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第四部 婚礼
第28話 我が道を②
しおりを挟む四阿に柔らかな風が吹く。風に吹かれて満開の花々が揺れた。ルチアの言葉も静かに風に乗って流れていく。
「⋯⋯何を選んでも後悔はつきものです。別れの日ですら突然やってきます。せめて、あの時精一杯のことをしたと思えたなら、人は生きていけるものです」
別れの日ですら突然やってくる。
サフィードの心に、女神の湖で消えたイルマの姿が浮かんだ。主を探し求めた日々は、血を吐くような日々だった。あの時自分は何を支えに生きたのか。
もう一度、イルマ王子に会うのだと。そして、残る生涯かけて殿下に再び忠誠を誓い、お側にいるのだと⋯⋯。
それだけを願って生きたのではなかったか。
「ルチア様。私は⋯⋯、己を見失っていたのかもしれません。行く先は唯一つであったはずなのに」
「生きることは迷うことと同義でしょう。だからこそ、何度も問い直すのだと思います。これでよいのかと。悩んだ果てに答えが得られたならば、それこそが幸いというものです」
碧青の瞳は穏やかに輝いていた。ああ、そうだったとサフィードは思い出す。王子の乳母は、たくさんの言葉や知恵を王子に与えた。そして、最後に必ず付け加えた。
『ご自分でお考えになるのですよ、イルマ様。迷っても、止まっても、またご自分の足で歩きだせるように』
日々、イルマ王子の側で耳にするうちに、その言葉は自分の中にもしみわたっていたはずだった。サフィードの心は、まるで霧が晴れたように開け、己の進む道がはっきりと見えていた。
「⋯⋯答えは、見つかりましたか?」
「はい。見つかったと思います」
「では、教えて差し上げたらよろしいでしょうね。きっと、ずっと心配で仕方がなかったと思いますから」
「⋯⋯えっ?」
ルチアは笑顔で、四阿の外に視線を移す。サフィードもつられて、そちらを見た。近衛騎士のシノワがいつの間にか、茂みの前で身を屈めている。
「⋯⋯そろそろ、よろしいかと思いますよ」
「でも、でも、今出て言ったら、立ち聞きしてたみたいじゃないか!」
「今更ですよ、イルマ様。こんなところに隠れてるんですから、そう思われても仕方がありません」
「セツが、大事な話のようだから、少し待てって言ったんじゃないか!」
「殿下、もう少し、お声を抑えませんと⋯⋯」
茂みの陰にしゃがみこんでいるのは、イルマとセツのようだった。小柄な二人の姿は四阿からは見えないが、騒いでいる声は風に乗って切れ切れに流れてくる。
「⋯⋯丸聞こえですわね」
ルチアが楽しそうに笑う。サフィードは、ゆっくりと立ちあがった。
サフィードが近づくと、気配に気づいた近衛騎士が微笑んだ。茂みの陰には下を向いてしゃがみこむ主従がいる。小声で話す二人は、いつの間にか地に目を向けていた。
「あッ! これ懐かしい。子どもの時、さんざん転がした」
「この虫、どこにでもいるんですね。あれ、丸くならない⋯⋯」
「セツって虫、苦手そうに見えるのに全然平気だよね。えーと、たしか種類が違うんだよ」
⋯⋯サフィーは、よくしってるねえ。
自分の手を取って、引っ張っていった小さな手がよみがえる。きらきらした瞳が、小さな手が。間違いなく、我が道を導いていたはずだった。
「⋯⋯見分けることは、出来るようになりましたか?」
「えっ。あっ!」
イルマとセツは、まさに飛び上がらんばかりだった。真ん丸な目の二人にサフィードも目を瞬く。初めて二人に会った時の幼い面影が透けて見えるようだった。
「⋯⋯わ、わかってたつもりなんだけど、久しぶりで。ちょっと⋯⋯、自信がない」
「私も久々で、見間違えるかもしれません」
「⋯⋯も、もう一度、教えてくれる?」
「何度でも、喜んで」
サフィードの口元に微笑みが浮かんだ。イルマの目尻が下がって、こくんと頷く。守護騎士は、主たちと一緒に木陰にしゃがみこんだ。
近衛騎士のシノワは、三人から離れて、四阿で休む母に声を掛けた。
「天下に並ぶもののない守護騎士と祝福の子が⋯⋯、何をなさっておいでなのでしょう。セツも止める様子もないし」
「⋯⋯結びなおしているのよ」
「結ぶ?」
「どんなに固く見える絆も、ふとしたことで解けるもの。⋯⋯シノワ、あの子たちは今、もう一度、互いの心を繋ごうとしているのです」
シノワは整った眉を下げて、うーんと唸った。
「⋯⋯虫を転がしながら?」
「そう。いつだって、野に学ぶことはあるものよ」
母の笑顔を見ながら、シノワは四阿からは見えない三人を思う。何度解けようとも彼らは互いの道を繋ごうとするのだろう。それはひどく眩しく、羨ましいことのように思われた。
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