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第四部 婚礼
第34話 それぞれに②
しおりを挟む「ユーディトがいれば、この先もフィスタは安心だね」
「ありがとう。そんな言葉を聞いたら、頑張らないわけにはいかないな」
ユーディトの口調が昔のようにくだけたものに変わり、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「ユーディトは、すごく逞しくなったね」
「そうだろうか? 自分ではそんなに変わったつもりがない。ああ、でも父に怒鳴られるのをかわすのはうまくなったと思う」
イルマは声を上げて笑った。
「以前は、真面目な分だけ抱え込んでつらそうに見えた。今は自信に満ちてとても素敵だ。アディ―ロも安心して後を任せられるね」
「⋯⋯そんなことはない。父のようになるには、まだまだだ。私もラウド殿下のように諸外国の様子を実際に目にすることができたらいいんだが。でも、イルマの招待のおかげで、たくさんのことを学べた。普段は縁のない国々と交流を持つこともできて、感謝している。ありがとう」
「こちらこそ。ユーディトが来てくれて、本当に嬉しい。ずっと会いたかったんだ」
翡翠の瞳は、ちらりと悪戯な輝きを見せた。一瞬、躊躇した後に、イルマの耳元で小さく告げる。
「⋯⋯嬉しいな。私はまだ、こうしてイルマを見ると、どきどきする」
「えっ?」
眩しげに、ユーディトは目を細めた。
「招待を受けるのは、勇気がいることだった。それでも、スターディアに来て、イルマの門出を祝えて良かった」
晴れやかな笑顔に、イルマは胸がいっぱいになった。
「おめでとう、イルマ。フィスタに帰っても、イルマの幸せを心から願っている」
「⋯⋯ありがとう。ユーディト」
年月を経ても、大切な友人であることに変わりはない。王立学校で学んだ日々を、誰よりも近くで支え、人と過ごす大切さをイルマに教えてくれたのはユーディトだった。
「ぼくはずっと、ユーディトに支えられてきた。本当に、君が」
好きだ、と言う言葉をイルマは飲み込んだ。
「イルマの一番の友人の座はずっと空けておいてほしい」
「⋯⋯約束する。ユーディト以外にいない」
それだけで十分だ、と優しい言葉が返ってきた。イルマは暖かな陽射しのような笑顔を心に焼き付けた。そして、自分も微笑んだ。ユーディトへの言葉にならない感謝をこめて。
二人の間に、懐かしい思い出が幾つも舞い降りては通り過ぎる。それはこれからも、変わらず日々を支えていくだろう。
「なかなか積年の思いを振り切るのは難しいな、シヴィル」
「⋯⋯大事になさればよろしいではありませんか。私から見れば、羨ましい気もしますよ。ただお一人を大切に思うお気持ちが」
「⋯⋯ありがとう」
一度も自分の思いを否定したことがない従兄弟に、ユーディトは改めて礼を告げた。シヴィルは照れくさそうに笑う。
一組の婚姻は、様々な人々に人生の選択を与える。宰相の息子もまた、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
フィスタの国王とユーディトたちの帰国は、婚姻の儀から十日後、他の王侯が全て旅立った後と決まった。時を同じくして、ラウド王子も出立を決めた。
父王から許可を得たラウド王子は喜び、イルマは兄に幾許かの心付けを渡した。
「兄上はもっと早くに出発されるかと思いました」
「流石に父上を見送らずに出発するわけには行かないだろう。ここに長居するのも悪いし」
兄の微妙な気遣いに、イルマは何とも言えない気持ちになる。
「そうそう、前にお前が送ってくれた笛だが、あれはいいな。旅の慰めにぴったりだ」
「使ってくださっていたのですか」
「最初は音を出すのが難しかったが、楽師を呼んで学んだ。今も持っている」
イルマは、兄の言葉が嬉しかった。幼い頃、城から出なかったイルマに『外』を教えたのはこの兄だ。異国の本を何冊も読み聞かせ、商人から手に入れた珍しい品々を見せてくれた。兄の旅の共にしてもらえるのは嬉しい。
「兄上⋯⋯、ありがとうございました」
「何だ、いきなり」
「ぼくが女神の元から帰ってこれたのは兄上のおかげだから⋯⋯」
しんみりした弟の頭に、兄はぽんと大きな手を乗せた。
「俺の力だけじゃない。お前はもう、俺への恩は果たしたんだ。この先はシェンバー殿下と睦まじく生きろ」
イルマは、まるで子ども時代に戻ったように、こくこくと頷く。兄は眉を下げて、弟の髪をぐしゃぐしゃにした。
十日後。
出立に際し、二国の王は別れを惜しんだ。互いの幸を祈り、両国の一層の結束を誓う。
フィスタの国王は、見送る者たちを一通り眺めてため息をついた。
「我が国の誉れと言われた騎士を連れ帰るどころか、我が子すら共に帰らぬとは。だが、これも女神の思し召しだろう。皆、息災でな」
サフィードとラウドは王に深々と礼をした。
父と兄、親友たちを見送るイルマは、涙を堪えるのに必死だった。
別れる時は笑顔で、とは誰の言葉だったか。最後に見た姿は心に残る。それを涙にするわけにはいかない。
イルマの手が、そっと握られた。傍らに立つ瑠璃色の瞳が穏やかに自分を見つめている。
道はそれぞれに、いつか再び繋がる日もあるだろう。あたたかな手を握り返しながら、イルマは旅だつ人々に精一杯の笑顔を見せた。
──幸せに。と、女神は言った。
私の可愛い子。どうか、幸せにと。
だから、ぼくは幸せになる。そして、皆の幸せを心から祈る。
時ならぬ風が吹き、天からたくさんの花びらが舞った。
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