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第四部 婚礼
第4話 恋は病②
しおりを挟む柔らかな唇を味わうように、シェンバーがそっと舌を伸ばす。つんと舌先を軽くつつかれ、やわやわと食まれるうちに、イルマの眠気が吹き飛んでいく。
瑠璃色の瞳が間近に飛び込んできて、イルマの心臓がドクンと大きく跳ねた。
『目は口ほどに物を言う』
不意に、子どもの頃からよく聞かされた言葉がイルマの脳裏に浮かぶ。それなら、シェンバーの囁く言葉は、たった一つだ。吸い込まれる様に美しい瞳は、真っ直ぐにイルマに心を伝える。
──好きだ。
⋯⋯確かに恋は、病だ。
心の奥深くにいつの間にか巣食って、自分を支配してしまう。何も知らなかった頃には、もう戻れない。胸の奥が強く痛んで、どうしようもなく苦しい。苦しいのが嫌なら止めてしまえばいいと思うのに、自分ではその痛みを取り除くことも出来ない。
シェンバーの瞳から目を逸らして、イルマはため息をついた。
「⋯⋯ぼくは、姉上のように面食いじゃないはずなんだけど」
「イルマ?」
「昔、兄に言われた言葉を思い出したんだよ。美人はすぐに飽きるって聞いたけど、あれは嘘だ。シェンはとびきり綺麗だけど、全然そんなことないもの」
シェンバーは、即座に言葉を返すことが出来なかった。自分の容貌を賛美されたことは数え切れないほどあったけれど、イルマに言われるのはまた違う。
「イルマは、⋯⋯私の顔が好ましいと思う?」
「シェンは、女神に愛された人だと思う。フィスタでは、容貌の美しい者や才のある者をそう呼ぶんだ」
「真に女神に愛された者に言われるとは思わなかった。いや、私にとって大事なのは、女神じゃなくてイルマがどう思ってるかってことなんだ」
シェンバーは自分の不敬な発言に気づいているのだろうか。イルマは女神に心の中で許しを請うた。
「綺麗なものは好きだよ。でも、シェンは、⋯⋯シェンだから好き」
絡めた指も口づけも、全てが熱かった。イルマはシェンバーの首に手を回し、シェンバーはイルマの体を長椅子にゆっくりと横たえる。流れるようにイルマの服を剥ごうとして、シェンバーはぴたりと手を止めた。
「⋯⋯イルマ、この流れはまずいと思う」
「えっ?」
「このところ、イルマも寝不足だろう。婚儀まで体調を整えるのは大事なことだ」
「え⋯⋯。あ、うん」
真面目に自分の体を心配するシェンバーに、イルマは急に恥ずかしくなった。何だか自分ばかりどきどきして盛り上がっていたような気がする。思わず首に回した手を外そうとすると、強く抱きしめられた。
「⋯⋯シェン」
「離れないで、イルマ。我が儘を言ってるのはわかるんだ。⋯⋯でも」
耳元で囁くシェンバーの言葉は、イルマには甘い毒だ。昂る自分を押さえるのが苦しい。互いに体を抱きしめたまま、二人は長い間、動けずにいた。
首に回ったイルマの手から力が抜けたのに気づいた時、シェンバーはゆっくりと体を離した。眠っているイルマの目尻に小さく光るものがある。やるせない気持ちで口づけを落とし、そっとベッドに運んだ。大切な大切な宝を運ぶように。
イルマが目を開けた時、シェンバーはイルマの背に手を回したまま、ぐっすり眠っていた。
未だ朝の光の入らない部屋は、夜明け前に違いない。吸い込んだ空気は冷たいのに、腕の中は暖かなままだ。起きようと思っているのに、なかなか離れられない。イルマは暫くの間、じっとしていた。
⋯⋯ゆうべ、自分はいつの間に寝台に向かったのだろう。
逞しい腕が運んでくれたのだろうと思うと、自然にイルマの口許に笑みが浮かんだ。
「おはよう。⋯⋯シェン」
シェンバーは人の気配に聡い。柔らかな寝息をたてている姿を、以前はろくに見たことがなかった。それは幼い頃からの訓練の賜物だと聞いている。
⋯⋯自分の前で寝息をたてる姿を見るようになったのは、いつからだったのか。
「今は、安心してくれてるのかな」
閉じた瞼が開けば、夜明け前の空の色が目の前に広がる。深い色を湛えた煌めく瞳を、何度見ても美しいと思う。
イルマはシェンバーの頬にそっと口づける。名残惜しい気持ちを振り切って、静かにベッドを抜け出した。
婚姻の儀が近づくにつれて、国全体が華やかに、浮かれた雰囲気になっていく。
大国であるスターディアの王子と圧倒的な尊崇を集める女神の国の王子。二人の婚姻に、諸国からは、たくさんの祝辞が贈られた。
スターディアと姻戚関係を結びたがった国々の中には、第二王子の伴侶が男だと知ると側妃を送り込もうとする動きもあった。しかし、ことごとく断られ、大国の不興を買うのを恐れて話は立ち消えた。
王宮の一部に招待客たちの宿泊先が用意され、祝賀の空気はいや増すばかりだ。
当日まであと十日と日が迫っていた。
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