【祝福の御子】黄金の瞳の王子が望むのは

尾高志咲/しさ

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第四部 婚礼

第43話 シェンバー、子どもになる⑥

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 翌朝、目を覚ました時には、隣には誰もいなかった。

 シェンはもう目が覚めたのだろうか? 昨日は忙しかったから、今日はゆっくりさせてあげよう。
 そう思って、ベッドから体を起こした時だった。

「イルマ?」

 ──⋯⋯え?

「おはよう。どうしたんだ、そんな顔をして」

 洗ったばかりの髪を拭きながら近づく人物を、ぼくは呆然と見つめた。目を見開けば、すぐ目の前には輝くような笑顔があった。
 ぼくは思わず、辺りを見回した。ベッドを降りて、部屋の中を探す。続き部屋にも、廊下にも、どこにも小さな彼の姿はない。

 そうだ、当たり前だ。だって、ここに。

「何か探しもの?」
「⋯⋯本当に、シェン?」
「ふふ。おかしなことを言う。そうだ、我が名はシェンバー・ラゥ・スティオン」

 ──⋯⋯!!
 まさか、ぼくは夢を見ていたんだろうか?

「大丈夫か、イルマ。顔色が真っ青だ。そうだ、卓の上に置いてあったが、探していたのは、これか?」
「これ⋯⋯、マォン」

『あの子たちに食べてほしい。でも、イルマ王子の分は持って帰るから』
 ガゥイの屋台であの子がぼくに買ってくれた⋯⋯。

「イルマ? イルマ! どうしたんだ」

 ぼくは、どうしてしまったんだろう。シェンが、ここに、いるのに。折角、元に戻ったのに。
 目の奥が熱くなり涙があふれるのを、どうしても抑えることが出来なかった。

 シェンは立ち尽くすぼくを、そっと胸の中に抱きしめた。逞しく温かな体は間違いなくシェンだ。湿った金の髪は艶やかに流れ、ふわりと柔らかいあの子の髪とは触感が違う。

「⋯⋯っ⋯⋯うっ」
「イルマ⋯⋯」

 嗚咽を漏らすぼくを見て、シェンはきっと困っているだろう。涙を止めようと思うのに、どうすることもできない。
 シェンの唇が目尻に触れる。いたわるように、何度も。

「何があった?」
「⋯⋯いない」
「いない?」
「あの子が。⋯⋯小さなシェンが⋯⋯」

 ──もう、どこにもいないんだ。
 シェンが瑠璃色の瞳を瞬いてぼくを見た。ぼくは泣きながら、あの子と過ごした不思議な一日のことを話した。



「まさか、そんなことがあったとは」
「⋯⋯信じられないと思うけど」

 ぼくはシェンの膝の上にいる。抱きしめられ、シェンの肩に自分の頭を乗せて話し続けた。話す度に、少しずつ心が楽になって、涙も止まってきた。
 シェンは長椅子に背を預け、ぼくの話を聞き終えると、深いため息をついた。

「私はてっきり、を思い出したのだと思っていた。すっかり朧げになっていた夢を」

 シェンは、ぼくをじっと見た。眩しそうに、懐かしそうに。

「⋯⋯ゆめ?」

「イルマ、私は9歳の時に高熱を出したことがあるんだ。丸一日、熱に浮かされて眠り続けた。目覚めた時には、びっくりした。自分は南の離宮にいたはずだったから」
「えっ?」
「周りの者は皆、私が熱で錯乱していると慌てた。もう一度離宮に行く、会いに行くんだと言っても、夢だとしか言われなかった」
「⋯⋯」
「しかも、一緒にいた王子のことを話せば、口を揃えてそんな者はいないと言う。フィスタの王の弟は皆、青い瞳だからと」
「シェン、それは」

 シェンは、ぼくの手をとって、そっと指先に口づけた。

「⋯⋯黄金の瞳の王子と過ごしたあの一日は、夢だとばかり思っていた。本当にあったことだったんだな」

「シェン、は、覚えて⋯⋯いたの?」

 シェンは、眉を下げてちょっと困ったように笑う。

「いや、思い出した、と言った方が正しいな。もうすっかり忘れていた。
 あの頃、離宮の記憶を語り続ける私を、周りの者たちは皆、熱でおかしくなったと思っていた。とうとう父までやってきて、フィスタにそんな王子はいない。ガゥイに孤児院なんてものはないし、其方は夢を見たのだと諭された。悲しくて、何日も泣いた」

 ぼくは、小さなシェンが泣く姿を想像するだけで胸が詰まった。

「心配した母が、薬師を連れてきた。心を落ち着かせるためにと薬湯を毎日飲まされたんだ。その薬師が言った。あまりにはっきりした夢には意味が伴うと申します。いつかまたお会いになるかもしれませんよ、と」
「⋯⋯いつか」
「その言葉が不思議で、でも、とても安心した。ただの慰めだったかもしれないが、いなかったと言われるより、いつか会えると思う方がずっといい。その後は、日々に紛れて少しずつ記憶は薄れていった」

 自分がどんな顔をしていたのか知らない。たった一日だけ一緒に過ごしたあの子はもう、はるか遠い場所に行ってしまった。

「困ったな。あの頃は自分が泣いたけれど、まさか、こうしてイルマまで泣いているとは」
「と、止めようと思っても止まらないんだ。ぼくは⋯⋯思ったよりもずっと、あの子が、好きだった」

 シェンは、ぼくを抱きしめたまま、しばらく黙っていた。

「何だか、複雑な気持ちだ。嬉しいような、腹立たしいような。いや、相手も自分なんだが⋯⋯」

 ⋯⋯そうだ、どちらもシェンだ。
 幼くても、成長しても、この瞳の輝きは変わらない。瑠璃色の瞳は、ただ真っ直ぐにぼくを見つめてくる。

 ぼくは、シェンの頬を両手で包んだ。

「うん、どっちも、シェンだ。好き勝手なことを言うくせに、案外真面目で、すごく優しい」
「けなされているのか、ほめられているのか、どっちなんだ」

「どっちでも、シェンだ。ぼくが好きな、シェンだ。⋯⋯おかえり、シェン」
「⋯⋯ただいま、イルマ」

 また会えて嬉しい、と小さく笑う声が聞こえた。

 

 セツは長椅子に座るシェンを見た途端、悲鳴を上げた。愛用の茶器はさすがに落とさなかったが、ぼくが話し終えた後も呆然としていた。

「では、小さな殿下はもういらっしゃらないということですか」
「⋯⋯うん」

 9歳のシェンは、成長したシェンの思い出の中にいる。セツは少し困ったような顔をした。

「明日も、これが飲みたいと言われたのでご用意したのですが⋯⋯」

 セツの手元には、多めに砂糖の入ったお茶があった。昨日、小さなシェンが喜んで飲んでいたものだ。

「では、私がもらおう」

 セツから受け取ったお茶を、シェンは綺麗に飲み干した。レイにも知らせてくると言って、セツは足早に部屋を出て行った。
 入れ替わりのように部屋に入ってきたレイは、シェンを見るなりへなへなと床に座り込み、サフィードは、何だか少し残念そうな顔をする。

 小さなシェンの残した小さな足跡は、ぼくたちの中に不思議な余韻を残した。
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