうかと思うぞ」
「こじれてるんですかね、あの二人」
扉の隙間から覗き込んでいた二人の王子は呟いた。
「⋯⋯イルマが、フィスタを離れるなんて!」
王子たちの後ろにいた王太子の弱々しい声が続く。
「アレイド兄上、イルマはシェンバー王子に断られたんですよ。ちゃんと目を開けて見ていらっしゃいますか?」
ラウド王子は後ろを振り返り、長兄に呆れた声で言った。
「ほら、すっかりしょげ返ってますよ」
王子たちの目に、丸まった栗鼠のような弟の姿がうつった。
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