【祝福の御子】黄金の瞳の王子が望むのは

尾高志咲/しさ

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第四部 婚礼

第35話 幸せの天秤①

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 イルマ様が、寝台からお出になりません、とセツがシェンバーに告げに来た。もうすぐ夕食の時間だ。
 セツは誰よりもイルマのことをよく知っている。乳兄弟とはこんなにも深くお互いを想い合うものかと驚くが、彼らにとっては当たり前のことのようだ。そのセツが心配げに眉を寄せている。

「久々に陛下たちにお会いになって、里心がつかれたんでしょうか⋯⋯」
「イルマは普段、あまりフィスタのことを言わないが、家族仲がいいからな」

 ずっと楽しそうだった分だけ、反動が強いのかもしれない。


「イルマ⋯⋯」

 シェンバーは、そっと声を掛けた。
 寝台の上には、こんもりと丸くなった山がある。よく見れば、時々山が小さく揺れている。シェンバーは山に近づいて、布をつまんだ。そっと手前に引こうとすれば、すすす⋯⋯と山が向こうに動いていく。手を伸ばして、上からぽん、と軽く触れればびくん、と小さく跳ねる。

 昔、可愛がりすぎて城から逃げ出した猫の姿が、シェンバーの脳裏に浮かんだ。構いすぎは禁物だと、あの時自分は学んだ。イルマに逃げられた手痛い思い出もよみがえる。
 シェンバーは寝台に上がり、端に寝転んだ。ゆっくりと、イルマに向かって話しかける。

「⋯⋯私の目が見えなかった頃。まだ、南の離宮にいた時だ。イルマがずっと側にいて、よく心配してくれただろう?」

 返事はなかったが、小山がわずかに揺れたのを、シェンバーは目の端に捉えた。

「『そこは⋯⋯があるから、ぼくの肩に掴まって』とか『二歩歩いたら、⋯⋯があるよ。気をつけて』とか。あの時、私が何を考えていたかイルマは知ってる?」

 もぞ、と山が動く。イルマは離宮での日々を考えているのかもしれない。丸まっている姿を想像して、シェンバーは心の中でくすりと笑う。

「不思議と、目が見えなくても怖くはないな、と思った。イルマがいつも側にいてくれることがわかるから。ただ⋯⋯」

 シェンバーは、ベッドの天蓋を見つめながら静かに言った。

「イルマの笑った顔が見たい。それだけを思っていた」  

 暗闇の中で出会った子どもを想って、長い時間を一人で過ごしてきた。あの頃は、目が見えていても、イルマはいなかった。目が見えなくなった時、イルマはすぐそばにいた。いつでも求める温もりがあった。

「幼い頃から、散々神官たちの話を聞かされた。『幸せの天秤』の話をイルマも聞いたことがあるだろう? 人は皆、生を終えて女神の元に行く時に、天秤の審判を受ける。生きていた間に他人に与えた幸せと、受け取った幸せとを比べて測る」


 天秤がゆらゆらと揺れて、生ある日々を映し出す。 

 女神に仕える者たちは言う。
『幸せを与える方が多かった者は女神の元で安らぎの日々を。受け取る方が多かった者は、再び人の世に生を』


「目が見えなかった時、その話をよく思い出した。そして、思ったんだ。この目でもう一度イルマの笑顔が見られたら、天で安らげなくてもいいと」

 自分には、天秤の審判の目にかなうような生き方は出来ない。血に塗れた手は、幸せを与えることとは対極にある。

 寝台の上の山は、いつのまにか少しずつ動いていた。シェンバーは、自分の近くに来たイルマに微笑んだ。

「フィスタは人も空気も温かいもので満ちている。女神の国では、幸せを与える者たちの方が、ずっと多いんだろう。イルマが寂しくなるのも無理はない」

 山が崩れて、布の間からぴょんと髪がのぞいた。小さな声が、ぼそぼそと聞こえてくる。

「⋯⋯シェンは、皆の幸せの為に働いてる。女神の湖の底でも、ぼくとサフィードを帰そうとしてくれた。⋯⋯それに」

 ぼくは毎日、たくさんの幸せをもらってる⋯⋯。

 イルマの呟きに、シェンバーの胸の奥にじわじわと熱いものがこみ上げる。
 山にそっと近づいて、掛け布ごとイルマの体を抱きしめた。じたばたと動く体をぎゅっと抱きしめるうちに、腕の中の動きが静かになる。

「⋯⋯私も、イルマからたくさんの幸せをもらっている」

 シェンバーは、そっと布の上から口づけた。 

 掛け布がずれて、間からふわりとイルマの髪が見えた。黄金の瞳が潤んでいる。瞼は少し腫れて、シェンバーの様子をうかがうように覗いていた。イルマは少し泣いたのだろう。何か言いたげな瞳と目があって、シェンバーの口元に微笑みが浮かんだ。

 話しかけたほうがいいものか、シェンバーは一瞬悩んだ。そっと手を伸ばして、よしよしとイルマの髪を撫でる。しおれていた髪がふわふわと戻りはじめた。少しずつ元気になってきたのだろうか。髪を撫でていると、イルマは気持ちよさそうに見える。

 幸せとは、なんだろう。

 シェンバーの胸に、イルマと過ごしてきた日々が浮かぶ。日々の中に幾つも喜びを見つけた。
 朝や晩に互いに微笑んで挨拶を交わすこと、一杯の茶を美味しいと喜ぶこと。
 空を染める夕陽がきれいだと囁くような、そんな小さなことを積み上げる日々が愛しかった。

 たくさんの者に幸せを与えることは無理でも。今こうして、この手は心沈む愛しい者を慰めることができる。
 それだけで、十分な気がした。

「⋯⋯シェン、もう少し撫でて」 
「イルマ?」
「⋯⋯あのね、元気が出るんだ。シェンが撫でてくれたら、すごく楽になる。明日からまた笑顔になれるから⋯⋯」

 シェンバーはイルマの額に口づけた。腫れた瞼に、涙の痕を残す目尻に。
 そしてゆっくりと、イルマの髪を撫でた。何度も、何度も。

「イルマが元気になるなら、いくらでも」
 ──君が笑ってくれるなら、どんなことでもする。
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